異世界グルメ紀行
ホームには通りに面した花壇があり、しばらく雑草が生え散らかすだけのゾーンと化していたのだが、オレストがここ来てから勝手に家庭菜園を始めた。オレスト一人で世話をしているので誰も文句はない。
しかし週に一度は早朝から礼拝とやらをやらねばならないらしく、その日だけトーマが世話を任されていた。一応小学生の頃にはアサガオだのプチトマトだの育てさせられた経験があるので、お駄賃に釣られて請け負ったトーマだった。
水をやり、雑草を抜き、痛んだ葉っぱを千切る。食べられるものが生るのだから純粋に楽しみだ。今朝もきちんと水をやっていたら、通りすがりの恰幅の良いおばちゃんが気さくに話しかけてきた。
「あら今日はいつもの神父さまじゃないんだね」
「オレストくんならお仕事でーす」
「若い男ばっかりと思ったらこんな成長期の子もいたのかい! ならもっと持って来れば良かったかねぇ」
おばちゃんが手にしていた重そうな風呂敷包みをトーマの手に押し込もうとしてくるので、ジョウロを置いて慌てて受け取った。
初対面のおばちゃんにいきなり物を渡される意味がわからないが、オレストのことを知っているなら彼宛の何かかもしれない。
「あんたたち男世帯でしょ! ちゃんとしたもの食べてるの?! これあっためて食いな!」
「え、え?」
「ああ、ああ、いいんだよォ、お礼なんてさ! なんたって神父さまとおばちゃんは家庭菜園仲間、なんだからね!」
「は、はあ……」
「いつも情報交換してるのさ。おまけにこないだなんかうちの常連さんの腰痛まで一瞬で治してくれてさぁ! あの人よく見ると男前だしさぁ! 良い人だよねぇ!」
「いや、しらんがな」
朝も早よから止まらぬマシンガントークに狼狽えるトーマを置き去りにして、強烈なおばちゃんは用は済んだとばかりに歩き出す。
「あ、食べたら器は店に持ってきてちょうだい! ちゃんと洗うんだよ! 嫌いなもんでも残すんじゃないよ!」
「うるせーよクソババア」
「誰がクソババアだって?!」
「そこだけ反応すんなよ!!」
店という単語が入ってきたので、近隣の商店をやっているババアらしい。
重い荷物が鬱陶しくなったのでトーマはババアの店とやらを確認せずにさっさと家に戻った。どうせオレストが帰って来れば分かる。
と思ったら、風呂敷を渡したらすぐにテンライが察した。
「ミーカさんまた差し入れくれたのか。貰ってばっかで悪いなぁ」
風呂敷を解くと両手鍋がまるごと現れた。器とか言っていた気がするがおばちゃん界隈ではこれも器なのだろうか。蓋を開けると中身は緑黄色野菜と豆たっぷりのスープ。汁気が少なく、煮物とスープの間、かもしれない。
「丁度いいや。朝飯にこれいただこう」
テンライはそのまま鍋を火にかけて鼻歌など歌いながら朝食の準備に戻る。
「すごい勢いだったんだけどあのババア」
「ババアってお前ね……前にもミーカさんからの頂き物夕飯に出したら美味い美味いっておかわりして食ってたじゃないか」
「そうなの?」
「これも絶品だぞ〜。野菜からの水分だけで作るんだってさ」
湯気のたつ野菜と豆スープが広めの器にたっぷり盛られてトーマの前に出てきた。温かいうちにいただく。
「え……うま……なにこれ、うっま」
全体の味としてはとろみのあるコンソメスープ。たくさんの野菜の風味が喧嘩しないで広がり、鼻の奥を抜ける香草の香りが爽やか。くたくたに煮た野菜の他に食感も楽しめるようにしっかり形の残っている野菜もある。歯を押し返すような弾力のある食感は押し麦だった。
味、香り、食感文句なし。あっという間に平らげて、トーマはおかわりまでもらった。
「ミーカさんはうち出て左手のワンブロック先にある定食屋のおかみさんなんだよ。人気店だぞ」
「猫の看板の店か」
「そうそう。"猫の蹄亭"」
「フナの肺呼吸みたいな矛盾を感じる」
