29話 一樹vsカーティス
赤黒い魔素がまだ漂う戦場の中心。
氷片に腰掛けたフェンリルは、観客のようににやつきながら足をぶらぶらさせていた。
「頑張れぇ~ミツキ、負けるな~。負けそうになったら割り込んじゃうぞ~♥」
軽口とは裏腹に、空気は張り詰めていた。
白銀の狼耳を揺らすミツキと、サングラスの奥で笑むカーティス。
互いに距離を取ったまま、一歩も動かず睨み合う。
(……強敵相手の戦いは久々だ。
五日も戦ってないと、感が鈍るな)
肺の奥で冷気を練り、じわりと足裏に流す。
視線は逸らさず、ただ相手の“微細な動き”を読むことに集中する。
カーティスもまた動かない。
まるで散歩中の紳士のように肩の力を抜き、無防備に見える立ち姿。
だが袖口だけは、不自然に揺れ、かすかな殺気を孕んでいた。
(ナイフ、ピストル……しかも毒。
“戦闘は苦手”なんて言葉はブラフだ。――確実に俺が仕掛ける瞬間を狙っている)
わずかに重心を下げれば、カーティスの体もまた揺れる。
指をひとつ動かせば、相手の手首も同じように震えた。
一見ただの睨み合い。
だがその実、互いの脳内ではすでに何十手もの攻防が繰り広げられていた。
こちらが踏み込めば、斜めに毒刃。
回避すれば、背後から銃弾。
反撃の蹴りは、あらかじめ仕込んだ罠で迎撃される――。
互いにそれを“知っている”からこそ、誰も最初の一手を切れない。
静止したはずの空間が、底知れぬ圧で締めつけてくる。
その緊張を破ったのはカーティスだった。
「いやぁ……このまま見つめ合うのも悪くはありませんが、らちが明きませんね」
次の瞬間、袖口からヒュンッと閃きが走った。
三本の短刃が空中で霧のように分裂し、三方向から殺到する。
刃の縁は赤黒く濡れ、空気に触れた瞬間、鼻を刺す毒の匂いを撒き散らした。
「毒か……っ!」
反射で踏み込み、刃を紙一重でかわす。
一閃は頬を掠め、二閃目は甲を狙い、三閃目は腿へ――。
全てをギリギリで回避する。
「これはどうですかな?」
声と同時に影が迫る。
青竜刀が、頭上から真っ直ぐ振り下ろされた。
「くっ!」
身をひねり、刃が顔の横をかすめる。
――バガァァンッ!!
地面を叩き割り、破片が弾丸のように飛び散った。
隙だらけの胴を狙い、右足で蹴りを放つ。
だがカーティスはあっさりと青竜刀を手放し、ひらりと後退。
「やはり……理性的な動きですね」
サングラスの奥で笑みを深め、芝居がかった声を響かせる。
「しかし、少々慎重すぎる。そうでは私には勝てませんよ、銀狼」
「……ずいぶん舐めたことしてくれるじゃねぇか。武器を簡単に捨てるなんてよ」
「ええ、私は素手の戦闘は苦手でして」
軽く肩をすくめる。
「ですから――こうして消耗品をいくらでも用いるのですよ」
氷の冷気と赤黒い瘴気が交じり合い、鉄の匂いが濃くなる。
再び互いに動きを止め、わずかな揺らぎの中で次の一手を探る。
――一見静かだが、二人の中ではすでに数十通りの戦闘が決着し、敗北し、また組み直されていた。
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銀狼の目が一瞬光った。
次の瞬間、氷を纏った脚が床を弾き――風圧と共に迫る。
(……ほう、身体強化を上げましたな。これはさっきまでの魔力ではない。まだ底を隠していたとは――!)
袖口に仕込んだ 袖剣 を弾き出す。ヒュンッと閃いた刃が迫る拳を狙うが――。
ガギィンッ!! 氷の拳がわずかに軌道を変え、刃は逆に弾き飛ばされて壁に突き刺さった。
「くっ、反応が早い……!」
すかさず 鉤鎌刀 を逆手に抜き、迫る蹴りを受け流す。
ガガガッと氷の爪と絡み合い、火花と霜が同時に弾け飛ぶ。
だが、力比べでは分が悪い。腕に走る衝撃が骨まで響いた。
(……やはり怪物。ならば器用さで潰す!)
