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仕事は順調だ。順調過ぎるくらいだとユーリアは思う。
シュルーム騎士団からは定期的に一定量の魔法紙を依頼されるし、魔道具師ギルドからもギルドで直売するための魔法紙を依頼される。もちろん店に並べている魔法紙を描かなくてはいけないし、個人で「キャンプ地でもぐっすり眠れるようになる魔法紙がほしい」とか「走る速度が通常の三倍速くなる身体強化魔法の魔法紙がほしい」とかいう個別注文も受けている。
ヘッセルが言う「忙しいのはいいことだ。儂ら魔法紙師の巻紙が求められ、人の役に立っているってことじゃからな。儂らの描く巻紙は使われることに意味があるでな」と。その言葉通りだなと、ユーリアは最近になって実感を得た。
師匠の元で修行していたころは一人前になるために無我夢中だった。店の掃除をし、在庫を管理し、接客し、魔法陣と魔法の勉強に魔法紙を描く練習にと忙しくしていて……自分が描いた魔法紙のことなんて、それを使う人のことなんて全く考えられなかったのだ。
ユーリアが描き上げる魔法紙は、使われなければただの丸まった紙でしかない。騎士や冒険者、行商人、街に暮らす人たちが手にとり、紙を開くことで魔法紙として活きるのだ。
ヘッセルと共同とはいえ自分自身の名前を掲げた店で自分の描いた魔法紙を売ることで、ユーリアは魔法紙師として一番大事なことがわかった気がした。
「ああ、本当にありがとうよ。俺は何年練習しても泳げなくってさ……でも、今度の仕事は湖の中にどうしても入らなくちゃいけないんだ。俺一人のことなら、別の仕事を受ければいいんだけど仲間がいるからな。これで水の中でも陸地と変わらず歩けて動けるよ」
「とても大変そうなお仕事ですけど、達成できますように私も応援しています!」
描き上がった魔法紙をくるりと丸め、赤色の封蝋を溶かし垂らすと封蝋印を押して止める。できあがった魔法紙を差し出せば、冒険者は安心した様子で受け取り代金を支払った。
アヒレス流の魔法紙は封蝋を封蝋印で止めることが決められていて、封蝋印のマークは魔法紙師一人一人それぞれ違うデザインになっている。ユーリアはアヒレス流を現わす一枚の羽と名前の頭文字、苗字にもなっている小さなベルがデザインされた封蝋印だ。
この封蝋印を使っているのは世界中でアヒレス流魔法紙師ユーリア・ベル一人きり。ユーリアが描いた魔法紙である証明であり、その効果に責任を持つことでもあった。
今、ユーリアは自信をもって魔法紙を使う人の元へ送り出している。
「ありがとうございました。またのご利用、お待ちしています」
「また来るよ、ありがとう」
ユーリアは本日最後の冒険者のお客を店の外まで見送ると、アプローチに出していた看板を手に店内に戻る。そして〝営業終了〟と〝営業中〟という文字が裏表にかかれているプレートを、〝営業終了〟にひっくり返して鍵を掛けた。
あとは在庫と売り上げの確認をして、軽く店内の片付けと掃除をして営業は終了になる。
「ユーリア、終わったら夕食に行こうか。ルビーにも声をかけておるんじゃ、疲れがたまって爆発しそうじゃったからな」
「わあ、行きます行きます」
仕事は忙しいけれど充実していて、周囲の人間にも恵まれている。
ユーリアは幸せだ。シュルームという街にやって来てよかった、心からそう思っている。
だから……
「……」
どうして店に対しての嫌がらせが続きその内容がエスカレートしていっているのか、それを考えることはなかったし、店で働くユーリアを見つめている者が居ることにも気付くことはなかった。
* 〇 *
店の前に落ち葉や泥水を撒かれるという被害届を騎士団に提出して早一か月。
騎士団の巡回ルートに魔法紙店の周囲が組み込まれ、夜や早朝にも騎士たちが巡回する。話しを聞いた近所に店を持つ店主たちも気にかけて様子を見てくれるようになり、人の目は圧倒的に増えることになった。
