危険物×2
騎士団預かりになり暮らしが落ち着いたおかげか、近頃はトーマにちょっかいかけてくる敵対者もおらず、彼の殺伐とした空気も鳴りを潜めていた。
そうして城下暮らしも慣れてきて、ある程度の一人行動も許されるようになってきている。とはいえ行動は王都内に制限されるため、今度は自由になる小遣いが欲しくなった。それも、いちいち用途を尋ねられないへそくりが。
この世界でのトーマは万能包丁一本でなんでも両断できるようだ。ということは理解していたので、小遣い稼ぎの手段として斡旋所へ赴いた。
以前、逃亡生活中に採取系のゆるい依頼をやったことがあるが、あれはどうにもトーマの性に合っていなかった。ナントカいう草を延々三時間も探し続けるような単調で根気のいる作業はもうやりたくない。男ならドカンと一発ドリーミンすべきだろうと、眺めているのは高額依頼の掲示板だ。
当然、そんなところを見ているのは歴戦の猛者的なゴリゴリのおっさんばかりである。トーマの姿は浮きに浮いていた。
「お、ボウズ。大型ハンターに憧れてるクチか?」
ガチガチに使い込まれている武器防具に大小傷痕が見える熊…もといおっさんにガシガシ頭を掻き混ぜられながら問われたトーマは、まあまだやったことないから憧れてるクチかな?と思い、そうそう。と軽く応えた。
「おっさんが言っても説得力ねえかもしらんが、こんなのオススメしねーぞ」
このおっさんは良い人なのだろう。たぶん。見知らぬ少年の将来を案じて忠告してくれている。
「じゃあおっさんはなんでそんな危険な仕事してんの?」
「俺には心配する家族もいねえし、そういう奴がやらねえと被害が広がって困る奴らもいるだろ。あとはまあ、危険な分金は入るな……」
こんな良いおっさんこそ命削ってないでさっさと結婚しろと言ってやりたいが、熊の嫁になりたい猛獣使いはなかなか現れないのかもしれない。心優しい熊さんは掲示板から一枚の依頼書をひっぺがすとヒラヒラ手を振って去って行った。
おっさんの親切はさておき、トーマの意志はもはやこの中のどれかを選ぶ以外の道はない。たぶん誰にも何にも負けないし、必要なのはぶっすりやる覚悟だけで、そんなのは大分今更だった。
選ぶ依頼は、とにかく細かいことは要求されずに対象を始末して報告すればいい的なものだ。討伐後に調査だの何か採ってこいだのはよく分からない。そして場所は近場で人目に付かないこと。トーマの万能包丁の万能ぶりは人に見られるとやばいから絶対に使うなときつく言い含められている。要はバレなければいいのだとトーマは解釈している。テンライが聞いたら散々嘆くだろう。
「つまりこれだー!」
目についた高いところの一枚をジャンプと共に引っぺがそうと跳んだ瞬間、トーマの手から逃げるように依頼書がひらりと勝手に剥れて宙へ舞い上がった。
「なぬ⁉」
風もない屋内で不自然に動きを変えた紙は吸い込まれるようにトーマの三歩隣にいる地味な少年の手に滑り込んでいた。
この少年、見るからに魔法使いである。直径二十センチほどの大きな時計飾りがついたつば広のとんがり帽子にぶかぶかのローブ。年頃はトーマと同じかそれより下といったところか。トーマより背丈が五センチばかり低い。こんなガキに狙いの依頼を奪われてなるものかとトーマは眉をひそめた。
「それ、オレが選んだやつなんだけど」
「僕もこれがいい」
バチッと二人の少年の間に火花が散る。
魔法少年の体格は十人並み、少々血色に難ありで目の下の隈が不健康そう。どっからどう見ても猛者とは程遠い。対するトーマもまたどう見ても冒険者未満のペーペーだ。
人を見かけで判断してはいけない、こいつも本気で大型狩りをするのかもしれない、とトーマは一応気遣うことにした。お前のようなもやしっこには荷が重いと否定することはするまいと。その結果正面切って喧嘩を売ることになるのだが。
「こういうのは早い者勝ちだろ!」
「だから、僕が先に触ったんだから僕のだろ」
