2-15
精霊騎士が魔法紙の暴発によるケガを負い、その魔法紙がユーリアの描いた物であると言われて事情聴取を受けてから一週間。ユーリアはいつもと変わらない朝を迎え、大人の洗濯物を魔道具で洗い、三つ子たちの洋服とタオルとおしめを洗い、ルビーの作った朝ごはんを食べる。
以前と変わったのは、騎士団と魔道騎士団の有志がユーリアを魔法紙店まで朝晩送迎するようになったことだ。
「なんだかわけわかんない理由で難癖付けられてるんですよね? 店への嫌がらせのこともありますし、ディークマン監査官からも〝好きにするといい。ただし、騎士団の任務に支障がないこと、魔法紙店と周囲の店、アンデ素材店に迷惑をかけないこと〟と許可を貰っているので」
カイとその上仲間たち(シュルーム騎士団の若手騎士たち)は言って優しく微笑み、ユーリアの送り迎えと店周辺の巡回強化を約束してくれる。
「俺が毎日朝晩送り迎えをしてやりたい。出来る限りそうする、でも、どうしても任務の都合で出来ないときがあるから。だから、必ず誰かと一緒に移動してくれ。なにかあってからでは遅いから」
ジークハルトはそう言って、精霊騎士の仲間も紹介してくれた。
暴発事故があったことは事実なのに、自分の魔法紙と自分を信じてくれる人が大勢いたこと(しかも精霊騎士たちまで)は驚きだったけれど、嬉しかった。
監査官が騎士たちに許可を出したのは、騎士や精霊騎士たちが着くことでユーリアの行動を監視し、逃亡させないためではないのか? そうユーリアは思ったし、トワも『ていのいいカンシなのだ』と呟く。
確かにそういう一面もあるのだろう、けれどそれで自分の身が守られ、なにもおかしなことはしてないと証明できるのならそれでいい、とも思った。けれど同時に、自分がここに居なければ騎士たちの仕事が増えることはなかっただろうに……と思うと、気持ちが沈む。
「おはよう、ユーリア」
「おはよう。ルビー、行って来ます」
「行ってらっしゃーい、気を付けてね」
見送りに出てくれたルビーに手を振り、ジークハルトと並んで魔法紙店に向かう。店に到着するまでの間に交わされる会話は、特別なものじゃない。思ったこと、知ったこと、あった出来事。よくある話だ……けれど、それが二人の間で交わされることがユーリアにとってはホッと安心出来る、ささやかな幸せ時間になっている。
ユーリアの失くしていた記憶の一部が戻ったことで、ジークハルトが幼馴染であることも思い出したし、初恋の相手であることも思い出したし、それに伴う感情も思い出した。その感情はユーリアの中で少しずつ成長しつつある。
ジークハルトと一緒にいると、ユーリアは嬉しくて、恥ずかしくて、幸せな気持ちになる。会えないときは会いたいと思うし、会えればとても嬉しい。
この気持ちは幼いころのものと似ているようで、少し違う。もっと近づきたい、踏み込みたい、独占したい、そういう感情が含まれているように感じる。
「大人になってからの恋なんだから、そういうものでしょ。子どものころは一緒に遊んでお菓子食べたってだけで満足だったけど、大人になったんだもの。手を繋ぎたいし、抱きしめ合いたいし、キスもしたいし、体の関係だって持ちたい……そういうものよ。だって、生きているんだもの」
ユーリアよりも恋愛経験豊富な(ユーリアと比べれば皆経験豊富になる)ルビーの言葉に、「そういうものか」と納得しながらも同時に自分がジークハルトを異性として意識しているということが、とても恥ずかしくなった。
この先自分がどうしたいのか、街から出て行くのかここで頑張るのか……大事なことを考えて決断しなければならない。
それなのに、ジークハルトに対する恋心に浮かれているようで、恥ずかしかった。
「今日は嫌がらせをされていないといいがな」
ジークハルトは少し緊張した様子でユーリアを庇うように大通りから細い道へと入る。
ここ数日、魔法紙店への嫌がらせは止まっている。落ち葉や泥水を店の前に撒かれてはいないし、店の裏口に小動物の死骸が入った箱が置かれたりもしていない。
