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アンデ素材店の一階奥、居間と食堂を兼ねたスペースと庭に続くウッドテラスを解放すると広いスペースが出来上がる。そこに大きなテーブルを並べ、可愛らしい柄のテーブルクロスが敷かれて料理が並ぶ。
シュルーム領都名物のポテトパイ、ボイルしたハーブとチーズの入ったソーセージ、きゅうりやにんじん、豆などをドレッシングと共に混ぜ込んだチョップドサラダ、皮をパリッと焼いたチキンソテー、小エビのオイル漬け焼きなどの大皿料理だ。
ルビーの祖父であるベンヤミンの「ユーリアの無事と成長を祝して」という音頭でささやかな夕食会は始まった。
果実酒、果実ジュース、数種類のお茶と飲み物も複数用意されていて、それぞれが料理を皿にとりわけ、好みの飲み物を口にする。
気取ったことなど何もない、いつもの食事時間に少しばかり豪華な料理を用意して友人を招いた食事会は穏やかで楽しい雰囲気が流れていた。
ユーリアは庭へ続くウッドテラスに近いソファ席に座り、ルビーの祖母の味だというきのこ入りのポテトパイと、甘酸っぱい果実ジュースを味わう。
お店で食べたポテトパイとは違って、マッシュされたポテトのキメは荒いしベーコンも少し焦げている。でも、お店のパイよりもコクがあって美味しく感じるのは、代々受け継がれながら家族のためにと改良されてきたからだろう。
「……ユーリア、少しいいかね」
ソファの向いに座ったのはヘッセルだった。
手にはソーセージと小エビのオイル焼きを乗せた皿と、ヘッセル用に用意されていたセイシュを持っている。
「どうぞ」
「今日は声を掛けてくれてありがとう。こんなに賑やかで楽しくて、美味しい食事は久方ぶりじゃ」
ユーリアは料理の乗る皿をテーブルに戻して、ヘッセルと向き合い頭を下げた。
「その、すみませんでした。ご迷惑と心配とかけてしまって」
「いいや、謝らねばならんのはワシじゃな。お嬢ちゃんを危険に晒すつもりは全くなかったんじゃが、ファビアンの捜索を頼むということは〝蒼羽の森〟に関わらずに済む話ではなかった」
ファビアンの行方に関しては、〝蒼羽の森〟で……という説が最も多く出ていた。当然、ユーリアがその話を聞いて〝蒼羽の森〟に行くことは想像できることだった。
「この街に長く暮らしている者ならば、あの森に行くことは難しくない。そのための知識も装備の用意もあるでな。じゃが、お嬢さんはこの街に来たばかりで、魔獣の暮らす地域とは遠い所に暮らしていたのじゃから……ワシらにとっては当然のことも知らぬじゃろう」
ヘッセルはユーリアに深く頭を下げた。
「すまんかった」
慌てたユーリアはヘッセルの肩に手を置き「頭をあげて下さい!」と言った。その声に、ヘッセルはゆっくりと頭をあげ、ソファに座り直す。
「ファビアンの行方を知りたい……とは言っても、あいつはもう生きてはおらんじゃろうとワシは思っておった。ただ、ワシが気持ちを整理し息子の死を受け入れる切っ掛けが欲しかっただけなんじゃ」
「……ヘッセルさん」
「その切っ掛けをユーリアに作って欲しかったんだったら、ヘッセル老のあの店をユーリアに譲るって話は嘘なのか?」
そう言ってユーリアの隣に座ったのはジークハルトだ。
手に持っていたワインの入ったグラスをテーブルに置くと、色の濃い赤い酒が揺れる。
「嘘じゃないわい、ワシは自分の言った言葉に責任を持つ」
「じゃあ、約束通りあの店をユーリアに?」
ヘッセルはジークハルトとユーリアの顔を見ると、大きく頷いた。
「お嬢ちゃんがファビアンの行方を捜してくれる、……けれど見つけることは出来ないじゃろう。半年ほどでお嬢ちゃんに見つかったかを訊ね、〝見つからない〟という言葉を貰ってファビアンは死んだのだと認めるつもりじゃった。中身はないが息子の墓を作って、お嬢ちゃんに店を譲る、それが終わったらワシはどこかのどかで温泉のある街にでも移住しよう、そう考えておった」