「オレのが先に目ぇつけてたの後ろにいたなら分かるじゃん! ジャンプすんの見えてたんだろ⁉」
「どれ狙ってるかなんて細かいこと分からんし……隣のかもしれないと賭けた」
「賭けに出るな、よこせ」
「やだ。これでないと困る」
「オレだってそれじゃないと困る!」
ギリギリとにらみ合いを続ける少年たちは、次いでやって来た別の猛者に「ガキの遊び場じゃねえぞ邪魔くさい」と言われて、揃って猫の子のように摘みあげられぽいっと外に放り出されてしまった。
「子供同士なかよくお外で遊んでな、ぼっちゃんども。ほーら行った行った!」
そうして追い立てられて斡旋所にも戻れなくなってしまった少年たちは、バレずに握りしめていた一枚の依頼書を挟んで睨み合った。
「俺、訳あって一人でやりたいんだけど……」
「僕も」
両者頑として譲らない。このままではらちが明かないと、折れたのも同時だった。
「もういいや面倒くさい。一緒に行くか」
「賛成」
もうなるようになれ、とトーマは投げやりになった。あとでスクルにばれたらぶっ飛ばされること間違いなしだが、何はともあれ折角の特技を使って自分で稼いでみたい、粋がった少年だったのだ。
二人が選んだ依頼は工場排水で変異したアンデッドロドンの討伐である。
要するに、腐った鮫のすごいやつだ。素材採取は一切見込めず、野生動物として食物連鎖に含まれるわけでもなく、ただただ人間の自然破壊から生まれ、水と空気と生物を汚染しながらより積極的かつ攻撃的にあらゆる生命を破壊するモンスター。
この世界では公害まで魔物となって暴れまわるらしい。厄介と見るか、倒して処理できる分は楽と見るか、なかなか悩ましいところだ。
出現場所は王都の一番外れにある人工河川沿いの工場エリア。ざっくり徒歩一時間といったところか。
「周遊馬車使えば早いんだよな? どれ乗ればいいか分かる? おれはわかんない」
トーマは方向音痴な上にいまだに王都の地理にすら疎く、地図もまともに読めない。目的地に着くためには誰かしらのサポートは必要だったのかもしれないので魔法少年と居合わせたのは渡りに船だったかと思い直した。
ところがこの連れはとぼけたことを抜かす。
「ぼく馬車使う金もない」
「おいおいおい。しょうがないな、なけなしの小遣いだけど貸してやんよ」
「マジか。やさしい…」
見た目普通っぽいがよほど貧乏生活をしているのか、魔法少年はしみじみとトーマの好意を噛み締めているようだった。こうなってくるともう一つ疑問がわく。
「交通費も出せないってどんな暮らしだよ。これから戦闘すんのにだいじょうぶなの? ちゃんと飯食えてんの? 体力持つの?」
「んぁー、まあ、だいじょぶじゃない?」
「だめそう」
精気の薄い目でぼやーっと受け答えする相手に不安しかない。
もともとソロで依頼をこなすつもりだったのだから戦力にならなくとも全く構わないのだが、一応臨時で組む相手である。途中でダウンされた場合に放置して一人で帰るわけにはいかないだろう。
トーマとしてはもはやこの世界の人間に大して興味も愛着もないが、初対面の一般人に無闇に辛く当たるほどヒトデナシでもないつもりだ。
都合よく中央広場の時計がカーンと十一時の鐘を鳴らした。
「しょうがねえなあ……ちょっと早いけど先に昼めし食っていこうぜ。いいよもう、おごってやるよ。どうせ大金入る予定だし」
「マジか。すごくやさしい……」
「ちょっとオハナシしてからの方が一緒に出掛けるのに楽しそうだしね。うん。せっかく同世代なんだからシンボク? しようぜ!」
「ええ? ああ、まあ……」
「そこはキョーミないのな!」
一時の付き合いならばと歩み寄りを見せたトーマだったが、素気無い反応が返って来て笑った。
依頼書を取り合って、一緒に組むことにして、当面の金を貸してやって飯までおごると言っている相手に向かってこの素直すぎる反応はいっそ小気味よかった。
