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魔法紙店を出ると、ジークハルトは騎士団隊舎に向かって大通りを歩き出した。
シュルーム領の領都は今日も大勢の人間で賑わっている。この街で暮らす領民たち、街道を通って来た行商人や旅人、〝蒼羽の森〟でデビューを飾ろうという新米冒険者、〝蒼羽の森〟に訓練しにやって来た騎士学校の生徒たちと彼らの担任騎士など、様々な人たちがそれぞれの行き先に向かって歩いて行く。
いつもの変わらない街の様子だ。
対して、シュルーム騎士団と精霊騎士団、その二つを支える事務局は今ゴタゴタしている。それぞれにあった事務局は解体され、一つに纏められたからだ。同じ事務処理であっても微妙にやり方が違う、処理の仕方が違うなど、以前のようにスムーズな事務処理が行われるようになるまでにはもう少し時間が必要なようだ。
けれど、ここに暮らす人たちにはそんなことは関係がない。騎士団や魔道騎士団の内部がどんなにゴタゴタしていようが、騎士たちが街を護るのは当たり前だから。街の人たち、街にやってきた人たちがいつも通りの生活を送っている様子に、ジークハルトはホッと安堵する。
「姉ちゃん……いつまでそんなこと言ってんだよ」
最近ようやく耳に馴染んだ声が聞こえ、ジークハルトは無意識に気配を消した。いつの間にか、神殿のある大通りにまでやって来ていて、声が神殿の敷地内部から聞こえる。
「でも、だって、八歳の頃の契約だよ?」
「年齢は関係なく、結ばれちゃったんだから。諦めなよ。契約の解除はできないんだし。事実、あの人は後天的に精霊魔法が使えるようになっちゃって、ここの精霊騎士団で働いてるじゃん」
「うん、それはそうなんだけど……」
ユーリアとイザーク、彼らベル姉弟はつい最近まで全く交流がなく、ユーリアに至っては弟の存在すら記憶になかった。しかしながら、お互いの存在と立場を認識してからは〝二人きりの姉弟だから〟と今までの時間を取り戻すかのように交流している。そのお陰なのか、姉弟仲は良好だ。
二人は神殿の中にある花壇の草むしりをしているらしい。ブチブチと草が千切れる音が聞こえる。イザークの仕事なのだろうそれをユーリアも手伝っているらしい。
彼らの興味深い会話内容に聞き耳を立てながら、ジークハルトは気配を消して彼らに近付く。
「それにさ、俺の目から見ても姉ちゃん以外の女が好きだとは思えないんだよな。それに、他の女にうつつを抜かしてたら、絶対あの筋肉オネエが黙ってねぇよ?」
「あー、ルビーがね、確かに」
そう言われて、ジークハルトの頭の中に『他の女とだぁ!? 浮気とかふざけんじゃねぇぞ、このクソ平精霊騎士がッ! 握りつぶしてからぶっ殺す!!』と筋肉をムキムキさせながら怒り狂うルードルフ・アンデの姿が浮かんだ。想像するだけで恐ろしい。
「それにさ、姉ちゃんがあの巻紙屋をこれからもやってくんだったら、将来的にもこの州の精霊騎士が旦那だっていうのはいい条件だろ。なんて言ったっけ、回復に特化した魔法紙店をやってる人の旦那はA級だかS級だかの冒険者で、そのことが店を護ってるって」
「それは、そう。お役所からも、将来的には高位冒険者か騎士を旦那様にすることが望ましいって」
「だったらいいじゃん、悩むことないじゃん。さっさとくっ付いて、結婚したら」
ユーリアが自分との関係について真剣に考えてくれていることは、素直に嬉しい。友人知人、幼馴染から脱却して、一人の異性として見てくれているからだ。
ずっと探していたユーリアに「どちら様ですか?」と言われた衝撃は、未だに忘れていない。
ユーリアのことがずっと好きだった。いつも一緒にいる近所の可愛い女の子。ずっと一緒にいたかったし、一緒だと信じて疑わなかった。だから、二人が離れないで一緒に居られる方法を選んだ。
確かに八歳は子どもで、その先の選択肢が云々という話についても、今となれば理解もできる。でも、もっと自分たちを信じてほしかったし、強引に引き離すようなことはしてほしくなかった。
お陰で十年もユーリアと離れ離れになった挙句、忘れられて(魔法のせいだったけど)あの台詞を言われたのだ。もう離れたくないし、忘れられたくもない。
「でも、ジークって凄くモテるんだよ」
「精霊騎士って人気なんだってな。人数少ないし、ヒポグリフに乗って空を駆ける……あの制服もあってモテるって。俺も騎士になろうかなぁ」