このまま嫌がらせがなくなればいいのに、そう思う。そうしたら、今のままの生活を続けることができる。
「……大丈夫だ、店前はなにもない」
店の前は昨晩ユーリアが帰ったときのままの姿を見せていた。風で舞ってきたのだろう葉が数枚落ちている石畳の通路、ゴミひとつないポーチ、店横にある花壇には濃い紫色の花を咲かせた植物が朝日を浴びている。
「よかった」
「おまえは店の中に入って開店準備を、俺は裏口を確認してくる」
そう言って店の裏側へと歩いていくジークハルトを見送り、ユーリアは鍵を開けて店のドアを開けた。手の中にある銀色の鍵が光る。
店内に入ると魔法紙とインクの匂い、上がり框に敷かれたタターミマットレスの匂いがユーリアを包み込んだ。最近はここにユーリアの使う封蝋の匂いが混じり始めていて、この店に自分が馴染んできた証のような気がしている。
まだ眠そうにしているトワを作業用の椅子上にあるクッションに乗せて、ユーリアは外に出す看板に手を伸ばす。すると、二階に通じる階段からマダム・ナラが尻尾を揺らしながら降りて来て、その後ろにヘッセルの姿を認めた。
「おはようございます、ヘッセルさん」
「……おお、おはようユーリア」
ヘッセルは腰に手をあててゆっくりと体を反らせてから、腰を擦る。今日も腰の調子は良くない様子だ。ゴキゴキッとヘッセルの骨が鳴る。
「ヘッセルさん、今朝も行って来たらどうですか? マッサージと温熱療法のお店、もうやってますよね?」
「そうじゃなあ……」
何度も腰を擦るヘッセルは「いたたた」と小さく呟き、大きく息を吐いた。
最近ヘッセルの通っているマッサージ店は、手による揉み解しと〝オキュー〟なる東方の温熱療法を行う珍しい店だ。他にも〝ハリ〟なるものを〝ツボ〟刺すという施術もあるときくけれど……ユーリアには理解できない。裁縫に使う針を体に刺す、という想像をしているけれど恐ろしいだけだ。
珍しいといえば施術の内容だけではなく、朝早くから夜遅くまで営業していることもある。
早朝営業は人気があるらしく、出勤前に……という人でほどほど混みあっていると聞く。
「行って来てください、その方がいいですよ。嫌がらせはありませんでしたから、私ひとりで平気ですし、ジークもいてくれますね」
「……そうか? じゃあ、お言葉に甘えて行って来るかの」
ユーリアは看板を持って店の外に出て、その後ろをヘッセルがついて店の外に出る。ヘッセルは朝日の眩しさに目を瞬かせた。
「はぁー、じゃあ、ちょっとばかり行ってくる。あとは頼んだぞい」
「行ってらっしゃい」
看板を設置しながら表通りに続く道にヘッセルが足を向ける。すると、店の真正面に人が立った。背は低く、まだ少年という年齢の男の子だ。
「……?」
ユーリアが視線を向けると、少年と目が合った。
「なんで……」
「え?」
「なんで、あんたはひとり、そんな風に生きてるんだよっ!」
少年が大きな声叫ぶ。少年特有の高い声が、朝の街に響いた。
ヘッセルは足を止め、店裏からジークハルトが急ぎ戻って来るのが目の端に見える。
「なんで、あんたひとりだけ、上手くやってるんだよっ! なんであんただけっ!」
再度少年が叫んだと同時に周囲の風が動いた。風が小さなつむじ風となり、そして淡い緑色の光を帯びた刃の形を幾つも作り出す。それは、細い三日月のような形をしている。
「あんただけ幸せなんて許さないっ!」
「……!」
声と同時に三日月型の刃が動き出し、ユーリアとヘッセルに向かって不規則な起動で襲いかかって来た。
「伏せろっ!」
ジークハルトの声が聞こえ、ユーリアは飛ぶようにヘッセルの前に躍り出る。その瞬間、腕や足をはじめ全身に熱さと冷たさを一気に感じ、店の壁に向かって吹き飛ばされた。
「ユーリア!」
自分を呼ぶ声が、とても遠くに聞こえ……そして意識は暗闇に溶けた。
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