せっかく早めの時間だからと、気になっていた行列のできる定食屋に向かってみると読みが当たってさらっと入ることができた。客層は家族連れからハンターから様々だ。王都は今日も賑やかで結構なことだ。
適当な二人席に座り、テーブルに置いてあるメニューを眺めるが写真がないのでトーマにはさっぱり分からない。それなのに連れがさっさと手を挙げて店員を呼んでいるのだから参った。誰のおごりだと思っているのだ。
「注文いいですか」
「え、ちょっとまって、はやいよ!」
「ぼくこの、スペシャルのサンドセット大盛りで」
「ううん、じゃあおれ日替わりランチ」
「かしこまりましたー。お水はあそこからご自由にどうぞ」
「ども」
ウエイターがさっさと身をひるがえして去っていく。あっという間の出来事だった。
「おれもうちょっと選びたかったのに。しかもなんかやたら高いの頼んだだろ!」
「食いだめさせてもらおうかと」
「遠慮ねえな! 味見に分けろよ!」
フリーダムに図々しい姿勢は腹も立つが表裏も感じないので悪くはなかった。
怪しいカルト教団で祭り上げられるのも、腹黒い大人に値踏みされるのも、脅威だのと喚かれて排除しようとしてくるのも、都合よく利用してこようとするのにもうんざりしきっていたトーマなので、このクセのある少年のことは総じて嫌いではないと言えた。
「そういえば名前は? おれトーマ」
「エスネッサ」
「また覚えにくい名前だ。えすねっさ、エスくんでいい?」
「いいよぉ」
どちらともなく席を立ち、だらだらと話しながら水をもらいに向かう。
「エスくん魔法使いだよねー。いつも一人で高額依頼受けてんの? 慣れてんの?」
「ん、たまぁに? 金がなくなったら。いつも一人」
完全に初心者のトーマと違い、エスネッサは勝手が分かっているようで少し気楽だ。
水差しの中身は冷えたレモン水だった。さすがに人気店は気が利いている。少し多めに注いで席に戻る。
「トーマは…え、よく見るとお前はなに? どうやって戦うの?」
トーマの姿はどう見てもその辺を歩いている町民だった。防具の類も一切なく、武器もない。強いて言えばベルトからやたら怪しい魔力を帯びたナイフらしきものを提げているくらいか。
「おれはなんでも切るよ! むしろそれしかできない」
「へー」
「エスくんはどんなことできるの?」
「ぼくもその辺ふっとばすしかできない」
「そっかぁ」
二人の要領を得ない会話は、双方が自分一人で戦える自負があるためか、相手に関心が薄くて上滑りしていた。しかし見た目で舐めて馬鹿にするでもからかうでもないのでどちらも気楽ではあった。初対面ながら馬が合うというやつだ。
何の実にもならない雑談の切れ目にタイミングよく食事がやって来た。
トーマが注文した日替わりランチはごろごろした野菜ととり肉が入った煮込みとサラダ、フルーツ、食べ放題の焼き立てパンがついていた。対面にやってきたエスネッサの食事は大盛りと注文していただけあって花でも生けられそうな大皿にたくさん具が詰まった食パンのサンドイッチやらバゲットのサンドイッチやらがもさもさしていて、SNSなどあれば実に映えそう。ゆうに成人男性二人前はあるだろう。
思わず少年たちの目が輝く。
「やべえ、うまそう。食いきれる?」
「よゆー」
「無理しないで分けてくれていいんだよ、ねえ」
「よゆー」
結局エスネッサは各種一口を味見にトーマに提供しただけでほとんど全部一人で食べてしまった。遠慮のない食いっぷりであった。
工場地区をぐるりと囲む広い工業用運河を橋の上から覗き込む二人は、正直この依頼を受けたことを後悔しそうになっていた。
「もしかしてあれがアンデッドロドンってやつ⁉」
「でっけ」
体長四メートルはあろうか。人間も一飲みできそうなメガマウスに似た丸い頭の鮫の魚影が確認できた。巨体をゆらゆら揺するように泳いでいる。
「腐ってやがる…」
「くっさ」
