47話 真実2
紅い瞳を見開いたまま、いろはは呼吸すら忘れたように硬直する。
「……っ、そ、そんな……」
唇が震え、言葉がこぼれ落ちた。
「ほ、本当に……銀狼様……?」
その声音には畏怖と崇拝、そしてどうしようもない喜びが入り混じっていた。
彼女は机に置いた指先を強く握りしめ、しばらく視線を泳がせてから――小さく息を呑む。
「やっぱり……だから昼間は目撃されなかったんですね。
あんなに目立つ存在なのに、噂は全部“夜”ばかり。……そういうこと、だったんだ。
それなら探しても見つかるわけなんて無いんだ。」
その納得の響きを含んだ台詞が、俺の胸をざらりと撫でる。
まるで逃げ道に静かに鍵を掛けられたような感覚。
誰にも明かさず済ませたかった秘密が、音もなく暴かれていく。
喉がひどく乾き、舌が上顎に張り付くほどだった。
――俺は深く息を吸い、そして吐き出す。
肺の奥まで冷たい空気を流し込んでも、胸のざわつきは収まらない。
「……天城。俺は平穏を望んでる。戦いも、ヒーローも、そんなの求めちゃいない。ただ、普通に――高校生活を送りたいだけだ。」
言葉にしながら、胸が痛む。
言葉を口にするほど、平穏は遠ざかっていく。
どれだけ強く望んでも、手を伸ばすたびに霧みたいに消えていくばかりだからだ。
「異世界に行っていたのは『四月』なんだ。向こうでは…五年間、戦っていた。だけど――この世界では、俺がいなかったのは五日間に相当したらしい。帰ってきたら、時間は飛んでて、入学式の前日の朝だった。計算は合わない。時の流れが歪んでるのか、たまたまそうなっただけなのか。」
吐き出すように語りながら、自分でも背筋が寒くなる。
説明すればするほど、現実感が薄れ、まるで誰か別人の人生をなぞっているようだった。
でも――これが、俺の真実だ。
いろはの瞳が、その説明を追ってゆっくりと輝きを増す。
疑念と驚愕と、それ以上に「特別な秘密を打ち明けられた」悦び。
彼女は小さく息を吐き、目を細めて訊ねた。
「……御影君はそのことを、知ってるんですか?」
その問いは、どこか甘やかな期待を含んでいた。
まるで「自分だけの秘密」であってほしいと願うように。
「いや、知らないはず。おれ自身から言った覚えはない。」
俺は短く答え、確かめるようにいろはの顔を見た。
彼女は目を伏せて、でも頬を覆いきれない笑みが浮かぶ。
「そっか……それなら、私だけが知ってるってことですね」
いろはの声が弾いた。
嬉しそうで、誇らしげで、どこか独占欲を含んでいる。
その笑みを見た瞬間、胸の奥がぎゅっと締め付けられる。
俺の一番奥に隠しておきたかったものを、簡単に共有されてしまった。
秘密が距離を縮める――その事実を嫌でも実感させられる。
『にひひっ♪ 最初からそうすれば良かったのにね。』
頭の中でフェンリルが楽しげに茶化す。
(……この世界じゃ俺みたいなのは異質なんだよ仕方ないだろ。)
苦々しく吐き捨てたところで、いろはは真っ直ぐな眼差しをぶつけてきた。
迷いのない、まるで宣告のような瞳。
「……銀狼様は、私のヒーローでした。危ないところを救ってくれた人だから。だけど――鏡くんが銀狼様なら」
彼女は一度、きゅっと唇を結び、はっきりと告げた。
「私は、鏡君の力になりたい。危険だって分かってます。それでも……1人にさせたくないんです」
胸の奥を、ぐっと掴まれるような言葉だった。
俺が必死に避けようとしている未来を、彼女は迷わず受け入れようとしている。
その真っ直ぐさが、息苦しいほどに重い。
「でも、この先戦うつもりは俺には無いんだぞ。」
「そうだとしても巻き込まれない可能性は無いじゃないですか!」
言い返す声が震えていた。
恐怖ではなく、焦りでもなく、決意の震え。
その声音に押されるように、俺は何も返せなくなる。