「せっかくだから食べ終わったら鍋はトーマが返してきなよ」
「なんで俺がー?」
「一番ヒマだから」
「ぐうの音も出ない」
成長期の少年と、体が資本の仕事をしている若い男が三人。昼に案外大食らいのエスネッサも来たら鍋の中はあっという間に空になった。いくらでも食えるメンバーなのだ。
テンライは洗った鍋に貰い物の野菜や果物をお礼として詰めてトーマに持たせた。
午後三時、昼の営業が終わって手が空いているであろう時間を見計らって猫の蹄亭を訪ねる。準備中の札がかかっていたが、鍵はかかっていないようなのでトーマは勝手に戸を開いて中に呼びかけた。
「こんちゃー。鍋返しにきましたぁ」
すると、中では広いテーブル席を陣取って主婦五人のおしゃべりタイムが起こっていたようだ。おやつを持ち寄ってどこそこの息子さんがどうのこうの、うちの嫁がああだのと、どの世界でも大差ない噂話に興じているらしい。
ミーカがトーマを見つけると席を立って鍋を受け取った。
「今朝の坊やじゃないか! 早速来るとは感心感心! あらなんか入ってるね、お礼なんていいって言ったのに〜! 気ぃつかわせちゃって悪いわねぇ!」
「いちいち声がでけぇ〜」
「ナンダッテェ? 近頃の若い子は元気ないねぇ! もっと腹から声出しな!」
「ごはんありがとーございましたぁ!! おいしかったデスゥ!!!」
「あはははは! 面白い子だねぇあんた!」
むきになって声を張り上げたら何が面白いのか、バシバシ遠慮なく叩かれる背中が痛い。赤くなっていやしないか。
「アンタ名前なんていうの?」
「トーマ」
「おばちゃんはミーカおばちゃんだよ! ちょっと似てるね! 親戚みたいじゃないの!」
「どこがやねん」
トーマとミーカのやりとりを眺めていた他のおばちゃんが面白そうに口を挟んでくる。
「ミカちゃん、その子は?」
「この先の元宿屋あったろ、最近そこに越してきた子だよ」
「つまり、テンライさまのとこの子?!」
「最近見かけると思ったらテンライさんあそこに住んでるの?!」
おばちゃんたちが一気に色めき立つ。女性たちはどの世界でも、いくつになっても、イケメンには弱い。
ぐいぐい引っ張られておばちゃんの輪の中に座らされる。お誕生日席をもらい、勝手に飲み物が現れ、アレ食べな、これ美味しいよ、とおやつの器が全部トーマに寄ってくる。
遠慮なくラスクに手を伸ばしてむしゃむしゃ食った。うまい。
「ねえねえ、テンライさまって普段どんな感じ?」
「顔がいい」
「そんなの見ればわかるわよ! もっと一緒に暮らしてるから分かる一面とか!」
「基本的に常に機嫌もいい」
「最高だわー」
考えてみると顔が良くて強くて家事もできて性格も結構いいやつで、非の打ち所がない気がして面白くなかった。鼻につきそうなものだが、そうでもないのはスクルがテンライを雑に扱うせいだと思った。
すごい。おかげで野郎の反感も買わずに生きている。随分とお得な人生を送っている。ずるい。
「あんたはなんでテンライさまと暮らしてるの?」
「業務上機密デスゥ〜」
「おばちゃんたち難しいことはよく分からないけど大変なのね〜」
「若いのになんか色々あるのね」
「あんたもっと食べなさいよ」
教えられている通りに素性を聞かれて機密だと答えただけなのに、おばちゃんたちは勝手に同情してトーマにとにかく食わせたがった。
どこの世界でもおばちゃんは若い男は無限に飯を食えると思ってるし、食わせたいようだ。実際食えるので勧められるままに食った。
この日からトーマはたまに猫の蹄亭に顔を出してはおばちゃんたちにまざっておやつを食うようになった。
相変わらずお裾分けはしょっちゅうし合うし、時には遊びに行ったら「余り物だよ!」と定食を出されて昼飯が2回なんて日もあった。