これはいわゆる「汚い」「臭い」「危険」の3K仕事というやつだ。通りで報酬が良いわりに倒す以外の面倒な指令がなかったわけである。
アンデッドロドンはただでさえ異臭の放つ淀んだ工業用運河をさらにヘドロを巻き上げながら不気味に揺蕩っていた。ジョーズが本能的恐怖ならこれは生理的嫌悪だとトーマは思った。
「あれ切るの嫌だなぁ。ていうかどこから攻めればいいんだべ」
周囲はアンデッドロドンを恐れて人っ子一人おらず、包丁を出しても問題はなさそうだが、岸壁は下りられそうな階段や通路などない。おまけにアンデッドロドンがたまに体当たりしていて石積みがぼろぼろになっていた。少し先では川沿いの船屋が壊れて沈んでいる。近づけそうな陸地はないし、ヘドロの中に飛び込みたくもない。
こうなるとなんでも切れる代わりに攻撃範囲がごく狭トーマには手の出しようがなかった。
「めんどくさい。吹き飛ばそう」
「遠距離攻撃便利だなー」
エスネッサの判断はまったく躊躇がない。両手を前に突き出すと一瞬でとんでもなく巨大で細かい魔法陣が中空に展開された。
「エスくんなにそれ。だいじょうぶなのそれ?」
ド素人のトーマの目からしても不穏なサイズ感の魔法陣だった。相変わらず眠そうな目をしている隣の少年をおろおろと見やるが、彼はトーマの言葉をスルーして魔術の構築を続ける。
『術式展開から発動まで二〇カウント。着弾点エネミー指定で誘導。爆風誘導を突入角からマイナス四十五度に設置。えーと、あとはデフォルトでいいや』
「ねえ大丈夫なんだよね? 俺黙って出て来てるからバレるとすげー怒られるんだけど本当にだいじょうぶ?」
『いくぞぉ~5、4、3、2、……メテオフォール~』
気の抜けた越えの直後、天空が光った。でっかい光の塊が尾を引いて空の彼方からどぶ川に向けて落下してくるではないか。
「隕石‼」
「あ、やべ」
何を察したのか、突如アンデッドロドンが大きく水面から跳ねた。すると、輝ける隕石は軌道を変えて落下からわずかに鼻先を上げた。
最悪なのは、軌道上の着弾点が広い河ではなく工場地区になったことだ。
二人の「あーあ…」という気の抜けるような、途方にくれたような声が重なるのと同時に隕石は工場地区に突っ込んで爆音を上げた。
天空から加速度を上げながら落下した物体が起こすソニックブームが軌道上を切り裂き、工場地区の外れがCGみたいに吹っ飛んだ。まさに「そこらを吹っ飛ばすしかできない」という自己申告通り、目を覆いたくなるような大惨事だった。
不幸中の幸いなのはアンデッドロドン騒ぎで工場が停止していたため、人間は警備員らしき数名しか見当たらないことぐらいか。
「あちゃあ…」
「いや、これ河でボーンしてもダメな規模じゃね?」
「アンデッドロドンが跳ねて突入角度がずれたのが全部悪い。ちゃんと爆風誘導掛けたじゃん。川幅範囲の上空に超速上昇気流ができるはずだったのに」
「魔法ワカンネ」
途方に暮れる二人をアンデッドロドンは待ってはくれない。
魔術をぶち込んだことにより見事に敵認識されたのだが、公害ゾンビといえど生存本能はあるらしい。消滅の危機を察知した奴は尾びれをひるがえして一八〇度旋回。二人に背を向けて速度を上げた。
「あ、やべ。逃げるぞ!」
「おかしいな。アンデッドのくせになんで逃げる???」
「エスくんがぶっぱしてびびったんじゃねーの。反省して」
「ええ? 普通こっちに向かってくるもんだけどなぁ…」
正確には邪神トーマと目が合って逃げ出したのだが、二人にはあずかり知らぬことである。
「あー! やばいやばい! あっち市街地じゃん!」
「あらあらまあまあ」
慌ててアンデッドロドンを追って川沿いを走るトーマに、エスネッサも渋々ついて行く。
幸い、アンデッド族は総じて足が遅い。全速力で駆ければ並走し、追い越すこともできそうだ。
「いや、でもっ、これ…! 走りながら、戦えないって!」
相手に有効な大型魔法を走りながら撃つことはできない。撃つだけならエスネッサには出来ないことはないが、制御ができないのでそれこそ市街地をまとめて吹き飛ばすことになる。
