悪役令嬢と平民ヒロインは森に帰る
「エレオノーレ・ヴィルヘルミーネ、貴女との婚約をここに破棄する!」
エルツラント王立高等学院の卒業パーティーという晴れの場で、王太子ゲオルグ・フリードリヒは、婚約者であるフラウエンシュタイン公爵令嬢エレオノーレ・ヴィルヘルミーネに対して高らかに婚約破棄を宣言した。
エレオノーレ嬢はつとめて冷静であるようで、
「王太子殿下、どのような理由を以てそのように御無体なことを仰るのかお教え願えますでしょうか。」
と問いかけた。
さすが将来の王妃様は貫禄が違う。
王太子はエレオノーレ嬢が異様に冷静であることに何の疑いもないらしく、誇ったかのように、
「エレオノーレ・ヴィルヘルーネ、貴女は学院内では貴賤を分かたず友愛の精神を以て交流すべきであるという婚約者である私の意見に従わず、その上、私の大切な友人であるエマ・ミュラー嬢に対して、あれこれと陰湿ないじめをしたというではないか。それもただのいじめではない。無防備な女性を階段から突き落とすなどとはおよそ淑女の振舞いとは思えない。
私は心底貴女に失望した。だから、ここに婚約破棄を宣言したのだ。」
とエレオノーレ嬢の罪状を論った。
そして、それを聞いて、王太子の取り巻き連に無理矢理パーティーに参加させられていた私ことエマ・ミュラーは目ん玉が飛び出るほど驚いていた。
確かに私は貴族令嬢たちから教科書を燃やされたり、制服を破られたり、弁当を捨てられ踏みにじられたり、呼び出されてリンチされたりしている。最近では、階段で突き落とされて、今も右腕と右手首の骨が折れて固定されている。それ自体は嘘じゃない。
でも、エレオノーレ嬢からは何もされていない。あの方は私に対する執拗で陰湿ないじめについて、あれこれと手を回して止めようとして下さった。それも知らずに、王太子や取り巻き連中が私を持ち上げることで無神経に貴族令嬢を挑発して、すべてが無駄になり、そのしわ寄せを私は全身に受けてきたのだ。
私が王太子に向かって反論しようとしたのを、エレオノーレ嬢はすぐに気づいて目で止められた。そして、
「殿下。私にはまったく身に覚えのないことでございます。」
と堂々と否定された。続けて、
「と申しましても、私は無理に婚約を続けていただこうとも思いません。他に何もなければ、このまま失礼致します。」
と言って、王太子の返事も待たないまま一人で会場を退出されたのだった。
静まり返った会場。
王太子は私の方を見て、
「エマ嬢、悪は去った。もうこれで何も心配はいらないよ。そんな端っこにいないで私の隣に来るといい」と言った。
王太子が私を愛人か何かにしようとするつもりなのは分かっていた。わざとらしく私を囲んでちやほやしてくれていたし。そのせいで私はいじめられているのだけれど。そんなことはあの人たちは知ったこっちゃない。平民の私を守る正義の騎士か何かのつもりなのだろう。
迷惑だった。そして、今も現にこうして迷惑している。私はあんたたちのおもちゃじゃない。薄っぺらい王侯貴族の自己満足のために弄ばれるのはもう沢山だった。
私は引き止める声も聞かず、エレオノーレ嬢を追って会場を出た。一言謝らずには居られなかったのだ。
エレオノーレ嬢は車寄せで馬車に乗り込むところだった。
私を見るとちょっと驚かれたようだったけど、「何よ、貴女まで逃げ出してしまったの?」と言って、馬車に乗るよう促された。
思わぬことに戸惑ったが、馬車の中でしか話せないこともあると思い、無礼を承知で同乗させてもらうことにした。
「エレオノーレ様。申し訳ございませんでした。」
「あら、私貴女に名前を呼んでいいなんて言ったかしら?」
冷たい目線を感じて背筋が凍る。
「も、申し訳ございません。」
「ふふ。冗談よ冗談。エマ・ミュラーさんだったわね?」
公爵令嬢の冗談は冗談では済まない。とはいえ、初めて見る微笑みに同性ながら胸がドキッとした。
「はい。一学年下のエマ・ミュラーでございます。この度は、私のせいでご迷惑をお掛けしまして申し訳ございませんでした。」
「……駄目よ。その言い方では殿下が貴女の言いなりになったように聞こえてしまうわ。」
「そ、そうですね……。」
「ま、おおよそは分かっています。どうせ殿下が勝手に思い込んでるんだか、誰かに吹き込まれたんでしょう。」
「私もそう思います。エレオノーレ様はそんなことなさるようなお方じゃないのに……」
「いいのです。殿下は最初から私との婚約なんて望んでらっしゃらなかったのだから。聞きたいことだけをお聞きになったのだと思うわ。」
「はい……」
「私のことはもう良いのです。地獄のような王妃教育からも解放されますし、どこかの殿方に嫁ぐということもなくなって、フラウエンシュタインでのんびり暮らせるのだから。
