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「……お嬢ちゃんはどうしてるかのぅ?」
ヘッセルは乾燥台で乾いた魔法紙を再度確認すると、それをくるくると丸めて赤いリボンでとめた。
赤リボンの魔法紙が五個、青リボンの魔法紙が三個、緑リボンの魔法紙が十一個あるのを確認し、騎士団へ納品する品を入れている木箱へと放り込む。
「お嬢ちゃん? ああ、ユーリアのことですか」
ジークハルトはヘッセルに追加になった魔法紙の注文書を手渡す。作業場から手を伸ばして注文書を受け取り、その内容を確認したヘッセルは嫌そうに顔を歪めた。
「なんじゃい、やけに追加が多いな」
「すみません。この所蒼羽の森の魔獣が活発で、巻紙の使用頻度が高くなっているんですよ。なので、大変でしょうがヘッセル老には頑張って巻紙を量産していただいて……」
「お嬢ちゃんに頼もう、とは思わんのか?」
ヘッセルが言えば、ジークハルトはパクパクと口を動かしなにかを言いかけ、俯く。
「……自分の一存で他の魔法紙師に発注は出来ません。以前も言いましたが、巻紙の精度に対して彼女の社会的信頼がないからです。そもそも、自分は平の騎士ですからそんな権限ないですよ」
「儂ら魔法紙師は完全な徒弟制だ。一人前になった魔法紙師が弟子を取り、七年から十年くらいの時間をかけて一人前に育て上げる」
「……はあ、知っています」
突然始まったヘッセルの魔法紙師という職業に関する説明に、ジークハルトは首を傾げた。
「魔法紙師になるためには大変苦労する、だから弟子は一度に一人か二人だけだ。それも、必ず一人前になれるかどうかは不明だ」
「厳しいんですね」
「そうだ、厳しいのだ! お嬢ちゃんは魔法紙アヒレス流を修め、師より一人前と認められた正式な魔法紙師だ。女だから、若いから、独り立ちしたばかりで経験がないから、そんな理由で半人前扱いするでないぞ。無礼だ」
「そんな……ことは……」
そんなつもりはない、そう言い切ることが出来ずジークハルトは口を噤んだ。何故なら、ヘッセルの言う通り心のどこかで〝まだ十七歳の女の子が描く巻紙なんか〟と思う自分がいたからだ。
「……最近、お嬢ちゃんの描いた魔法紙も見ない、数日前までは魔道具ギルドで売られていたというのに。本人の姿も見かけん。まさかとは思うが、体の具合が悪くて寝込んでいるとかじゃないだろうな?」
「知りませんよ! ユーリアはアンデ素材店の二階に下宿していて、アンデ一家と一緒に暮らしているようなもんです。具合が悪くなったとしても看病してくれる人がいま……す、よ」
ふと街中を警邏しているときのことをジークハルトは思い出す。アンデ素材店はこの街では歴史が長い店で、扱う素材種が多いことで有名な店で通っている。その為顔馴染みの利用客が多く、量がある程度まとまっている場合は配達も請け負っていてそちらを利用している客も多い。
アンデ素材店の前をジークハルトが警邏中に通ったのは昨日のことだ。運が良ければ店の手伝いをしているユーリアの姿を見かけることが出来るので、ジークハルトは素材店をよく見ている。
ユーリアが客の相手をしていたり、店の前を掃除していたりする姿が見えた日は嬉しくて幸運だったと思うのだ。
昨日、アンデ素材店は開いていなかった。店が開いていなければ、ユーリアの姿は見られない。だから不審者の存在や異常がないかを確認して視線は別の店に移った。
確か店は木製の戸が閉まったままになっていて、そこに一枚の紙が貼りつけられていたのを覚えている。何かを知らせる内容、恐らくは臨時休業のお知らせが書かれていたのだろう。
「今、アンデ素材店は臨時休業中なので、巻紙をか……」
「それならお嬢ちゃんは店番する必要もない、魔法紙描き放題だろう。そもそも、お嬢ちゃんは素材屋の売り子じゃない。魔法紙師だ。店番がないのなら魔法紙を描いて、ギルドへ納品するだろうに……」
