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トーマの不穏で平穏な日常



 トーマ少年は日本の中学生男子だった。

 身長が伸び悩んでいることを除けば、栗毛の髪にどんぐり目は可愛げのある顔立ちと言えるし、容姿は悪くないので順調にいけばそのうち彼女だって出来て楽しい青春が送れたかもしれない。


 だが今はなんでか異世界にいる。

 この世界で最も大きな国、ミクシオ王国の王都郊外で、二人の騎士に監視されつつ気ままに暮らすことができるようになったのは、実はつい最近のことだ。

 やっと人間らしい暮らしが始まったのはいいが暇だった。学校に行って、授業を受けて、部活をやって、友達と遊んで、という決まったサイクルが恋しい。今のトーマは課せられていることも、これといって出来ることもない。


 当然生活は自堕落気味だ。目覚まし時計のない朝は遅く、なんなら昼に近いくらいの時間に起き出して、肌触りがイマイチな服に袖を通して、ふらふらと自室を出る。

 今暮らしているホームは二階建ての元宿屋で、三人で使うにしては立派でありがたい。二階は客室だった個室が五つ並び、そのうちの真ん中をトーマが使っている。階段を降りると一階はラウンジとバーカウンターが隣り合わせの続き間になっており、ラウンジにはソファ席と丸テーブルの椅子席がある。そのうちソファ席の方に同居人が二人揃っていた。


「おはようトーマ」

「おはよーテンちゃん」

 にこやかに爽やかボイスで挨拶をしてくる金髪赤目のキラキラしいイケメンの名はテンライ。寝起きの目に眩しくて鬱陶しい。元近衛騎士の顔面力がハンパない。

 一方、テンライの向かいに座って新聞を広げている方はスクル。黒の短髪に色付きの眼鏡(サングラス)がデフォルト装備な上、今も行儀悪く足を組んで座っており、すこぶる口と態度が悪い。本当に騎士か?ヤカラの間違いでは? と前に言ったら尻を蹴り上げられた。あれは大した勢いもなかったのに人体の痛覚を熟知している蹴りだった。


 スクルはチラリと柱時計に目を向けてから眉間に皺を寄せる。

「早いか……?」

「おそようトーマ」

「おそよー」

 テンライとの挨拶をやり直してさっさとキッチンに逃げたトーマだった。同居人の小言など勘弁だ。


 バーカウンターの奥がキッチンになっており、タイル張りの水場で顔を洗ってから食糧庫を開けて黒パンを確保。これが硬くてまずいのだ。フライパンにスライスした黒パンと卵を投入してまとめて焼く。魔鉱石ヒーターとやらのコンロなのだが、トーマはこいつでの調理に成功した試しがない。いや、元の世界にいた頃から調理実習以外で料理したことがないのでおそらく家事スキルがないせいだとは思う。

 今日も可哀想な朝食を生成してしまった。大丈夫、塩とバターがあれば食える。異世界に揉まれてかなり逞しくなったトーマである。カウンター席でさもしい飯をもそもそ食っていたら、見かねたテンライが野菜食え、と手早く温野菜を足してきた。ありがた迷惑だった。

「つーか二人はテンちゃんが作った飯食ったんでしょ? 俺の分も作ってくれて良くない?」

「同じ時間に起きてきたらついでに作ってやるよ」

「ちぇー」

 そんなことを言われても寝床が快適なのが悪いと思う。

 つまらない話題を逸らすべく、トーマは二人に話を振った。

「二人の今日の予定は?」

「俺は非番。スーちゃんは非番の散歩という名目で騎士団本部行ってくるってさ」

「あら大変」

 テンライは朗らかに話に乗ってくれるが、スクルは厳しい目で睨んできた。

「お前のせいだからな?」

「ごめんあさぁせ」


 身に覚えは――あった。

 なので反射的に謝りつつトーマは見苦しく言い訳をしてみることにした。

「だぁって明らかにぼったくりだったからぁ〜ガキだと思ってよ〜ムカついたので〜」

「ムカついたので露店ぶった斬ったのかお前は」

「あんな店害悪だから〜処分してやればちったぁこの世もクリーンになるだろ!」

「大人しく報告すりゃあこっちから手を回す。余計なことをするな……!」

 スクルの容赦のないゲンコツがトーマの脳天に落ちた。

そこになおれ、と飯の途中なのに起立させられて、昨日トーマがやらかしたことの聞き取りが行われた。スクルは話を書き留めた書類を手に「もう面倒ごと起こすんじゃねぇぞ」と念を入れてトーマの額に強烈なデコピンをお見舞いした後、出掛けていった。