それより心配なのは貴女のことよ。これからどうなさるおつもり?」
本当に大変なのはエレオノーレ嬢なのだ。一人で悪者にされて、結婚も出来ず、領地の片隅で軟禁されるかも知れないのだから。それなのに、こんな私のことを心配してくれるなんて申し訳ない。
「私は退学するつもりです。」
「あら、そう。……そうよね。貴女だけ取り残されるのだものね。殿下たちは何も分かっていないの。こんなことになるなら、もう少し貴方のためにできることもあったのだろうけれど……、ごめんなさいね。」
「そんな。エレオノーレ様が謝られることなど何もございません。ただ、仰る通り、もう学院での生活は耐えられるものではなくなると思いますので……」
「そうでしょうね……」
重い空気が車内を包む。
馬車は公爵家の館に向かっているらしかった。公爵令嬢が乗っているのだから当たり前だけれど、私は乗った後のことを考えていないことに気づいた。
「あの、エレオノーレ様、私何も考えずに乗せていただいてしまったのにですが……」
「あら、そうだったわね。折角だから公爵への説明に付き合っていただけるかしら?」
「えっ⁉」
フラウエンシュタイン公爵と言えば、国王の諮問機関である枢機院の議長を務める王国屈指の大貴族様である。私のような平民の学生がお目にかかれるようなお方ではあり得ないのだ。
「大丈夫よ。ノルドライヒの魔王ではないのだから、貴女を取って食べたりしないわ。」
「は、はあ……」
「それにね、折角だから貴女には公爵に証言していただきたいの。もちろん、嫌だったら構わないのだけれど。」
「公爵様にお目にかかるのが恐れ多いだけです。エレオノーレ様のためにお話をさせていただくことについては何も差支えはございません。」
「そう?じゃあ、心強いわね。ところで、貴女のこと、お名前で呼んでもいいかしら?」
「もちろんでございます。」
「では、エマさん。よろしく頼むわ。実のところ、殿下なんて何ともないけれど、公爵はちょっと怖いのよね。」
「えっ⁉では、私からすればもっと怖いのでは。」
「大丈夫……だと思うわ。」
「心細いですね……」
公爵はすでに事の顛末をご存知のようで、公爵家に着くと、すぐにエレオノーレ嬢は公爵の待つ執務室に呼ばれた。
執事に促されて、エレオノーレ嬢と私が執務室に入ると、正面に公爵がいた。凄い表情で私を睨んでいる。
「誰だ。この娘は。」
「お父様、学院の後輩であるエマ・ミュラー嬢ですわ。」
「ほう。これがお前を陥れた娘か。」
「違いますわ。エマ嬢は巻き込まれただけです。」
「ふん。まあ、いい。しかし、エレオノーレ、お前もぬかったな。」
「申し訳ございません。家名に泥を塗ってしまいました。」
「馬鹿なことを言うな。この程度のことでフラウエンシュタイン家の家名に泥がつくものか。……お前には傷が付いたがな。」
「申し訳ございません。」
「それで、殿下の話はまったく嘘なのだろう。」
「はい。」
「では、陛下に会って今後どうするかを考えることとしよう。」
「お父様は信じてくださるのですか。」
「フラウエンシュタイン家に平民をいたぶるような賤しい性根の者など居る筈がないではないか。もちろんお前も含めてだ。」
「ありがとうございます。」
エレオノーレ嬢の目が少し潤んだように見えた。
「うむ。さて……」
公爵の目がギラリと私の方を向いた。私は震えあがってしまった。
「ふん。そんなに恐れなくともよい。何も取って食べたりはしない。少し話を聞きたい。」
「はっ、はいっ!!」
「其方が学院でいじめを受けていたのは真か?」
「はい。真のことでございます。」
「それはエレオノーレが関わっておったのか?」
「いいえ。お嬢様は貴族令嬢がする事ではないとお嘆きになり、八方手を尽して下さったかと存じます。」
「それを殿下たちが無駄にしたと。」
公爵は私が受けていたいじめについてももうある程度知っているのかも知れない。
「はい。左様でございます。殿下や学友の皆さまが関わられる度に酷くなりました。」
「ふん。まあ、娘も其方も巻き込まれてしまったということだな。」
「左様かと存じます。」
「しかし、娘を追いかけて来るとは随分と大胆なことをしでかしたな。これからどうするつもりだ。」
「エレオノーレ様にお詫びを申し上げたい一心でございましたので、特に何もまだ考えられておりません。」
「まあ、そうであろう。しばらく、この館で娘の相手でもしていると良い。色々と片付いてから、学院に戻るなり何なりせよ。」
実家にも学院にも帰りづらい身としては、有り難いご提案だ。
「宜しいのでございますか。」
「うむ。エレオノーレもそれで良いな。」
「もちろんでございます。」
