2-11
ユーリアは魔法紙を一枚描き上げると、内容を確認する。描いていたのは火球が三つ発動する魔法紙で、店でもギルドでも扱っている魔法紙だ。
魔法陣に問題がないことを確認すると、インクを魔道具で乾かしてから丁寧に丸めて少し黄色みがかったオレンジ色をした蝋を溶かして、専用のスタンプを押して封じる。
完成した魔法紙を〝完成品置場〟にしている籠の中に入れると、まっさらな魔法紙を一枚手にした。同じ物をあと五枚は描かなくてはいけない。描き上がった六枚は魔道具ギルドへの納品する品なのだ。
「……」
『ユーリア、しゅうちゅうできないのならやめておくのだ』
「……うん、でも、描かないと」
『しっぱいさくをつくりだすか、めちゃくちゃじかんがかかるか。どっちにしても、おすすめはできないのだ』
ユーリアの頭の上にいたトワは机の上に降りると、手に握られているペンを嘴で突いた。そのちょっとした衝撃でユーリアの手からペンが零れ落ちる。
頻繁に起こる店への嫌がらせを耐えていたユーリアだったが、さすがに裏口に置かれた箱に関してはショックが大きかった。
なぜこんなことをされるのか、全く身に覚えがない。自覚がないまま、誰かに迷惑をかけてしまった可能性はあるけれど……何度思い返してみても思い当たることはない。だから嫌がらせをされていて、その嫌がらせ内容が店の前を掃除するだけで済むという範囲を越えつつあることに、改めて恐怖を感じる。
こんなことがまた続くのか、内容がどんどん過激になっていくのか、嫌がらせが周囲の店へ広がったり、露店の菓子屋に来ている子どもたちへ何らかの影響があったりしたら……そんなことを考えていたところ、今朝もまた店の前には泥が撒かれていたのだ。
ガッカリしながら掃除をしていたのだけれど、「また嫌がらせ? あの嫌がらせ、こっちにまできたらどうしましょう?」「あの子、裏で恨まれるようなことしてるんじゃないの?」「なにもしてないのに、嫌がらせなんてされないでしょ」「じゃあ、あの子がいなくなれば問題解決?」「ヘッセルさんも人がいいから……出て行ってとは言えないんじゃない?」と言うご近所さんの声が風に乗って聞こえてしまい……気持ちが更に落ち込んだ。
自分がこの店に居て、働いていることが……ヘッセルや近所に店を構える人たちに迷惑になっているのではないか? 自分がこの街から去った方がいいのではないか? そもそも、自分が魔法紙師をやっているからダメなのか? 妹弟子であり、師匠の姪であった少女からもひどく疎まれていた……それも、自分が魔法紙師だったからだ。
どこか小さな村に移り住んで、代筆屋でもやって、畑を耕して鶏でも飼って自給自足生活でもする? そんな考えが浮かんでくる。
『ユーリア、おちゃでもいれてひといきいれたらいいのだ』
「そう、だね。ヘッセルさんが昨日買って来てくれたコクトゥマンジューが残ってるから、あれを食べようか?」
『それがいいのだ!』
作業机から離れ、店の奥にある小さなキッチンに入った。お茶が入ったら、残りのコクトゥマンジューを食べよう。三つか四つ残っていたはずだけれど、一気食いしちゃう? 甘い物を食べて落ち着いたら、良いアイディアも浮かんでくるかもしれない。そんなことを思いながら、ユーリアはやかんに水を汲んだ。
「こんにちわー!」
店の扉が開き、客が入店する音がした。ユーリアはやかんをキッチンテーブルに置くと、「はーい」と答えながら急いで表へと戻る。
「……ロンベルク様、ベーテル様」
「やあ、ユーリアさん。騎士団の精査試験ぶり!」
店に入って来たのは、魔法紙の精査試験でユーリアの描いた魔法紙の出来栄えを確認した二人だ。
「突然すまない。急ぎの仕事が入ってしまって、ここから現場に向かわねばならなくなったのだ。急ですまないが、巻紙を描いて貰いたい」
「畏まりました」
肩にオトモ妖精を乗せた半精霊の上級魔法使い、ディートリンデ・ベーテルの言葉に、笑顔で首を縦に振ったユーリアであった。
「私を中心として半径一メートルを守る結界魔法紙を描いてほしい」
「承知しました。結界の持続時間はいかがしましょうか?」
「……そうだな、二時間程度で」
「では、結界についてですが物理的な守りでしょうか、魔法的な守りでしょうか」
「可能ならば両方で」
「……使用者を中心として半径一メートル範囲を、物理と魔法双方から二時間程度守る結界魔法。この内容でお間違えはないですか?」
ユーリアは指定された内容を〝魔法紙受注書〟の内容欄に記載し、銀髪の魔法使いに確認した。
「ああ、問題ない」
「納期はいつまででしょう、お急ぎとのことでしたけれど?」
「問題なければ、今すぐお願いできるか?」
ディートリンデは申し訳なさそうだ。けれど、〝お願い〟という言葉には否定を許さない強さが感じられる。王宮所属の上級魔法使いである彼女には、ユーリアには理解できないような仕事を受け持つのだろう。今回のように、急に仕事を命じられることも珍しくはないのかもしれない。
ユーリアが魔法紙師としてできることは、希望の魔法紙を用意することだ。
「……畏まりました。少々お時間いただきます」
「お願いする。それと、描いているところを見せて貰っても?」
「ああ、僕も見たい!」
「どうぞ」
筒状に丸められている魔法紙を開けば魔法が発動し、発動した魔法紙は消えてしまう。その丸まっている魔法紙の中身になにが描かれているのか、それを知りたいと思う人種が時折いる。特に魔法使いや魔道具に携わっている人にそういう傾向が強い気がする。
作業机に戻り、机の上に出ていた白紙の魔法紙を手で伸ばす。そして、魔力が込められている特殊なインクをたっぷりとペンに纏わせた。
ユーリアは魔法紙に持たせる効果や条件をもう一度頭の中で確認し、必要な魔法陣を選び組み合わせを考える。一番効率がよく、組み合わせる魔法が衝突せずに確実に発動するように。
魔法陣の組み合わせが決まり、ユーリアは魔法紙にペンを走らせた。
ディートリンデとエメリヒの二人はユーリアが魔法紙を描き上げるまでの二十分ほどの間、飽きることなく見つめていた。
「……巻紙として仕上げる前に、見せて貰っても?」
「まだインクが渇いていませんので、魔法陣に触れないようにお願いします」
ユーリアの差し出した魔法紙を受け取ると、ディートリンデは食い入るように魔法陣を見る。その様子は騎士団への魔法紙納入に関する精査試験のときと同じだ。
「ああ、いいね。やはり、繊細で美しく、それでいて効率的だ」
ディートリンデは魔法紙に描かれた魔法陣を見て満足したように頷くと、ユーリアにその魔法紙を返却する。
「同感だよ。僕としては、ユーリアさんにはぜひ中央に来て活躍して貰いたいね。中央で腕を振るって貰えると、本当に助かるんだけどなあ……ダメ?」
エメリヒの言葉は軽く、とても本気だとは思えない。
けれど、今のユーリアの胸にはチクリと刺さった。冗談だとわかっているというのに。
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