20
「そうだなぁ、ファビアンは……真面目で優秀な巻紙屋、だ。オヤジのバーナードは堅物で頑固で難しい奴だが、お袋さん似なのか柔軟な考えが出来ていたな。魔力も多かったし、巻紙屋としての腕前も悪くなった」
「ヘッセルさんとの仲はどうでしたか?」
「悪くなかったよ。父親と息子で師匠と弟子、って二つの関係があの二人の間にはあったがその二つがぶつかることなく成立していた。店を開けたら師匠と弟子、店が終われは父親と息子って感じでな。だからバーナードが引退すれば、ファビアンがあの店を引き継ぐものだと思ってたよ」
「そうでしたか。では、ファビアンさんが行方不明になる理由はない?」
ベンヤミンは右手で顎を擦りながら、首を傾げた。
「……ファビアンが行方不明になったとき、確かあいつは四十歳くらいだったはずだ。そろそろ、ファビアンが主体になって店をやって行くんだろうって周囲は思ってたよ。ある出来事から五年が過ぎていたからな」
「ある、出来事?」
皿の上に乗った白いサカマントゥーを一つ取ると、ベンヤミンはそれを二つに割った。
豆を甘く煮込み、潰して作るコシアーンがぎっしりと中に詰まっている。コシアーンを包む生地には東方の酒が入っていて、食べると鼻に酒の香りが抜けるのだ。
「もう二十五年も前の話だから、話して聞かせるが……他所で言いふらしたりはしないでくれよ? ユーリアがそんなことするとは思っちゃいないがね」
「はい」
ベンヤミンは半分に割れたサカマントゥーを口に含み、ゆっくり食べた。
「ファビアンには嫁がいた、年が少し離れていたが幼馴染でな。互いに初恋相手だったらしいんだが、嫁は家の都合で別の男の所へ嫁に出された。結婚相手は親が決めるって所も多いからな、それは仕方がない。七年後、その子は嫁ぎ先から離縁されて出戻って来て……まだ嫁を貰ってなかったファビアンと縁付いたんだ」
娘の父親は出戻って来た娘の処遇に困っていたようで、ファビアンの申し出に喜んだらしい。まるで犬猫の子どもを譲るかのように、娘とファビアンの結婚を許した。
ファビアンが三十歳、娘が二十三歳。遠回りをしたけれど、初恋が実った形になったらしい。
「二人は睦まじかったよ、端から見てる俺たちもホッとしたしバーナードも嬉しそうだった。ファビアンが所帯を持ったことだし、巻紙屋も安泰だって皆話していた。なかなか子は授からなかったが、結婚して四年目に子が出来た」
「ヘッセルさんのお孫さん!」
「そう、初孫だ。周囲に者も皆大喜びさ、早く生まれて来いって楽しみにしていた。順調に腹の中で子どもは育って、来月には生まれるって頃に事故……いや、事件は起きた」
残り半分のサカントゥーを口に入れ、ベンヤミンはセーンチャを飲んだ。そして大きく息を吐いてユーリアを見た。
「ユーリアはここの東に森があるのを知ってるか?」
「はい、蒼羽の森、ですよね。冒険者がよく足を運んでいると聞きました」
「そうだ。蒼羽の森は豊かな森で、薬草も多く鉱石もよく取れる。素材として扱われる魔物も多種多様な種類が生息していて、大勢の冒険者が立ち入って依頼をこなす。騎士学校や魔法学校の訓練場所にも利用されて……大勢の人間がやって来るわけだ」
「はい」
「領都の東入口のすぐ横には道具屋がある、蒼羽の森に行く冒険者を相手にしてる小売りの店だ。バーナードはその店に魔法紙を卸してるんだが、その日はあいつびっくり腰になって動けなくて嫁が配達に行ったらしい。領都の中のことだし、バーナードの店から道具屋までは歩いて数分だ。嫁は大きな腹を抱えて出かけて行って、事故にあった」
ユーリアは息を飲んだ。
今現在、ヘッセルは一人暮らしだ。ファビアンは行方不明で、その妻も子どももいない。
「東出口付近にある店の子どもが馬車に轢かれそうになって、その子を庇って……嫁は馬車に轢かれた。馬車に乗っていたのは他領の高位貴族の息子で、蒼羽の森で冒険者ごっこがしたかったらしい。まあ、ごっこ遊びは好きにやったらいいんだが、奴らは自分たちの馬車で轢いて大ケガをさせたファビアンの嫁を見捨てて走り去った。冒険者ごっこの時間がなくなるって理由で」
「なんて、こと!」
「嫁はほとんど即死に近かったらしくて、治癒魔法紙の効果もなく……亡くなったよ、子どもも一緒に。シュルーム伯が事故を起こした貴族に抗議してくれたらしいんだが、相手は中央の高位貴族でな……こっちが平民階級ってのもあって、見舞金が送られてきただけで終わったようだ」
「では、その事故というか事件が……ファビアンさんが行方不明になった理由?」
ユーリアが訊ねるも、ベンヤミンは首を左右に振って否定した。
「それなら、嫁と子が亡くなってすぐ姿を消すはずだろう? だが、ファビアンが居なくなったのは五年後だ。行方不明になった理由、とは言い切れないんじゃないか?」
「あ、五年か……」
セーンチャの入ったカップを両手で包み、ユーリアは息を吐く。妻子を亡くす、辛い出来事だ。その辛さに耐えかねて……の傷心旅行や出奔ならば、五年も経ってからというのはおかしい気がした。それに、最悪の想像として妻子の後追いということも、五年も経ってから? と疑問になる。
「ううん。おじいさま、ファビアンさんが居なくなった理由について、おじいさまのお考えを聞かせて貰っても?」
「俺が見ていた限り、ファビアンは妻子を亡くしてからも仕事をしていたよ。上質な魔法紙を描き、道具屋やギルドに卸していた。心の内のことは誰にも分からんことだから、そうだとは言い切れない。だが、妻子のことは行方不明になった理由の一部にはなり得たかもしれないが、それが一番の理由ではないのではないかと……俺は思っているよ。街外れには墓もある、ファビアンが年老いたバーナードを置いて他の街に出て行ったとも考えにくい」
「そう、ですか」
「分からないんだよ、ユーリア。俺にはファビアンが行方不明になった理由が分からない。きっとバーナードもそうだろうし、あの一家に近かった者はみな分からないんだ」
皿に山盛りになったサカマントゥーは結局一つしか減ることはなく、結局ユーリアが「おやつに食べな」とベンヤミンから受け取った。
翌日、そのサカマントゥーは蒸かし直され、全てユーリアとルビーのお腹にしっかり収まったのだった。
お読み下さりありがとうございます。
評価、イイネ、ブックマークなどの応援をして下さった皆様、本当にありがとうございます。
頂いた応援が続き書くエネルギーになっております!