 痛みに呻き、その後ろ姿にイーッと威嚇してよろよろとカウンター席に戻る。

「ちくしょう、体罰がまかり通る世界が憎い……!」

「いやほんと、見ててはらはらするわ……」

「でも止めないじゃん」

「今のところ止める必要性を感じてないからね」

 傍観者を決め込んだテンライの肩をすくめるポーズがやたら様になっているのにイラッとした。トーマは乱暴に温野菜をフォークで突き刺して口に放り込む。謎のピンク色のドレッシングが爽やかで案外美味い。この世界では食事中に見る画面の一つもないのでテンライの動きを目で追えば、食糧庫や棚を開けて中身をチェックしては片手のメモになにか書きつけていた。彼は手を止めずにのんびりとのたまう。

「ま、今日は俺と商店街に買い出しに行こ。まだ色々足りないんだよなぁ」

「うん」

 どうせ暇だし、この街の地理も全然把握していないので一緒に出かけられるのは助かる。トーマは急いで朝飯を食い終えて食器を片してしまうことにした。










 テンライと街に繰り出して十分。トーマは早くも一緒に出かけたことを後悔していた。


「え……っ、もしかして、テンライ様?」

「すごっ! ほんもの? え、ほんもの?」

「本物の顔が良すぎる……」

「握手してください!」

「あー……あの、買い物したいので少しだけね……」

 昼過ぎの賑わう商店街に出た途端、あっという間にテンライが市民に囲まれて身動きが取れなくなった。十人いたら十人振り返るイケメンな上にタッパもあってやたら目立つのだ。しかも随分な有名人のようで、女が多いが老若男女問わず集まってきて、握手してくれ、お目にかかれて感激だとか言われている。

同行者としては不愉快の一言に尽きる。

「おいテンちゃん!」

「五分、五分待ってトーマ!」

「もー!」

 人垣の外にさっさと逃げたトーマは、少し離れたところにある噴水のふちに腰掛けて五分待ってやることにした。噴水は十字路の真ん中にドンと立っており、交差点の角の店が時計を掲げていたのでちょうど良い。


 こういうちょっとした待ち時間にスマホがない時代の人たちは何をしていたのだろうと、引く気配のない人並みをぼんやり眺めていた。

 噴水の周りはトーマと似たように人待ちをしている者もちらほら見える。周囲をうかがっていたら左隣に立っていた初老の紳士と目が合った。気まずい。


「素敵な服だね。観光客かい?」

 地元の人間かどうか、結構雰囲気で分かってしまうものだ。トーマはこの世界のどこにも地元はないが。わざわざ疎外感を掻き立ててくる不躾な相手を不愉快に感じ、トーマは機嫌の悪さを態度にそのまま出して口先を尖らせて答えた。

「最近住みだしたんだよ……」

「そうか。王都は良いところだよ。このあたりは五年前、被害に遭わなかったからね。古い教会も残っている」

 タイミングよくカーンカーンと鐘の音が響いた。時報というわけではないのだろうか。時計の長針が斜めを向いているのに鳴り出して、しかも全然鳴り止まない。異文化は謎だ。

「きみも気に入ってくれるといいが。この国は好きかね?」

 座っているトーマを、立ったまま見下ろしてくる紳士。トーマは目だけで男をチラリと見上げ、また正面に視線を戻した。

 ——男の目が気に入らない。笑っているようで、じっとトーマの反応を見ている。

 そんな目を向けられるのにも辟易していた。空々しいやり取りを長引かせるよりも一気に幕を引いてやろうと、トーマは素直に答えてやった。


「この世界はクソだ。俺は誰も信じてない。目の前歩いてる奴ら、全員どうなってもいい」


 声にはなんの感情も乗らなかった。

 もうとっくに腹を括っているのだ。人の営みも視界に入れてはいるが蟻の行列を見ているのと変わりない。

「俺を害する奴は地の果てまで追いかけて、指図した奴まで吐かせて全部切る。アンタみたいな奴もうんざりだ」


 男がわずかに手を震わせた気がして、しっかりと目を合わせて言った。


「なんてね。今更そんなこと聞いてどうすんの?」

「いや、な、何か誤解がないかな。精々王都暮らしを楽しんでくれたまえ……っ」


 


