夜会
「はー、なんかひっさびさに王都に行くぢゃん!」
王都に向かう日。あたしがそう言って、玄関ホールのところで肩をぐりぐりと回していると、お父様が怖い顔で後ろに腕を組みながら、いつものように大声で言った。
「こほん、では、いつものように……」
「いいか。お父様との約束だ。復唱!」
「決められたセリフ以外、話さない!」
「決められたセリフ以外、話さない!」
「振る舞いはお淑やかに!」
「振る舞いはお淑やかに!」
「微笑みを絶やさない!」
「微笑みを絶やさない!」
「王家の秘密はバラさない!」
「……」
「ミシェル?」
「あたしはバラすつもりはないよ!?」
あたしがそう言って、斜め後ろにいるムサルトを見上げた。あたしの視線を受けて微笑んだムサルトが口を開いた。
「我がミシェルお嬢様に何事もなければ、なにもするつもりはありませんよ?」
「ムーサ―ルートー」
お父様が困ったようにムサルトの肩を掴んでがくがくと揺すった。
決められた台詞
「わたくし、スターナー伯爵家が長女、ミシェルと申しますわ」
「よろしくお願いいたします」
「また、両親に相談してお返事いたします」
「ありがとうございます」
「まぁ」(困った顔)
「申し訳ございませんが、わたくし……」(悲痛な顔)
「申し訳ございません」(真剣な顔)
「幼い頃から心に決めた方がおりますの」(愛しい人を思い浮かべる顔)
「光栄でございます」
「謹んでお受けいたします」
「お父様。お願いしますわ」
「お母様。お願いしますわ」
「なぜでしょうか?」
「やぁ、久しぶりだね、ミシェル嬢」
ちょっと自然体になった王子サマが、あたしを見つけてそそくさとやってきた。あたしは淑女の礼をとって笑みを浮かべる。
(ちょっと憑き物が落ちたような顔してんぢゃん!? よかったね)
「相変わらず、君は愛らしいね。……怖い番犬がいては容易に褒めることもできないか。じゃあ、またあとで」
あたしを褒めたところでムサルトから殺気が放たれたせいか、王子サマは苦笑して戻っていった。あとでって? あたしが首を傾げていると、しばらくしてその答えがわかることになった。
「ミシェル嬢。僕と踊ってくれないか?」
横にムサルトがいるのに、気にせずあたしに向かって跪く王子サマに、会場がざわりと騒ぎ立った。
「まぁ」(困った顔)
あたしがそう言ってムサルトの方を見ると、殺気だったムサルトが大変麗しい笑みを浮かべていた。仕方ないので、お父様の方をちらりと見ると、顔を真っ青にして首を振っていた。
(ミシェル、断るなよ!? 王族のファーストダンスをことわるなんて、不敬に当たるからな!?)
(え、でも、お父様、ムサルトがやばみだよ??)
(……ひぇ!? お、お父様がなんとかしておくから)
ムサルトの顔を見て顔をさらに真っ青にしたお父様をみて、王子サマがくすりと笑った。
「麗しい女性とダンスを踊りたいだけだよ…………今はね」
王子サマの最後の小さな小声はあたしにしか聞こえなかったのか、ムサルトが大変不服そうな顔をしてあたしの手を王子サマに差し出してくれた。
「光栄でございます」
「謹んでお受けいたします」
あたしが決まり文句を言って、王子サマの手を取る。昔は触るだけで鳥肌が立ったのに、多少人となりを理解したからか、そんなに嫌じゃなくなってきた。そう思っていると、ムサルトの方から視線を感じてぞくりとした。
「ありがとう。ミシェル嬢が引き受けてくれないと、困るところだったよ」
「まぁ」(困った顔)
(とか言って、モテモテぢゃん!?)
「君はいろんな事情を知っているしね」
あたしにだけ聞こえるように口も動かさずにそう言った王子サマ。その手を取って、会場の中央に向かう。
「王家のあれこれに巻き込んでしまって、すまなかったと思っているよ」
(別に、いいってことよ!)
あたしがそう笑うと、王子サマも笑って言った。
「あれでも父上も反省しているようだよ。父上が手を回してくれて、僕も隣国にもどる必要がなくなった。王子が立場に戻ることになっても、僕は影として生きるかどこかの領地でひっそりと暮らさせてもらえそうだよ。そのためにも、執務に励まないとね」
(ま、困ったらうちにきなよ! ド派手ドリルちゃんもいるし)
「ミシェル嬢にそう言ってもらえてうれしいよ」
王子サマがそう言って笑った笑顔は、本物の笑顔に見えた。そう思っているとくるりとターンを回された。途中、怒りがにじみ出ているムサルトと、ペコペコ頭を下げているお父様が見えた。ムサルトは、我が家の婿養子兼他国の貴族ということで王子サマから招待状をもらって、今回の夜会に参加している。あの無駄にいい顔といつの間にか身に着けた色気で会場の女性たちの視線を集めている。もう一人は、この男か。ちらりと王子サマを見ると、にこりと微笑まれた。
「残念だけど、時間切れかな。これだけは言っておきたかったんだ。僕はミシェル嬢のことを諦めるつもりはないからね?」
そう言ってあたしの額に口づけを落とした。会場から小さな叫び声が上がった。ムサルトをお父様が必死に抑えているのが見えた。
(きも)
「まぁ」(困った顔)
あたしは、王子サマにだけ見えるようにちらりと舌を出して、ムサルトのもとに戻った。今すぐあたしの額を拭き取りたいムサルトに連れられ、ビュッフェゾーンに連れていかれる。どこからか取り出した濡れたハンカチで額をぬぐわれ、捨てられそうな子犬のような顔であたしを見上げた。
「……ミシェルお嬢様。他には何もされていませんか?」
(ん、特に。諦めるつもりはないって言われただけ)
「な!?」
ムサルトが王子サマに殺気を放ちそうだったから、あたしは食事を指さして微笑んだ。
「謹んでお受けいたします」
「まったく……仕方ありませんね」
そう言ってムサルトは手際よくあたしの好みを押さえた料理を取って、空席に案内してくれた。まだまだ夜会ははじまったばかりで料理には人が少ない中、ムサルトはせっせと世話を焼いてくれる。
(あたしにはムサルトがいないとまぢでだめだわ)
あたしがそう思いながら、淑女らしく食事を楽しんでいると、あたしのそんな心の声を聞いたムサルトはなぜか顔を真っ赤にして、背けていた。謎すぎ。
「ではお嬢様。領地に帰ってごろごろいたしましょうか?」
ムサルトのそんな誘いにあたしは笑顔で頷くのだった。
「光栄でございます」