執務室を出ると一気に疲れが出た。
エレオノーレ嬢も同じようで、二人で顔を見合わせて笑ってしまった。
それから、私はフラウエンシュタイン公爵家でしばらくお世話になることになった。
学院では私がエレオノーレ嬢に攫われてしまったと大混乱だったようだが、公爵がすぐに国王陛下に事情を説明し、陛下のご命令で学院では私たちについて話題にすることが御法度になったらしかった。
公爵家では、エレオノーレ嬢とお庭を散策したり、一緒に本を読んだり、いろいろとお話をして楽しく過ごせた。
ただ、エレオノーレ嬢が時折ふと寂しそうな顔をされるのを見ると、もしかしたら王太子のことを憎からず想っていたのではないかと思い、胸がチクリと痛んだりもした。そして、こんなに美しい人を袖にするなんて、王太子は本当に愚かだとも思った。
卒業パーティーから十日後のことだった。
エレオノーレ嬢は公爵に呼ばれた。私も一緒にということだったので同行した。
「エレオノーレ。残念だが、婚約は正式に破棄されることになった。」
「そうですか……」
エレオノーレ嬢の声はやはり少し悲しみを帯びていた。
「ただ、お前ではなく殿下の有責で破棄されることになった。」
「えっ?」
「当たり前だろう。どこの誰だかの妄言を信じて公の場で陛下にも知らせず勝手に破棄したのだ。誰がどう考えても殿下に責任がある。仮令お前が愚かなことをしていたとしても、そうだったろう。そうでないのだから尚更だ。」
「陛下はご理解くださったのですか。」
「当然だ。」
「殿下はどうなるのでしょうか……」
「まあ、お目当ての娘には逃げられ、婚約破棄は自分の有責となり、学友も皆外されてしまって孤立無援とはなったな。これから厳しく再教育が行われることになる。陛下と私によってだ。どういう意味か分かるだろう?」
公爵はもの凄く悪い顔をした。王太子に同情の余地はないけれど、それでもゾッとした。
「エレオノーレ、それでお前はどうする?」
エレオノーレ嬢はしばらく黙っていた。そして、
「私はもう森に帰りとうございます。そして、残してきた子たちと隠れて生きとうございます。」
と呻くように言った。
森に帰る?残してきた子?
「エレオノーレ、お前の望みは分かった。ただ、エマ嬢が目を丸くしているぞ。」
「あら、いやだわ。誤解しないでね。」
私は我に帰り「エレオノーレ様にはお子様がいらっしゃったのですか?」と言ってしまった。
「だから、それは違うのよ。」
聞けば、エレオノーレ嬢は王太子の婚約者となるまでフラウエンシュタイン家の「森の館」という別邸に住み、森を遊び場として育ったそうで、残してきた子というのは、当然エレオノーレ嬢の子どもではなく、小熊人という森の精たちのことらしかった。
小熊人というのは何でも熊の着ぐるみを着た子どものような姿をしており、知能も人間の子ども程度ながら、性格が温厚で仲間想いのやさしい生き物らしい。エレオノーレ嬢は小熊人のことを話している時、本当に優しい表情をしていた。本当に大切に思っているのだろう。ちょっと羨ましかった。
公爵は、森の館で暮らしたいというエレオノーレ嬢の申し出を聞くと、少し諦めた表情で、「好きにしろ。お前をどこかの家に嫁がせなければどうにもならないほど当家は落ちぶれておらぬ」と許可した。
そして、私の方を見て、「エマ嬢、其方はどうする」と聞いた。
「私は学院を退学して実家に戻るつもりでございます。」
公爵は特に驚いたようでもなく、「まあ、それが良かろう」と言った。
そして、「エマ嬢、其方元々は侍者を志望していたと学院長に聞いたが、真か」と聞いてきた。
「左様でございます。」
「では、護衛については一通り学んだということだな。」
「魔術も剣術も人並みには学んだかと存じます。」
そこで、エレオノーレ嬢が「お父様、エマさんは人並みどころが学年で最優秀でしたのよ」と言い、私に向かって「謙遜も過ぎると虚言になってしまうわ」と言った。
私はその剣幕に「申し訳ありません」と言うほかなかった。
公爵はコホンと咳をすると、「さて、エマ嬢、実家に戻るといったが、何か仕事の当てはあるのか」と聞いた。
痛いところを突かれた。実際のところ、実家に帰っても仕事の当てなどない。
「……特に今のところはございません。」
「今のところと言わず、しばらくはないのだろう。」
「左様でございます。」
「そこでだ。エマ嬢、娘の侍女になるつもりはないか?」
私はまた驚きで目を丸くした。
「えっ、宜しいのですか?」
「もちろんだ。森の館には使用人たちは居るが、侍女はいないのだ。娘も其方を気に入っているようだから、其方さえ良ければどうだろうか。」
エレオノーレ嬢も満面の笑みで「ぜひそうして欲しいわ」と言ってくれた。
