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ちょっとしたオレストくんのはなし




 回廊をゆっくりと歩く。古めかしく、重々しい石造りの聖王道教会本部は、神聖な場所のはずなのだがあまり良い空気を感じない。

 元教皇が拘束された今、皆不安と混乱でいっぱいなのだ。組織への不信感、今後の不安、次期教皇を決める派閥争いの激化。水面下に押し込まれていた暗部が全部表層に現れてぐちゃぐちゃになっている。こんなときに本部に行く気などさらさら無かったのだが、呼び出されてしまったものは仕方ない。

 そういった権力闘争から外れ、多忙なだけの治療院勤務でいたはずのオレストは突然騎士団への出向を命じられた。ついさっきのことだ。

 別段文句はない。組織に属するものとして従うだけだ。これも神の導きだろうと、中庭の切り取られた空を見上げた。光差す緑だけがぽっかりと浮かんで平和そうだった。


 ふと、回廊の先から歩いてくる一団の衣装か遠目にも分かる上層部のものだったので、道を譲って端に避け、静かに頭を下げて通り過ぎるのを待つ。しかしその中央あたりにいた人物がオレストの前で立ち止まった。オレストの視界には金糸の刺繍が入った白い靴の足先しか見えない。


「フェルティエ助祭、お勤めご苦労様です。明日からは騎士団零番隊特務班に出向でしたね」

「はい」


 落ち着いた口調の、若い男の声だった。顔を上げるまでもない。次期教皇有力候補の一人。圧倒的な魔力量でその地位を確固たるものにした、オレストより二歳年下にして大司教に至る、リカルド・ラインセル。


「今教会の立場は極めて危うい。きみの働きはとても重要なものになる。主神に反する邪神トーマ・ベルニクス。恐れ多くも主の使徒の御力を禁呪で手にした二人の騎士。一級危険因子の魔法使い。いずれも世を乱す恐れのある人物。信徒としてしっかり見定めなさい」

「謹んで拝命いたします」


 思いの外普通の内容で、わざわざ立ち止まって改めて言うようなことでもなかった。リカルド大司教がどういう意図で起こした行動なのかよく分からない。

 ただ、取り巻きは意を汲み取ったとばかりに嬉々として嫌味をぶつけ始めた。


「猊下直々の激励だというのに、他に何かないのかね。教会の代表として赴く自覚はあるのか? 貴殿の働き如何に威信がかかっているのだ。重大な責を負う任務である」

「邪神はもちろん、騎士団も信用ならぬ。貴様が奴らを制御するのだぞ。精々励みたまえ」

「はい」


 淡々と頷くオレストに舌打ち一つ残して彼らは去った。

 つまらない脅しだ。彼らにとってのオレストは厄介者であるのだから、一つのミスで首が飛ぶような任務に行くのには慣れっこだった。

 今回の任も難しい立ち位置ではあるが、治療院で話したことのあるトーマ・ベルニクスは真に邪神であると同時に少々ぐれた子供でしかなかった。大司教派閥の連中とは凄まじく相性が悪そうなので、捨て駒が自分だったのは双方にとって良いことだろう。




 大聖堂へ続く奥まった扉をくぐる彼らを見送ってぼんやりと佇んでいると、すぐ近くの右手の扉が開いてひょこりと知人が顔を出した。

 静謐な教会に似つかわしくない上機嫌な声、勢いよく手まで上げて自身がここにいるとアピールする。


「よーう、オレスト!」

「やあカティナ」


 会うのは一年ぶりくらいなのだが、ブランクを全く感じさせずにずかずかと大股で近付いてくる年上の女性は、いつも通りに物々しい雰囲気で、傷だらけの顔でにかりと笑った。


「お前さんが本部にいると聞いて慌てて来たんだ。いやあ、ちょうど良かった! まさに強運! さすが私!」

「相変わらず元気そうだ」

「まあまあ、いいからこっち来なよ」


 強い握力で二の腕を掴まれ、ぐいぐいと引っ張ってどこかに連れて行こうとするのに大人しく従うことにした。それを把握したのかカティナも手を離し、さらに足を速くしてすたすたと本部の廊下のど真ん中を歩き、あっという間に倉庫へと移動した。それも銀の武器を収めた武器庫だ。


「やっぱ祝福を貰うなら断然オレストに限る。1.5倍は威力が違う!」


 上級退魔士である彼女はたいへん多忙なのだ。本人の気質もあるが、こちらの意見を聞く暇もなく、強引に自分のやりたいことを押し通し、また嵐のように戦場に帰っていく存在だ。

 カティナが忙しなく棚から銀の弾丸の箱を取り出して机に並べるのに倣ってオレストも作業を手伝う。


「この弾丸だけでいいのかな?」

「軽く言ってくれるねぇ。この数を一発で祝福付与できるのは一部の司祭だけだろうさ」

「まあ、確かに得意な方だよ」

「お前さんを治療院に置いておくなんて本部は本当に阿呆だ」

「前線に立つ君たちの苦労が偲ばれるよ」


 そこでオレストは会話を一度断ち、ロザリオを握りしめて瞼を閉ざす。不浄なるものと戦う信徒たちのために祈り、主に救いの手を乞う祝詞を捧げる。白き清浄の光が満ちる光景にカティナは満足げに頷いた。


