37話 取引
――秋ヶ原市。
夕暮れの雑踏を、ひとりの少女が黒い日傘を差して歩いていた。
薄紫色の髪、透き通るような白い肌。
漆黒のゴシックドレスはこの街並みでは異様に映え、すれ違う人々がつい振り返る。
「……やはり、この世界は人が多すぎますわね」
ネリー・カーミラは小さく溜め息をつき、周囲を見渡した。
異世界であれば血の匂いを辿れば仲間の居場所を察せられた。
けれど、ここでは魔力も魔素も希薄。
――ミツキさんの気配を探ろうにも、まるで靄に遮られているようで掴めない。
昼間は視線を避け、夜になればビルの屋上や影に身を潜める。
数日それを繰り返したが、成果はなかった。
「……歩いて探すのは非効率にも程がありますわ。
かといって、これ以上目立つのも考えものですし……」
ふと脳裏に浮かぶのは数日前の出来事。
通りすがりの若者に声をかけられたが、何を言っているのか理解できない。
仕方なく異世界語で返したら、男は青ざめて逃げ去った。
(……ふふ。言葉の壁とは便利ですわね)
だが、その様子を誰かが撮っていたらしく、翌日には「謎の美人」として写真がネットに出回った。
しかし数時間も経たないうちに削除。
どうやらこの世界にも、彼女を監視する目があるようだ。
そんなことはネリーには知らぬこと。
数日後、夜。
ネリーは高層ビルの屋上に立ち、街の光を見下ろしていた。
オレンジと白の灯が川のように流れ、人の声と車の音が遠く響く。
異世界の闇と血の匂いを知る彼女にとって、それはあまりに無機質で、どこか寂しかった。
「……ミツキさんを見つけるのも難しいですわね。
魔力も感じませんし、人もこんなにも多い。……これでは歩き回って探すのは非効率ですわ。」
そう呟いた瞬間、唇に小さな笑みを浮かべる。
「……それなら――」
日傘を傾けた瞳が、ビルの影に潜む“気配”を射抜いた。
「さきほどからわたくしを見ている方々。隠れているつもり?でも…その程度ではバレバレですわ。」
沈黙。
だが確かに複数の視線があった。
屋上の空気は重く張り詰め、獲物を狙うような気配に満ちていく。
ネリーは挑発するように囁いた。
「――ミツキさんをご存じありませんか?」
流れる言葉は異世界語。
だが、その中に確かに「ミツキ」という音だけが混ざった。
SIDの隊員たちは意味を理解できずとも、その名に反応してざわめく。
次の瞬間、屋上に黒い影が躍り出た。
ゴーグルとマスクで顔を隠した武装兵。
そしてその先頭に立つ短髪の男――SIDの連城。
両拳には金属質の補助装備が装着され、赤い紋様が脈打つように光っていた。
「対象を確認、接触を図る」
低く冷徹な声。
連城の合図と共に、数名の隊員が一斉に展開し包囲網を築く。
ネリーは日傘を軽く傾け、肩をすくめた。
「……ふふ。やはり来ましたか。わたくしを監視していたのは貴方方でしたのね」
数名の隊員が武器を構える。
逃げ道は完全に塞がれていた。
「抵抗するなら、こちらも容赦はしないが出来れば平和に解決したい。」
連城の拳がわずかに鳴動し、屋上の床がひび割れる。
だが、ネリーは動じなかった。
むしろ楽しそうに赤い瞳を細め、囁く。
(……ここで捕まれば、ミツキさんに近づけるかもしれませんわね。)
ゆるやかに日傘を畳み、両手を差し出す。
「……いいですわ。連れて行ってくださっても」
SIDの隊員たちが戸惑いの視線を交わす。
異世界人がここまであっさりと降伏するなど珍しい。
普通は逃げるか、攻撃して抵抗してくるかが基本的な反応だ。
夜風が吹き抜ける中、ヴァンパイアの少女は静かに拘束され、闇の中へと連れ去られていった。
---
――SID秋ヶ原支部・尋問室。
白い壁、冷たい蛍光灯。
部屋の中心には金属製の机と椅子が二脚だけ。窓もなく、無機質な静けさに包まれている。
壁の片隅には黒いガラス窓が嵌め込まれているが、その向こうからの視線を感じさせるだけで、中の様子は見えない。
椅子に座る少女――ネリー・カーミラは、両手を膝に重ね、姿勢よく静かに座っていた。
黒いドレスの裾は乱れることなく広がり、日傘だけが机の端に置かれている。
その姿は、捕らわれの身であるはずなのに、むしろ“貴族の客人”のように見えた。
「……落ち着き払ってますね」
ドアが開き、白いスーツを纏った女性が入ってくる。
久遠――SIDの女性エージェント。冷たい灰色の瞳が、真っ直ぐネリーを見据えていた。
「失礼します」
机の向かいに腰を下ろすと、静かに資料を広げる。