これでヘッセルとユーリアが営み魔法紙店への嫌がらせはなくなるに違いない、誰もがそう思っていた……のだけれど、嫌がらせは止まらなかった。
店の開店準備が始まるころから、夕方の閉店までは当然動きはない。深夜から早朝にかけての犯行に間違いはないのだけれど、近所の人間の目も巡回する騎士の目にもとまらない時間を使っての嫌がらせは続いている。
落ち葉と尖った小石を含んだ泥水が撒かれていたときもあったし、落ち葉の中に大量の虫の死骸が混ぜられて撒かれていたときもあった。ネズミやトカゲなどの小さな生き物の死骸が入った箱が裏口に置かれていたときは、さすがのユーリアも悲鳴をあげてしまった。
「これは本格的に気を付けた方がいい。小動物が嫌がらせに使われるようになると、次はもう少し大きな動物になる。子犬とか子猫、小型の鳥とかな。どんどん犠牲になる動物は大きくなるし、最終的には人間に標的が移っていく可能性が高い」
朝の巡回に来た騎士はそういって箱を回収する。中身の確認をしてから処分してくれるらしく、ユーリアはホッとした。
「ユーリアさん、この嫌がらせに関して心当たりはありませんか?」
同行していたカイに聞かれたが、理由はわからないし心当たりもない。そもそも、ユーリアが関係している人間が限られているのだ。
アンデ素材店の一家、ヘッセル、魔道具ギルドの職員たち、シュルーム騎士団と魔道騎士団の騎士たち、冒険者たちが主な関係者になる。どの人物たちも所属や身元がはっきりしている者ばかりで、彼らがユーリアに対して悪意を持っているとは考えにくいし、こんな幼稚な嫌がらせをするとも考えにくいのだ。
「……うーん、そう言われたら、ユーリアさんが嫌がらせを受けること自体がおかしいんですよね」
「だが、ヘッセル老は長年この店で商売をしていて、今までに一度も嫌がらせを受けたことがない。そう考えると、嫌がらせの対象がユーリアさんと考えるのが自然なんだよな」
カイもその上司だという騎士も両腕を組んで「うーん」と唸った。
とにかく、今後嫌がらせの内容がエスカレートしていく可能性が高いから、昼間でも気を付けるように。ユーリアもヘッセルも一人で出歩かないこと、特に夜は外出を控えるように。何かあったらすぐ騎士団に連絡をいれるように。
強くそう言って、騎士たちは帰って行った。ヘッセルは夜の外出を控えるようにと言われ不満そうだったが「仕方がないわい」と小さく呟き、マダム・ナラの毛にブラシを入れる。
毎日ヘッセルにブラシを入れて貰っているため、マダム・ナラの黒い毛並みは艶やかで美しい。
「……」
『ユーリア、だいじょうぶか?』
確かに店の前に大量の落ち葉が撒かれたり、泥水を撒かれたりしたことは嫌だったし掃除と片付けも大変で、出勤時に嫌がらせのあるなしにドキドキしなくちゃいけないことも、掃除と片付けについても「仕事が増えて面倒だなぁ」と思っていた。それでも、嫌だとか面倒だとか思っただけ。掃除をして落ち葉を捨てたら終わりだったから、それで終わりにしていた。
しかし……生き物の死骸が置かれたことで、ようやく〝怖い〟と感じたのだ。
騎士団に被害届を出したときに受け付けてくれた人も言っていた、嫌がらせは今後も過激化していく可能性があると。
実際、店の前に撒かれていたのは最初は落ち葉だけだったのに、泥水塗れになり、尖った小石が混じるようになり、昆虫の死骸が入れられて、そして……ネズミやトガケの死骸になった。
『ユーリア?』
「え、あ……ううん、大丈夫」
ネズミやトカゲだって無意味に殺されてしまうのは嫌だし、怖い……それがエスカレートしていく? 子犬や子猫になって、成犬や成猫になる? そして、いつか人間に?
想像しただけで、ゾッとした。
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