「よし、こっからあそこの橋まで魔法届く?」
「ん」
「じゃあ俺が足止め。エスくんがドーン!で」
「おけ」
そこで二手に分かれ、トーマはさらに速度を上げてアンデッドロドンを追い、エスネッサは立ち止まって魔術を組み始めた。
ふと気付く。果たしてどのタイミングで撃てばよいのだろうか。
市街地に繋がる橋は目視できるが、結構距離があるのでアンデッドロドンがいつそこに着くのか、瞬間を見極めるのはきっと無理だ。
「おいトーマぁ、トーマ~~!」
今更声をかけたところで全く届かない。トーマはみるみるうちにアンデッドロドンを追い越して指定の橋に向かっている。おまけに周囲は先ほどの爆発とアンデッドロドンの暴走に気付いて悲鳴が響き渡って音が通る余地がない。
どうしよ、と悩みつつ。ここまで組み上げてしまった魔術を散らすのはそれこそここが爆心地になるだけである。
これはもうカンだな。さえ渡れ僕の第六感。という、大変雑な結論に至ったエスネッサは実に雑な魔術を組むしかなかった。
『術式展開。発動スイッチ設定。発動ポイント目視指定に爆風誘導九〇度。投入魔力最小単位速度優先。投入開始』
さて、そろそろ撃っちゃおうかな。というところで、実に分かりやすい合図があった。
じっと見つめていた橋が、突然開門橋のようにパカーンと割れたのだ。
可動機構などない石積みの橋が真ん中から真っ二つに割れ、両岸からおじぎでもするように轟音を立てて崩れる。さらに着水を待たずに割れた橋がごぼうの乱切りみたいになって瓦礫と化した。
何が何だか分からないが、指定した橋に起こった突然の変化なら間違いなく合図だ。今が撃ち時だろうと、エスネッサは腹を決めた。
『コズミックバーン!』
橋のたもとに星が瞬き、音も追いつかない超新星の光があたり一帯を一瞬で真っ白に消し飛ばした。
どこからともなく悲鳴や警笛が響き渡ってくる。
そりゃあそうだろう。工場地区の一部を吹き飛ばし、交通の要所である橋を切り刻み、橋のたもとの運河を半径7メートルほど爆発させてクレーターにしたのだ。ヘドロまじりの川の水が爆風で上空に巻き上げられて周囲にぼとぼとと雨を降らせている。
一応アンデッドロドンとトーマがどうなったか確認すべく、エスネッサが例の橋のあたりまで歩を進めてみると、丁度石造りの河川敷をよじ登り切ったヘドロまみれのトーマがエスネッサの姿を認めてすっ飛んできた。
「ふざけんなテメェ誰がもろとも爆破していいなんつったよ‼」
「ごめんあさぁせ」
当然のことながら、呑気に歩いてきたエスネッサをトーマは胸倉掴んで締めあげた。
あの真っ白な爆発を何故生き残ったのか、トーマ自身さっぱり分からない。しかしトーマは半球状に凹んだクレーターのほぼ中心部で一人無事だった。都合よく身に着けていたものも無事だったので、たぶんトーマ周辺だけ爆発が及ばなかったのだ。理屈はエスネッサにもさっぱり分からない。
「普通に遠くて何が起こってんのか分からんし、お前いないと賭け……いると思わなかったんだよね」
「賭けに出るなよ!」
「聞き流そう、そこは」
「流すか!」
「いいじゃん無事だったんだから」
「ほんとなんで無事なんだか! それを知られっちまうとは…っ」
トーマが懐から包丁を取り出した。それが、どうみても包丁なのだが凄まじく濃厚に禍々しい気配を帯びていてエスネッサは正直引いた。
「エスくん、お前のことは嫌いじゃなかったがこんなに短い付き合いになるとは……」
「いやいやいや、僕だって色々吹き飛ばしたの知られてるし、お互い共犯ということでお相子にしようよ……」
「そう? できる?」
「誓います」
「なにに?」
「えええ……? ぼく信心ないしな……自分に?」
「じゃあ今はいいか」
トーマが包丁をホルダーに仕舞った。軽いノリだったがこいつ本気でやる気だったな、とエスネッサは理解した。どうやらエスネッサはトーマの審査を見事躱してとりあえず刺されずに済んだようだ。
