7 亮、倒れる
登場人物紹介
吉田亮…主人公、野球部エース
田沼七海…亮の彼女、野球部マネージャー
蓮田啓二…亮の親友、野球部キャプテン
優勝を果たし、そのまま倒れてしまった俺は死を覚悟したが、その日の夜には意識を取り戻していた。
意識を取り戻した時には、母と父が横にいた。父については、間もなく死ぬかもしれないという息子の心配と、甲子園の優勝を生で見たいと思ってか、珍しく帰ってきていた。朝はいなかったので、おそらく今日帰って来たのだろう。
テレビがつけられていて、ニュースでは俺の引退宣言が大々的に報道されていた。
「まさか、あそこで言うと思わなかったわよ」
母はりんごを剥きながら、話す。
「おめでとう、亮」
父の声を聞くこと自体、久々だった。
「ありがとう、そして心配かけてごめん」
「心配なんて、そんな」
母は途端に泣きそうになったが、父はそれを慰めている。ここの二人の夫婦関係は既に破綻に近いと思っていたが、意外にもうまくやっていけそうだと思った。子はかすがいとはまさにこのことだとも思った。
「他のメンバーは?」
「帰ってもらった」
「すんなり引き下がった?」
「……、まあ引き下がらなかったけど、帰ってくれた」
母の歯切れの悪い言いようから、かなり強引に追い出したことは予想された。
「とうとうバレた?」
努めて軽いノリで聞いてみる。
「まさか、本当に話してないと思ってなかったから、びっくりしちゃった。一応話してない。けど、もう話した方が良いよ。ちゃんとお別れした方が」
「そっか、バレてないか。なら、このままでいいよ」
「でも……」
「あんまり湿っぽくなるって良くないやろ。やめるだけであんなに湿っぽくなるんやから、病気のことなんて言ったらどうなるか。絶対言わんといて」
「わかった」
病室に看護師を伴って医師が来た。この医師とは、最初の余命宣告の時から、2週に1回のペースで顔を合わせてきた。とはいえ、このおじさん医師の頭と同様に、つかみどころが少なめで、何を考えているのかはいつもわからなかった。ある意味、こういう人こそ、医師に向いているのかとも思っていた。
医師は開口一番こう言った。
「元気そうですね」
さすがにそれはないだろうとは思いながら、
「まあ甲子園優勝したんで」
少々自慢っぽくなっても、まあ実際優勝したので誇って良いだろうと思った。
「先生、今日はずっと試合ご覧になってたんですよ」
横から看護師が口を挟み、医師は看護師を止める。
「意外に、野球好きなんですか?」
「まあ野球部だったのでね」
野球部には見えなかったから、意外だった。
「で、あと何日生きれますか?」
俺は素直に聞いた。母と父は少し顔を背けた。
「率直に申し上げますが、先ほど状態を見させていただいて、やはり当初の想定通りと言いますか、さらにひどくなっておりまして、当初お伝えしていた通りの状況です」
「でも、一応俺3か月生きましたよ。なんなら、甲子園で投げてきましたし」
「それは本当に素晴らしいと思います」
ここで医師の言葉は途切れた。
「じゃあ、このまま入院して治療をすれば」
母は医師に聞く。
「残念ですが」
「息子はちゃんと今日野球やめますので。報道陣の前でもそう宣言しましたので」
「ええ、ニュースで見ました」
「それならこのまま薬で」
「既に息子さんの病気は手の施しようがなく、もういつ息を引き取ってもおかしくない状況です。今日意識が戻らないかもしれないし、次倒れたら意識が戻らないということも十分にあり得る」
「そんな」
「もし意識が戻ったら最後というつもりで、ご自由に過ごしていただくのが一番かと思います。幸いなことに日常生活を送る分にはそこまでの支障は出ていないはずですから、このまま退院して最後の時間を過ごしていただけると幸いです」
「退院できるんですか?」
父は驚くように聞いた。
「ええ、このまま退院いただいて構いません」
もう病院で一生を過ごすと思っていたから、これは意外な展開だった。
さすがに今日一日は入院することにした。
もはや動くのがしんどかったというのもあったが、どこから漏れたのかわからないが下に報道陣が来ているらしく、安全に出る方法がなかった。母と父は、お祝いということで、病院に内緒でショートケーキをこっそり準備してくれた。最近はご飯すらほとんど食べられなかったが、今日は食べられた。母も父も最後の話になることを覚悟していたのか、明るくこれまでの楽しかった思い出や野球の話をずっとしていた。
いつの間にか寝ていて起きたら、9時半だった。横には母も父もおらず、どうも一旦家に帰ったらしかった。いつの間にか、部屋には花がたくさんあり、果物もたくさんあった。どうも病院の人たちや入院したことを知った野球ファンが差し入れてくれたらしい。
ベッドの上を探るとスマホがあった。昨日連絡が来すぎていて、病院の中で電源が切れたのだった。そして、寝る直前に充電をつないでいた。電源をつけると、数百件のLINEが来ている。中学の友達や高校の友達、色々なグループLINE、さらには教えていないであろう全然知らない人からも祝福メッセージが来ていた。
勝手にスマホに通知されるニュースは、どれも関連するニュースで、「王寺高校、公立校として異例の優勝」、「前代未聞の優勝投手引退宣言」、「優勝投手緊急搬送」というタイトルが目に入った。
試しに「前代未聞の優勝投手引退宣言」というニュースを開くと、コメントに「これだからZ世代は」、「たるんでる」、「負けた投手かわいそう」、「今年のドラフトつまらん」という批判に近いものと、「大丈夫かな」、「心配すぎる」などの心配の声があった。
入院したことはバレていたが、幸いにもまだ病気のことはバレていないようだった。
差し入れられた果物からバナナを取って、それを食べながら、退院準備をする。
すると、突然ドアが開いた。
「亮、何してるの?」
七海だった。まさかお見舞いに来るとは想定外だった。
「退院する」
「そうなの?もう大丈夫?」
「うん、心配してくれてありがとう」
もちろん、病気のこと話すつもりはないから、こう言うしかない。
「嘘」
「嘘じゃないよ」
「嘘」
「嘘じゃないって」
「嘘でしょ、いい加減にして。どう考えてもどっか悪いんでしょ」
七海はどこまで知っているのだろうか。ただ、カマを掛けているだけかもしれないと思い、普通通り接する。
「頭かな。これから野球やめるのに俺頭悪いからさ。これからどうしよっかな」
まあ実際、野球やめたら何も残らない。もし、誤診でしたとか言われて、このまま生きろと言われたら本当に今みたいなことを言ってしまうと思う。
「はぐらかさないで。私にはちゃんと言って」
「別にマネージャーに言うことなんかないよ」
七海は、俺の前に来て、俺の顔を無理やり七海の方に向かせる。
「ちゃんと見て。私まだ別れたつもりないから。亮の彼女だから。だから言って」
「いや、別れたよ」
「別れてない、私が承諾してない。隠してることあるなら言って」
さすがに隠し通すのは限界らしい。ベッドの横にある椅子を指して、七海を座らせた。
「何聞いても受け止められる?」
「そのつもりで一人で来たの」
七海はもう覚悟しているようだった。その覚悟を見て、俺は正直に伝えることを決心した。
「実は、……もうすぐ死ぬ」
そう言ったときには、勝手に涙が流れていた。