26
あからさまに人の手によって作られてはいた神殿のような場所は、朽ちていた。
正確な長方形に切り出された真っ白い石が円形に敷き並べられ、その周りには水が満たされている。敷石、水、敷石、水と三重に外に向かって広がるようにデザインされていて、中央にある何かの像の正面にだけ通路が作られていた。
白い滑らかな石で出来ているらしい像は風雨に晒されて削られ、なんの像だったのかさっぱり分からない。ユーリアの目には溶けかかった棒付きのミルクアイスのようにしか見えないけれど、信仰の対象であったのだろう……足元には祭壇らしいものが作られている。
それと同時に何らかの力が働いているようにも感じた。
「……古代の遺跡的な?」
魔力で出来た壁が消え、使用済みとなった魔法紙が燃えてなくなる。
不思議なことに使用された魔法紙は燃えてなくなる、灰のひとつも残さないのだ。ユーリアはどうして何も残さずに魔法紙が燃え尽きてしまうのか、幼い頃からとても不思議に思っている。
師匠にそれを訊ねたけれど「分からない、そういうものだとしか言いようがない」と返された。師匠でも分からないことがあるのだと思ったと同時に、誰でも使う身近な魔道具である魔法紙にも解明されていない部分があるのだなとユーリアは思ったのだ。
ユーリアはゆっくりと像に近付き、水の入った部分を確認する。本音で言うのなら、この水の中に飛び込みたいくらいなのだが……飲める水であるのかは確認しなくてはいけない。
像の周囲に作られた小さなお濠のような水場にある水は、透き通っていて底にある白い敷石の数が数えられそうなほどだ。さらに排水設備があるのか、魔道具なのかは分からないけれどゆっくりと水は循環しているらしい。
両手で水を掬い口に運ぶ。口の中から喉を抜ける水は冷たくて、甘い。両手に水を掬って何度も気が済むまで飲む。乾いた砂に水が染み入るように、ユーリアの体の隅々にまで水がしみわたっていくのを冗談ではなく感じた。
人の七割が水で出来ていると何かの本で読んだときは「嘘だぁ」と思ったけれど、きっと正しかったんだなとユーリアは今更ながらに反省する。
「……ぷはっ」
水を飲み、落ち着いた所でユーリアは目の前にある像と向き合った。やっぱり、溶けかかった棒付きのミルクアイスのようにしか見えなかったけれど、この水のお陰で命を繋いだのだ。感謝の礼を捧げる、〝命の水をありがとうございます〟と。
感謝を捧げた後、鞄の中にある皮水筒に水を補充する。皮水筒を水の中へ沈めれば、ポコポコと皮の中にある空気を吐き出し、代わりに水を飲み込んでいく。
小さく萎んでいた皮水筒が水でパンパンに膨らんで、それを鞄の中に仕舞い込み顔を上げた瞬間……目に入り込んで来た物に対して、ユーリアは声にならない悲鳴をあげその場に尻もちをついた。
「…………っ!!」
そこには人の骨があった。
うつ伏せに倒れ、右手を伸ばした体勢だ。オリーブグリーンのスボン、黒い皮製のブーツ、ベージュのシャツにこげ茶色の上着姿だが、服や靴は風雨に晒されたせいかボロボロで骨に引っかかっているという状態になっている。ここで倒れて亡くなって、随分時間が経っているのだろう。
「……」
ここは冒険者が入る蒼羽の森、冒険者が入って来ることは何も不思議ではない。ただユーリアが気になったのは、倒れている人物の服装が冒険者のそれではないことだった。
防具といったものを身に付けていないし、武器もない。服装も街中で暮らす庶民の男性がよく着ている服装そのままだ。
(こんな寂しい所で亡くなられてしまったなんて、気の毒な人。せめて、どこの誰なのか分かるものはないかな?)
