黒
酒屋の亭主こと、酒幸 栄弍とは、長い付き合いである。
ここ、中川橋市は、埼玉の川越の近くで山手の方にあり、ここに移り住む時に知り合いの不動産屋の紹介で知り合った。
元々、大学入学を期に家を出て東京暮らしだった龍丞夫婦は、小さくてもいいから一軒家に住みたいというのが二人の夢であった。嫁には兄弟がおらず両親は二人が出会った時には他界しており、龍丞の方も父親は結婚してから暫くして亡くなっており、存命してる龍丞の母親は本人の希望で老人ホームに入っているため共に実家はもうなかった。
実家がない分、実家の代わりではないが、自分達の家が欲しいと互いに思っていた。それは互いに結婚してから強く思うようになったのだ。
結婚してからは主に嫁の仕事の関係もあって嫁のアパートへ移り住んだ。一人なら広いが二人では少々手狭なアパートに、そういう思いもあってここに移り済むまでずっと住んで居たのである。
節約の甲斐あってやっと土地代含めれば新築で小さくても一軒家には住めるくらいの金額が貯まり、若い頃は賑やかしい活気がある街並が憧れで東京へ出て行ったはずだったが、年々落ち着いた静かな場所がいいと二人は思うようになり、都心に近い県で探すことにした。
龍丞はこっそり嫁の仕事場を広く設けてあげたいという気持ちがあって、近隣の県の方が安く手に入ると思い、知り合いの不動産屋に探してもらって今に至る。その不動産屋は世話焼きな所があって、移り住む時も不便がないようにと引越しの手伝いまでしてくれたのである。何せ、嫁の両親と元々仲が良かったらしく、昔は家族ぐるみで仲良くしていたこともあり、その人は嫁を娘のように思っていたと結婚式の時に嫁が居ない時に聞いていた。
その人は酒が好きで、飲み仲間が全国にいるらしくその伝手でここが見つかったとも言える。そう、ここをその人に最初に紹介したのが栄弍である。
龍丞も酒が好きということもあって、栄弍の酒屋を紹介し、いいやつだから何か困ったことがあれば相談したらいいと引き合わせてくれたのだ。
それからの、縁である。
龍丞より十は上で、黙っていれば渋いオヤジなのだが、一旦喋り出すと止まらない。酒が入ると話が長く、より強引になる。
昨日はその強引さが炸裂し、断ることができず結果、一晩経って、今、愛車の軽ワゴンに愛犬を乗せて群馬へと向かっている最中というわけである。
何故愛犬、黒と一緒かといえば、折角帰ってきて愛犬ほっぽり出してまた仕事に出かけたら可哀想でしょと、姉、喜満子が有無を言わさず強引に車に押し込んだのである。龍丞の方もそうだなと思う気持ちもあって、珍しく一人と一匹の旅となった。
この黒は、ハスキーと何か混ざった雑種で毛並みが黒いから、まんま黒にした。嫁と一緒にいた時に飼っていたわけではなく、この仕事を始めてから拾ったのである。
出会ったのは、石川県で地震の災害の後で、物資支援を運ぶ仕事が入り行っていたのだ。帰り道、その時は冬でちらほらと雪が降り始めて、早く帰らないと足止めくらい予約していた民宿に辿りつけないかもしれないと、いつもはその土地の名産などを物色しながらのんびりと帰るのだが、そんな余裕なく急いで向かっていた。幸いまだ降り始めで、軽く路面が白くなる程度の雪だったので、無事、予約の時間に民宿に着いた。車を少し離れた駐車場へ停めて、流石に外は雪だズボンの前ポケットに両手を突っ込み寒さに震える体を丸く縮こませ、足早に民宿の中へ入ろうとした、その時だ。
周りが雪で見通しが悪かったのもあるが、早く建物の中に入りたいと焦っていてそこに何か物が置いてあるのに気づかず、蹴躓いて雪で滑って転びそうになるのを必死で耐えた。何か変な声もしたような気がして、なんだと思い、その物に近づいてポケットから手を出ししゃがみ込めば、みかん箱である。
ガムテープは貼られてないので、そっと開けてみると具合が悪そうな小さな子犬が入っていたのである。龍丞は慌てて、子犬はそこから救出し、着ていたジャンバーの中に入れると大事に抱えながら走って民宿に行った。
そこの民宿はその時の依頼主でもあり、栄弍の知り合いで飲み友達である。性格が似たような雰囲気があり、背が高く厳つい顔付きの豪快な男で、でもとても優しい人であった。だから、民宿という場所に本来不釣り合いの子犬を連れてきたずぶ濡れの龍丞にバスタオルと暖かいお茶を用意してくれ、知り合いの獣医にも連絡して連れてってくれたのだ。
幸い、黒は衰弱していたものの龍丞が助けたのがタイミングが良かったらしく、暫くして回復した。
黒を見てくれた獣医の話によると、災害があって飼っていたペットを手放す人が少なからずいるという話だった。黒には首輪もなく、みかん箱の中にいた子犬なので、もしかしたら破綻したブリーダーかもしれないし、子供が産まれてこの状況下ではその子は飼えないと捨てたのかもしれないなということだった。折角元気になっても、帰る場所がないのかと思うと、龍丞はどこか自分のことのように思えて虚しく悲しくなった。
獣医が保護団体の知り合いがいるからその人にとりあえずは頼めるということだったが、今はそういう捨てられたペットが多くなってしまいシェルターがいっぱいで、もしかしたらたらい回しになるかもしれないとうことだった。それを聞いたらいてもたってもいられず、自分で飼うと勢いで言ってしまったのである。
ペットなんて飼ったのは、実家で喜満子が文鳥飼ってた時だから小学生以来である。言ってから少し不安がよぎったが、男に二言はないと否定はしなかった。
仕事は一段落しており、一旦家に帰ることにした。次の仕事もあったのだが、急ぎではないのでいいかと思ったのだ。子犬を連れて流石に仕事はできない。
その時には喜満子がすでに住んでおり、喜満子がニューヨークで飼っていた老猫がいたのだが、なんとかなるだろうと安易に思ったのも確かだった。
当然、縄張り意識が強いのが猫だ、子犬を連れてきたら嫌がった。だが、喜満子はそのことにはお構いなしで犬も飼いたいと思ってたらしく大歓迎で、溺愛してくれた。元々ニューヨークで猫と一緒に犬も飼っていたらしいのだが旦那を追いかけるように亡くなって、旦那が大事にしていた犬だったらしく暫く犬は飼わないでいいと思っていて猫だけ連れてきたのだという。でも、いないと寂しさがあったようだ。
そういうこともあり、最初は黒がいる部屋に寄り付きもしなかった老猫だったが暫くして慣れたらしく、我が子のように寄り添ってくれた。だがこっちにきてすでに老猫だったこともあり、黒が立派な成犬になる頃には亡くなってしまったのだが。
そういった経緯があって、黒は我が家の一員となったのである。
老猫が亡くなった時は一緒に過ごしたのは短い間だったが、涙が出るほどには悲しかった。だからだろうか、黒ともっと一緒にいた方がいいかもしれないなと思ったのは。それに、本当は己は弱いのだとやっと気づけた。だから余計に、人肌恋しいではないが、側に誰か居てほしいと感じたのかもしれない。ただ、それが今は犬であるというのは言うまでもない。




