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「……なんだって? 魔術がかかってる、だって?」
ジークハルトを揺さぶるのをやめたクラウスは、デニスの言葉をオウムのように繰り返した。
「うん。ジーク、おまえも感じただろ? 風の精霊魔術の感じがあった」
「……いや、俺はなにも感じなかったが」
「本気か! おまえ、精霊騎士としての感覚が鈍ってるんじゃないのか?」
精霊騎士と呼ばれる者たちは、通常の魔力を使う魔術ではなく精霊と同じ魔術を使う。精霊魔術を使うことが出来る者が精霊騎士となるのだ。
それぞれ得意とする精霊魔術があり、デニスとジークハルトは風の精霊魔術を得意にしている。そのため、風の魔術に関しての感覚は鋭い……はずだ。
「ええ? でも、ユーリアに会ったとき、本当になにも感じなかったんだが」
「……まあまあ、コイツは探し人にようやく会えて舞い上がっちゃって、そんな所にまで気が回らなかったんだろうよ」
クラウスはようやく顔をあげたジークハルトの肩を掴み、再度揺さぶり始めた。
「でも、探し人ちゃんがなにか事情を抱えてるっぽいのも事実だろうからさ。これから交流して探し人ちゃんの事情を知って、手助けが必要なら手を貸してあげればいい」
ジークハルトを揺さぶる手を止め、そのまま緑が混じる髪をぐしゃぐしゃと乱す。当の本人は制服が着崩れたことも、髪がボサボサになったことも気にした様子がなく「ユーリアに魔術?」とブツブツ呟きながら自分の世界に入り込んで行ってしまった。
「……だめだこりゃ」
「ま、夜の哨戒までには元に戻るだろ」
クラウスとウルリヒのふたりは食堂備え付けのお茶をお代わりしに席を立ち、デニスはユーリアに感じた精霊魔術について思い出そうと頭をひねり、ジークハルトはひたすらユーリアのことを考えて自分の世界に閉じこもっていた。
* 〇 *
ユーリアの朝は早い。
起床して洗面と身支度を整えたら、眠る前に描き上げた魔法紙を丸めて蝋封を使って止めて発動前の状態に固定する。
魔法紙が出来上がれば、階下に降りてルビーの祖母と一緒に朝食を支度して全員でいただく。
ルビーの祖父母、姉夫婦、ルビーと自分を含め六人で食べる朝食は賑やかで、ユーリアの中にある家族とか家庭と言ったボヤッとした印象の言葉の意味がはっきりとしていく。
食事の片付けが終われば、仕事が始まる。
ルビーの姉、クラーラは三つ子をお腹に宿していて、産み月も近いために付き添いの祖母と共に病院へ。クラーラの夫は学校へ出勤し、祖父とルビーと三人で素材店を切りまわしていく。
店の周辺の掃除、店内の掃除と整頓、素材の補充、接客、配達、買い付け……など、思っていた以上に店は忙しい。魔法紙を描き上げる時間の捻出が難しいものの(結果夜中に描くことになる)珍しい素材を扱ったり、買い物にやって来た人との交流などは充実していて、なかなか楽しい毎日だ。
領都に出て来てあっという間にひと月が過ぎ、クラーラに陣痛がやってきて病院へ入院した。ここ二、三日中に産まれると聞けば、祖父母とクラーラの夫は仕事など手に就かなくなってしまい……素材店は店を閉め、ルビーの配達のみの営業となった。
「……まあ、楽って言えば楽なのよね。配達が終われば休みになるんだもの」
「無事に産まれるといいね」
「大丈夫よ、アタシの姉ですもの。それにこの所忙しかったから丁度いいわ、ユーリア、アンタ全然魔法紙描けてなかったでしょう? ゆっくり描くといいわ」
「うん。そろそろ、魔法紙師としても働きたいし……街の魔法紙師さんたちにも挨拶に行かないとだしね」
この領都に店を出している魔法紙師はふたりいる。どんな内容の魔法紙を売っているのか、店の場所などはギルドで聞いている。
新人が店を出すとき、流派が違っていても先輩に挨拶に出向くことは、業界で代々行われる決まりのようなものだ。
「あらやだ、まだ挨拶にも行けてなかったのね。こき使っちゃってごめんなさいね……店を手伝って貰って助かってるけど、ユーリアの邪魔をしたいわけじゃないの」
「分かってるって。それよりさ、手土産にお菓子でもって思うんだけど、どこかおすすめのお店はない? 焼き菓子とかチョコレート? それとも、果物とかの方がいい?」