ユーリアは人骨に近付き周囲の様子を伺う。
当然ながら骨になってしまっているので、顔は分からない。衣類も庶民ならば誰でも着るような品で個人の特定には繋がらない。他になにか個人特定に結びつくような品を持っていないか、鞄の類はないかと周囲を見渡す。
散々見渡した結果、黒い皮製のブーツの側に皮製の鞄があり、左手首には伴侶とお揃いで作る結婚腕輪、伸ばした右手人差し指の先には、何かを描きかけた跡があることが分かった。
「……失礼します」
足元にある鞄に手を伸ばし、中を確認する。長い時間風雨に晒されていた皮鞄は傷んでいて、力加減を間違えたら破れてしまいそうなほどもろくなっていたため、慎重に中身を取り出す。
硬貨の入っている皮財布、折れてしまっている携帯型のガラスペンと空になったインク壺、皺くちゃになり汚れた無地の魔法紙、雨に濡れてボロボロになり中身が読めない手帳、幸運を表す鳥の羽の刺繍が入った黄ばんだハンカチ。
身元特定に繋がりそうなものは手帳だけれど、中身の文字は雨で滲み汚れて読むことは出来なかった。けれどユーリアはガラスペンにインク、無地の魔法紙が入っていた時点でこの倒れている人物が探していた人ではないか、と思った。
この荷物と左手首にある結婚腕輪で、確認が取れるだろう。
出来ることなら、遺骨も遺品も全て揃えて帰宅させたい。けれど今のユーリアには術も道具もなく……仕方がなく結婚腕輪を抜き取り預かることにする。
「少しの間お借りします。必ず迎えに来てお返しするので、お許し下さい」
左腕から結婚腕輪を抜き取る。
ファビアンであろう人物の結婚腕輪は金属製で、中心に薄い青色の天然石が一つ埋め込まれている。腕輪の裏面には結婚したであろう日付が刻まれていた。
国によって風習は違うけれど、ここオルダール国では結婚の証として揃いの腕輪をすることが一般的だ。金属で作られたもの、天然石で作られたもの、皮を編み込んで作られたものなど素材や形は様々あるけれど、結婚する二人でデザインや素材を相談して決め、専門の職人に作って貰う世界で二つしかない品なのだ。
ユーリアは結婚腕輪を自分のハンカチに包み、鞄の中へ仕舞う。そして、右手の指先にある描きかけの跡に視線を移した。
「何かやっていたのかな? ここ、祭壇とか祈り場みたいだし」
見れば、像を中心に円形に敷き詰められた白い敷石、その一番外側にある石に魔法陣の一部らしいものが描かれていた。魔法紙に描く魔法陣に似ているけれど、陣の組み合わせが違っていてユーリアには理解が出来ない。
「なに、これ?」
魔法陣らしいものにユーリアが触れた瞬間、体の中の魔力が勢いよく吸い取られる感覚がした。自分の意思で魔力を流すのではなく、強引に吸い上げられる感覚だ。しかも、大量の魔力を一気に抜かれる。
「きゃあ……ああ!」
慌てて手を引っ込めるも魔力が抜かれる感覚がなくならず、ユーリアは後ろへ転がるように下がった。魔法陣の一部らしきものから距離が離れた所で、ブツリと断ち切られるように魔力の吸い上げは止まる。
心臓が早くかつ大きく鼓動し、全身から汗が噴き出した。
「なんなの、ここ」
ユーリアの独り言に応えるように、大きな魔法陣らしきものが起動し薄黄色の光がとろけたミルクアイスのような像を中心に溢れる。薄黄色の光はなんらかの力を持っているようで、地面が小刻みに振動し周囲の木々を揺らした。
魔法陣らしきものが像を中心に高まる力を練り上げ、破裂する。
そんな感覚が頂点に達したとき、力の中心にあった像に大きくな亀裂が入り、割れて、砕けて、地面に落下した。中心にあった像が壊れてしまったことで練り上げられていた力は解放され、薄黄色の光を放ちながら周囲に散って徐々に消えていく。
「……」
ユーリアが触れたことで魔法陣らしいものが起動したが、魔法陣らしいものが不完全であったこと(どう見ても描きかけであった)力の中心にあった像が劣化しており、力の維持に耐えきれず壊れてしまったことが原因で不発に終わったようだった。
ユーリアはその場に座り直し、大きく息を吐いた。
なにがなんだか分からない。
ただ、ファビアンの妻子が眠るお墓へ流れ込んでいたとぎれとぎれの魔力の元がここで発生していたものだろうことは分かった。もしこの魔法陣らしいものが発動していたら、どんな現象が起きていたかは不明のままだ。
「……まあ、考えても仕方がないか。無駄なことを考えるのはやめよう」
目の前の異変は収まったようでひと安心だ、原因は分からないしユーリアは昔の遺跡関係は素人で分からないのだから。それよりも、もうじきやって来る夜を安全に過ごす方法を考え、明日の朝になったら街に向かい、無事に鞄の中にある結婚腕輪をヘッセルに届ける方が大事なことだ。
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