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小さな花束をそれぞれに置く。白い墓石の前に供えられた丸い形をした青色と白色の花が風に揺れた。
「……本当に馬鹿なことをしたもんだ。生きている者が死人に縋り付くなんて、やってはいかんことだと、そんなこと分かっていると思っておったよ」
ヘッセルは眠るファビアンに話しかける。
魔法という技術がこの世にはある。魔法技術は己の中にある魔力を使い、炎や雷を作り出し、肉体を強化し、傷を癒す。けれど、死者を蘇らせることは出来ない。
過去から近年に至るまで、大勢の魔法使いや魔法紙師、学者が〝死者の蘇生〟を研究していた。何百年という時間をかけて導き出された結果は、死者の蘇生は不可能である、というものだ。
どんなに複雑で膨大な魔術式を組み上げても、緻密で高度な魔法陣を魔法紙に描き込んでも、一度命の炎が消えた肉体は傷も病も癒えることはないし、魂と呼べるものを肉体に呼び戻すことは出来なかった。
死者は二度と戻っては来ない。
亡くなった家族に会いたい、また一緒に暮らしたいと願う気持ちはヘッセルにも理解出来る。
ヘッセル自身、まだ幼い息子を残して妻があの世へ旅立ってしまったときは絶望した。当時息子は本当に幼く、魔法紙師として独立して店を持ったばかりでもあった。そこへ最愛の妻と二度と会えない状況になってしまったのだ……頭の中は真っ白になり何も考えられなかったことを覚えている。
だからファビアンが妻子に会いたい、蘇らせたいと願う気持ちだけは理解が出来た。
「儂だって、妻に義娘と孫に会いたいと……何度も思ったわい。自分ばかりが悲しい、寂しいと思いおって、この馬鹿息子め」
出来上がったばかりの墓石をゆっくりと撫でると、ひんやりとした感触が手に伝わる。
「じゃが、おまえは二十年も前に家族と会えておったんじゃな。儂だけ取り残されとるようで寂しいが……儂がそちらへ行くのは、もう少し先になりそうじゃ。悪いが、皆で待っていて欲しい」
ヘッセルは立ち上がり、義娘と孫の墓にも同じ青と白の花束を供えた。
「ちょっとばかり、面倒を見てやりたい娘がいてな。その子が一人でも大丈夫だ、と儂が思えるようになるまで……頑張るつもりじゃ。だから、皆で待っていてくれ」
その三日後、墓守が掃除にやって来たときに見た青と白の花は、先ほど供えられたばかりかのように美しいまま風に花弁を揺らしていたという。
* 〇 *
「な、なななな、なな、な、何故じゃ!」
ドンッとカウンターの天板をヘッセルが叩いた。
「儂の持ち物を誰に譲ろうが、儂の自由じゃろうが!」
対応をしていたシュルーム領の文官は七三分けにした髪を手で撫でつけた後、眼鏡を中指で押し上げてからヘッセルとユーリアの顔を交互に見た。
「ヘッセルさん、あなたの持ち物である店舗をどなたにどんな条件で譲渡するかは確かにあなたの自由です」
「じゃったら!」
「でも、譲渡する相手であるユーリア・ベルさんは……未成年ですよね」
シュルーム領の領都、領主の暮らす城館。その一角にある役場にユーリアとヘッセルは揃ってやって来ていた。目的はヘッセルの魔法紙店の名義をユーリアに変更するためだ。
「……あ」
「他の領地でどうなのかは関係ありません。ですがここはシュルームですので、シュルームの法に従っていただきます。当領地では特別な事情がない限り、未成年者への不動産譲渡は出来ません。受け取る側が未熟な子どもであることで、周囲の人間に財産などが搾取されるようなことが無いように、という理由があってのことです」
ユーリアは現在十七歳。誕生日は秋にやってくるが、正式に成人として扱われるのは年が改まった来年からだ。
「それに……ベルさんが来年に成人を迎えたとして、書面上の譲渡はともかく、彼女一人で店を切り盛りすることはお勧めできません」
「どうして、ですか?」
『ユーリアにはできないっていうのか、このメガネやくにんめ!』
ユーリアの頭に乗ったトワの言葉を完全に無視して、文官はヘッセルの店がある地域の地図をカウンターに広げた。