「もー、エスくんのおかげで討伐超目立ってるしぐちゃどろじゃん」
「被害に目がいって犯人われてないよ。せふせふ」
「うっそだぁ」
そして一瞬で物騒な雰囲気を収めたトーマと、それをさらっと流したエスネッサはどちらも同じくらいに頭がおかしかった。
残念ながらそれを見咎めるものは誰もいなかったので、二人はそのままとんずらするだけだったのだが。
「ただいまー」
夜に近い紫色の夕暮れ時になってようやく聞こえた帰宅を告げる声に、怒りもあらわな荒々しい足音を響かせて迎えに出たスクルは、まずはトーマの脳天にげんこつを落とした。
「遅ぇ! 出かけるときは行き先を! 門限は守れ!」
嫁入り前の娘に対する過保護なお父さんのような内容だが言動は完全に放蕩息子に対する頑固おやじだ。そして実際にはこのルールで守られるのはトーマではなく市井の安全と安心である。
スクルが怒るのは「トーマを監視する」という任務のためと、トーマは理解している。なので面白くなくて何度怒られても約束事が身につかない。
「大変申し訳のうございました…」
げんこつによる涙目で謝罪をするとじろりと睨まれたが一応許してもらえたようで、ぶっきらぼうにおかえりと返された。仮にもチームである以上、仲良く楽しく誠実に、まずは挨拶から。と、軽いながらも的を射たルールを決めたのはテンライだった。
実際、スクルとテンライの二人はトーマ監視員でありストッパーだが、同時にトーマがこうしてある程度の自由を許されて普通に暮らしていけるのも二人がついてくれているおかげだ。その点については感謝している。
さらに、トーマは理解が及んでいないが、この二人は愛国心や忠義を重んじる騎士団においてなかなかの異端児なので、災厄級危険因子のトーマにそれなりの親しみや保護者意識を既に持っている。ただ単に子供を心配している大人でもあるのだ。
「やあおかえりトーマ。工場区で騒ぎがあったけどどうせお前だろ~」
玄関のやりとりを聞きつけたテンライが奥からやってきてにやにやとトーマを見下ろした。さすがに情報が早い。
「案の定きちゃないから風呂使いな。ちょっと前に沸かしといたからぬるいかもだけど」
「ありがとーそれ期待してたー!」
戦闘直後のトーマは工場の汚水と生ごみの混ざったようなヘドロを浴びて、汚いわ臭いわでひどい有様だった。一応ざっと水では流したのだが服も体も丸洗いしないとどうしようもない。とにかくさっさと風呂に入りたかった。
「友達も一緒にいい?」
「友達だと? お前に?」
怪訝そうな顔をする二人にトーマはわざとらしく唇を尖らせた。
「俺だって遊びたい盛りの青少年なのでフレンドの一人や一人作るよ」
「さしあたり一人しかいないことは伝わってきた」
しかし二人にとっては意外であり想定外だ。まさか人間不信真っ最中と思っていた子供が自ら友人を連れて戻ってくるなど。人間性の改善という意味では良い傾向と言えるが、少年の行動範囲や交流が広がることは管理する観点からいえばよろしくないので、場合によっては上層部からの圧力案件だろう。恐ろしい。
「まあ、いい。まずはその友達とやらと風呂入ってから一緒にラウンジに来い。茶でも出してやる」
「あいあい。エスくんオッケー出たー! 裏から回ってー」
意気揚々と外に向かって声をかけながらトーマともう一人分の気配が風呂場へ移動していった。
「これどうしようねスーちゃん。黙っとく?」
「何かしら報告しないわけにいかないだろ。お前は薪くべてやれ」
はああ、と盛大にため息をついてスクルは肩を落とした。まずは二人分の着替えを用意してやらねばなるまい。
風呂から上がったトーマとエスネッサは小さなラウンジの四人掛け丸テーブルに連行されてお茶を片手に取り調べを受けていた。
「つまり王都内ならいっかー! ぐらいの気持ちで遊ぶ金欲しさに高額依頼に手を出しちゃったの?」