「こっちが文字通り死ぬほど忙しいのも上層部のごたごたが始まりなんだろ? 権力闘争でうちらが、いや一般人が皺寄せ食っちゃたまんないよ」

「まったくだ」


 カティナたち退魔士が多忙を極めているのは、元教皇ヨセフ・ハスミルトが何者かと共謀し、冥王を暗殺して冥界を混乱に落としたからに他ならない。冥界での審判と転生のサイクルが狂ったせいで地上までアンデッドが溢れ出して退魔士の仕事が増え続けていたのだ。

 アンデッド増加の原因がわかったところで、件の冥王ギレェスネルザは不在のまま。相変わらず冥界も地上も混沌としている。

 その証拠にカティナは大量の弾丸の祝福を必要としているし、ろくに治療もしきらぬままオレストがいると聞いて探しに来ていたのだろう。彼女の左腕には真新しい傷がある筈だ。魔障のモヤが掛かって見える。


「その左腕も出して。ついでに治そう」

「ああ、こんなんもあったな。じゃあたのまあ」


 カティナは雑に扱っている怪我だが、服を捲って出させてみればばっくり開いた肉が不自然に血も流さずにそのままになっている。呪われた【治らない傷】だ。

 手をかざし、魔力を捧げて奇跡を請う。

『傷ついた戦士に癒しと安らぎを』

 魔障を祓い、そのまま傷も癒す。残る痛みは気になるようなら薬を処方したいところだが、先ほど辞令が下ったオレストには薬を出す権限はない。カティナも後回しにしていたくらいだからこれで十分だろう。思った通り、彼女はきっちり治った腕を見てカラカラ笑った。


「治療術も更に達者になったな」

「治療院勤めも六年になるからね」

「王都の治療院に駆け込めばオレストがなんとかしてくれるのが分かってるだけいいけどな」


 そういえば酷い魔障の退魔士が担ぎ込まれることも多々あった。何時でも呼び戻されて治療に当たっていたものだが、オレストをあてにしていたことを今頃知った。それではこれから困ることになるかもしれない。


「生憎だが、本日付で治療院は外れたよ」

「なにー? また飛ばされたのか?! まさか僻地とかやめとくれよ」

「王都にはいる。今度は騎士団に出向だ」

 新たな勤務先を告げるとカティナがあからさまに顔を顰めて唾吐くように叫ぶ。

「騎士団ダァ〜? 魔物相手の奴らには勿体無いにも程があるだろ! あいつらただの白魔法で十分なんだから聖魔法は退魔部隊によこしなよ!」

「いや、出向先では魔物相手に戦うことも特にないんじゃないかな」

「どこで何するんだ? 宝の持ち腐れオレストくんは」

「零番隊特務班で監視役だよ」

「零番隊? どこの守備だいそりゃあ」

「ほら、今テンライ・メイドウ殿がいる部隊だ」

「ああ〜あの派手な若造。確か危険因子の監督だったね。邪神とヤバい魔法使いと禁呪使いだっけ? また厄介なとこに飛ばされたねェ」


 出向先を把握した途端、憤慨100%だったのが憤慨70%、哀れみ30%くらいに軟化した。なんにせよカティナの主張はオレストを退魔部隊に寄越せの一択からブレない。もう何年も。

 オレストとしては、退魔部隊向きであることは自覚しているが、働く場所にこだわりはなかった。次に行く場所は厄介ごとの巣窟には違いないか、同時に顔見知りの少数班なので気楽に構えている。


「基本的には子供の健やかな成長を見守っていればいい閑職だと、向こうの班長からは聞いているがね」

「どうせまた騙されてんだよお前さんは」

「そうかな」

「邪神は随分気難しい坊やだそうじゃないか。精々気張りな。お前の仕事ぶり如何で教会の立場がもっと悪くなるんだろ。それで今度こそお前さんを処分する気なのが見え見えさ」

「まあ、そうかな」


 先程回廊で釘を刺されたばかりだった。教会本部の方針としては、オレストを中枢から追いやれればそれでいいのだ。

 次の仕事もちゃんとこなして教会の立場が維持できるならそれで良し。邪神どもの管理に失敗すれば責任を取って左遷、降格させてそれで良し。なんなら邪神の反感を買って斬られればそれも好都合。

 関わりの少ないカティナからも透けて見えるほどに魂胆は見え見えだった。オレストも承知の上で、とりあえず自分の身くらいは守るよう立ち回っている。


 かつては退魔部隊に属したこともあったし、騎士団やギルドの大規模遠征に協力していたこともあった。危険な任務にばかり放り込まれていたが、生還して成果を上げ続けたらその分実戦の箔が付きまくり、昇格しすぎた。身の危険を感じて治療院勤務を自ら希望し、出世コースをはずれたことで一旦は落ち着いていた筈だが、治療院でも魔障祓いやら魔術器による新医術やら実績を積みすぎたようだ。今度は本部の方から釘を刺されたというわけだ。大人しく従うつもりだ。