すっかり胃袋を掴まれたトーマは、もっとミーカの飯が食べたい、と営業時間にも結構な頻度で通って一通りのメニューを制覇した。
ミーカの方も、それはもう喜んでじゃんじゃんおまけを勝手に足しまくって食わせた。今この城下町で最も邪神トーマとwin-winな関係を築けているのはミーカかもしれなかった。
だって何を食っても美味いのだ。人間の欲は留まるところを知らない。
衣食住が安定したのなら、より良い食を求めていた。おうちごはんが嫌なわけではない。ただ、担当者によりバラツキがあるのは仕方ないのだ。特にトーマの日のクオリティが低い。そりゃもう、外に食い直しに行くしかない。
トーマはもっともっと、知らない美味いものを食ってみたくなった。この世界に興味が湧いたのはこれが初めてのことだった。
「トーマのその食への執着はなんなの」
「封じられていた国民性の解放かな!」
そんなトーマの近頃のマイブームはエスネッサとの狩りだ。王都近郊の山に入っては魔物を狩る。
「エスくん、これ食える?」
「サイケデリックコカトリス。内臓を中心に全身に毒。食うと強い幻覚症状がでるので食用にはならないけど一部で人気」
「ダメかぁ。あ、あそこのでかい亀は?」
「ストロングカメカメ。表皮がとてつもなく硬くて料理人には捌けないから食用じゃない。アミノ酸多いから美味いかもしれん。毒はない」
「俺なら捌けるじゃん! ちょっと狩ってくるわ!」
「へーい」
トーマが斬り、エスネッサがナビするのが二人の狩りスタイルだ。前はもう少しエスネッサも戦闘に参加していたが、近頃はトーマが獲物を食えるか、食えないか判別したがるので、エスネッサは調べ物に徹していた。二人で割り勘した生物図鑑と解析魔術を駆使し、安全性だけは念入りに確認することにしている。
食えそうな獲物を二、三種類見繕い、トーマがそれらを現地でバラし、残った残骸はエスネッサが灰になるまで燃やして処分。そうして持ち帰る肉だが、こんなクセの強いジビエ肉、一般人が調理できるわけもない。
トーマはそれを猫の蹄亭に持ち込んでいた。
「ババア、この肉なんかいい感じにして!」
「また変わった肉持って来たのかい? トーマ」
「カメと馬とでかい川魚」
「それ系の、魔物、だからね」
ミーカには『害獣駆除の一環として美味しく食えれば肉の需要が高まって、しっかり討伐されて魔物が増えすぎずに地域の安全になる』と、元の世界で見たテレビの受け売りで適当な説明をして調理のトライを頼んだ。そしたらいたく感心されて、定休日なら持ってきていいよと言われている。
正直、トーマの趣味狩りは危険度が高い代わりに個体数が少ない激つよ魔物ばかりだ。増えすぎて困る害獣の類ではないので完全に方便である。
すでに肉の状態で持ってくるのでミーカは詳しく何の生物かは分かっていない。知らぬが仏だ。
「やっぱり騎士団のお世話になってる子はしっかりしてるんだねぇ! おばちゃんそんなこと考えたことなかったよ! 料理人が世の中のお役に立つなんてねぇ」
「客がみんな喜んでんだから普段から役に立ってるじゃん」
「なによぉトーマ! 嬉しいこと言ってくれるじゃないか! あんたたちも若いのにえらいね!」
いや、これはただのトーマの趣味なんですけどね。とは一応黙っておいたエスネッサである。
まさか、あの、トーマ・ベルニクスが、そこらの人間とここまで親しくなれるとは誰も思わなかった。その関係を不用意な一言で乱すべきではない。
大人たちもこの状況は把握しており、トーマの人間性の回復を期待して黙認されているくらいだ。
「あ、こないだマローネさんから野菜の苗もらったんだよ。あとで渡すからオレスト先生に持っていきな」
「ありがと。おれも今回肉以外があるんだわ」
トーマは荷物袋を漁って光るツノを取り出した。角度によって色を変え、キラキラ輝く。長さは50センチもあり、ドリル上にねじねじした細長いそれは、馬肉もどきとして渡した一角獣に生えていた角である。
