2-01
朝の日課は店の周りを掃除しながら、周囲の様子を確認する。
ゴミは落ちていないか、植栽が枯れてはいないかを見て歩くのだ。
一夜の明けた店の周りには思いがけないモノがある、ここ一年でユーリア・ベルはそれを痛いほどに学習した。
店の裏口で泥棒対策として仕掛けておいた捕縛魔法紙に引っかかっていた空き巣を一人捕まえたことがあったし、酔っぱらって店の植栽の中で眠っていた男性を三人介抱したこともあったし、夫婦喧嘩の末に家を飛び出し、店裏口に座り込んで泣き疲れて眠っていた女性を発見したときは悲鳴があがりそうになったし、店横に置いてあった木箱の中で出産していた猫を手伝ったりもした。
ちなみに生まれた四匹の子猫は全員猫好きの領民にそれぞれ引き取られ、現在は幸せに暮らしている。母猫は〝マダム・ナラ〟と名付けられ、ヘッセルの飼い猫兼店の看板猫になった。
真っ黒い長い毛に金色の瞳のマダム・ナラは、赤いリボンとコイン型のチャームを首につけヘッセルの膝で丸くなっていることが多い。
マダム・ナラの存在に怯えているのか、店にいる間トワはユーリアの頭の上から降りようとはしない。トワは小鳥の姿をしているものの、小鳥ではなく妖精であるというのに猫に怯える姿が意外だった。
「よっ……と」
ユーリアは掃除と周囲の確認を終えると、店前にA型看板を立てた。
淡い緑色の看板には美しい飾り文字で〝魔法紙屋・ユーリア〟と〝ご希望の魔法紙描きます〟のメッセージが書かれ、丸めた魔法紙を咥えた丸いフォルムの小鳥がシルエットイラストで描かれている。もちろん、店には店が出来たときから今に至るまで〝魔法紙・ヘッセル〟という看板が変わらずにある。
現在、この魔法紙店はバーナード・ヘッセルという老人と、ユーリア・ベルという半精霊の女性が二人で営んでいる。
師弟でも親族でもない二人が共同で店を経営することについて、最初は疑問に思う者や不信感を抱いた者もいた。けれど、現在は高齢の祖父と彼の些細なミスをさり気なくフォローする孫娘のように彼らが働いている姿をみて、経営の先輩として新人教育をしていくヘッセルと店舗経営を真剣に学ぶユーリアを現在は受け入れ、徐々に二人の様子に納得していった。現在は、二人を見守り、応援している者がほとんどだ。
ユーリアの描く魔法紙の実力も認められつつあり、二人の魔法紙師のいるこの店は外観の様子から〝緑の巻紙屋〟と呼ばれて、大勢の冒険者や騎士、街の住民に日々利用されている。
「おはよう、ユーリア。巻紙、描いてくれるか?」
「おはようございます、アーベルさん。中へどうぞ!」
顔馴染みの冒険者を店内に用意した打ち合わせ用の席に案内すると、ユーリアはレシピ用の書類を手にアーベルの向いに座った。
「さて、改めまして……本日はどんな魔法紙がご入用ですか?」
「おう、夜間用の照明魔法がほしいんだ。今度新人冒険者たちを連れて〝蒼羽の森〟で初回研修があるんだよ、一泊二日で。そのとき、拠点にするキャンプで夜使う照明がほしい」
「わかりました。じゃあある程度広範囲を照らす感じがいいですよね、時間が経つと照度が低くなっていく機能もほしいですかね? 真っ暗にはならない程度の明るさがあって、夜明けくらいに魔力が尽きるくらいの稼働時間とか」
「いいね、そうしてくれ。研修の参加人数が結構多いからさ、同じものを三つ用意してほしい。それと、緊急信号を打ち上げる巻紙も一枚くれ、万が一ってこともあるからな」
「はい。照明魔法紙三枚はいつまでに必要ですか?」
「研修は今週末なんだよ、前日に取りにくるからそれまでに頼む」
「了解しました。オリジナル照明魔法紙三枚と緊急信号魔法紙を一枚、ご用意しておきます」
ユーリアは考えた。自分の魔法紙店を持ったとき、どのような店にしたいのか。
一般的には〝炎魔法〟や〝水魔法〟や〝回復魔法〟などを魔法紙に描き込み、封印を解けばその魔法が発動する、という状態の品物をあらかじめ用意しておき、購入者が自身に必要な魔法紙を必要なだけ購入していくというスタイルの店が多い。
パン屋や菓子屋と同じスタイルだ。
自分が想像していたよりもずっと早くに魔法紙店に自分の描いた魔法紙が並ぶ、その立場になったとき……ユーリアは考えた、〝自分らしい特徴を持たせよう〟と。
