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2-12

 ユーリアは魔法陣を描き上げ、インクが乾いたことを確認した魔法紙をくるくると丸める。その封をするために使うのは、特別製の封蝋と刻印だ。溶かした蝋を垂らし刻印を押して、蠟が冷えて固まることで封印が完了する。


 結界魔法が発動する魔法紙が完成すると、ユーリアはそれをディートリンデに差し出した。


「こちら、完成品となります」


「ありがとう、感謝するよ」


 ディートリンデはすでに描き上がっている魔法紙の中から防御に関係する物を数点選び、ユーリアの描き上げた魔法紙の合計金額をカウンターに乗せ、〝魔法紙受注書〟にサインした。


「また巻紙をお願いするよ、ユーリア嬢」


「ありがとうございます、またのご来店をお待ちしております」


 出立の準備が整い次第、シュルーム領都から出るというディートリンデは少し急いだ感じで店を出て行く。店先で彼女を見送ったユーリアは、店内に残っていたエメリヒと顔を合わせる。


「ロンベンクさんは、なにかご入用ですか?」


「うん。またキミには巻紙を描いて貰いたいって思ってる。でも、急いではないんだ。僕はもうしばらく仕事の都合でここにいるからね」


「そうですか、では入用のときに声をかけてくださいね」


「うん、時間をみてお願いする。……ところで、最近、キミを悩ます問題が起きてるんだってね」


「え……」


 思ってもみない言葉が投げかけられて、驚いた。タターミマットレスを敷き詰めた上がり框に腰かけたエメリヒは、じっとユーリアを見つめる。


「店に対する嫌がらせを受けてるんだって? しかも、その内容が掃除をして片付けるだけでは済まなくなってきているとか……」


「……」


 王都からこの街にユーリアの描く魔法紙を精査試験しにやって来た魔道具師ですら、現状を知っている。それだけ店への嫌がらせは街に知れ渡っているということだ。


 その現実が辛いし、恥ずかしいし、申し訳なく思う。


「ユーリアさんはさ、どうしたい?」


「……はい?」


「キミの希望を知りたいんだ」


「私の、希望……?」


 エメリヒは足を組むと、頷いた。


「嫌がらせ犯を見つけ出して、社会的な制裁を加えたい? キミのことをアレコレ噂している近隣住民への名誉棄損も訴えたい? 嫌がらせ犯をなかなか捕まえることのできない騎士団を訴えたい? そんなことよりも、今すぐ店のことも騎士団との契約のことも白紙にして、この街から出て新たな場所での再出発したい?」


「……」


「魔法紙師ユーリア・ベル、キミは、どうしたい?」


「なぜ、そのようなことを言って下さるのですか? ロンベルク様に手助けして貰えるような立場に私はいませんし、関係もありませんが」


 彼は上級魔法使いであり、魔道具ギルドの運営側に所属する魔道具師だ。ギルドの名を背負っていることから、魔道具師ギルドの役職を持っている立ち場なのだろう。それと同時に高価な衣類や立ち居振舞から、エメリヒが貴族出身者だともわかる。


 彼自身が気安い態度と口調で接してくるものの、平民で街の魔法紙師であるユーリアとは生まれも立場も全く違う。雲の上の存在であるエメリヒから、手助けをされる理由がわからない。


「そうなんだけどね。僕は魔道具師として、魔道具ギルドの者として、キミの才能と仕事について高く評価してるんだ。魔法紙師として、出来る限り長く働いてほしいと願う。でも……このままではダメでしょ? それはキミ自身もわかっていると思うんだけど」


「……それは……」


「このままいけば、キミはこの街からいなくなろうとするよね。で、最悪は魔法紙師を辞める。田舎の小さな村で、魔法紙を描き続けるのならまだいいけど。畑を耕して鶏でも飼って慎ましく暮らそうとか考えて、実行されたら……僕、泣いちゃうよ。魔道具業界として、大きな損失だからね。そもそも魔法紙師は数が少ないっていうのにさ、これからを担う子に早々引退されちゃうなんてダメでしょ!」