「これもあげる」
「ちょ、トーマ……! それっ」
あまりにも綺麗だったのでカットして、山道を歩きながら小枝気分でぶんぶん振り回していたトーマだったが、エスネッサから「それめちゃくちゃ高く売れる魔術素材だから雑に扱ってないでちゃんと持って帰ってよ」と苦言をいただいた。
エスネッサ的には売れたら解析魔術ライセンス代が返ってくると思っていたのに、勝手にミーカにあげてしまうとかひどい。トーマに悪気はないのだが、物の価値の分からないやつはこれだから困る。
「あらー! きれい〜! でもこれ何だい?」
「分かんない。やたら光る角。なんかいいものらしいよ」
「すごいねえ! こんな立派なもの」
「いつも飯食わしてもらってるからお礼」
「なによ〜、あんたー! 気ぃつかわなくていいって言ってるのにもー! 一番いいところに飾らなくちゃ!」
ここまで喜ばれてしまったら、返せとは言いづらい。
早速入口すぐの鍵付きのガラス戸の棚に飾られてしまったのだが、楽しそうに設置している二人を見て、まあいいかと許してやることにしたエスネッサだった。
エスネッサもいつもご相伴に預かっているわけだし。お金に困ったら売るようにだけ伝えておいた。
次の日の昼、猫の蹄亭に一人の男性客が来た。
男は普通に店の列に誘われて、普通に日替わり定食を完食し、普通に支払いを済ませて席を立ち、店を出ようとした時にガラス張りの飾り棚に気付いて血相を変えた。
「なんでこんなところに変異種の一角獣の角が?!」
棚にへばりついてガラス越しに検分する。内側から星屑の煌めき、角度を変えると色味を変える構造色。人の手で作れるものではない。まごうことなき本物だ。
男は慌てて転げるように戻ってカウンターに身を乗り出し、調理場のミーカに叫んだ。
「すみません、あなたが店主ですか?!」
「そうだけど?」
「あの、入り口に飾ってある角! あれ、あれは……?!」
「ああ、いいだろあれ! うちの子からもらったんだ」
屈託なく笑うミーカ。それを見て男は理解した。
この女はこれの本当の価値を分かっていない。これがどんなに発見も、討伐も難しい魔物の一部なのか。硬質過ぎて傷付けずに採取するのも難しい素材なのか。完璧な状態のそれに、どれほどの魔術的価値があるのか。
分かっていないなら好都合だと男は考えた。譲ってもらえるに違いないと。
「30万で譲ってくれないか!」
「は? 売りもんじゃないよ」
「40、いや50でどうだ!」
「やなこった! アレはアタシの宝物なんだ。譲れないけどいつでも見に来てちょうだい」
「そんな意味もなく飾っておくようなものでは……!」
「お客さん、悪いけどアタシの答えは変わんないよ。早く出てっとくんな! 次のお客さんが待ってるんだよ!」
周りの客にも睨まれて、男はしぶしぶ店を出た。何度も振り返りながら。
果たしてアレはいつから飾ってあるのだろうか。
他に気付いた者はいないだろうか。
誰か、店主と親しい者が金を積んだなら、あの店主でも手放すかもしれない。
――あるいは、どうしても欲しいのならば。
男は研究者型の黒魔術士だ。
そして、自分の長年の研究に、どうしてもアレが欲しかった。
翌朝トーマが起きると、基本的にトーマより早起きの大人たちが誰も一階にいなかった。
三人とも二階の個室にいるとは考えにくい。訝しく思い、外に出ると何やら朝にしては人の気配が多いような気がした。左手の通りの先、猫の蹄亭の周りで遠巻きに近所の住人が様子を伺っている。
嫌な感じだった。
動けずにホームの前に立ち尽くしたままじっと見つめていると、猫の蹄亭から数人の騎士団員が出てくる。その中に目立つテンライの金髪頭が見えた。
きっと三人ともあそこにいるのだろう。
