19話 取引
――SID秋ヶ原支部・臨時作戦室。
冷たい電子音が重なり、緊張した声が飛び交う。
「……通信が切断されました!」
「第1部隊、生体モニター反応ロスト!」
一瞬にして空気が凍りつく。御影茜を筆頭に、悠真、連城――SID主力級を含む精鋭部隊が、ダンジョン第3層にて消息不明。
「回線復旧を試みろ!」
「駄目です、T.A.Sの信号も遮断……完全にロストしています!」
鷲津が低く眉をひそめる。
「……他支部への応援は? 最寄りはどこだ」
「名古屋支部です! 特殊ヘリで出動可能。ただし――最短でも到着は一時間後!」
作戦室の空気がざわめきに包まれる。
鷲津は深く息を吐き、拳を机に落とした。
「……一時間だと? その間に侵食は進む。秋ヶ原市街に被害が及ぶのは時間の問題だ」
モニターには魔素濃度の急上昇グラフ。レベルはすでにL4を突破し、加速度的に拡大している。
(市民を守れず、支部の誇りまで失えば――SID秋ヶ原支部は終わる。だが、A級を含む第一部隊が沈黙した今、残された戦力であの深部に到達するのは不可能……)
重苦しい沈黙の中、脳裏にひとつの存在が浮かぶ。
銀狼――収容室にいる異世界存在。
偶然か必然か、この事件と同じタイミングで捕獲している。会話には応じ、危険度はCに引き下げられた。だが茜の報告では「刀を折られた」とも。
もし本気を出せば、A級以上に届く可能性がある。
(利用するのか……“敵”かもしれない存在を。だが、このままでは我々の主力である茜隊員を見殺しにし、市民に被害を出す。……選択肢は一つしかない)
鷲津は息を吸い込み、告げた。
「銀狼を――使用する」
「課長! 正気ですか!?」若い隊員が声を荒げた。
「敵か味方かも定まっていない“異世界存在”を、我々の戦力に組み込むだなんて!」
「……危険度はすでにCですが。」久遠が冷静に補足する。
「茜隊員の報告によれば刀を折られたと言う証言もあります。
もしあれが“手加減”なら……本来の力は我々を凌駕する可能性があります。そんな存在を使うなど――」
「だが、現状他に出来ることもないのも事実だ。」
鷲津の声が鋭く遮った。
「“選択肢”だ。今この時、我々に残された唯一のな」
沈黙が走る。
鷲津はゆっくりと周囲を見渡し、重く言葉を続けた。
「第一部隊の命は刻一刻と削られている。
名古屋の応援を待つ間に、市民に被害が出ればどうする? 秋ヶ原支部は無能の烙印を押され、……市民の安全も、SIDの矜持も守れなくなる」
久遠が低く問う。
「ですが……仮に説得することが出来たとして銀狼ひとりで本当に第3層まで到達できるのですか。」
「だからこそ――残った我々が全力で支援する」
鷲津は机を叩き、迷いを断ち切った。
「動ける隊員を三名、直ちに準備しろ。支援体制を整える。交渉は――私が直接行う。責任はすべて私が負う」
重苦しい空気が一瞬にして静まり返る。
支部長としての決断に、誰も言葉を挟めなかった。
鷲津は無言のまま歩き出す。
向かう先は、収容室。
「……偶然か必然か。この事件の最中に我々が銀狼を捕獲していた。」
重い靴音が、SID本部の廊下に響き渡った。
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さっきから、ドアの向こうがやけに騒がしい。
重たい足音。誰かが無線で通信を交わすような短い声。走る靴音。何人もの人間が、慌ただしくこの施設の廊下を行き来している。
そして、それに混じって――魔素の流れ。
微細だが確かに感じ取れる。まるで地下のどこかで、巨大な何かが鼓動を打つように、魔素が一定方向へと引き寄せられていた。
(また、何か動いたか……)
ミツキ――鏡一樹は、ベッドの端に腰を下ろし、黙って耳を澄ませていた。
手足の拘束は既に解除されている。だが、部屋の出入り口には金属製のロックドアが備え付けられており、出ようとしても開かないことは既に確認済みだ。つまり、自由ではないが、無理矢理閉じ込められているわけでもない。
『んで? ミツキはこのままベッドでごろごろしてんの? お外、めっちゃ騒がしそうなんだけどぉ?』
脳内に届くのは、いつもの――いや、いつも以上に悪戯っぽく響く声。
『あたし、もう限界なんですけど~! 魔素の濃度とか上がってんの分かるよね? ね? あんた、分かっててシカトしてるでしょ』
「……フェンリル、黙ってろ。少しは静かにできねえのか」
『ミツキがグズグズしてるからでしょ~? つーかさ、そもそもなんでこんなとこ閉じ込められてんのよ。アタシたち、悪いこと何にもしてなくね?』
フェンリルの声は、相変わらずのメスガキ調で響いてくる。
だがその裏には、焦りとは違う――奇妙な、落ち着かない感情が混じっていた。
ミツキは言葉を返さず、代わりに目を閉じて意識を集中する。
――耳に入るのは、外のざわめき。
そして、五感の底で感じる魔素のうねり。人間の知覚では掴みきれないが、この状態の俺には分かる。
(これは、普通じゃない。)
だが、同時に感じ慣れた気配でもあった。
『てか、何で出ていかないの?本気だせば別に壁壊して出れるじゃん。』
「おまえは……」
『ふふーん、私は退屈だし?変わりに私が壁壊してあげようか?』
「……調子に乗んな」
言い合いの最中でも、思考は冴えていた。
SID。異世界人対策課。
彼らが何者で、何を守り、何を恐れているのかは分からない。
この国は――いや、この世界は、確実に何かと対峙している。