ヘッセルの皺だらけの手がユーリアの手を優しく包む。
「じゃが、約束通りお嬢ちゃんはファビアンを見つけてくれた。あの墓の下には確かに息子が眠っておって、隣には妻子も眠っておる」
ユーリアが講習会を受けている間に、ヘッセルは息子ファビアンの遺体を引き取り彼の墓を作った。勿論、妻子の墓の隣だ。
「ありがとう、ユーリア。息子も息子の妻も、当然ワシも……感謝しておる」
ヘッセルの大きな手をユーリアは両手で包み返した。皺が多いし、指はペンだこだらけで、爪や行き先などインクに染まっている箇所もある。けれど、温かくて優しい手だと感じる。
「ファビアンさんを見つけることが出来て良かったです、偶然による部分が多いのですけれど……それもファビアンさんが導いてくれたんだと思います。それから、私の方からもありがとうございます」
「ユーリア?」
「ヘッセルさんが最初に私の不在に気付いて下さったと聞きました。私の巻き紙がギルドに出ていない、姿を見ていないとジークに言って下さったんだって。ありがとうございます、おかげで私は助かりました」
ヘッセルは首を何度も頷き、笑みを浮かべた。
「無事で本当に良かった、本当に良かったよ、ユーリア」
ユーリアが無事であったことを再度喜び、ヘッセルはセイシュを飲んだ。
ヘッセルが生きて来た時間の中で、今口に運んでいるセイシュは自分が妻と結婚したときに飲んだもの、息子が愛する女性と結婚したときに飲んだもの、その次くらいに甘く美味しく感じられた。
美味しいセイシュを飲んで酔い潰れたヘッセルの寝顔はとても穏やかで、それを見た全員が家族を失ったことへの区切りがヘッセルの中で本当に付いたのだ、そう思った。
二十年という時間をかけて、ようやくヘッセルは〝家族を亡くした事実を受け入れられない〟という暗い迷宮を抜けることが出来たのだ。
アンデ家の居間では、祖父のベンヤミンとヘッセルがそれぞれソファで寝入っている。ルビーが掛けた毛布を被って穏やかな寝息を立てており、アルコールも手伝って朝まで起きることはないだろう。
ルビーの姉一家と祖母は自室へ引き上げ、ルビーは食器やコップを台所へと運んでいる。
「ありがとう、ジーク」
ウッドテラスに作られた木製の手すりに体を預け、星を見ながらユーリアとジークハルトは並んで果実ジュースを飲んでいた。
大量に用意された美味しい食事を食べて二人ともお腹いっぱいだ。時折口に運ぶジュースの酸味が心地よく感じられる。
「ん?」
「私を探してくれて。突然いなくなった私を探し続けてくれたことも、今回探し出してくれたことも……ありがとう」
「今回のことは、どういたしまして。ずっとユーリアを探していたことは、俺がしたかったことだからお礼はいらないよ」
優しく微笑まれ、ユーリアは胸が大きく鼓動し顔が火照って来るのを感じた。
「そ、それでも、ありがとう。来てくれて、助かったし……嬉しかった」
赤くなる顔を隠すために、ユーリアは手すりの上に置いた籠の中で眠るオトモ妖精を撫でる。手に触れる羽の感触はふわふわと柔らかく、同時に魔力が通じ合うのを感じた。
ユーリアとひとつ命を分け合う小鳥の姿をしたオトモ妖精は〝蒼羽の森〟でいつの間にか姿を現したものの、籠の中でずっと眠り続けていて全く目を覚ます様子がない。
「……ユーリア」
ジークハルトは一歩横に足を動かし、ユーリアとの距離を詰める。拳三つ分程開いていた距離は、拳一つ分程になった。
「ジーク」
そしてもう一歩近付こうとした瞬間、ジークハルトは顔に大きな衝撃を受けて大きくのけ反る。尻もちは辛うじてつかなかったものの、たたらを踏んで後ろへ下がった。
「な……!?」
額から鼻にかけて、ジンジンと痛む。
更なる衝撃が肩や腕、腹にあり、ジークハルトはどんどん後ろへ後退しユーリアから離れた。
「なにが……」
『テメェ、うちのムスメになにしようというのだ! ちかい! はなれるのだ!』
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