10話 煙の謎
昼過ぎ。カーテンの隙間から差す光がやけに白い。天井をぼんやり眺めながら、ゆっくりと昨日を巻き戻す。
(昨日って――朝、買い出し行って、途中で悠真に捕まって、セントラルスクエア寄って……いろはが半透明の袋にガジェット詰めてたの見て、ゲーセンで無駄に連コインして……)
そこまでは日常の延長。問題は夜だ。布団に倒れ込んだはずが、精神世界でフェンリルと全力の殴り合い。現実の体には影響しないはずなのに、神経の奥が砂を噛んだみたいに重い。
『ふふん、寝顔は可愛かったよ? ちょっとヨダレ』
「垂らしてねぇよ。……にしても、だるい」
額を押さえながら、さらに記憶を辿る。脳裏に、悠真の何気ない一言が浮かんだ。
(そういえば――昨日、悠真が言ってたよな。“港の方が荒れてる”。それと“甘い匂いがする”って)
『甘い匂い、ねぇ……もしその匂いなら、まずくない?』
「……“あれ”のことを言いたいのか。イグニス」
『そうそう、戦争で使われたあのクソみてぇな強化薬のこと。』
ああ、そんなものもあったな人を消耗品のように扱っていたあのふざけた薬。
『確かに、飲めば強くはなるよ。バカみたいに力は出るし、魔力も無理やり引き出せる。でもさぁ――』
『副作用がシャレになんないの。内臓ぶっ壊れるわ、正気は飛ぶわ、挙句に魔物になる可能性まであってさ』
『だから、結局は“使用禁止”。まぁ、当然だよね。まともな神経してたら最初から使わねぇよ、あんなもん
……ま、使うヤツは大抵まともじゃなかったけど? にひひっ』
胸の奥がざわつく。イグニスそのものじゃないにせよ、似た線で誰かが何かを“撒いてる”可能性。
いや、そんなわけない……だが、異世界は確かにあった。
それは俺が経験したからこそ分かること。
この日本に?魔法なんて存在しないこの世界で、異世界の薬品が……。
……無いとも言いきれない、だってそれは俺を否定する事になるからだ。
獣人になれる俺とフェンリルが存在するのなら何かしらそれに近いものが存在する可能性は少なからずあるはず。
あぁぁもう!何で異世界から帰ってきて俺がこんな事に首を突っ込まないといけないんだよ。
俺の近くでそんなアホみたいな事しないでもらえないかな!!
「……ったく。なんで俺が日曜に港まで様子見に行かなきゃなんねぇんだ」
『じゃあ夜、あたしが走って見てくるね♡』
「却下。お前は“出歩くな”。――だから、昼のうちに俺が見る。」
口が勝手にそう言っていた。自分でも面倒くさがりだとわかっているくせに、嫌な予感だけは無視できない。
『にひひ、正義感ってやつ? じゃ、港デート?』
「デートじゃねぇ、確認。五分で準備する」
適当なパーカーとスニーカーを引っ張り出し、スマホと財布をポケットに突っ込む。扉に手をかける直前、背中のだるさがもう一度主張した。
(本当なら残らないはずなのにな……昨日の殴り合い、ちょっとやり過ぎたか)
『だって楽しかったんだもん。あ、帰りに団子』
「状況次第だ。――わざわざ俺の近くで変な事件なんか起きないでくれよ、ほんと」
ぶつぶつ文句を言いながら階段を降りる。駅まで徒歩十二分。快速で港の最寄りまで十八分。嫌な胸騒ぎを抱えたまま、俺は港へ向かった。
港へと出ると、海風が生暖かく頬を撫でた。平日なら人も疎らなはずの歩道に、やけに人の気配が多い。
その中で、ひときわ目を引く姿があった。
カメラとリュックを抱え、黒い帽子を被った少女。どこか見覚えのある横顔。
「……天城さん、こんなとこで何してんだ。ここは治安悪いって聞いたぞ、女の子一人で歩く場所じゃねぇだろ」
呼びかけると、少女――天城いろはが振り返った。
「貴方も同じじゃないですか? こんなところに一人で」
「いや俺は……ただ様子を見に――って。」
首をかしげる俺を、いろはがじっと見つめる。その目に、妙な確信めいた光が宿った。
「……なるほど。港に来た理由、わかりました」
「は? 何だよ急に」
「もしかして……貴方も銀狼のファンなんですね?」
「はぁ!? なんでそうなる!」
『ぷっ……あははっ! あんた、ファンだってよミツキ! 似合わなすぎて笑えるんだけど!』
「笑うな!」
『いやいや無理無理! “銀狼大好き♡”とか書いたうちわでも持ってく?』
「持たねぇよ!」
港までの道を、天城と並んで歩くことになった。とはいえ、会話が弾んでいるわけでもなく、妙な沈黙と海風だけが耳に残る。
「それで……銀狼のファンって、どういう話だよ」
「だって……港の治安が悪くなったのって、銀狼が現れてからですし。写真を撮る人も増えてます。……だから、鏡くんもそれ目当てなんじゃないかって」
「いやいや、俺は――」
『いやいやじゃねぇって。あんた、昨日も銀狼の正体そのまんまの奴と殴り合ってたじゃん』
(それお前のことだろ!!)