「ちまちま採取なんて向いてないんだって。包丁だって誰も見てなきゃ別にいいじゃん。王都の厄介者も退治できたんだから騎士団だってヒャッホゥじゃないの?」
「お前戦闘中に橋を落としただろ。異常に鋭い断面で何が起こったのか不審がられてるぞ」
「町の方に腐れ鮫が逃げようとしたんだもんよー。英断じゃない?」
「判断は悪くないが、その場に俺らがいれば痕跡が残りそうな仕事はテンライにやらせりゃ問題にならなかったんだ」
「今スーちゃん、俺ともあろう英雄を雑用係にあてたね?」
「どこに行って何をするのか確実に報告しろ。許可なく勝手に戦うな。これはお前を守るためでもあるんだ。今回は何とか誤魔化しておくが、世間一般にバレたら今の生活は維持させてやれなくなる。分かったか!」
「うへぇーぃ……」
トーマと騎士二人の付き合いも慣れてきたので、双方扱いが分かってきている。
しかし今回はもう一人、トーマが連れてきた友達とやらがいるのが厄介だった。
「それと、お前、災難だったな」
「あ、どうも」
「今回見たこととトーマのことは他言無用で頼む」
「はいよー」
「……」
「……」
しばし天使が通ったようだ。
スクルはあまりにあっさりしたエスネッサの対応にハテナを飛ばし、エスネッサは突然止まったスクルに首を傾げた。
先に回復したのは傍目に見ていたテンライだった。
「え、そんだけ? トーマが何なのかとか聞いてこないの? 知ってるの?」
「いや……あんまり。興味がないかな」
「厄介ごとを避ける精神大事だね」
穏便にことが済むと思われたとき、否を発したのはトーマである。
「つーかエスくんてめえ! このまましれっと全部俺に押し付ける気だろ!」
「ばれたか」
「は?」
「言っとくけど! 俺がやったの橋だけ! 工場地区ふっとばしたのこいつ!」
「はあ⁉」
今までトーマのやばさしか着目していなかったが、スクルとテンライはここで改めてエスネッサを重要視した。
よく考えれば邪神トーマが拾ってくる人間がまともな友達なわけがないのかもしれない。
「たしかに……トーマは切ることしか能がないんだから、吹き飛ばして瓦礫の山にするようなことはできないか……!」
「スーさん言い方~!」
「えすくんとやら、名前と出身地は?」
「エスネッサ。生まれはわかんないや」
その名前と、先ほど回収した汚れ物の服からテンライの脳内検索に一つの情報が引っかかった。
「おっきな時計飾りが付いたとんがり帽子の黒魔術士、エスネッサくん! 工場区を吹き飛ばす高火力砲! この子…ヘルンフィールドを壊滅させた災厄級危険因子じゃないか…っ!」
「うっそだろ!!」
テンライが椅子を倒す勢いで立ち上がり、スクルがテーブルに突っ伏した。
四年前まで地図上に存在していたヘルンフィールドというのどかな田舎町は、たった一人の魔法使いの、たった一回の魔法の発動によりクレーターと化し、現在は運河を引いてダム湖になってしまっている。新しい魔術の実験だったとも、住人とのトラブルだったとも、大型モンスターとの戦闘の結果とも噂されているが、真実は不明だ。生き残りの証言により確実に近い犯人像として登録されている危険因子がここに現れた。
「なんだよ~、エスくんもやばいやつなんじゃん」
「ふへへ……」
親近感~などと言いながらトーマがエスネッサの背中をバシバシ叩き、エスネッサは照れ笑いのようなものを浮かべている。
今ここに、軽いノリで町を破壊できる危険物が二人集まった。いや、破壊力だけでいうならテンライも加わって三人ということになる。下町の何気ない元宿屋は、やろうと思えば今すぐ王都を三度潰せる化け物集会場と化していたのだった。
しかもトーマは実際に自分を召喚した邪教徒を多数殺害した実績が、エスネッサは町一つ吹き飛ばした実績がある。すでに人類の脅威である。
「ええぇ、なにこれ、なにこの展開。類が友呼んじゃったの? どうするスーちゃん……」