 そんなオレストの様子にカティナは呆れ果ててため息をこぼした。

「なんだその適当な返事は。お前ちゃんと人生生きてるか?」

「こう見えて、人並みに生き甲斐や幸福を感じていると思うんだけれど。分からない?」

「てんで分からない」

「そうかな…」


 多少なりオレストに親しい人間からすると、彼は難儀な境遇で権力争いに振り回されて、ろくでもない人生に甘んじているようにしか見えない。それを指摘してやれば本気で首を捻っているのだから、本人が言うように一応幸せを感じて生きているのだろう。

 カティナなどは、親しい人にこそ「体張って物騒な生き方ばかりしていないで少しは安寧とか幸せとかを探せ」と散々心配させて嘆かせてばかりいる人生を歩んでいる。大きなお世話だと鼻で笑っているのだから、オレストもそんなもんだろうと割り切った。だから彼女は高い位置にあるオレストの背中をバシバシ叩いて大口を開けて笑った。


「わはは! まあ達者でやれよ!」

「ええ、きみも」


 そうして嵐のように現れたカティナは、大量の銀の弾丸を抱えてご機嫌に過ぎ去っていった。次に会うのがいつだか分からないが、彼女も達者で暮らすことを静かに祈った。











 某日、王都。


 市へ買い出しに出ていたら突然腕を引っ張られて路地裏に連れ込まれそうになりオレストはつんのめった足を踏ん張って、謎の襲撃者を見やった。


「おや」

「おう、オレスト。ちょうど良かった。またいつものやつ頼むよ!」


 カティナは相変わらずヨレた様相で、しかし快活に笑っている。

 彼女に捕まってしまったものは仕方ないと、いつもなら快く流されるところなのだが今回は待ったをかける連れがいた。


「待て待て待て、ツレがいるでしょうがここに!勝手に拉致すんな!失礼なババアだな!」


 プンスカお怒りを示すトーマだ。ワガママ度合いは二人とも良い勝負だとオレストは思う。

 やはりカティナは折れる気はないようで、面白そうにトーマを見たかと思えば、突然少年にヘッドロックをお見舞いした。命知らず極まれりだ。


「ああ? 誰がババアだってこんクソガキャあ」

「ぎああああ痛え痛え! なんだこの暴力ババアは!」

「あーん? 信徒が暴力なんて振るうわけないだろう! 思春期のガキへの挨拶&おっぱいサービスだよぉ…!」

「オバサンの胸板に喜ぶ青少年がいるかよ! オレストくん付き合う相手選べ!!」


 人類の中でかなり上位につよいカティナに締め上げられながらも、彼女の引き締まった腕をばんばん叩きながら元気に抗議するトーマはさすがに人類を超えている。その頑強さと据わった根性にカティナも結構楽しそうだ。二人は存外仲良くなれるかもしれない。


「彼女はカトリーナ。教会でも指折りの退魔士でいつも世界中飛び回っているんだ」

「邪神とか聞いてたが生意気なガキだな」


 腕の力が緩んだのを幸いと、トーマはパッと離れてオレストの影に隠れて中指を立てる。


「次やったら腕切り落とすぞババアー!」


 負け犬の遠吠えか反抗期の子供といった風情なのだが、これでもカティナを殺さずに見逃しているのはトーマの方なのだ。なにせぶった斬ることしかできないので、程よい反撃という概念がない。それをカティナの方も相応の実力でもって察して頷いた。


「いや生意気なガキの邪神だぁね」

「ハハハ」

「笑ってんじゃねーよオレストくん! おれ今このババアに攻撃されたんだよ! これは明らかな敵意だよ! しかもセクハラもされたんだよ! 害悪だよ!」

「ガキのお守りに忙しいようだがこっちも時間がないんだ。お前の今のホームに物資運んでるから早くいつものやつ頼むよ!」


 左からトーマが、右からカティナがそれぞれ勝手なことを言いながらオレストを引っ張り、結局どちらも向かう先は同じホームなので三人で連れ立って歩いた。


「なんでこいつをうちに招待してやらにゃならんのさ!」

「ボクチャンに用はねーから安心しな。用もすぐ終わる」


 間にいるオレストを無視してギャンギャン会話が弾んでいる二人を見下ろして、気が合わないなりに仲が良いなとぼんやり思う。


 自分も昔から、弟とこんな風に言い合いでもすれば良かったのだろうかと。

 いや、今更の話だ。

 前に会ったのは三ヶ月前の教会本部。遠目に姿を、近くに爪先を見て、珍しく言葉まで交わした。思い返して小さく笑う。


 達者であれ。それがオレストにとっての幸福でもある。

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