2-21
シンッと病室が静まり、廊下から聞こえる騒めきすら聞こえなくなった。
目の前にいるのは風の精霊であって水の精霊ではないのに、なぜか室内体感温度が一気に数度下がったように感じられる。
精霊の持つ宝石のような瞳が室内にいる全員を順に見つめた。見られただけだというのに、なんだか息苦しい。
「……えっと、とにかく、ユーリアの目が覚めてよかったわ。また着替えや必要な小物類を持って来るわね。じゃあ、今日のところは失礼しますわ」
ルビーは慌てて言うと、廊下で青い顔をしていたヘッセルを連れて退散……退室して行ってしまった。残されたのは、ユーリアとジークハルトの二人。
「ご無沙汰しております」
姿勢を正してからジークハルトが軽く頭を下げると、精霊は「ああ、久しぶりだな、ジークハルト。立派になったな」と言って僅かに表情を緩めた。
ルビーが言うには、目の前にいる超絶美形な風の精霊はユーリアの父親であることを自称している、らしい。
ユーリアは人間と精霊の間に生まれた半精霊。両親のどちらかが風の精霊であることはわかっている……けれど、目の前にいる存在が父親だと言われてもわからない。けれど、ジークハルトは目の前にいる精霊と面識がある様子であったから……父親なのかも? 程度に思った。
この精霊と自分が血縁関係にある父親と娘。ユーリアは首を傾げる。似ていない、そう思ったからだ。髪の色は似ている(精霊の髪はツヤツヤと輝いているが)瞳の色は違う(精霊の瞳は宝石のように透き通っている)、顔立ちは……似ているところが見当たらないように思えた。
「……ふむ。予想はしていたが、結局そうなったか」
ユーリアが自称父親を観察していたのと同時に、自称父親は何度もユーリア、ジークハルト、トワを見ていた。
「ルーカスおじさん、一体なにを……」
不審な顔をしたジークハルトが声をかけるも、自称父親はそれにはなにも答えない。それどころか突然ユーリアを訪ねて来た理由も、病室で二人と一羽をじろじろと観察していた理由ついてはなにも言うことはなく「今まで通り、自分で考え、決めて生活するように」と、そのひと言を述べるとユーリアに背を向けて、来たときと同じように病室を出て行った。
「ちょ、ちょっと待ってください!」
その背中をジークハルトが追いかけて行き、ユーリアは未だ眠ったままのトワと病室に取り残される。会話もせず、目も合わさず……父親を自称する精霊は突然やって来て、突然帰って行ったのだ。
「……な、なんだったの?」
ユーリアはなにもわからないまま、首を傾げる。それしかできなかった。
***
「待ってください、ルーカスおじさん!」
ジークハルトはユーリアの病室から廊下へ走り出た、そして歩みを止めない風の精霊の腕を掴んだ。
「待ってください!」
「……何の用だ?」
「教えてください。なぜ、突然ユーリアを訪ねて来たのですか? なぜ、ユーリアに声をかけないのですか……ユーリアは、あなたの娘でしょう?」
振り返った風の精霊はジークハルトが追いかけてきた理由がわからない、という顔をした。そして、ため息をひとつ吐くと顎で〝ついて来い〟と指図すると、廊下の端に作られた談話スペースに移動する。
病棟フロアに用意された談話スペースは小さな丸いテーブルと椅子が三セット、鉢植えの観葉植物が一つ置かれている。四人部屋に入院している者の多くは、お見舞いにやって来た家族や友人とこの場所で会話することが多い。
椅子に座ることもなく、風の精霊は窓から外の景色を眺める。窓からはシュルーム領都の街と病院の向いにある公園が見えた。
「一つ目の質問の答えは、娘を訪ねて確認をする必要があったからだ。二つ目の質問の答えは、声をかける必要がないからだ」
「な……」
あまりに素っ気ない答えに、ジークハルトは度肝を抜かれた。
「娘はすでに独立し、年齢的にも成人している。親の庇護下にはないのだから、関わる必要はないだろう」