腰を捻り、左手で 鉄扇 を開く。
カシュン! 金属の骨組みが広がり、扇面に仕込んだ毒粉を弾き飛ばす。
白煙のように舞い散った毒霧が銀狼の顔面へ――。
だが。
スッ、と頭をひねっただけで霧を回避し、銀色の尾で風を巻き起こして吹き払われた。
「な……!」
間髪入れず、氷の蹴りが腹へ迫る。
ギリギリで 三節棍 を抜き、鎖を唸らせて迎撃する。
ガシャァァン!! 棍が蹴りを受け止め、反動で手が痺れる。
次の一節を振り回し、牽制するように叩きつけた。
だが銀狼はもう眼前。
拳の軌跡が残像のように迫る――!
「ッらちが明きませんね!」
思わず口を衝いて出た。
背中から 流星錘(鉄球付きの鎖) を引き抜き、地面に叩きつける。
ドゴォォンッ!! 床が爆ぜ、破片が弾丸のように飛ぶ。
爆風を利用して後方へ跳び退る。
額に冷汗。
呼吸は浅く、だが笑みは崩さない。
「やはり……あなたの反応速度は本物。だが――!」
足元の青竜刀を引き抜きすぐさま距離を詰め、唸りを上げて振り下ろす。
ゴオォッと空気を裂く一撃。
だが。
「遅ぇんだよ」
耳元で囁く声。
視界が揺れる――。
氷を纏った銀狼の拳が、青竜刀を弾き飛ばし、そのまま私の頬に叩き込まれた。
――ドガァァンッ!!
視界が白く弾け、身体が宙を舞う。
壁に叩きつけられた衝撃で、肺の奥の空気が押し出される。
視界が揺れ、耳鳴りが鳴り止まない。だが――カーティスは膝を折らなかった。
「……ふぅ……なるほど。さすがは“銀狼”。」
口元から血を拭い、薄い笑みを浮かべる。
今までの芝居がかった余裕とは違う、鋭い光がサングラスの奥から漏れ出した。
「私は小さい頃から魔力の総量が乏しく、周りから散々笑われ、見下されてきた。
だが私は――そいつらを跪かせるために、まずは知恵をつけ、次に金を稼ぎ、技術を磨いた。
魔力が少なくとも、戦えるだけの術を。
魔力ばかりに頼り、それにおごった愚か者を……私は一人残らず屠ってきた」
声にはもう飄々さはなく、むしろ狂気と執念の熱を帯びていた。
サングラスを静かに外し、上着を脱ぎ捨てる。
パサリと布が床に落ちる音が、不気味に響いた。
露わになったのは無駄肉のない鋼の肉体。
白いシャツは筋肉に引き裂かれそうなほど張り詰め、腕をわずかに動かすだけで袖口のボタンが悲鳴を上げる。
それは知恵と狡猾さだけではなく、己の身体をも徹底的に鍛え上げてきた証。
「そして今、さらなる力と富を求め――私はここにいる。
カラミタスNo.4、この私が……この程度で倒れるわけがないだろう!!」
赤黒い魔素が彼の背後で渦を巻く。
スーツの裾から、カーティスはゆっくりと両手を腰へ伸ばした。
指先が掴んだのは、空間の裂け目から引き抜いたように見える、蒼く妖しい光を放つ双剣。
――シュルルッ。
二振りの青竜刀。
刀身は深海のように濃い蒼を帯び、蛇がのたうつように波打っている。
両手にそれを構えた瞬間、戦場全体を圧する気配が膨れ上がった。
「ご覧に入れましょう。これが私の本当の牙――《双牙》」
刹那、赤黒い魔素と蒼い斬気が交錯し、空気が震えた。
蛇影が背後に揺らめき、二振りの刃はまるで意思を持つかのようにわずかに唸りを上げる。
「……遊びはここまでだ」
声色は低く、鋭く、今までの飄々さを完全に脱ぎ捨てた。
ここに立つのは、幹部No.4――“蛇”のカーティス・ロウ。
本当の地獄は、これからだった。
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