『んで? どうすんの? あたしは別に手出ししなくてもいいけどさ~。でも、なんか放っといたら後悔しそうじゃね? それに――』
フェンリルが、少しだけ声を落とした。
『あんた、あの鷲津だっけ?まだ忘れてないでしょ? あいつの眼、普通じゃなかったよ。あのまま、こっちのこと全部知られたら――』
「分かってる。……でも、仲間になる気はない」
ミツキはぼそりと呟いた。
「こっちは平穏を望んでるだけだ。
誰の味方にもならねぇし、戦うのも嫌だ。
――だが」
その言葉に、フェンリルがふっと息を呑む。
「見捨てるのは簡単だが、その選択に俺が後悔しないわけがない。」
自分でも驚くほど静かな声だった。
ふいに――
コン、コン。
扉が静かにノックされた。
ミツキとフェンリルが同時に黙る。緊張と警戒が一瞬で空気を変える。
「失礼するぞ、銀狼。」
冷静な男の声。鷲津の姿があった。
数秒後、扉が開き、黒い制服に身を包んだSIDのエージェントが姿を現した。
「状況が変わった。来てくれないか。……作戦室に。」
彼はまっすぐミツキを見据え、静かに言う。
その目には敵意も侮蔑もない。ただ、真摯なお願いと、わずかな焦燥が浮かんでいた。
「どうして、俺なんだ」
「……それを含め、説明する。だから来てくれ。私の頭一つで済むなら、いくらでも下げよう」
鷲津は深く頭を下げた。
それを見た瞬間、ミツキは立ち上がった。
「今回だけだ」
低く、短く。
「交渉成立だ。案内する」
SIDの作戦室――そこは無機質なモニターと立体投影が並ぶ、まさに戦場の司令塔だった。
その中央に立つのは、やや厳しい表情をした男――鷲津。
彼の目の前に、ただ一人の来訪者が立っている。
銀狼、鏡一樹 またの名を銀狼のミツキ
雪のような白銀の髪と、獣の耳と尾を揺らす少女の姿。
だがその表情は落ち着いており、どこか諦観を帯びていた。
「この状況は分かっているだろう。」
「で、用件を話せよ。」
ミツキの口調は冷ややかだ。
拘束は解かれているが、完全な自由ではない。
“招かれた”のではなく、“連れてこられた”のだ。そこに反発が滲むのも当然だった。
鷲津はわずかに視線を伏せ、言葉を選ぶ。
「すまない。君をこの場に連れてきたのは、私の判断だ」
「随分と勝手じゃないか」
「……それでも、頼らせてほしい。――私の部下たちが、ダンジョンで消息を絶った」
その一言に、ミツキの眉が動く。
作戦室中央のホログラムが、地下構造物の立体地図を表示する。
赤く染まった区域には、強力な魔素濃度の指標と、“通信断絶”のマーカーが点滅していた。
「このエリアは、秋ヶ原地下貯水施設だ。だが今は、完全に異界化している。……我々SIDでも、完全な掌握は難しい。現地部隊との連絡は、ダンジョンボスを10分前に撃破しそれをを最後に途絶した」
「で?」
ミツキは視線を地図に落としながら、淡々と応じる。
フェンリルの声が脳裏でささやいた。
『うわー、こりゃすごいね!どんどんダンジョンに侵食されてる。』
(……分かってる)
「他支部の増援要請は出している。だが到着までには約一時間を要する。……それまでに、ダンジョンが都市基盤にまで浸食すれば、被害は計り知れない」
鷲津は、そこで一歩前に出て――静かに頭を下げた。
「――私の部下を、そして街を助けてほしい。君の力が必要だ。」
その姿に、ミツキは目を見張った。
――頭を下げる立場じゃない。
組織の管理官、現場責任者が、一人の部外者にここまで頭を下げるなど、本来ありえないことだ。
『……やるじゃん、そこのおっさん。あたし、ちょっと見直したかも』
「調子いいな、おまえ」
静かに息を吐く。
「勝手に俺の事を捕獲し、牢屋に閉じ込めておいてずいぶんと都合が良いもんだな。」
「それについては、重々承知している。」
「はぁ……今回だけだ、今回だけは手伝ってやる。ただし、これは借りにする。」
ミツキは視線を逸らしながら、宣言する。
「……消息を絶ったなら、助けないわけにはいかないだろ。
けど――終わったら、その借りとして俺は自由にさせてもらう。」
その言葉に、鷲津は深く頷いた。
「感謝する。君の判断に、異論はない。
……これは私の責任であり、誓いだ」
その瞬間、室内の警報が短く鳴り、魔素警戒レベルが一段上昇した。
ホログラムに表示された魔素濃度が、さらに上昇を続けている。
『ミツキ、やばいねコレ。完全に“地下にコアがある”タイプの異界化だ。……放っといたら街一つ飲み込まれるやつ』
「分かってる」
ミツキは背を向ける。
「装備は何かこちらで準備しよう。何か必要なものはないか。」
「それなら俺が動きやすい服をくれよ。」
「了解だ、久遠、直ぐ服を渡してやれ。」
「かしこまりました。」
鷲津がそう言うと、久遠とSIDのスタッフたちが動き出す。
装備搬入、遮蔽装置の起動、転送車両の準備。
その様子を一瞥し、ミツキは心の奥で、少しだけ決意を固めた。
――あくまで一度だけ。
――今だけ、助けてやる。
だがそれは、もう「平穏だけを望む日常」から、確実に逸れていく第一歩でもあった。
『んふふっ。ミツキ、なんだかんだで“巻き込まれ体質”だもんね~。いいぞぉ? そうやってまたズルズルいくの』
「お前は黙ってろ……!」
苦笑まじりに、ミツキは歩き出した。
向かう先は――異界の深層。
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