5 別れ話
登場人物紹介
吉田亮…主人公、野球部エース
田沼七海…亮の彼女、野球部マネージャー
蓮田啓二…亮の親友、野球部キャプテン
練習に復帰した日、夜他の部員が全員帰ってからも少し残って自主練をする。体の調子が良かったというのもあるが、七海と二人で話すにはそうした方が良いというのもあった。七海はいつも通り練習が終わるまで待っててくれる。
「ごめん、お待たせ」
そう言って、七海と二人で帰る。
俺と七海は帰る方向は同じで、高校では珍しく2人とも徒歩圏内に住んでいた。珍しいと言っても、高校の中で珍しいだけで野球部ではそこまで珍しくない。いかんせん、同じ中学の野球部のメンバーで一緒に近くの同じ高校を選んで、野球部に入っているメンバーが多いため、当然徒歩圏内のメンバーが多くなる。そういう事情もあって、他のメンバーと一緒に解散すると、帰り道が同じ方向になり七海と一緒に帰れないので、これまでも残って自主練していたし、今日も残って自主練していた。
「今日の亮、熱かったね。あんなこと言うなんて。」
七海はあくまで普通のテンションで話してくる。大体エースとしてかっこつけたようなことを言うと、それを煽ってくるのがいつもの流れだった。
「普通じゃない?」
「甲子園で優勝したいなんて」
「やっぱり最後くらい花を飾りたいって思って」
最後くらい花を飾りたいって、自分で言っててもかっこつけてるなと思う。
「私亮のこと、全然知らんかった。もっと好きになったよ」
いつもと違って、七海が煽ってこないから調子が狂う。煽られると思っていたから、特に返す言葉が思いつかない。
「なんかあった?」
先に沈黙に耐えられなかったのは七海だった。話も切れたところで、このタイミングしかないと俺は思い、切り出すことにした。
「あのさ、話あるんやけど」
七海は急に立ち止まった。もはや顔を見れないが、どうも察している気がする。
「急に改まって何?結婚はまだ早くない?まあ私たち18になったし、成人になったらしいし、結婚できるけど。もしかして当たった?」
早口になる七海は多分もうわかってるんだろうなと思った。病気のことは多分知らないだろうけど、少なくともこれから別れ話をされることを。
粘られたからと言って、こちらも考えを変えるわけにはいかない。
「あのさ」
声を絞り出して、言った。
「何?」
七海の声は震えていた。
「本当にごめん」
「何が?」
「別れてほしい」
当然、お互い黙ってしまう。
「なんで?」
「野球に集中したい」
そう言うしかなかった。病気のことなんて言えるはずもない。
「じゃあ野球部終わったらまた付き合ってくれる?」
これには堪えた。別にそういう約束をしてしまうということもできた。なぜなら、野球部を引退するときには付き合うも何ももう全てが終わりだからだ。ただ、それだと何の意味もない。
「そういうことじゃない」
「じゃあ、どういうこと?」
「別れよう」
ここは押し切るしかなかった。
「それじゃ納得できない」
野球に集中したいってだけだと当然こうなる可能性も考えていたが、ここは粘られてもあとは謝るしかない。
「ごめん」
「ごめんじゃなくて」
「ごめん」
「なんで」
「今七海のことを考えられる余裕がない。それで付き合ったままでいるって失礼な気がして」
むしろ七海のことを考えに考えた結果だと、わかってほしかったが、それを伝えることはできなかった。
「そんな理由で別れるのも失礼だと思うんだけど」
「ごめん」
「いやいや、これで別れたらマネージャーどうしたらいいの?」
部内恋愛はやめた方が良いと言われる理由を今日になってやっと気づいた。別れた二人がその後も接しないといけないというのは相当にきつい。本人もきついが、それを知っている他のメンバーも面倒くさいだろうと思った。
ただ、七海にマネージャーをやめさせると、他のメンバーに迷惑が掛かるのでそれは避けたかった。
「それは続けてほしい」
「何それ?」
「気まずいかもしれんけど、普通に接するから七海も普通に接してほしい」
あまりに都合良すぎるとは思いつつ、こう言うしかなかった。
「何言ってるの?ばかじゃないの」
「お願い、頼む」
「信じられない、ばか。まず別れないから」
「ごめん」
七海が強くビンタされた。そして、七海は別の方向に走っていった。
「ごめん」
俺はそうつぶやいたとき、自分が泣いていることに気づいた。それはビンタが痛かったというのもあったけど、七海と別れたのが辛かったというのもあった。付き合い始めたときは流れのようなものもあったけど、今では本当に七海のことが好きだったということに気づいた。
本当だったら、このまま俺がプロに入って、七海は大学とかに行きながら、大学卒業した位に結婚して、そのまま子どもができて、幸せな家庭というのもあったのかもしれない。実際、ほんの3日前くらいまではそんなことをよく勝手に考えていたけども、今はそんな未来はない。このまま別れなければ、そんな未来をずっと夢見ながら、一人で過ごしていく七海のことが想像できた。
七海はそこまで俺みたいに重い未来を考えてはないかもしれないけど、その可能性がある以上、ここでちゃんと別れて、新しい誰かと幸せな未来を描いてほしいと思った。
気付けば同じ場所にとどまって、10分以上経過していた。もうくよくよできるような時間はないと自分を何とか納得させた。さっき七海は逆方向に走っていったけど、七海の家は俺の目の前にあるので、確実にこの後七海は戻ってこないといけない。さっき走っていったのに、これ以上俺が立ちすくんでいて、顔を合わせてしまうと気まずいどころの騒ぎではない。
そう考えて、俺は早歩きで帰った。
それからというもの、俺の演説の効果があったのか、なかったのか、野球部のメンバーの練習には一層力が入った。なんだかんだ七海は練習に毎日ちゃんと来てくれていた。七海は他の人に言わなかったらしく、別れたことについては知られなかったが、一緒に登下校しなくなったことから、別れる寸前という噂が立っていた。美人マネージャーがフリーになるということも影響したのか、さらに練習に気合が入っていたように思えた。とはいえ、タブー視されていたらしく、本人に別れたかどうか面と向かって聞いてくるメンバーはいなかった。
体的に練習は連続1時間くらいが限界で、1時間練習した後30分休むというのを俺だけは繰り返していたが、インターバルを置いたことがかえって効率の良い練習になったらしく、現状維持はできた。ただ、体重は減っていくし、筋力も少しずつなくなっていた。
夏の甲子園予選の県大会では、全試合先発した。
最速150kmを記録したが、既に体重と筋力が減った中では、体への負担がかなり大きかったので、力を入れ過ぎず、コントロール重視の投球を心がけた。そうすると、意外にも今まで以上に打たれなくなり、軟投派として注目選手にもなった。
途中、倒れそうになった時もあったが、その時は理由を付けて降板し、後続の2年生ピッチャーに任せ、何とか乗り切った。
結果的に、全試合大差で圧勝し、見事甲子園への出場権を獲得した。