33話 茜の焦りと予言の巫女
木刀を振り下ろす音が、御影家の道場に響いていた。
夜更け、外は静寂に包まれている。
御影茜は額から汗を滴らせ、ただひたすらに素振りを繰り返していた。
畳に滴り落ちた汗はすぐに染み込み、道場に湿った匂いを漂わせる。
木刀を振るたびに手のひらが擦れ、赤く腫れ上がっていく。
痛みを感じても、腕が痺れても、止める気はなかった。
頭に焼き付いて離れないのは、秋ヶ原都心地下――雨水貯水槽での戦い。
私がなすべもなく敵の攻撃を避けられず、絶望の淵に沈んだその瞬間。
白銀の獣人、銀狼が現れ、全てを薙ぎ払った。
――木刀を振るたび、脳裏にその姿が浮かぶ。
疾走する影。尾が閃き、獣の脚力が床を砕きながら迫ってくる。
耳の奥に、爪が空気を裂く鋭い音まで蘇る。
(来る――!)
茜は素足を滑らせ、横に身を捌いた。
だが次の瞬間、想像の中の銀狼は背後に回り込み、喉元へ爪を振り下ろしてくる。
木刀を返す――届かない。
自分の一撃は空を裂き、銀狼の影だけが目の前を通り過ぎた。
さらにもう一度。
尾の一閃が視界を裂き、木刀ごと腕を弾き飛ばされる。
畳に叩きつけられる感覚が鮮明に蘇り、背筋がぞくりと震えた。
「……くっ!」
木刀を握る手が震える。
頭の中で何度繰り返しても結果は同じ。
一度も致命打を与えられず、敗北を重ねる。
「……私のランクは、未だA止まり」
木刀を構え直し、唇を噛む。
Aランク――SIDの中でも精鋭の一握り。
だがその上、Sランクに到達した者は日本にわずか5人しかいない。
神槍、心眼、剛剣、炎帝、超人の5人。
私は1度だけ超人に会ったことはあるが戦い方がもはや違いすぎで参考にもならなかった。
「その壁を超えなければ……私は勝てない」
――あの時の銀狼捕獲は、本気ではなかった。
最初から全力を出されていたなら、私達は抗うことすらできなかっただろう。
「……私は、おごっていた。」
握る手のひらは赤く擦れ、じんじんと痛む。
木刀の柄に血が滲み始めても、止めることはできなかった。
守られただけの自分が、どうしても許せなかった。
――ギィ。
引き戸が開き、ラフな格好の少年が顔を覗かせる。
「……またやってんのか、姉ちゃん」
御影悠真が、呆れたように息を吐いた。
手にはペットボトルの水を持っている。
「夜中まで素振りなんて、手のひらボロボロじゃん。前に倒れたこと忘れたのかよ」
茜は振り返らず、木刀を握り直す。
「……悠真、あなたには分からない」
「分かるよ。秋ヶ原地下で見たろ? 銀狼がどんだけ規格外かって。
俺たちは人間なんだ。異世界人とは、最初から作りが違う。
あれと比べても、無駄に焦るだけだ」
木刀の音が止まった。
静まり返った道場に、姉弟の声だけが落ちていった。
「――だから、なんだ。
そんな奴らがこの世界に集まれば、我々が戦えねば負けるのだぞ。」
低く、冷たい声。
振り返らないままのその一言が、悠真の胸を刺すように響いた。
彼は言い返せず、ただ黙って水のボトルを置き、道場を後にした。
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――東京、SID本部地下。
地上の喧騒から切り離された特別区画。
分厚い石壁と幾重もの結界に覆われたその一室は、外界の時間すら止まったように静謐だった。
薄闇の中に吊られた御簾。
外から見えるのは、揺らめくひとつの影だけ。
女か男か、若いのか老いているのか――誰も判別できない。
ただ、その場に居るSID幹部たちは、皆うつむき、深く頭を垂れていた。
やがて影がゆるやかに動き、鈴のように澄んだ声が響く。
「……一つの封印が、解かれた」
感情を欠いたその声は、告げるのではなく“視えた未来”をただ言葉にしたものだった。
同時に、壁に刻まれた結界がかすかに軋み、魔素が青白い光を帯びて室内を漂う。
「この先の鍵を持ちし者が……運命を決めるだろう」
幹部たちは息を殺し、その一言一句を逃すまいと耳を澄ませる。
誰も顔を上げない。上げてはならない。
「それは吉と出るか、凶と出るか……まだわからぬ」
影が揺らめき、形を変える。
人か、異界の者か――判断できない。
ただ圧倒的な存在感だけが、空気を支配していた。
「次なる場所は……ここより南」
低く、重く、静かに紡がれたその言葉に、幹部たちは凍りついた。
南――漠然としたその指し示す先は広大で、あまりに曖昧だ。
だが、心眼の巫女の予言は決して外れたことがない。
「……南の山。その大地に、災いの兆しが芽吹くだろう」
その瞬間、御簾の奥から零れた魔素の粒子が、火花のように散った。
幹部たちの背筋を冷たいものが走る。
それを最後に声は止み、部屋は再び静寂に包まれた。
御簾の奥の影は、もう動かない。
残された幹部たちはただ深く頭を下げ、ひとつの確信を胸に抱く。
――次の災厄は、必ず“南”に現れる。
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