正直これからのことが不安で、エレオノーレ嬢ともっと一緒に居たいとも思っていた私にとって、こんなにうれしい申し出はなかった。
「ぜひお願い致します!!」
「よし、決まりだな。……、ふふ、しかし、陛下は悔しがられるぞ。」
「どういう意味ですの。お父様。」
「何、陛下はエマ嬢を高く評価していてな、学院卒業後は王女殿下の侍女兼護衛にされるつもりだったのだ。しかし、殿下のしでかした事で、それも叶わぬこととなった。ああ、愉快だ。」
「お父様も悪い人だわ。」
私がエレオノーレ様の侍女になることが決まると、事はとんとん拍子に進んでいった。
まず、公爵家の馬車で学院に乗り込み、陛下のご命令を受けて必死に引き止める学院長に対し、これまで貴族令嬢たちから受けた仕打ちについて説明し、学院から何らの保護を受けることもできなかったこと、これからも貴族令嬢たちについて学院は対処できないだろうことなどを理由に挙げて退学を了承させた。
寮の私室は僅か10日ほどの間に徹底的にやられていた。同行していた学院長はそれを見て卒倒してしまった。私物のうちで僅かに無事だったものだけを持って、次は実家に向かった。見送る教員たちの顔は一様に青ざめていた。きっと陛下から厳しいお言葉を頂戴するに違いない。
実家では両親や兄弟たちが待っていてくれた。詳しいことは知らないようだが、一応、私が学院で辛い目に会っていたことぐらいは聞いたらしい。父は「やはり、貴族なんかの学校に行かせるべきではなかった。俺がバカだった」などと言っていたが、私は「魔術や剣術も身に付いたし、エレオノーレ様にも会えたし、悪いことばかりじゃなかったよ。お父さんお母さんのおかげだと感謝しているんだから」とか言ったら、両親とも号泣してしまった。やめてよ。私まで泣いちゃうじゃない。
ひとしきり泣いてから実家を後にした。別に二度と帰れない訳じゃない。でも、母から貰った手作りのクッキーや手縫いのワンピースを胸にまた泣いてしまった。
それから数日後には、エレオノーレ様が王都暮らしはもう嫌だと言って出発することになった。
王都から森の館までは馬車で二日かかった。道中では特筆すべきこともなく、無事に森の館に到着した。別邸ということもあって、そんなに大きなつくりのお屋敷ではない。
館に仕える管理人夫妻や数名の使用人の人たちが出迎えてくれた。皆エレオノーレ様の幼少期に仕えた人たちらしい。
管理人のエルンストさんから「貴女が学院史上最も優秀と称されたお方ですな。私たちではお嬢様を十分にお守りできませんから、よろしくお願いしますよ」と言われた。目の奥で「お嬢様の身に何かあったら承知せんぞ」と言っている感じがした。エレオノーレ様はどうも溺愛されているらしい。
「エマさん、これが私の育った館よ。どうかしら」
エレオノーレ様は久しぶりのいわば実家に浮かれている。
「とても素敵です。お嬢様。」
「ちょっと、お嬢様はやめてって言ったでしょう。」
「はい。エレオノーレ様。」
「よし。それでいいの。ほら見て、館と森が繋がっているのが分かるでしょう。」
森の館の裏庭はそのまま森に続いていた。
「そしてね、森の少し入ったところに、子どもたちが住む村があるの。」
「小熊人の村ですか。」
「そう。いっつものんびり暮らしているのよ。あの子たちは決して焦ったり無理をしたりしないの。意地悪もしないし。学院とは正反対ね。」
私は苦笑いするしかない。
「ねえ、明日にでも貴方をあの子たちに紹介したいわ。」
「ええ、ぜひお願いします。」
「ふふ、楽しみだわ。」
その日の晩は、管理人のエルンストさん・ハンナさん夫妻に、メイドのレオニーさん、使用人のハンスさん・アンナさん夫妻、マルティンさん・ゾフィーさん夫妻たちと一緒に食卓を囲んで歓迎会が行われた。森の館では主人と使用人が一緒に食事をするらしい。おかげで、私もエレオノーレ様と一緒に食事できた。
エレオノーレ様がエルンストさんに明日早速森へ行くというと、エルンストさんは「最近は魔物がみな北を目指して出て行ったので、森もだいぶ安全だから大丈夫でしょう」と言って特に反対しなかった。ただ、私には「十分に警戒してください」と念を押してきたが。
森には歩いて行くらしい。私は平気だが、エレオノーレ様も歩くとは意外だった。
森に入っても、エレオノーレ様は足取り軽く、慣れた様子で進む。侍女兼護衛の私の方が付いて行くので必死だ。
エレオノーレ様はその様子を見て、「やっぱり町で育った人ねえ」と笑った。どうも私はエレオノーレ様を見くびっていたらしい。
獣道より少しましなくらいの小道を進んでいくと、急に目の前が開けた。そして、そこには熊の着ぐるみを着た子どもたちのような小熊人がいた。
何これかわいすぎるんですけど……!!
