期待の新星
それは
叶えられなかった
小さな願いの物語 ―
○ プロローグ
○ 期待の新星
―
わたしはなぜここにいるのか?
―
眼前に広がるのは宙のように底知れない闇。
星の瞬きはない。
手のひらを見る。
そこにあるのは、タンパク質を中心に複雑に構成された有機物のかたまり。
それがいわゆる「ヒトの手」のかたちをしている。
わたしはだれ?
誰に訊くでもない、つまらない自問をしたのは。
それはシナプスを介して電気信号の情報を非常に不確定な形で「記録」するニューロンネットワークが導き出した、答えがみつかりそうもない疑問。
わたしは ―
わたしは ―
不意に意識が反響する。
もう一人の「じぶん」が応える。
暗闇に手を伸ばす。
貴方は ―
私は ―
…
… ん!
…しゅにん!
「主任ってば!」
…
「んにゃ?」
一瞬前の事が遠く深淵に吸い込まれたように消え失せる。
霞みかかった「スクリーン」に映し出されたヒトのかたち。
「主任っ!お昼休みはとっくに終わってますよっ!」
「…」
お昼休み…はて。それはいったい…
「え?」
霞みが一気に消し飛ぶ。
「あ」
「あ、じゃないですよ。もー、また寝坊ですかー?」
じぶんを霞みから救い出したそのヒトガタは、ふさふさの尻尾を振り回しながら凄みをきかせる。
「院長が呼んでますよ!ほら、ディーテも一緒に行ってあげますから!」
ディーテ。
自らの名を口に出したその少女は、とてもよく知っている。
魔導科学研究院の期待の新星、若干16歳の若さで上級魔導士を手に入れた天才。
― そして、落ちこぼれのじぶんの部下。
オオカミ族の特徴的なふわふわのしっぽをぱたぱたと。
真っ青な瞳に、透き通る金色のショート。
怒り顔でも愛らしい犬歯を覗かせ、精一杯の威嚇モードで自己主張。
「カワイイが過ぎるにゃ」
「なぁに言ってんですかっ!早く行かないとまたお仕置きされますよ!」
「あー…めんどいにゃー…」
しぶしぶソファーから身を起こし、めいっぱい伸びをする。
だだっ広い食堂の一角。
直前の記憶に留めていた「そこ」とは違い、今は水を打ったように静まり返っている。
― 終わったな
はい。お仕置き確定。
まーた、あのガンコじじぃのお説教6時間コース。
なお残業代は出ない模様。
「ねこだもん」
誰に届くでもない、つまらない自己主張をしたのは。
「…はいはい。ディーテも付き合ってくれるかにゃ?」
魔導科学研究院の期待の新星、若干16歳の若さで上級魔導士を手に入れた天才。
― だった、今は18歳の落ちこぼれ。
どうして落ちこぼれ?
まぁ、あとでわかるにゃ。
細かいことは気にしない。
じぶんはそうやって、変わらぬ日常をやり過ごす。