48話 校外学習
校外学習の当日
俺は航空券を片手に集合場所の空港にいた。
学校からの説明は一通り済まされ、今は飛行機の搭乗口近くの窓を眺めていた。
大きな窓の外に、真っ白な機体が横たわっていた。
翼は空港の建物を突き抜けるほど長く、胴体はビルのように太い。
何百人も乗せられるはずの鉄の塊が、これから空を飛ぶ――そう思うと、改めて現実感が薄れる。
『え、なにこれ? 嘘でしょ? こんなの飛ぶわけないじゃん! 地面走るんじゃなくて? どうやって浮くの? 魔法もなしに?』
ガラスに張りつくように駐機するジャンボジェットを見上げながら、フェンリルが頭の奥で騒いでいる。
(……俺に聞くなよ。理屈は知らねぇけど、飛ぶんだよ。人間の科学ってやつで)
『ふーん……でも絶対途中で落ちるって! だって鉄だよ? あんなの鳥みたいに羽ばたけないじゃん! 墜ちたらバラバラだぞ? にひひっ♪』
(おい、やめろ! これから乗るんだから縁起でもない!)
内心で頭を抱えつつ、手にした搭乗券を確認する。
――よりによって、嫌な予感しかしない席番号が印字されていた。
ため息をひとつ吐いて、搭乗口をくぐる。
その数分後、俺は機内で地獄のような配置に座らされることになるのだった。
三列シートのど真ん中。窓側はいろは、通路側は悠真。背後の席には落ち着きのない一年男子、前の席はすでに最大角度まで背もたれを倒してくる猛者。
(……詰んだ)
『最高の陣形だねミツキ! 左右前後、逃げ道ゼロ!』
安全のしおりを取りに来たCAさんの笑顔だけが救いだ。
ほどなく機体がプッシュバックを始め、ゆっくりと滑走路へ。エンジン音が低く唸りを増していく。
「もうすぐ飛ぶんですね」いろはが窓の外を見たまま小声で言う。
「ああ。耳、たぶん詰まるぞ。飴もらっとけ」
「ありがとうございます」
『私にも飴ちょうだい!』
「黙って乗ってれば舐めてやるよ。」
加速。背中が座席に押しつけられ、視界の地面がみるみる流れる。
ふっとタイヤが離れた感覚のあと、身体が一瞬だけ浮く。
(おお……飛んだ)
『ひゃっほー! 魔法なしで浮いた! でもやっぱ落ちそう!』
(黙ってろ!)
雲を抜けると、窓の外に白い海が広がった。都市はミニチュアみたいに小さい。
シートベルトサインが消えると同時に、後ろの一年が即座に席を蹴って立ち上がる。
(頼む、落ち着け……!)
ドリンクサービス。紙コップの温いお茶が、意外とほっとする。
機内は一定の空調音と人の話し声。子どもの泣き声、軽く揺れる機体。
「揺れますので座席にお戻りください」というアナウンスが流れ、小さな乱気流を抜ける。
『この揺れ、飛竜の背より安定してるかも。あっちはもっとガタガタだったし』
(基準おかしいだろ)
悠真が珍しくいつもよりしゃべらない。
横を向くと真剣な顔をしている。
ふと俺の視線に気付いたのかすぐにいつもの表情に戻って、悠真が肘でつつく。
「おい、降りたら何食う? 黒豚? ラーメン?」
「まずは見学って言われただろ……」
いろはは窓の雲海に頬杖をつき、少しだけ眠たげに瞬きをした。
そんな他愛もないやり取りを挟んでいるうちに、機体は降下を始め、窓の外に海と緑が近づいてくる。
――数時間後。
機体が滑走路に着陸すると、独特のブレーキの衝撃に体が前へと押される。
シートベルトのランプが消えた途端、周囲の生徒たちが一斉に立ち上がった。
通路の混雑をやり過ごし、ようやく外へ。
タラップを降りた瞬間、頬を撫でたのは東京よりもじんわりと湿った空気だった。
(……蒸し暑いってほどじゃないけど、やっぱり東京より暑いな。)
『でも人混み少ないし、空気が軽い感じ。私こっちの方が好き~』
(……お前は人混みが嫌いなだけだろ)
フェンリルに苦笑しつつ空港ロビーへ進むと、先生が手を叩いて生徒を集めていた。
その隣には、学年の象徴である生徒会長――御影茜の姿もある。
金糸の刺繍が入った特別仕様のリボンが目立ち、ただ立っているだけで場の空気を締めていた。
「一年B組、全員そろったな! このあと貸し切りバスで知覧特攻平和会館に向かう。荷物は外で預けろ、席は自由だ。置いてくぞー!」
「やった窓側!」「俺トランプ持ってきたー!」と声が飛び交い、一気にざわつくクラスメイトたち。
俺はキャリーバッグを転がしながら、思わず肩を落とした。
(これ絶対、座席でめんどいことになるやつ……)
『にひひっ♪ 楽しみだねぇ~。ミツキ、どうせ変なのに挟まれるんだよ』
(お前が楽しそうに言うな!)