だがすぐに、手元の装置を机の上に置いた。
小型の翻訳機。
複雑な魔術式と科学回路が組み合わされたSID製の装置で、相手の言語を即座に解析し、日本語へと変換する。
久遠がスイッチを入れると、青い光が点滅し、空気がかすかに震えた。
「これで会話が成立するはずです。……あなたの名前を、まず伺っても?」
ネリーは柔らかく微笑み、ためらわず答えた。
「ネリー・カーミラともうしますわ。」
翻訳機がその名を正確に繰り返し、壁の観察室に記録される。
「国籍は?」
「この世界での国籍、という意味でしたら……存在しませんわ。
わたくしは、貴女方の言う“異世界人”ですから。」
ガラスの向こうで、監視員たちがざわめく気配が伝わる。
久遠は表情を崩さず、さらに質問を投げた。
「では、なぜこちらの世界に?」
「……親友を探しているのです。
とてもえぇ…とても大切な人ですわ。」
ネリーの紅い瞳が、すっと細められる。
「“ミツキさん”――その方を探して、この街を彷徨っていたのです」
翻訳機が正確に音を拾い、テキストが画面に浮かぶ。
【ミツキ】
観察室の奥で、初めてその名に動揺が走った。
モニターを見つめるSID職員たちがざわめき、記録係が慌ててキーを叩く。
久遠は無表情を崩さぬまま、その名を繰り返した。
「……ミツキ?」
ネリーは唇に微笑を浮かべ、姿勢を崩さずに答える。
「ミツキさんはご存知ありません?」
---久遠の声は冷静を保っていた。
「……ミツキ、ですか。その人物について、詳しくお聞かせ願えますか」
ネリーは頬に手を添え、わざとらしく首を傾げた。
「ふふ……詳しく? 構いませんわ」
その口調はまるで自慢話をする少女のように甘やかで、けれど一言ごとに熱が籠もっていた。
「ミツキさんはとても真面目で……なのに少し不器用で。
誰よりも優しく、時に誰よりも無茶をするお方。
それでもわたくしを決して見捨てなかった、かけがえのない“親友”ですの」
翻訳機が機械的に言葉を繰り返す。
観察室の職員たちは互いに視線を交わし、久遠だけが淡々と聞き続けていた。
「……容姿について、何か特徴は?」
「ええ……白銀の髪に、狼の耳と尾を持つ獣人の少女。
戦場では誰よりも速く、力強く……いくつもの敵を薙ぎ払ってくださいましたわ」
その瞬間、観察室の空気が一変した。
ざわめきが広がり、過去の監視映像――港湾地区で記録された“銀狼”の姿と一致する情報が即座に引き合わされる。
久遠は資料をめくり、捕獲して拘束した時に取った資料用の写真を映像のスチル写真を机に置いた。
「……この者ですか?」
写真を見た瞬間、ネリーの紅い瞳がわずかに揺れた。
「わたくしのミツキさんにこのような仕打ちを…。
この場所ごと滅ぼしてあげましょうか。」
静かに揺れる怒気と魔力のうねりに緊張が走った。
けれどすぐに、静かに息を吐き、冷たい微笑を浮かべる。
「いいえ」
声は穏やかだが、その裏に怒気が潜んでいた。
「この程度の者達に、ミツキさんが捕まるわけもありませんわ。
……おそらく、わたくしと同じく“手加減”したのでしょうね」
翻訳機がそのまま言葉を返す。
観察室で誰かが小さく息を呑んだ。
ネリーは微笑みを崩さぬまま、さらに言葉を重ねる。
「ですが――もし貴女方がミツキさんを害するつもりなら」
紅い瞳がわずかに光を強める。
「……この支部ごと滅ぼしましょうか?」
机を挟んで座る久遠でさえ、一瞬背筋を粟立たせた。
観察室の職員が慌てて非常ボタンに手をかけかけたが、久遠は手を上げて制止した。
「落ち着いてください」
久遠の声は低く、しかし揺るがない。
「我々は敵ではありません。少なくとも、今は」
ネリーは唇に笑みを戻し、肩をすくめた。
「……そう、でしたら良いのですけれど」
短い沈黙の後、久遠は話題を切り替えるように静かに告げた。
「……取引の余地がある、と考えてよろしいですか?」
ネリーの赤い瞳が細められる。
机の上で両手を重ねながら、まるで舞踏会で誘いを受ける令嬢のように微笑む。
「ええ。わたくしは敵ではありません。
ただ――ミツキさんにお会いできるのなら、多少の協力は惜しみませんわ」
翻訳機が言葉をなぞる。
その場の全員が、その“取引”の重さを理解した。
ネリー・カーミラ――異世界から来たヴァンパイア。
彼女が語る“親友”ミツキ。
そしてSIDが追い続けてきた“銀狼”の微かな情報を収集した。
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