現在共同経営者であるヘッセルは、その流派から攻撃魔法の魔法紙を得意としている。威力も高く、魔法が使えない騎士や冒険者から絶大な指示を得ている。
同じ街で魔法紙店を営んでいるパシュは回復魔法の専門魔法紙屋として店を経営している。パシュの流派が元々回復魔法専門なので、当然といえば当然の流れなのだけれどそれも店の個性だ。
残念ながらユーリアの流派は何かに特化しているわけではなく、全体的に満遍なく攻撃魔法も防御魔法も回復魔法も描くため流派による個性はない。なんでもござれ、がある意味個性なのだけれど……特徴がないともいえる。
そこで思いついたのが、「希望通りの、世界に一枚だけのオリジナル魔法紙を描きます」だ。
店にあらかじめ並んでいる魔法紙は、魔法紙協会が定めた一定の威力を込めて描き上げる。多少の差異はあっても、基本威力は同等レベルだ。もちろん同じ水準の威力がある魔法紙は利便性があるし、誰もが安全に使うことができる。
けれど世の中には「もっと低威力でいいから長時間使えればいいのに」とか「この三倍の威力がほしい」とか、その時々の用途に沿った魔法が、魔法紙を必要としている人がいるのではないか。希望の威力や時間を聞き出し、その用途に合った魔法紙を都度描き上げれれば……それが個性になるのではないかと思いついたのだ。
それからユーリアはこうして個人の希望に沿った、特別な魔法紙を描いている。
個別に望む魔法紙を用意するといえば思いのほか需要が多くあり、特に冒険者や街の住民からの依頼がたくさんあった。
風が吹いても雨が降っても消えない煮炊き用の火が出せる魔法紙だの、一日中森にいても蚊やヒルなどの害虫を寄せ付けないようにする魔法紙だの、寝袋の中にムカデが入って来ないようにする魔法紙だのという、魔法紙店の店頭に並んではいないだろうなぁという内容のものばかり。
ユーリアは個人によるオリジナル魔法紙の作成が楽しくなった。
店頭に並ぶ均一品質のものを大量に作るのとは違う組み合わせの難しさはあったけれど、その分やりがいがあったし出来上がった魔法紙を喜んで貰えたから。
ユーリア・ベルという他所からやってきた身寄りも後ろ盾もほとんどない半精霊が描く魔法紙は、徐々に口コミで広がって……一定の評価を得られるまでになっていた。
「……よし、これでよろしく頼むよ、ユーリア」
「はい、お任せください」
具体的な明るさや持続時間などの打ち合わせを済ませるとアーベルは前金を支払い、打ち合わせ席から立ちがある。そしてユーリアを振り返った。
「そういえば、騎士団へ納品する巻紙の契約が決まるかもなんだって?」
「え、ああ、そうなんですよ」
「今、シュルーム騎士団とシュルーム魔道騎士団、両方に納めている巻紙はヘッセル爺さんの描いた巻紙なんだろ? まあ、爺さんも年だし、ユーリアにさっさと代わって貰えばよかったのにな」
「そう簡単にはいかないんですよ」
ユーリアは受付票と前金の預かり証を素早く記入すると、アーベルに手渡した。
受付票の半券、残りのお金と注文を受け取って描きあげた魔法紙とを引き換えるシステムなのだ。
「なんでだ? 問題ないだろう、ユーリアの描く巻紙は爺さんの描くものと遜色ないのに」
「そういっていただけるのは嬉しいんですけど、遜色ないことを証明できなくちゃいけないんですよ」
「どうやって、それを証明するんだ?」
「騎士団や私個人とは全く関係のない魔法使いと魔道具師が確認して、騎士団で扱っても大丈夫かどうかを確認してくれるっていう話です。その審査をする人たちが来月にシュルームに来て下さって、私の魔法紙の試験をすることになってるんですよ」
「へえ、なんだか大事だし、大変だな」
アーベルは肩を竦める。
日の差し込む窓側の座布団に座り、うつらうつらと眠っているヘッセルの膝上で丸くなっていたマダム・ナラが〝にゃぁああん〟と鳴く。
その鳴き声は〝この子も大変なのよ〟といわんばかりの大きな声だった。
お読み下さりありがとうございます!
長らくお休みをいただいておりましたが、二部の連載をスタートいたします。
待っていて下さった方がいらっしゃたかは…………わかりませんが、これよりまたお付き合いいただけましたら嬉しい限りです。よろしくお願いいたします。