外に出ると、ロータリーに観光バスが並んでいた。
南国らしい日差しが白い車体を照らし、ガラス越しに見える青いシートがやけに鮮やかだ。
スーツケースを預け、俺もゆっくりとステップを上がる。
なるべく人の少ない後方に座ろうと思った、そのとき――。
「失礼します、一樹くん」
当然のように天城いろはが隣に腰を下ろした。
まるで最初から決まっていたかのように、何の迷いもなく。
「……おい」
「なにか問題でも?」
澄ました顔でこちらを見上げるいろは。
俺が言葉を探していると、通路側から悠真がひょいと顔を覗かせた。
「お前らさ……いつの間にそんなに仲良くなったんだ?」
目を丸くして、半ば呆れたように笑う悠真。
「ち、ちがっ……別にそういうわけじゃ……」
「え? 仲良くしちゃダメなんですか?」
いろはが小首を傾げ、紅い瞳をきらりと揺らす。
悠真は肩をすくめて「まぁいいけど」と笑い、自分の席へ戻っていった。
(……なんだこの空気。嫌な予感しかしない)
『にひひっ♪ ほらね、また妙なのに挟まれたじゃん!』
(だからフラグ回収すんなっての!)
窓の外でドアが閉まり、エンジン音とともに車体がゆっくりと動き出す。
こうして校外学習一日目は、俺にとって妙な緊張感とともに始まったのだった。
バスのエンジンが唸りを上げ、滑らかに空港のロータリーを抜けていく。
窓の外に広がるのは、東京のコンクリートとはまるで違う緑と空。遠くには低い山並みが連なり、白い雲がのんびりと横切っていた。
(……やっぱ都会と全然違うな。建物も低いし、空がやたら広く見える)
『ふふん♪ いいじゃんいいじゃん。人混みも少ないし、風もきれい。私こういう方が好き~』
(お前は人混み嫌いなだけだろ……)
そんな内心を抱えつつ、シートに体を預ける。
だがバスの後方からすぐに声が上がった。
「おい! ポテチ持ってきたやつ誰だー!」「次UNOな!」「なぁ、トランプ貸せ!」
数分も経たないうちに、修学旅行バス特有のカオスな空気が生まれていた。
袋菓子の匂いが漂い、笑い声が重なり、座席の隙間からカードが回ってくる。
「……賑やかすぎるな」
思わずぼやくと、隣のいろはが小声で囁いた。
「ふふ、一樹くんは参加しないんですか?」
「いや……別に。ああいうのは元気なやつに任せとく」
『出た出た~、地味系ぼっちムーブ! にひひっ♪』
その時、前の席から悠真が振り返った。
「おいイツキン! 真面目に窓の外ばっか見てんなよ。ほら、ババ抜きくらいやろーぜ」
「……まぁ、一回だけなら」
仕方なくカードを手に取ると、いろはがほんの少し嬉しそうに微笑むのが見えた。
バスは市街地へと入っていく。車窓に映るのは、白壁の古い建物や石垣の残る道筋。
ガイド役の先生がマイクを取って、「これから皆が向かうのは知覧。戦争と平和を学ぶ場所だ」と説明を始めると、車内のざわめきも次第に落ち着きを取り戻していった。
(戦争、か……)
ふと胸がざわつく。五年間、異世界で力を振るった日々がよぎる。
あの頃の匂い、声、血の感触――平穏とは真逆の記憶が、不意に蘇る。
『ほら、顔暗くなってんぞミツキ。せっかくのおやつタイムなのにさ~』
(……ほっとけよ)
そんな心の内を抱えながら、俺を乗せたバスは知覧へ向かって走り続けていた。
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