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(ま、まずいまずいまずいますいよ)
ユーリアは大きな岩の陰に体を隠し、両手で口を押えて漏れそうになる声を抑え込んだ。深呼吸を繰り返し、うっかり声が出ないくらいに落ち着きを取り戻してから岩陰から顔を少しだけ出す。
視線の先は洞窟の出口。ユーリアが滑落した先にあった空洞は洞窟の途中で、風の流れる方向へ歩いた結果外に出ることが出来た。
洞窟の外は開けた場所になっており、森の中を通ってろ過された綺麗な水が落ちる小さな滝、その水を受けて出来た小さな水場。綺麗な水のある場所に生える植物が沢山ある、休憩するのに持ってこいの場所になっていたのだ。
おかげで飲み水に困ることはないし、そのまま食べることの出来る果実も複数見つけることが出来たことは、ユーリアにとって幸運でしかない。
洞窟を出たユーリアは水を飲み、小さな皮水筒に水を補給して果物を収穫し、一度領とへ帰ろうと思った。ファビアンの妻子が眠る墓に流れ込んでくる魔力の源は気にかかるけれど、これ以上の探索は危険だと判断したからだ。
次の探索はもっと準備を整え、冒険者ギルドで護衛を雇ってから出直そう、そう決めた。
ただ、綺麗な水に植物が沢山生える静かな場所に身を隠せる洞窟付き……となれば、森に暮らす魔獣にとっても暮らすのに持ってこいの場所でもある。
ユーリアが落ちた洞窟は、蒼羽の森に暮らす大型のトカゲ魔獣の巣でもあったのだ。
水場から出発しようとしたとき、地面が揺れて大きな魔獣の気配を感じたユーリアは慌てて洞窟出入口にあった岩陰に隠れたのだ。
現れたのは大きなトカゲの魔獣、ミドリオオトカゲ。緑と黄緑色の鱗を持ち、黒くて長く鋭い爪が四本の手から生えてて、太い尻尾の先にも硬そうな棘が何本も見えた。当然口には小さく細かいが尖った牙がズラリと並んでいて、まるでノコギリのようだ。
(あんなのと遭遇する予定はなかったんですけど!?)
ミドリオオトカゲは水場にまでやって来ると、嬉々として水の中に滑り込む。
(どうしたらいいの……!?)
魔法紙師なのだから、と鞄の中にはユーリア自作の魔法紙が数枚入っている。
攻撃魔法紙が二枚、火炎魔法と水魔法がそれぞれ一枚ずつ。防御魔法紙は人ひとりを覆う透明な壁を作り出して、物理攻撃を防いでくれる、それに傷を癒す回復魔法紙が三枚。
とても手持ちの魔法紙で倒せるとは思えない。
ミドリオオトカゲは水浴びが大好きらしく、水の中から出てこようとはしない所を見ると水属性であるようだ。水魔法に効果は望めないし、炎魔法は効果が薄そうと思われる。雷魔法か土魔法での攻撃が有効だが、ユーリアの手持ち魔法紙にはないし、ユーリア自身は魔法が使えない。
魔獣が水場から出て来ないお陰で襲われずには済んでいるけれど、水も飲めないし果物も収穫出来ない。ユーリアは身動きが取れなくなってしまった。
ユーリアが洞窟から出て来たとき、あの魔獣はいなかった。ということは、この場所から離れることがあるということだ。
(狩りに出かけてくれるのを待つしかない……早く、出かけてよ!)
ユーリアはひっそりと、洞窟に入ってすぐ横にある小さな穴に身を隠した。トカゲ魔獣に見つかりませんように、と何度も何度も祈りながら。
* 〇 *
(お、お腹空いた……喉が渇いた……)
あれから二回夜が来て、三回目の夜が来ようとしている。ユーリアは乾き、飢えていた。
収穫した果物は食べきったし、皮水筒に入れた水も飲み切ってしまった。ミドリオオトカゲに気付かれない範囲で食べられそうな果実ももうない……このままでは乾いて死ぬ。
(そろそろ狩りに行かないの? お腹減らないの? 私はペッコペコなんだけど……)
そう念じてみるものの、ミドリオオトカゲは水辺でゆったりと寛いでいる。
水辺の周囲には熟れた赤い果実と紫色の小さな果実が沢山実っているのが見えているのだ、見えているのに手に入れられないもどかしさにユーリアはため息を零す。
今すぐ水辺に飛び込んで水を思いっきり飲んで、あの果物を口いっぱいに頬張りたい! しかし、緑色の憎いアンチクショーがそれを許してはくれないのだ。
やったら最後、緑の憎いアンチクショーのお腹が満たされることになるだろう……ユーリアという食事でもって。
(でも……どうにかしないと、このまま、死ぬ、かも?)
ユーリアは空腹と乾きを訴え続けるお腹を手で押さえながら、横穴の突き当りに背中を預けた。
人は水さえ飲めば何日か生きていられる、そんなことを何かの本で読んだ気がする。でも、それって何日だっけ? そんなことを考えながら目を閉じた。
「……?」
ユーリアは背中から風を感じた気がした。体を起こして手を伸ばし背後の壁に触れてみるけれど、そこには土の壁があるだけで穴など開いてはいない。左右の壁、天井になっている壁にも手を伸ばして触れてみるも硬い岩で出来ており風の通り道などなかった。けれど、ユーリアの背中側にある壁だけが柔らかめの土であることが分かった。
「ここだけ、土なんだ。背中に優しいと思ったぁ……」
再度ユーリアが土壁に背中を預けると、今度ははっきりと風が抜けてユーリアの頬を撫で、髪を揺らした。
「……」
風が抜けるということは、ユーリアの背中にあった土壁の向こうは空洞になっているらしい。この壁を崩すことが出来たのなら、あの緑の憎いアンチクショーを回避する別の道が開けるかもしれない。
ユーリアはそう思い、ゆっくり横穴を出ると水辺の様子を伺った。
蒼羽の森の中を流れて来た綺麗な水は小さな滝になって落ち、水辺にたっぷりと注いでいる。その水は澄んでいて、オレンジ色の夕日を反射してキラキラと輝いて見えた。その水の中に変わらず、緑色の大きなトカゲ魔獣はどっぷりと浸かっていて動く様子を見せない。
(ダメだ、あのトカゲが狩りに行く感じはない。もう一か八か賭けてみるしかない、かな)
鞄の中から防御魔法の魔法紙を取り出し、それを手に洞窟の横穴に戻る。横穴の奥にまで進むと、ユーリアは土壁の様子を確認する。やはり、左右と天井は岩だけれど奥だけは土だ。しかも、地面に比べたらとても柔らかい……地面と比べたらだが。
横穴は本来ここで終わりではなく、何かの事情で埋められているのか埋まってしまったのではないか、と予想が出来た。あくまでユーリアの予想でしかないため、間違っているかもしれない。
けれど、この横穴でミドリオオトカゲが狩りに出かけるのを待っているだけではどうにもならない。
いつになったら狩りに出かけるのか分からないのだから。
ユーリアは手にした魔法紙を丸めている蝋封を割った。くるりと丸くなっていた紙がほどけ、紙面に封じ込められていた魔力が魔法陣を通して展開される。
琥珀色の魔力がユーリアの周囲を包み込み、魔力で出来た壁として構築され横穴を無理やり押し広げる。ユーリアが移動すれば魔力の壁も移動し、ゴリゴリガリガリという重たい音をさせながら強度の低い土壁が崩れていく。
「……あら、まあ」
ボコン と大きな音がして横穴を抜けると、そこには古い神殿のような祈りの場が存在していた。
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