「どうもこうも、このまま放置できねえ……くそ、とりあえず二人とも騎士団に出頭しろ」
「エー、やだぁ……命惜しいし、お金ないし、王都吹き飛ばすのも本意じゃないし……」
「自力で責任取れないならなおさら来い。お前らみたいな危険物は放置しておけば目くじら立てられっちまうが、大人しく従ってやってるっていうスタンスで行きゃーやりようもある」
スクルの有無を言わさぬ物言いにエスネッサは少々悩んだ。トーマのようなやばい人外と暮らしていることからすでに分かっていたが、この大人二人も只者ではないのだろう。
「いざとなったら騎士団吹き飛ばして出てくればいいだろう。とにかくツラ貸せ」
問答無用のスクルがヤンキーのようにくっと顎で外を示すと、隣のテンライが少年たちの首根っこを掴んでずるずると連れ出した。
四人そろって騎士団の門をくぐり、トーマにとっては何度目かの武勇伝を憮然と語り、お初のエスネッサは反省の欠片もなさそうに罪を自白した。
ここで分かったのだが、このエスネッサという少年、ヘルンフィールドを吹き飛ばした弊害なのか、四年より前の記憶がないという。生まれも育ちも全く調べがつかない危険物だった。
その後の長きにわたるお裁きは割愛するが、結局のところエスネッサは弁償する金などあるわけもなく、騎士団討伐任務に無期限無償協力という扱いになった。世界はいまだ災厄の巨獣の脅威にさらされている。いつどこでそれが猛威を振るって王国が壊滅的ダメージを負うか分からない。戦力はいくらでも手元に欲しいのだ。
流れるように管轄は零番隊特務班スクル班長預かりに落ち着いた。王国において危険物を抑制するのは最強の騎士ことテンライしかいない。敵対してこれ以上積極的に破壊活動にいそしまれてはたまらない。こんな戦力が他国に渡られても困る。というわけでトーマ同様にWin-Winの関係を模索することとなった。
最終決定を受け取るころにはエスネッサもすっかり特務班に慣れ切って、彼らのホームに入り浸ってトーマと小さなラウンジでだらだら駄弁るようになっていた。
「本当にどうにかなった……僕も追われる立場からのミラクル王都定住決められるとは……」
「こんなの俺たち体よく飼いならされてるだけだぜ」
「いいじゃん、飼われてるのラクで」
「エスくんはガッツが足らんよ」
「トーマはここの飼育状態が気に入らないの?」
「うーん。存外住みいいけど、俺エスくんほど納得の上でここにいるわけじゃないんだよね。いざとなれば出てく」
「へー」
「エスくんのそういう興味ないです的スタンスいいと思うよ」
「あざっす」
トーマがコルク栓を集めて作った「オセロ」なる彼の故郷のボードゲームをやりながら平和と不穏の狭間のような雑談を繰り広げる少年たちを、バーカウンターの内側からテンライは引き気味に見守っていた。
「あの二人の友好的な関係こそミラクルの上で成り立ってる気がするけどなぁ……」
「というか災厄級同士、相手をさほど脅威と思ってねえんだろ。同じラインにいるから友情が成り立ってんだ。まあ、トーマのがやばいけど」
「なるほどねぇ」
トーマたちのやり取りに興味なさそうにカウンターで新聞の家庭欄を広げているスクルは、関白亭主のようにお料理コーナーの記事を指して、「うまそうだな。これ作れ」とか勝手なことを言っている。
よくよく考えると、災厄級危険因子2匹と、災厄級討伐実績のある英雄1匹と、素知らぬ顔して一緒にいるスクルこそなんで上手くやれているのか不思議な気がしてきた。
「スーちゃんこそあの二人脅威と思ってないの?」
「はあ?」
「無力な人間のくせにー」
「あいつらは確かにやばいが、あれにビビったら同等級のお前にもビビってることになるじゃねえか。ありえねえ。虫唾が走る」
「なんだその謎理論」
訂正。この幼馴染は単にテンライを下に見ているだけだった。ならまあ大概のことは許容範囲だろう。
たとえこの先誰が何をやらかしたとしても。