「そうねぇ……」
焼き菓子が有名だという菓子店、果物を使った菓子が売りの店などを数店舗聞き出すと、ユーリアは配達に向かうルビーを見送ってから街へと繰り出した。
「まああ! ありがとう、とっても嬉しいわ!」
四大魔法紙流派のひとつ、ミューエ流は治癒魔法紙に特化した流派だ。傷の回復、マヒや毒の回復はもちろんのこと、痒み止めや咳止め、熱さまし、虫よけなどまで、冒険者や騎士だけでなく街に暮らす住民にも使われる魔法紙を描いている。
領都シュルームで魔法紙店〝パシュの回復巻紙店〟を営んで二十年、という中年の女性店主はユーリアの持って行った焼き菓子の詰め合わせを見て喜んだ。
全体的に白でまとめられた店内は清潔感がある。テーブルや椅子などの家具も白、魔法紙が乗せられた籠は淡い茶色で統一されている。
「うちは弟子が二人いるのだけれど、どちらも女の子だからこういう可愛いお菓子は大歓迎なの。本当に嬉しいわ、ありがとう」
「ありがとうございます!」
菓子の入った箱をまだ十五、六才の女の子が嬉しそうに受け取る。
「いえ、こちらこそどうぞよろしくお願いします」
ユーリアがこの街で魔法紙店を開きたい旨を伝えれば、歓迎された。ユーリアも治癒系の魔法紙を描くことは出来るけれど、ミューエ流は特化型なので単純に効果が高いだろう。
あまり治癒系の魔法紙は売れないだろうな、と判断する。
店内に並んだ魔法紙は、熱さましや頭痛、虫刺されなどが多く用意されているのを見れば、街の住民との信頼関係が結ばれているのが伺えた。
「それにしても、あなた、まだ若いのにもう一人前になったのね。すごいわ」
「いえ、弟子入りが早かっただけで……七年かかりました」
「まあ! そうだったのね、でも、頑張ったわ」
そう言って女性店主はユーリアの頭を撫でた。
よそのお弟子さんまでその褒め方なんですか? と魔法紙を買いに来ているお客さんは笑い、店内の空気は一層和んだ。
店内は落ち着いていて穏やかで、店主の雰囲気がよく出ている。ユーリアはどこか擽ったい気持ちになってから、〝パシュの回復魔法紙店〟を後にした。
挨拶に向かわなくてはいけない店はもう一店舗。そちらはオーベル流の魔法紙師の店で、老魔法紙師がひとりで営んでいると聞いている。
手土産をどうしようか、ユーリアは店が立ち並ぶ通りを歩きながら悩んだ。パシュの店は女性がやっていると聞いていたので、甘いものでとすぐに決まった。けれど、次に挨拶に向かう相手は老年に入った男性で、なにを好むのかが分からない。
「ううん、分からない」
甘いお菓子を好むか? それとも酒の方がいいか? それともタオルなどのちょっとした日用品の方がいいか? そんなことを考えながら、店をちらほら見ながら通りを歩く。
「…………ユーリア!」
「んあ!?」
腕を掴まれて、後ろに引かれる。ユーリアは体勢を崩したが、そのまま大きな体に支えられた。
「な、なにを突然?」
「市場街や商店街を歩くときは、足元もちゃんと見ないとダメだ」
言われるまま足元に視線を向ければ、そこには大きな陶器製の鉢があった。たっぷりと水が入り、丸い葉の水草が沢山浮かんでいる。
「あ、ありがとうございます」
そのまま歩いていたら、ユーリアは陶器の鉢を蹴飛ばしていただろう。鉢は割れたかもしれないし、水が零れて商品の水草を駄目にしてしまっていたかもしれない。
「領都は商品も人も多いから、慣れるまでは歩き難いかもしれないな」
「そう、ですね。騎士様、ありがとうございます」
ユーリアの知らないユーリアを知っている、かもしれない騎士ジークハルト・ブライトナーに対して再度お礼を述べるとユーリアは軽く頭を下げた。
「……ジークハルト、と。敬語もなしで」
「ですが」
「キミに子どもの頃の記憶がないことは承知している、当時のことを思い出して欲しいとも思っている。でも、思い出せなくてもいいんだ……ようやく再会出来たんだから、ここから新たに関係を築いても行きたい。だから……」
せめて友人として自分を認識して欲しい、ジークハルトはそう言ってユーリアの頭を上げさせる。その澄んだ緑色の瞳には、情と寂しさが浮かんで見えた。
「……分かりました、ではジークハルト様と。敬語などは、徐々に」
そうユーリアは言った。