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「……えっ!?」


 ユーリアは驚きのあまり声をあげ、手にしていたペンを落としそうになった。ペン軸を慌てて握り直したものの、ペン先に付いていたインクが飛び白紙の魔法紙にインクが飛んで丸く滲んだ染みを作る。


 驚いて体を揺らしたユーリアの頭から、トワが天井から吊るされている籠へと飛び移って言った。


『それは、ほんとうのことか?』


「ほ、本当に?」


 トワの言葉の後にユーリアの声も続く。


「ああ、本当だ」


 魔法紙店の中にある上がり框にはザブトゥンが置かれており、ジークハルトは手慣れた様子でそれを手にすると自分の尻の下に敷いた。そして、〝にゃーん〟と可愛らしく鳴いて近付いてきたマダム・ナラの背中を撫で、顎下を擽る。


 ユーリアは魔法紙を描いており、ヘッセルは病院でひねった足首を診察して貰っているため、マダム・ナラは構ってくれる相手がジークハルトしかいないことをちゃんと理解しているようだった。ゆっくりとジークハルトの膝上に乗って、撫でるようにと手で催促している。


「もう一度言うぞ? 店への嫌がらせを行っていた犯人が捕まった。もう店の前に落ち葉や泥水が撒かれることもないし、妙な小箱が置かれることはない」


「……よ、良かった~! 本当に良かった、安心した!! これ以上店になにかされて、ご近所さんのお店にまで被害が出るんじゃないかって、いつか私の手に負えないような嫌がらせをされるんじゃないかって心配だったの」


 ユーリアはペンを置くと、両手を組んで祈る仕草をとった。


 ユーリアは神に祈らない。神殿施設で神官たちに育てて貰ったものの、神に祈ったところでなにも変わらないことを知っているから。


 状況を変化させるのはいつだって行動したとき。自分で行動する、仲間と一緒に行動する、行動してくれた人がいたときだ。だからユーリアは感謝を捧げた、この嫌がらせ事件を解決するために行動してくれた多くの騎士や役人たちに対して。


 そして、この街を出て行くという選択肢を取らなくてもよくなったことにも……感謝した。


 この街から自分が出て行くことで、全てが解決できると思っていた。出て行くことは逃げ出すこと、この街で得た全てを捨てて逃げ出すことでもあった。仲間や友人、恋する相手……その全てを切り捨てて行くことは、彼らに対する裏切りであることもわかっていた。 


 ユーリアはずっと悩んでいた。ここに居るべきなのか、恨まれても逃げ出すべきなのか。


 逃げ出さず、周囲の批判めいた目や心無い言葉に堪え、協力してくれる人たちを信じて待った結果、ユーリアは今のままの生活を送ることができることになったのだ。


 ヘッセルとともにこの店で魔法紙を描き、冒険者や騎士たちに提供する。シュルーム騎士団と魔道具師ギルドへも定期的に納品する。友人、仲間とも同じ街で生きていくことができる。ジークハルトとも……同じ街で。


 ユーリア自身大きなケガをしたし、その事でルビーとルビーの家族やギルドの職員たち、騎士団の騎士たちにも冒険者たちにも沢山心配をかけてしまった。ヘッセルも腰痛を悪化させて足首をひねっているし、ジークハルトもケガをした。沢山掃除やゴミ捨てをしたし、問題なくご近所付き合いができていると思っていた人たちの本音に胸を痛めたりもした。


 あれ? 思っていたよりも大変な目に合っていたのでは? 


 ユーリアはここ数か月を思い返して気付いた。でも、もう、いいや、とも思う。


 嫌がらせをしていた犯人は捕まり、もう店の前に落ち葉が撒かれることも泥水で汚されることもない。小動物が殺されることに心を痛め、死骸の入った小箱の存在に怯える必要もない。小さな生き物が犠牲になり、それがだんだん大きな生き物になり、いつか人間になるのではないかと恐怖する必要もない。近所の住民の心無い言葉も、きっと時間と共に聞こえなくなるだろう。


「ありがとう、ジーク。騎士団の皆さんにもお礼を伝えなくちゃ。これで安心してこの街で暮らしていける」


「……おまえがシュルーム領都から出てくっていつ言い出すか、誰にも言わずに一人で家出を実行するんじゃないかって、こっちは気が気じゃなかったけどな。でも、本当に良かったよ」


「え、えええ? 家出って……」


 まさか、街を出る出ないで悩んでいたこと、気付いていたの? そうユーリアが訊ねれば、ジークハルトは器用に片方の眉だけを動かして頷く。


「ヘッセル爺さんもあの筋肉ダルマも、ギルドの職員たちも〝ユーリアが悩んでる。自分が街を出て行くことで解決しようとしてるんじゃないか〟って全員不安に思ってたよ。まあ、王都から来たあの魔道具師が変に逃げ道を示したから……余計に悩んだだろうし、不安だっただろう」