「だから、心配になるじゃない。あちこちに彼女作ったりして……その彼女に恨まれたり、嫌がらせされたり」
「……姉ちゃん、変な文芸雑誌読み過ぎ。女子の中で流行ってるのは知ってるけど、あれは創作」
「でも、あなた実際に嫌がらせをしたでしょ?」
「うっ……それは、ごめん」
ブチッブチッと雑草が抜かれる音が聞こえる。
「でもさ、もう契約結んでるんだろ? 俺たちと相手の間で結ばれるあの契約って、お互いだけを愛しますっていうやつじゃん。姉ちゃんの記憶もあの人については戻ってるわけだし、モヤモヤ考えなくてもいいんじゃないの」
「でも、でも……大昔の契約なんて無視して、もっと可愛くて優しくて家庭的な人と結婚した方がジークにとってはいいんじゃないのかなって。でも、でもでも、他の人がジークの側にいるっていうのは……」
ブチブチブチッと連続して雑草が抜かれた。
「あーーーー、もう、面倒くさいッ! いいからさっさとくっ付け!!」
ジークハルトが一歩を踏み出すと同時に、イザークはユーリアの肩を押す。しゃがんだ体勢で草を毟っていたユーリアが尻もちをつきそうになる、それをジークハルトは片腕で受け止めた。ユーリアはすっぽりとジークハルトの腕の中へ納まる。
「ふえっ……え、あ……ジーク」
「今度ここに来るときは、二人の関係をはっきりさせてその報告するときだからな! うじうじするのはもうやめろ!」
イザークは引っこ抜いたり毟ったりした雑草を籠に放り込むと、ゴミ捨て場の方へと走り去りその後ろを白いフクロウが追いかけて行く。ユーリアが何かを言う隙も与えない、素早い身のこなしだ。
「……あの、ジークありがとう」
「どういたしまして」
「……もしかして、イザークと話していた内容、聞こええてた?」
ユーリアがおずおずと聞いて来るので、ジークハルトは大きく頷いた。
「八歳の頃に交わした契約だからって、言ってたところから」
「……ほとんど全部じゃないの」
両手で顔を覆い、さらにジークハルトの胸に顔を埋めようとユーリアは身じろいだ。いやいや、胸に顔を埋めようとするなんてご褒美でしかない。
「ユーリア、そのままでいいから聞いて」
「……なに?」
「前にも言ったけど、俺はずっと、おまえが好きだった」
ユーリアの顔がジークハルトの胸にギュウッと押し付けられる。その耳は真っ赤だ。
「大丈夫、俺にとって異性としての女は世界中でユーリアだけだから。たぶん、全面的にはまだ信じられないと思う……」
騎士は女性からの人気が高い。特にジークハルトたちのような若くて独身の精霊騎士は、恋人、夫に望む年頃の女の子が多いのは事実だ。
ユーリアの耳にも、精霊騎士ジークハルト・ブライトナーが好きだと言う女性の名前が大勢入って来る。みんな若くて美しくて、才能があって、身分だってあったりするのだ。いくら魔力で染め上げるという精霊特有の契約を交わしてはいても、記憶を失くして長い時間離れて生活していたこともあり、不安に思ってしまう。
他の相手を選ぶ選択肢を与える、という理由で二人は引き離されていたのだから。
「でも、俺にとって異性としての女はユーリアだけだから。離れてる間もずっとおまえだけを想ってたんだぞ、今更他の女に目は向かない」
「……ジーク」
「そりゃあ、今すぐって気持ちがないわけじゃない。でもおまえに無理強いするつもりはないから、まずは……恋人から始めよう? 魔力契約のことも、魔法紙店のことも、結婚のことも考えるけど、まずは最初の一歩から」
ユーリアを腕に抱えたまま、ジークハルトは言った。
ずっと、言いたいことだったのだ「ユーリア、好きだ。ずっと、ルリン村にいたときから、今も好きだ。だから一緒にいて」それが、自分の偽らざる気持ちだったから。
「それで、返事は? なにも言わないってことは、受け入れたってことにするけど」
「……うん」
その後、若い神官に「い、いくら精霊騎士であったとしても、ししし神殿の敷地内で女性に不埒な行動を取るなど、ゆ、許されることではありませんよぉ!」と震えながら箒を突き付けられた(神官の後ろでイザークが笑っていた)ことは、精霊騎士団の中で《神殿内で求婚した豪の者、ビビリ神官に箒を突き付けられた話》として、有名な笑い話となった。
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