44話 トレーニングルーム
――SID東京支部・訓練施設前。
鋼鉄の扉の横に埋め込まれた黒いパネル。そこへ、ミーナが首から下げたセキュリティカードを、油で汚れた指でぴっとかざした。
【――認証完了。技術班主任、ミーナ・アイアンベル。アクセスレベルB-3。同行者一名を確認……識別不能。仮登録を行いますか?】
無機質な女声が壁のスピーカーから流れる。サポートAI《ARIA》。冷たいのに、どこか事務的な丁寧さがあった。
「仮登録、許可。主任権限で同行者扱いにする」
ミーナが即答すると、AIは一拍置いて返した。
【……承認。訓練施設の利用中、同行者の安全は保証対象外です】
「へいへい、わかってるって」
気だるげに肩を竦め、ミーナは扉の開く音に合わせて足台を押しながら中へ滑り込む。
ネリーはミーナの後ろを軽やかに歩を進めた。
「……まぁ、どういう仕組みで喋っているのでしょうか?」
紅い瞳がわずかに笑う。
中に広がっていたのは、想像以上の光景だった。
壁も床も無機質なはずの空間が、立体映像によって都市の廃墟へと変貌している。ビル群の間を黒い異形が駆け抜け、土煙と共に咆哮を上げる。だが、音も衝撃もリアルで、まるで現実にそこへ投げ込まれたような錯覚を覚えた。
「……これは」
ネリーは目を細め、優雅に口角を上げた。
「映像にしては……なかなかの出来栄えですわね」
その中心に、茜がいた。
紅桜ではなくクレストエッジを抜き、しなやかな動きで仮想敵を切り裂く。刃が青白く光を走らせるたび、敵影がノイズ混じりに崩れては消えていく。
息遣いは荒い。だが、目は鋭く、必死さが滲んでいた。
――焦りがあった。
先日の銀狼との邂逅。自分の一太刀が届かなかった事実が、茜の胸をいまだに灼いている。だからこそ、こうして時間を忘れて訓練に没頭していたのだ。
最後の一体を斬り払った瞬間、立体映像が霧散し、無機質な白い壁が戻ってくる。
「……ふぅ」
短く息を吐き、額の汗を拭う。その時だった。
茜の視線がこちらに向いた。
紅い瞳と琥珀色の瞳が交差する。
「――ここは、部外者立ち入り禁止のはずだが?」
声は冷たく、抑えられた苛立ちを帯びていた。
ネリーはまるで舞台に立つ役者のように肩をすくめ、ゆるりと微笑む。
「まぁ、観戦くらいよろしいじゃありませんか?」
紅と琥珀の視線が、空気を張り詰めさせる。
【次の訓練メニューを指定してください】
《ARIA》の声が割って入った。
茜は短く息を吐き、視線を戻す。
「……ボス級シナリオ、都市制圧型を起動」
【承認。仮想敵――大型個体を生成します】
床が振動し、空間が再び組み換えられる。
今度は高層ビル群を薙ぎ倒しながら、巨躯の怪物が姿を現した。鋭い咆哮が訓練場に響き渡る。
ネリーはその迫力に微笑みを深め、軽やかに首を傾げた。
「……確かに素晴らしい技術ですわね。雰囲気も、迫力も、音も風も――どれも本物のよう。
ですが――命懸けという危機感には、やはり欠けますわね」
その言葉は、わざわざ強調した皮肉ではなかった。ただ本物を知る者の率直な感想。だが――茜には棘のように刺さった。
「……何が言いたい」
茜が憤りを押し殺した低い声を投げる。
ネリーはすっと紅い瞳を細め茜を見つめ返す。
「別に咎めているわけではありませんの。ただ……次の任務にわたくしも同行するのであれば、そちらの戦闘能力を測っておくべきだと思いまして」
茜の瞳が細められる。
記録に残されたネリーの魔力量は「五千超」。それは下手をすれば神獣級に届く規格外。警戒するなという方が無理だった。
(……危険だ。けれど、今の自分は……)
胸の奥で葛藤が渦巻く。銀狼に届かなかった一太刀。その焦燥が、警戒の意識を上回ってしまう。
「……測る、だと?」
茜が低く呟いた。
「ええ」
ネリーは優雅に裾を払う仕草で一歩前に進む。
「命を奪うつもりはございませんわ。ただ――どれほどの力を借りられるのか。いざという時に、それを知っておきたいのです。
腕輪の認証お願いできます?」
紅い瞳が愉しげに光を宿す。芝居がかった態度であっても、言葉そのものに嘘はない。
「戦闘の許可を認証する……武器は持たないのか。」
茜が問う。
ネリーは紅い唇に微笑を浮かべ、すっと足元の影に手を差し入れた。
次の瞬間、闇が揺らめき、そこから黒い日傘を引き抜いてみせる。
「……どこに隠し持っていた?」
茜の瞳が細められる。
「まぁ。淑女には秘密が付き物ですわ」
ネリーは軽やかに答え、日傘を肩に担いだ。
「多少切られても、すぐに治りますので。ご安心ください、加減はいたしますから」
ぞくりとした。軽い口調の裏に潜む魔力の奔流。その存在感に、茜の喉がひりつく。
【――模擬戦プログラムを起動しますか?】
無機質なARIAの声が再び割り込む。
茜は短く息を吐き、琥珀の瞳を細めた。
「……起動しろ」
【承認。模擬戦プログラム――個人戦仕様。戦闘環境を生成します】
床が震え、視界が切り替わる。再び都市の瓦礫が姿を現し、砂塵が舞う。
茜とネリー、二人だけがその中心に立っていた。
紅い瞳と琥珀の瞳が、静かに交錯する。
次の瞬間――茜が地を蹴った。
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