「ここが現在、店舗のある場所です」
指でヘッセルの魔法紙店のある場所を丸くなぞる。
「そして、通りを二本挟んだここは……歓楽街への入り口になります。正直に申し上げますと、あまり治安がいいとは言えませんし、気の荒い者が出入りする場でもあります。ヘッセルさんの店は魔法紙を多数扱いますから、冒険者が大勢来ますよね?」
「もちろんじゃとも」
「歓楽街からほど近い場所で、荒っぽい冒険検車が複数出入りする……若くて美しい女性が一人で運営している魔法紙店。店が目を付けられる可能性は、残念ながら高いと言わざるを得ません」
治癒系の魔法紙を専門に扱うパシュの店に関しては、目を付けられる可能性がかなり低いのだと説明を受けた。店のある場所が歓楽街からかなり離れていること、客層は領民が冒険者よりも圧倒的に多いこと、そして最大の理由が……パシュの夫が二つ名持ちのA級冒険者であるからだ。
長身で筋肉モリモリのマッチョなA級冒険者が夫としている店だからこそ、パシュも弟子である女の子たちも平穏無事なのだとの説明に、ユーリアは激しく納得した。
「ベルさんが成人後に店舗の譲渡変更は可能です。可能ではありますが、防犯上のことと魔法紙店としての実績のことも考えて……しばらくはヘッセルさんとの共同経営を推奨いたします。現在、騎士団に卸していただいている魔法紙もヘッセルさんだからお願いしております。いきなりベルさんが描いた魔法紙を受け入れることは、現状難しい。ベルさんには実績がありませんからね」
「それは……すみません」
ジークハルトもそう言っていた、騎士団への魔法紙の納品はヘッセルの実力が認められているからこそ。実力のほどが不明なユーリアの魔法紙をすぐに受け入れることは、騎士団側としては受け入れられない。
「謝る必要はありません、誰でも独立したばかりのときは実績などありませんから。実績はこれから積み上げればいいのです」
「は、はい」
「こちらとしても、ヘッセルさんが永久に魔法紙を描いて下さるとは思っておりません。ベルさんが後を継いで下さることは歓迎します、むしろ大歓迎です。ですから、ベルさんが実績を積んでいる間に、可能ならば冒険者か騎士か魔法使いの恋人を作り、結婚されるといいでしょう」
「うーむ、実績のぅ。そうは言っても、儂ももうジジィじゃぞ。いつまでも生きてはおられん」
文官は肩を竦め、眼鏡を再び押し上げると「それは、まあ、気合で」と苦笑いを浮かべた。
「気合でどうにかなるんなら、どうにかしとるわい! ええい、もうよいわ! 儂が誰も文句を言えぬほどユーリアの実績を山のように積みあげて、理想の夫を見つけて、孫の子守りまで引き受けてやるわい!」
『ちょっとまつのだ! ユーリアのムコになるオトコは、オレサマがみとめたオトコだけなのだ。 そこらへんのぼうけんしゃやきしなんてみとめないのだっ、じぃさんがかってにきめるのはゆるさないのだー!』
「なにおぅ!? チビ妖精の癖に生意気な!」
ヘッセルにトワが加わって、役場は一気に騒がしくなる。
「……」
自分の夫どうこうは横に置いておいて、まずは魔法の勉強をしながらヘッセルに店の経営の何たるかを指導して貰い、魔法紙師として頑張るしかないのだということを理解した。
シュルーム領都という大きな街で自分の店を持ち、〝巻紙ならユーリア・ベルだ〟と皆に思って貰えるように。
「ベルさん、頑張ってください。期待していますよ」
「……はい」
ユーリアは笑って返事をした。
いつもは静かな役場に賑やかな声が響く。
気難しいと有名な老魔法紙師と、最近一人前になったばかりの若い半精霊の魔法紙師という年齢も考えも魔法紙の流派も違う二人が共に動き出すという。
彼らと口煩いオトモ妖精がこれからどんな成長を見せるのか、この場にいた全員が彼らのこの先に期待を寄せていた。
――きっと、よい結果になるだろう……と。
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