『にひひっ、バレた?』
俺の全力のツッコミをよそに、いろはは真面目な顔で港の方を見つめていた。帽子の影から覗く瞳が、どこか期待混じりに光っているのが分かる。
「……でも、危ないですよ。ここ最近、暴力事件とか喧嘩とか良く起きてるらしいですし」
「おい、じゃあ余計に来るなって。ほら帰れ」
「鏡くんだって同じです。第一、銀狼は――」
その瞬間だった。
「おーおー、可愛いじゃねぇの」 横道から三人組の不良がふらっと出てきた。タバコをくわえたまま、にやにやとこっちを見ている。
(ほれみたことか案の定じゃねーか)
「何だよ、カメラ持ってんじゃねぇか。なぁ、撮らせてくれよ……オレらのカッコいいとこ」
「結構です」
「冷てぇなぁ。そこの兄ちゃんも一緒に遊ぼうぜ?」
『お、来た来た。“港クオリティ”のお出迎えってやつ』 (お出迎えとか言うな)
俺はため息をつきながら、いろはの前に一歩出た。
「悪いけど、そういうのは間に合ってる」
「なんだと?」
咥えタバコの不良が、ふてぶてしい笑みから険に変わった瞬間――鼻をかすめる甘い匂いがした。
『……あんた、今わかった?』
(ああ……これが、悠真の言ってた匂いか)
妙に甘ったるい煙の匂い。けれど、鋭い嗅覚がない今の一樹には、詳細までは分からない。
不良が3人、にやにやと笑みを浮かべながら近づいてくる。タバコを咥えた一人が、天城いろはに手を伸ばそうとしたその時――。
「……そこまでにしておけ」
冷たい声が、通路の奥から響いた。
振り返った不良たちが見たのは、秋ヶ原高校の制服――それも、リボンが金糸の刺繍で縁取られた特別な仕様。長い黒髪を背に流し、白磁のような肌に凛とした目元。
「お、おい……何だよ、ねーちゃん。俺らの相手をしてくれんのか?」
「私がか? 構わない。」
一瞬。
風が通り抜けたかと思った時には、最初の男が膝を抱えて崩れ落ちていた。
「――あ?」
残りの二人が身構える暇もなかった。足元がほとんど動いたように見えなかったのに、次の瞬間には二人とも、壁にもたれるように崩れていた。呻き声すら出せない。明確な急所だけを、一撃で仕留めている。
『へぇ……なかなかいい動きすんじゃん』
(俺にはほとんど見えなかったがな。)
倒れた不良たちを見下ろしながら、茜がくるりとこちらに向き直る。その目が、まっすぐ俺を射抜いた。
「鏡一樹。お前はこっちに来い。少し話がある」
――え? 俺、名乗ったっけ?
混乱する俺の横で、悠真が「うわっ」と小さく呻いた。
「姉ちゃん、それ……あの、ちょっと強引すぎない?」
「悠真。お前はもう一人の女子生徒を送っていけ」
「え、いや俺もこっち――」
「これは私の判断だ。」
「うっ……はい……」
完敗って顔で肩を落とす悠真。その姿はまさに、“姉に頭が上がらない弟”の見本だった。
『ぷっ、あいつ、にひひっ、情けな~』
フェンリルが面白がって鼻で笑う。確かに、あの悠真が姉ちゃんに完全降伏する姿は新鮮すぎて、俺もツッコミを入れそうになった。
そして――目の前にいる冷たい美貌の女が、生徒会長・御影茜。その名をようやく、俺の中で繋がった。
(入学式の壇上に立ってた、あの人か……)
風が海から吹き抜ける中、俺は無言で生徒会長の背中を追った。
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