「この世界はクソだわ。ほんとくそ」
トーマはこの世界がどれほどクソであるかを確認するために猫の蹄亭に向かった。
そこで知ったことは、想像を超えていたのだけれども。
夢にまで見た一角獣の角が机の上にある。これさえあれば、男の野望が叶う。
ちょっと脅して奪ってくるように依頼したチンピラが手違いで店主を殺害してしまったらしいが、男は直接関わっていないし、世のためになる崇高な研究の前には些細なことだ。
黒魔術協会で机上の空論と馬鹿にされた術式が実現可能かどうか。今夜ついに試すことができる。他の準備は完璧に整えた。とにかく満月が昇るのが待ち遠しい。
そんな男の研究室に、恐怖の来訪者がやってきた。
その手段は、天井をくり抜いて、である。
せっかく整えた魔法陣の上に、いきなり丸く抜かれた天井がドカンと落ちてきたのだ。目を疑う光景だった。人間、本気で驚いた時は息を飲んで声も出ないものらしい。
ついで空いた穴から飛び降りてきたのは包丁片手のトーマである。
「お邪魔しますよー」
絶句する男を放置して、ぐるりと部屋を見渡し、男のいる机の上に目当てのものがあると気付くなり、ぴょんと飛び乗った。
きちんと磨かれて木目が浮いている机を土足で踏みしめ、光る角をしゃがんで見下ろす。
「き、きみは……」
男はそれ以上声を発することができなかった。少年の持つ抜身の包丁に本能的な恐怖を感じて、呼吸から止まりそうだ。
恐る恐る席を立ち、トーマから距離をとったが背中が壁にぶつかった衝撃で、辛うじて働いていた腰が抜けた。
トーマは男に一瞥もくれず、のんびりと口を開いた。
「ババアにやった角が店から無くなってんだよなー」
トーマが包丁とは反対の手に持っていた物を無造作に放り投げる。それが男の足元にゴロンと転がった。
「ヒェッ」
ヒトの腕だった。特徴的な刺青の入った右腕の、二の腕から先。男には見覚えのある腕だった。しかも爪が一枚足りない。
トーマはちいさく蹲って一人頭を抱えた。
「俺がババアに珍しいものあげちゃったのが悪かったっての? そうじゃないよなぁ。物欲でババアを殺した奴が悪いに決まってる。よくやるよホント」
疑問系だが返事は求めていない。自問自答し、勝手に答えを出す姿は狂気じみている。
トーマは机の上に立ち上がると、飾ってあった光る角を無造作に蹴飛ばして腕の隣に転がした。ひとっ飛びで男の前に立ち、角に足を乗せてゆっくりと体重をかける。
「こんな角一本、あってもなくても生きていけるだろうに。でもまあ、そんだけの思い入れがあるならお前もこいつに命賭けられるんだろ?」
じっと男の目を見つめ、今度こそ男の言葉を待った。震えるばかりで男から反応が返ってこない。
「一言、どうぞ」
マイクのように包丁を突き付けて問う。
何でもいいから何か言わなければ、と半狂乱になった人間から溢れる言葉などお決まりだ。
「た、たのむ! なんでもする! 命だけは……!」
「そこは、自分はどうなってもいい、こいつだけは〜って言ってもらわないと」
トーマが、包丁を振り抜いた。
ぶらぶらと商店街をホームに向かって歩く。
誰もトーマを見咎める者はいない。多くの人にとって、同じ街で暮らすほとんどは見知らぬ赤の他人だ。増えても減っても気付かない。
「はー、ババアの飯ももう食えないのか……」
大量の人間が蠢く賑やかな街が今のトーマには心底鬱陶しい。大荷物を抱えた奥さんの今日の夕飯はなんだろうか。
「日本に帰りたいなあ」
トーマが防衛ではなく、報復をしたのはこれが初めてのことだった。
とにかく家に帰りたかった。
どうしても女っ気が足りないと友に話したら「このメンツにはオカンしか入らん。ババアを出せ。そして仲良くなったところで消せ」と言った友人原案なので、ババアが死んだのは私のせいではないことをここに記します。