そして彼女は、さらに続けた。
「銀狼様が危ないところに行くなと言うなら、私は従います。ですが――その代わり、この世界の情報やデータ収集、ナビゲートを任せてください。それならサポート出来るでしょう?」
そして、わずかに微笑んだ。
挑むような、けれど慈しむような笑顔。
「それでいいですよね……銀狼様」
「なんで銀狼様なんだよ」
思わず苦い声が漏れる。
「だって、鏡君が銀狼様なんですよね? 間違ってません」
「……いや、そうだけど……学校でもそんな呼び方されたら困るだろ。頼むから勘弁してくれ」
「ふふ、それなら……一樹様で」
「もっとやめろ!」
俺が慌てて突っ込むと、いろはは小さく笑って、ほんのり頬を赤らめた。
――重い。けれど、決して拒めない。
そんな矛盾した感情が、胸の中でぐちゃぐちゃに渦を巻く。
その瞬間、俺の胸の奥にひとつの諦めが沈んだ。
また一人、俺の秘密を知り、そして勝手に背負おうとする人間が現れた。
『ねぇミツキ? どうしてあんたって、いつもヤベー女ばっかに好かれるの? 体質? にひひっ♪』
(……知らねーよ!!それはおまえにも刺さってるからな!)
呆れ混じりのぼやきをフェンリルに投げつけながらも――いろはは深く息を吸い込み、決定的な言葉を残した。
「これからも……末長くよろしくお願いしますね――私の銀狼さま。
あと、私の事はいろはと呼び捨てでお願いします。」
その声音は、誓いにも呪いにも似て。
紅い瞳に射抜かれたまま、俺は返す言葉を見つけられなかった。
部屋の空気が戻っても、鼓動は収まらなかった。
目の前に――銀狼が、此処にいる。いや、鏡一樹が、銀狼だった。頭の中で言葉がぐるぐる回り、視界がほんの少しだけ揺れる。
私は椅子に座ったまま、しばらく身動きができなかった。指先が震えて、机の角を掴んでいなければ倒れてしまいそうだった。あのときの光、変わっていく髪、耳と尾がふわりと現れた瞬間の空気の匂いまで――全部がまだ生々しく体に残っている。
――でも、やっぱり、そうだったんだ。
胸の奥からじんわりと温かさが広がる。驚きや戸惑いよりも先に、確かな喜びが居座っていた。昼間に姿を見せない理由が、こういうことだったと腑に落ちる。これまで消されてきた映像や断片が、一つの線に繋がった瞬間だった。
「……本当に、銀狼様だったんだ」
思わず声が零れた。手が勝手にボードの写真へ伸びる。自分が執念のように集めてきた夜の映像やブレた写真たち――その全てが無駄じゃなかったと思えた。秘密が、特別な意味を持って胸に刻まれていく。
窓の外は夕暮れで、部屋の中は少しずつ影に沈んでいく。私はベッドに飛び込むように倒れ込み、枕に顔を埋めた。頬を熱い涙が濡らす。叫びたいほど嬉しいのに、声には出せない。誰にも聞かせたくないから。
――今、私は秘密をひとつ持っている。
鏡君、銀狼様の真実を、誰よりも深く知っている。
そのことが誇らしくて、そして甘く胸を締めつける。
「……いいんだよね。私だけが知ってれば」
小さく囁いた声は、決意の響きを帯びていた。
再びモニターを点けると、画面の中で銀狼が揺れていた。私はその映像に向かって、笑いそうになる唇を必死に噛みしめる。
――これから先、危険はきっと訪れる。
でも私はここで、必ず支える。情報を集め、道を示し、一人にしない。
ベッドの上で丸くなりながら、私は小さく笑った。
頬はまだ熱く、心臓は跳ね続けている。
「これからも……よろしくね。私の銀狼さま」
その囁きは誰にも届かない。けれど確かに、私自身の胸に刻まれた。
秘密を共有した高鳴りと、これからを誓う決意が、夕闇に包まれた部屋でひっそりと光っていた。
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