10
ゆっくりと瞼を開けたユーリアの目に飛び込んで来たのは、抜けるように青い空と柔らかな新緑の林、そしてその向こうに見える灰色の城塞とその中にある街だった。
「あら、起きたの?」
「ごめん、寝ちゃった」
ユーリアはモルモットンの引く荷車を操るルビーの肩に凭れ掛かって、眠ってしまったらしかった。ルビーの体は大きく、体を預けると非常に安定する。安定が安心を呼び、眠気を誘った結果だった。
「いいわよぉ、色々あって精神的に疲れてるんでしょ。なんだか眉間に皺寄せて寝てたわ。そこ、皺にならないようにマッサージしておきなさいよ」
「あー、うん」
疲れていたから、子どもの頃の夢を見たのか。
ユーリアは凝り固まった眉間を指で解しながら、ため息をついた。
「もうじき到着するわよ! 領都に入ったら、まずは本店に行くからね」
「うん。あ、後でいいから魔導具ギルドの場所と、おすすめの宿屋か下宿を教えてくれない?」
ユーリアには領都に知人もないし、伝手もない。とりあえず宿を決め、領都のどこかで魔法紙屋を開く準備をしなければいけない。
「なーに言ってんのよ」
「なにって……」
「ギルドへは時間を見て案内するわ。でも宿や下宿は必要ないわよ」
「はあ? ルビー、あんた私に領都の路地隅で寝起きしろって言うの? この鬼畜筋肉ダルマが」
ルビーの素早いデコピンがユーリアの額に炸裂した。ビシンッという良い音が街道に響く。
「いだいっ」
「なに言ってんのよ、このトンチンカン娘が! アンデ素材店の上にある部屋、用意してるわよ。宿代だって領都じゃ馬鹿にならないんだからね」
「…………ルビー」
「食事もアタシたちと一緒だけど用意するわよ。食事と宿代の代わりに、姉のお産が終わって落ち着くまで店番したり、品出ししたりしてちょうだい。姉は病院に行ったり、おなかが重くて休んだりしていて手が回らないの」
三つ子の育つお腹、を想像してみるがどれだけ大きくなっているのか、ユーリアにはいまいち想像がつかない。お腹を大きくしたレヴェ村の女性たちを見たことはあったけれど、彼女たちのお腹にいた赤ちゃんはひとり。三人も入っているのでは、さぞ大きくて重たいことだろう。
「……ありがと、ルビー。やっぱりいい女ね。私、頑張るから」
食事と宿は正直なことを思えば、ありがたいのひと言に尽きる。
バルデルの弟子として仕事を学び働いて、数年前からはきっちりと給金を貰えるようにもなった。自立したときのことを考えて貯金をしてきたけれど、それでも貯金に余裕があるとは言えない。
無償で食事と宿を提供されるのは、いくらルビーと仲が良いと言っても気が引ける。けれど、店番や手伝いが対価だと言われれば気が楽だ。
「アタシはいつだっていい女よっ!」
その言葉に返事をするように、モルモットンが「ピピギーッ」と鳴き声をあげた。
「ユーリア、今頃気が付いたの? 酷いわぁ」
「ごめーん。ルビーの分厚い筋肉が立派過ぎて、なかなか気付けなかったの」
「ひ、酷いっ……!」
モルモットンの引く荷車はガタガタと揺れながら、新緑の林を抜け、分厚い城壁を潜ってシュルーム領の領都へと入った。
九年ぶりの領都は、ユーリアの記憶にある景色とは違っていたけれど、街のシンボルである時計塔と神殿、大きな領主館、少し埃っぽい匂いのする空気は変わりがなかった。
変わりのない部分にホッと安心して、いい思い出のない神殿にモヤリと嫌な気持ちが込みあげてきて、その双方が混じってとても妙な気持ちになった。
荷馬車は街一番の大通りを進み、葉の葉脈のように枝分かれしていく道を右へ左へと折れ曲がり、〝アンデ素材店〟に到着する。
こちらが本店だと聞いていた通り、レヴェ村の素材店よりも大きな店で取り扱う商品数も多い。この店をルビーの祖父母と身重の姉の三人で切り盛りするのは、大変だろうと思う。
「ようこそ、アンデ素材店シュルーム本店へ! ユーリア、あてにしてるんだからいっぱい手伝ってね!」
店の奥から出て来た老夫婦とお腹の大きな女性も、笑顔で「いらっしゃい、待ってたよ」とユーリアを迎えてくれて……胸の中にあった妙な気持ちが薄れて行くのを感じた。
「ユーリア・ベルです。どうぞ宜しくお願いします」
ユーリアは頭を深く下げた。
* 〇 *
ギルドという同業者組合は多岐に渡っている。
魔法紙というアイテムは魔道具という分類になり、ユーリアは領都の魔道具ギルドに足を運んだ。
赤い屋根の乗った搭状の建物で、一階に受付、二階にギルドマスターの執務室や打ち合わせ室などがあり、三階以上は関係者以外立ち入り禁止の部屋になる。
「ようこそ、魔道具ギルドへ」
黒色の制服を着た受付嬢は笑顔でユーリアを迎えてくれた。ギルド一階にあまり人の姿はなく、落ち着いた空気が流れている。
「ギルド登録をお願いします」
「はい、こちらの書類に記入をお願いします。それと、身分を証明するものと技術証明の提示を」
差し出された書類は答えていけば略歴書になる様式になっていた。神殿発行の身分証と、バルテルに貰った木製の盾が入ったケースを提出する。
「あの、この街で魔法紙店って……」
受付嬢に聞けば、現在の領都には魔法紙店が二件ある。
一件は中年の女性が営んでいて回復や解毒、マヒ治しなど治癒と美容に特化していて、攻撃系や防御系の魔法紙は扱いがない。
もう一件は齢九十歳を越える老人が独りで営んでおり、一日に数枚描き上げるのが限界という状況であるらしい。本人は引退したいのだけれど、老人に引退されては攻撃系の魔法紙の扱いがなくなってしまうため、ギルドが引き留めているという。
「ですから、お若い魔法紙師さん大歓迎です! ありがたいです! ようこそ領都へ!」
受付嬢に両手を握られ、ぶんぶんと上下に振られた。
歓迎の事情が事情なのだけれど、他の店と競合することをあまり考えなくてもよさそうで……最低でもギルドからは歓迎されているので、ユーリアは安心して手続きを済ませた。
「……さて、と! しばらくはルビーの店にお世話になって、店の手伝い。隙間時間で魔法紙を描いて、魔道具店とギルドに置かせて貰ってお金をもう少し……」
魔道具ギルドを出て、これから自分がやらなければいけないことを確認していると、背後から何かが近付いて来る気配がした。
それはユーリアが振り向く前に、ユーリアの左手首を勢いよく掴んで引っ張った。
「……!?」
「ユーリア! ユーリア・ベルッ」
声を荒げてユーリアの名を呼んだのは、白と黒の二色の制服に濃紺のショート丈のポンチョを纏った騎士だった。
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