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「じゃあ、ユーリアちゃんは突発的な思い付きで〝蒼羽の森〟に入ったんだね?」
「……はい」
「街歩きをする服装と装備のまま、誰にもなにも言わずに、領都に隅っこにある墓地の柵を乗り越えて」
「……はい」
室内に沈黙が満ち、その後〝……ハァ〟という呆れを含んだ大きなため息が零れた。
「あのね、ユーリアちゃん。〝蒼羽の森〟は確かに冒険者になって日の浅い人、一般的に初心者って言われるランクの人たちが多く行く場所だよ。騎士学校の一年生たちが訓練しに来たり、一泊二日冒険者体験とかいう遊びが行われたりもする場所だ」
「……はい」
シュルーム領所属の精霊騎士、デニス・クラッセンの言葉を聞きながら、ユーリアは体を小さく縮こませる。言葉のひとつひとつが耳に痛い。
「初心者が行く森ではあるけれどね、あの森には魔獣が暮らしてるんだよ。人を襲わない種類も多くいるけど、人を見れば襲って来るような危険な魔獣もいるわけ。そんな所に装備不足で入るなんてとんでもないことだし、無謀なことだって……それは、分かるよね?」
「はい。すみませんでした」
ユーリアは深々と頭を下げた。
たまたまトカゲ魔獣のミドリオオトカゲにしか遭遇しなかったけれど、〝蒼羽の森〟には亜人である小鬼や大鬼や剛鬼、魔獣と呼ばれるオオワシ魔獣のアカオオワシ、トラ魔獣のシマオオトラなど人を襲う危険な生物が沢山生息しており、ユーリアはいつその手の魔獣といつ遭遇してもおかしくない状況だったのだ。
「今回、大したケガもなく見つけられたのはかなり幸運だったんだ」
「はい」
「この街は〝蒼羽の森〟と隣接していて、森と共に生活していくのが当たり前なんだよ。他所から来たばかりのユーリアちゃんは知らなかったんだと思う。でも、ここで暮らして行くのなら知らないじゃあ済まない。魔獣はそういう所、区別しないからね? ベテラン冒険者でも、新米冒険者でも、戦う術の無い商人や学生、主婦、子どもでも、魔獣にとってはみんな同じだから」
シュルーム領立南診療所、その片隅にある『相談室』にこの街で生まれ育った者ならば、初等学校に通う前の幼子が親から口を酸っぱくして言われるような内容が響く。
魔獣が暮らす場所は豊かな場所だ、自然や資源に溢れ、魔力に満ちている。だからその豊かさに惹かれて人々は危険を承知で魔獣が暮らす場所の近くに生活場所を設けた。周辺地域に暮らしている人たちにとって、魔獣と共に暮らす基本は幼い頃から叩き込まれる、それが当たり前なのだ。
「ユーリアちゃんには、冒険者ギルドで基礎講習と初級講習を受けて貰うよ。ちゃんと受講して、ここでの暮らし方を勉強してね」
「はい。その、助けて下さってありがとうございました。ご迷惑おかけして、すみませんでした」
「……本当に、無事で良かったよ。お礼は俺じゃなくて、ジークに言ってやって? 実際、キミを探して助けたのはあいつだから。あと、巻紙屋のじいさん」
「え?」
「巻紙屋のじいさんがキミの姿が見えない、キミが描いた巻紙がギルドに並んでないって言いだしたんだって。それで、あいつがキミの様子を見に行って、いないってことが分かったんだよ」
「ヘッセルさんが……」
まだこの領都に来て日が浅いユーリアにとっては、ジークハルトともヘッセルとも付き合いは短い。それでも、自分のことを気にかけて実際に探してくれたことは素直にありがたいと感じた。
「お邪魔しますよ」
ノックの音と共に精霊騎士の制服を着た男が入って来た、手に小さな籠を持って。
「ユーリア・ベルさん、本当に無事で良かったです。自分はシュルーム領所属の精霊騎士、クラウス・カペルと言います」
「あの、ご迷惑をおかけしました」
「これからは無茶しないようにして下さいね? 〝蒼羽の森〟へ行きたいときは、冒険者の護衛を雇って事前準備をしっかりしてから、ですよ」
「はい」
会う人全員に同じことを注意される。
ユーリアはいかに自分が考えなしで行動してしまったのか、その結果大勢の人に心配や迷惑をかけたかを思い知らされた。叱られるのは辛いが、仕方がないことだと素直に頭をさげる。
きっとこれはしばらく続くことだろう。
「こちらを」
クラウスは手にしていた籠をテーブルに置き、ユーリアの前へとそっと押しやった。
籠の中には柔らかそうなタオルが敷き詰められていて、その中でまん丸としか表現しようのない小鳥の姿をした妖精が眠っている。
「……この、妖精は?」
ユーリアが訊ねれば、デニスとクラウスは顔を見合わせて二人して肩を竦めた。
「多分だけど、キミのオトモ妖精、だね」
「え……ええ!? 私の、ですか?」
「そう。キミにはオトモ妖精はいないというお話でしたけど、キミが生きている以上オトモ妖精は存在してるはずなのです。ですから、この子がそうだと思います」
クラウスの説明にユーリアは首を傾げるしかなかった。
ユーリアが領都の施設に来たときにはもうオトモ妖精の姿はなく、今まで会ったことも気配すら感じたことがなかったのだ。
他の半精霊たちには居るひとつの命を分けあうオトモ妖精。
猫や犬といった見慣れた姿をしていたり、魚やクラゲといった海の生き物の姿をしていたり、小さな羽を持った妖精のような姿をしていたり……それぞれの属性に沿った様々な姿をしていたけれど、みな自分の半身である半精霊と仲良く寄り添っていた。
ユーリアはそれが羨ましかったことを覚えている。
自分にも一緒にいてくれる妖精が居るはずなのだ。施設でどんなに馬鹿にされていじめられても、ひとりぼっちでなければ、話しを聞いてくれる妖精が居てくれたら……と何度も思った。
でも、いつしかそれは諦めに変わった。ユーリアにはオトモ妖精はいない、いくら願っても望んでもいなかったから。
無い物ねだりをしても仕方がないのだと、諦めて……そして、いないのが当たり前だと時間をかけてここまで来たのだ。
「……」
「一応、専門の医師に診て貰ったのですが、冬眠状態に入っているだけで体に異常はないそうです。ですから、あなたの所へお戻しします」
手を伸ばして、籠の中で眠っているオトモ妖精に触れると羽毛のふわふわとした感触と生き物の温かさがユーリアに伝わって来る。それと同時に、ユーリアとこの妖精が繋がっていることが感じられた……ひとつの命を共有しているからこそ感じる命の繋がり。
「この妖精を見つけて保護したのも、ジークなのですよ」
「……え、あ。そうなんですね」
ジークハルト・ブライトナー、彼との関係はユーリアにとって落ち着かないことばかりだ。
彼と一緒に居ると自分の中にある何かがざわざわとして、叫びだしたくなるような気分になる。そして、夢に見た少年の姿が彼と重なって見えて仕方がなかった。
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