「……そんな、まあ、確かに、悩んだけど……」


 悩んでいたことは事実だけれど、それを大勢の人に気付かれていたとは思わなかった。


「特にヘッセル爺さんなんて泣きそうだったぞ? せっかく見つかった孫のように思っている後継者が、居なくなってしまうかもしれないって。しかも、そのことについてなんの相談もしてくれないって。俺も同じことを思った、俺になんにも言わずに出て行くのかって……」


「それは、……ごめんなさい……」


「まあ、実際には考えただけで実行には移さなかったからいいけどさ。嫌がらせについて解決するには、自分が街を出て行けば手っ取り早い。でも、ヘッセル爺さんや筋肉ダルマ、俺たちのことを考えると実行に移すことができなかったんだろ?」


 ユーリアは俯いた。とても恥ずかしいし、居た堪れない。


 心の中でどうしたらいいのか、ずっと考えていた。店に出ているときも、ルビーやルビーの家族と一緒にいるとき、騎士たちに送迎して貰っているときも、悩んでいることを悟られないようにしていた。顔にも態度にも出さないで、常に笑顔を心掛けていた……というのに。


 ジークハルトは膝の上で寛いでいるマダム・ナラを積み上がっているザブトゥンの上に移動させると、ゆっくり作業用の椅子に座ったまま俯いているユーリアに近付いた。


 目に写るユーリアは、困惑と羞恥でいっぱいいっぱいになっているようだ。そんなユーリアのオリーブアッシュ色の髪に触れれば、ジークハルトの剣ダコだらけで硬くなった手に、長い髪がスルリと流れる。


「実行しなくて良かったよ……もし、ユーリアがなにも言わずにシュルーム領都から俺を捨てて出て行ったとしたら、俺は全部を捨てて追いかけるところだった」


「え、ええ!? なんで、そんなこと……」


 全部を捨てて、その言葉はユーリアに驚いて顔をあげた。ジークハルトが今まで努力して積み重ねてきたものも、築き上げた人間関係や信頼も全て捨ててしまうなんてあり得ないし、あってはいけない。

「なんでって、それは……俺が二度とユーリアと離れるつもりがないから」


 ユーリアの髪をひと房掬い上げ、ジークハルトは口付けた。


「……ジ、ジーク……!」


 カッとユーリアの顔が燃えるように熱くなる。


 男性から女性に対するスキンシップはいくつかあるけれど、女性の髪に口付けることは〝あなたのことを異性として好きでいるのです〟という意味があるのだ。


「どうして、突然……そんな……」


 心臓が口から飛び出しそうになるほど動いて、顔から炎が出てきそうなほど熱い。


「どうしてって、突然でもないだろ? 俺の初恋はユーリアで、今でも恋してる。一度は想いを認め合って、絆を結んだんだぞ。……俺たちは子ども過ぎて、その絆は封じられてしまったけど」


「ジーク……」


「気恥ずかしいからって黙っていることも、格好つけて変な遠慮もするのはもう止めにした。だって、はっきり言わないとユーリアには伝わらない。それに、もう二回も俺はユーリアを失いかけた……いや、一回目は失ったっていってもいい。だからもう、形振り構ってなんていられない」


「えっ……あの……」


 ドキンドキンと心臓が跳ね上がるように体の中で響いている。


「ユーリア、俺は……」


『ちょーっとまつのだ!』


 羽ばたきの音を響かせ、吊り下げられた籠の中から二人のやりとりを見守っていたトワはジークハルトとユーリアの間を裂くように舞い降りた。いつもの定位置、ユーリアの頭の上に陣取ったトワはふんっと鼻を鳴らす。


「トワ!?」


「このデブ鳥、なんで今……!」


『でぶじゃないのだ、ぶれいもの! ……こくはくもそのへんじも、ぜんぶをはなしてからにするのだ。ちょうど、そろそろみんながあつまるじかんなのだ』


 全部を話してから? ユーリアは跳ねる心臓を押さえるように手で胸元を押さえた。


「やっほー、ユーリア! ルビーお手製極上ランチのお届けよー! それから、家主もついでにお届けよー!」


「やれやれ、どうしてこう病院というのはやたら時間がかかるんじゃ。朝から出かけて、帰りが昼とは……」


 タイミングを計ったかのように、昼食がたっぷり入っているのだろう大きな籠を持ったルビーと、朝から病院に行っていたヘッセルが店に入って来る。先程まで感じていた息が詰まりそうなほどドキドキした雰囲気が消え、ユーリアの心臓も落ち着いていく。


「あら、どうかしたの? ユーリア、顔が真っ赤よ?」


「う、ううん。なんでもないの」


 ジークハルトはフイッと顔を背け、昼食を食べる場所である上がり框を片付けるため作業机から離れて行く。その耳の先っぽが赤い。


「……」


 距離ができ、跳ね上がる心臓も落ち着いてホッとするのと同時に……気絶しそうなほど恥ずかしくなったのだけれど、あの続きの言葉を聞きたかったと思っている自分がいて、ユーリアは俯きもう一度顔を赤くしたのだった。

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