ヘッセルの目がジークハルトを見つめる。その目は鋭く、否定を許さない力強さがあった。
「……分かりましたよ、まずはユーリアの様子を見て来ます。巻紙の騎士団への納品については、ヘッセル老から団長か領主様に言って下さいよ。自分からそこは言えることじゃないので」
ジークハルトがそう言えば、ヘッセルは顎ヒゲを扱きながら「そうだな、儂から進言するのがよいか」と呟きながら首を縦に振った。
「よし、それじゃあお嬢ちゃんの様子を見て来てくれ」
「え!? 今からですか?」
「構わんだろう? どうせ、追加以外の分の巻紙は持って行くんじゃろ。……あと三枚ほど描かねばならんからな。ここでボンヤリ描きあがるのを待ってるのなら、アンデ素材店に行って様子を見てきてくれ」
ガラスペンを持った手がジークハルトを追い払うように動き、そしてヘッセルは真新しい紙を取り出してガラスペンにインクを含ませた。
確かに、ヘッセルからは頼んでいた分の魔法紙を受け取るつもりであったから、描きあがるまで店で時間を潰す予定だったのだ。その時間を使ってアンデ素材店に行って来ることは特に問題にはならない。
「さっさと行かんか」
「……分かりましたよ。その代わり、戻って来るまでに描き上げておいて下さいよ!」
「努力はしよう。最近は魔力消費と手の震えが酷くてのぅ……どこかの鬼畜騎士団が九十も過ぎた老人である儂に魔法紙を描け~描け~と言って来て地獄のようじゃわい。辛いのぅ、辛いのぅ」
泣き言のような嫌味のような言葉を背に、ジークハルトはヘッセルの店を出た。
確かにヘッセルは九十歳を幾つか越えた老人には違いないが、まだ足腰はしっかりしているし頭の方もはっきりしている、騎士団が注文する魔法紙を描き上げるだけの魔力もある。明日明後日にヘッセルが魔法紙を描けないような状況になるとは思えない。
しかしながら永遠に描き続けられるわけはなく、残りの時間がそう長くないだろうことはジークハルトも理解出来る。
ヘッセルの後を継いで魔法紙を描いてくれる魔法紙師が騎士団にもこの街にも必要だ。
「俺だって、ユーリアが描いてくれるんなら……」
ヘッセルの元に魔法紙の注文と商品の受け取りに通うよりも、ユーリアの元へ通う方が良いに決まっている。
ヘッセルの魔法紙店から、ユーリアが下宿している素材店はそんなに遠くはない。徒歩で行ける距離だ。ジークハルトは足早にアンデ素材店へと向かう。
ここ数日ジークハルトはユーリアの顔を見ていない。シュルーム領の精霊騎士であるジークハルトは日々忙しい、領主館の警備、街の警邏や要人警護は勿論、夜勤も当然ある。毎日の訓練も決まった量を熟さなくてはならず、いつもユーリアの顔を見ることは出来ないのだ。
しかし、今はヘッセルに頼まれたという理由を持って、堂々とユーリアを訪ねることが出来る。
アンデ素材店には、ユーリアと仲が良いルビーというマッチョでオネェな自称幼馴染がいて(自分の方が幼い頃仲良くしていた幼馴染なのだ!)近寄り難いのだが、今日は堂々と訪ねる理由がある。
そう思うとジークハルトの足取りは軽い。
細い道をくねくねと進み、アンデ素材店の前に出る。やはり、店の正面は木製の戸が閉められていて、開いた様子はない。
ジークハルトは戸に張り付けられている紙に書かれた【諸事情により数日お休み致します】の文字と、その下に書かれた休日期間を確認した。この張り紙の内容が事実なら、今日のどこかでアンデ家の人間が帰って来るはすだと思われた。
「……裏口、か?」
店の表は戸で閉め切られている為、人間の出入りは裏側になるだろう。
ジークハルトは店の脇道を抜け、裏側に回り込んだ。案の定、店の裏側には裏口の扉があり、扉の右横には呼び出し用のベルが付いている。
そのベルに触れると、素材店の中で〝リリンリリン〟と呼び出しベルの音が鳴っているのが聞こえる。だが、人がいる気配は全く感じられなかった。
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