精霊が人間を伴侶に選ぶことは滅多にない。けれど選んだら最後、その人間が命尽きるそのときまで一途に愛を捧げる。伴侶にのみ、非常に重たい愛を捧げるのだ。
伴侶の両親、兄弟と伴侶との間に生まれた半精霊に対しては、多少の気遣いや家族の情を向けることはあるのだけれど、それも最低限というレベル。
自分の子であっても、伴侶の意識が子に向くことを嫉妬して嫌がり(同じ理由で子を持たない場合も多々ある)子を捨てたり、育児放棄したりする精霊が多くいた。だからこそ、半精霊は専用の施設に集められて育てられることになったのだ。
八歳という年齢でユーリアは親元を離れているし、今はすでに成人しているのだから、もう自分たちとは関係がないのだと、精霊は言い切った。
「……ああ、そう言えば、キミにも息子が迷惑をかけたと聞いた。まだアレは年齢的に成熟していない存在だから、謝罪する。ジークハルト、申し訳なかった」
思い出したように言うと、風の精霊はジークハルトの正面に立って頭を下げる。
「ユーリアはとても大きなケガをしました、あなたの息子イザークの魔法で。なぜ、ユーリアには謝罪しないのですか?」
「娘のケガについては、血のつながりのある家族間でのことだろう? 姉と弟のことだ。家族間での問題は公にしないのが人間社会では一般的、そう聞いている。だから正式な謝罪は必要ないと判断した。その代わり、治療と入院にかかった費用をこちらで全額負担する」
ジークハルトは息を飲んだ。
そうではない、自分が求めていることはそうではない。もっと、家族として、親としてユーリアを心配して気遣う、家族の愛情を含んだ言葉がほしかったのだ。
「……娘には親などもう必要ないだろう。信頼できる友人も仲間もいる、キミという存在と再び縁を結ぶこともしているのだから」
けれど、精霊であるルーカスにそれを求めるのは難しいのだろう、そう思った。それは種族の違い故にどうにもならないことだ。精霊は、伴侶となった人間のことしか想わない。親族や子に接する気持ちも、伴侶に願われたからしているだけなのだ。
人間のような家族間にある、切っても切れないような愛情を精霊に求めてはいけない。
「では、お願いがあります」
「お願い?」
「ユーリアと自分はケガをしました。それに対する謝罪として、シュルーム騎士団と魔道騎士団に対して証言をしていただきたいのです」
ジークハルトは真っすぐに風の精霊を見つめた。
「ユーリアは魔法紙師として騎士団と魔法紙を納める契約をしています。けれど、魔道騎士団とは契約ができていません。理由は、ユーリアが八歳という若さで施設に入所していること、幼いころの記憶がないことで〝犯罪に関りがある存在〟であるとか〝誓約魔法をかけられるようなことした存在〟であるのではないか、そう疑われているためです。誓約魔法をかけたのは、父親であるあなたですよね?」
「……つまり、娘に誓約魔法をかけた理由、八歳で施設に出した理由を説明しろと? 説明すれば、魔道騎士団との契約が結ばれると?」
「契約が結ばれるかどうか、そこはわかりません。けれど……、ユーリアに対して疑わしいと思われている部分がはっきりすれば、将来の可能性が残ります」
親として、ユーリアに情のある態度も言葉もないというのならば……せめて自分の行ったことを説明し、ユーリアの選択肢が減ることを防いでほしいと思ったのだ。
精霊の持つ宝石のように輝く瞳がジークハルトを見据える。その視線は、まるで心の中まで見通すかのように力強い。けれどそれに負けないよう、見つめ返した。
「……いいだろう。息子のしたことの後始末とその詫びとする」
風の精霊はそう言って、再び表情を少し崩す。そして「キミは幼いころからずっと、娘の騎士だな」と呟いた。
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