 ユーリアは息を飲んだ。


 王都からやって来た二人が店に来る前、頭の中でぼんやりと考えていたことを見抜かれていたから。


 元々自分はこの街に生まれではないのだから、ここから出て行けばいい、どこかの小さな村で細々と暮らして行けばいい。きっとその方がいいのだ、そう逃げることを考えていたから。


 この店を一緒に経営して、後々はユーリアに譲ると言ってくれたヘッセルのこと、自分の描く魔法紙を信頼して買い物にやって来る冒険者や騎士団の人たち街の人たちのこと、育った村で一緒だった幼馴染の親友でこの街へ誘ってくれたルビーのこと、ユーリアをいう人物をこころよく迎え入れて家族のように接してくれたルビーの祖父母と姉夫婦、可愛い三つ子たちのこと、そしてなにより……初恋相手で改めて恋という感情が育ちつつあるジークハルトのこと。


 この街に来てから得た大事な人たちのこと、その全てを捨てて逃げ出すことを考えた。それは、義理を欠く行為で良くないことだとわかっていたし、やはり、彼らと離れることが嫌で……考え直してはまた考えを繰り返している。


 預貯金は少ないし、行く宛もない、街を出てしまえば頼る事のできる相手もいない。


 けれども、この魔法使いでギルドの息がかかった魔道具師の手助けを受けたらなら、それも可能だ。


「だからね、キミは、どうしたい?」


「わ、私は……」


 体の前で両手をギュッと握り込み、深呼吸をしてからゆっくりと顔をあげる。エメリヒは表情を変えることなく、座ったままユーリアの言葉を待っていた。


「犯人が捕まって、嫌がらせが止んでくれたら……それでいいです。近所の人たちが、現状を不安に思ったり不満に思ったりするのは当然です。嫌がらせが止めば、色々言う人はいなくなります。だから……嫌がらせがなくなってくれたら、それでいいです。犯人もこの街の法律に則って罰を受けてくれたらそれで構いません」


「……キミは嫌がらせのなくなったこの店で、魔法紙師としての仕事を続けていく。それが希望なの?」


「は、はい……そう思っています、今は」


 そう答えると、エメリヒは「そう」と言って腰をあげた。


「……しばらくはシュルームの騎士たちに任せることにするよ、キミがそれを願っているからね。ただし、この先ひと月以内に嫌がらせの件に進展がなかった場合は、魔道具ギルドと僕が介入するから。それから、やっぱり考え変わったとか、どうにもならなくなって僕やギルドの助けが級に必要になった場合は、ここへ連絡してくれる? あ、遠慮は必要ないからね。キミは魔道具ギルドに加入している魔法紙師なんだから、ギルドはユーリアさんの味方さ」


 一枚の名刺を差し出され、ユーリアはそれを受け取る。分厚くて上質な紙に、キラキラと輝くブルーブラックの箔押しでエメリヒの名前と連絡先が書かれている。


「それじゃ、またね。今度は巻紙を描いて貰いにゆっくり来るから」


「あ、ありがとうございました。またのご来店をお待ちしております」


 エメリヒはふっと表情をやわらげて微笑むと、ひらひらと手を振って店を出て行った。


『ユーリア。ぼんやりして、だいじょうぶなのか?』


 病院に行っていてヘッセルがいない店内で、ひとりぼんやりと豪華な名刺を持ったままユーリアは立ち尽くしていた。


「トワ……私……」


『……いそいできめることはないのだ。ユーリアがどうしたいのか、どうするのがいちばんいいとおもうのか、それをかんがえてきめたらいいのだ。ユーリアがどんなこたえをだしても、いい。オレサマはユーリアのみかたで、ずっといっしょなのだ』


 トワはユーリアの頭から肩へと移ると、ふっくらとした体を頬に擦り付ける。


「……うん」


 そのふわふわとした触感と温かさに、ユーリアはホッと息を吐くと自分からも頬を寄せた。

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