小熊人たちはエレオノーレ様を見ると一瞬動きを止め、そして、一斉にエレオノーレ様に駆け寄り抱き着いた。
「お帰りなさい!!お嬢様!!」
「ただいま!!みんな!!」
「さびしかったよーっ!!」
「もう会えないと思ってたーっ!!」
みんな泣いている。エレオノーレ様も泣いている。なぜか私も泣いていた。
「良かったですねぇ。」
エレオノーレ様は一人一人名前を呼んで抱きしめ再会を喜んでいた。そうして再会の儀が一通り済んだあとに、一人の小熊人が言った。
「この人誰?」
それを聞いた途端に、小熊人たちはざわつきだした。
私はおずおずと「はじめまして。エレオノーレ様にお仕えすることになったエマ・ミュラーです。仲良くしてもらえると嬉しいです。よろしくお願いします」と言った。
エレオノーレ様も「この子は私のお友達なの。仲良くしてあげてね」と言ってくれた。
そうすると、一気に私の方に駆け寄って来て、いつエレオノーレ様と出会ったのか、森を出てからのエレオノーレ様はどうだったのか、などと質問攻めにあってしまった。
小熊人は板葺きの小屋に住み、木の実を食べて暮しているらしい。
手足が短くヨチヨチ歩きしかできないので、行動範囲もそう広くないそうで、森から出ることもないのだとか。
魔物が一時期増え出した時、一人の小熊人が助けを求めて森の館までやって来て、一時期公爵家で小熊人たちを保護したことがきっかけで、エレオノーレ様と小熊人の交流が始まったのだという。
森の村に帰ってからも、エレオノーレ様は頻繁に村に通い、多くの時間を一緒に過ごしたそうだ。
数年ぶりの再会を喜び合った後、
なかなか館に戻りたがらないエレオノーレ様を無理矢理引っ張って、何とか暗くなる前に森の館に帰りつくことができた。
エルンストさんからは「ギリギリでしたな」と言われた。
食事を終え、エレオノーレ様は自室に戻ってくつろいでいると、ふと私の方を見て、「私のわがままに付き合わせてしまったようでごめんなさいね」と言った。
「いいえ。私が望んだことです。」
「そう。それならいいのだけど。」
「エレオノーレ様こそ私が一緒で迷惑ではないですか?」
「そんな訳ないでしょう。貴女が一緒で良かったわ。村から帰って来ても寂しくないもの。私はもう貴女とあの子たちさえいれば十分だわ。……って、そんなこと言っては、貴女がお嫁に行けないわね。」
「エレオノーレ様。私は一生貴女にお仕えするつもりです。あの子たちと一緒に。」
「あら、そう。嬉しいこと言ってくれるわね。本気にしちゃうわよ?」
「ええ。どうぞ本気にしてください。」
「本当に貴女と出会えて良かった。」
「私もです。」
あれから、エレオノーレ様と一緒に毎日のように小熊人たちの村に通い、一緒に戯れながら暮らしている。ともに木の実を拾い、ともに水を汲み、ともに笑い、ともに遊び、時にともに眠る。
過酷だった学院生活も遠い昔のことのように感じる。いま私は幸せなのだろう。天つ后よ、願わくはこの幸せがいつまでも続きますように。
(完)