 逃げるように去っていく男の背を、トーマは追わなかった。今は休戦状態にあると理解しているから見逃してやったのだ。

「けっ」

 ぶすくれて頬杖を付いて通りを眺めているトーマの元へ、テンライが戻ってきた。やっとか、と立ち上がりテンライと並んで歩き出す。

「ごめんお待たせ〜」

「よく十分で収まったねアレ」

「俺の人徳ですよ」

 五分の遅刻の上、今も遠巻きにチラチラ見られ続けているがこれがテンライの人徳の限界らしい。トーマにとっては邪魔なサービス精神である。

「トーマ、いま誰かと話してなかったか? 珍しい」

 きょとんと首を傾げるテンライの様子が演技なのか素なのかトーマには分からない。テンライの立場的にはトーマが関わった人物を知っておく必要があるのかもしれない。どちらでも構わない。意味がないことだ。


「あれ、キョーカイの異端審問官だよ」

「は? なんで今更」

「知らねー興味がねー!」

 天に向かって吐き捨てるトーマの分かりやすい不機嫌ぶりにテンライは呆れて苦笑いしか出ない。やれやれ、今夜はトーマの好物でも作ってやるか、などと思い、食材や日用品を探して回った。

 テンライが会計をするたびに「英雄様からそんな、いただけません!」「おまけです持ってって!」などと荷物がどんどん嵩み、二人とも両手いっぱいになったところで仕方なく帰路に着いた。


 


 帰宅するなりテンライは手間のかかる肉の煮込み料理を仕込みにかかった。トーマには離れの小屋にある風呂掃除をやらせて、使い終わった調理器具を洗うのを手伝わせる。ぼちぼち夕飯の完成かな、という頃合いだった。そのときには美味そうな香りにトーマの機嫌はほぼ回復していたのだが、代わりにもっとご機嫌斜めな奴が帰って来た。

 バン! と玄関戸が荒々しく開き、そのままの勢いでツカツカ突っ込んできたスクルは一直線にトーマに向かい、少年の頭を鷲掴んだ。首がもげそうなほどぐわんぐわん揺さぶりながらの説教だ。

「トォーマァ〜!! テメェ外で無闇に殺意撒いてんじゃねえ!」

「なんでスーさんが知ってんだよ!」

 昼間のトーマと異端審問官のやりとりが、騎士団本部へ行っていたスクルのところに筒抜けだったらしい。

 昨日の今日でこれだ。トーマの監督不行き届きとの厳重注意を受けたであろうことを思ってテンライはスクルに同情した。こんな問題児を抱えた責任者は大変だ。


「お前が迂闊なこと言えば即行で上層部に情報流れてゴタゴタが始まるんだよ! 曲がりなりにも自由に暮らしてるのにまた牢に戻りたいのか馬鹿野郎!」

「だってムカついたからぁ〜! 明らかに試してきてて胸くそ悪くてぇ〜! 生かして帰したからノーカンだろー!」

「まともに暮らしたきゃちったぁ考えろ!」

「うるせー! ごめんな!」


 トーマとしては、そこまで話が大きくなるとは思っていなかったのだ。自分の迂闊な言動一つの情報が回る速さに、気色悪っ、と引くと共にいくらか反省はした。

 スクルから投げ捨てられるようにしてたたらを踏んだトーマを見向きもせずに、今度はテンライに白羽の矢が立った。


「お前も一緒だったならまだこいつから目ェ離すんじゃねえよ!」

「ギャン!」


 トーマより遥かにきつそうなローキックをケツに叩き込まれたテンライを見て、連帯責任〜と指差して笑う。

 反省はしてもその色は薄そうだった。


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