赤と青の林檎
実に奇妙な「夢」だ。
見渡す限り黒の中を、頭から真っ逆さまに落下する。
落下地点Aなど存在しないような黒の中を、ひたすらに落下する。
もがきもせず、騒ぎもせず、ただ落下する。
「やぁ、こんばんは。」
突然、真っ暗なスマートフォンの画面がパッと光るように「人」が現れた。目線をピタリと合わせ、私と同じ状態で平行に並ぶように。
太陽光も電球も無いのに、なぜか「人」の姿がはっきり見える。
けれど、驚きはしなかった。
「夢」だから。
「なんだ、つまらないな。もっと、うわー!とか、うひょぉー!とか言うと思ったのに。」
「…さすがに、うひょぉー!とは言わない。」
「うひょぉー!はただの冗談さ。真に受けないでよ。」
「…ちっ。」
「あー、今舌打ちしたしょ?牛乳飲んでる?」
「……で、この流れから察するに、あなたの名前はって聞く展開だろうけど、割愛してもいい?」
「質問に対する無視は反対だけど、割愛は賛成だ。私の名前は君が一番知っているだろうから。」
「そりゃ、反吐が出るほど。」
私の目の前に現れた「人」は私。
つまり、私は「私」と会話しているという何とも不思議な状態だ。
けど、これは「夢」だ。
「まあ、立ち話もなんだから座りなよ。今日は君にお願いしたい事があって会いに来たのさ。」
「お断りします。」
「せめて、話聞いてからにしてください。」
「冗談さ。真に受けないでよ。」
気づけば、人間が一人座れるほどの白い四角に座っていた。しかし、頭から落下している状況に変わりはない。
「…ごほん。突然だが質問をさせてもらうよ。君は魂に心臓があると思うかい?」
「魂に心臓?そりゃまたとんでもない質問だ。答える前に、その質問をするに至った経緯を教えて欲しい。」
「おっと失礼、失念していた。それはねと言いたいところだけど、もう時間がないようだ。」
「時間?ああ、そろそろ終わるの?」
「私」はその質問に答えることは無かった。
そして、「私」はおもむろに右手を自らの胸の前に持ってくると、そのまま奥深くへねじ込んだ。
ぐちゅっという音と共に、ねじ込んだ所から血がドバドバと溢れて足元に血だまりを作る。落下してるのに足元に血だまりができるのは「夢」だからしょうがない。
「ひっ…!なっ…なにやってんのさ!ちっ…血が!」
「大丈夫だよ、ただの演出。実際は血なんて出ないけど、こっちの方がリアルでビックリするでしょ?てか、ちゃんと驚けるじゃん。」
「……」
「そんな怖い顔しないで。さ、取れたよ。」
先程までねじ込まれていた右手を私の前に差し出す。悪趣味な演出により血まみれになっている手には赤い果物が一つ。
「なにこれ?林檎?」
「いいや、分かりやすいように見た目を林檎にしてるだけ。これは心臓。魂の心臓。」
「は?いや、意味分かんな…ごふぅぅ!」
私が言葉を発し終わる前に、その右手が私の胸を貫いた。
そしてすぐに引き抜かれた右手には、先程までの林檎とは違う、青い林檎が握られていた。
「うはぁ!痛…くない?てか、何なのさ!いきなり!」
あまりにも驚いてしまい、言葉がうまく繋げられない。
「今、君の胸の中にはさっき私が取り出した林檎がある。心臓の交換。これが、お願いしたかった事。」
「いやいや、説明無しな挙句、意味不明な言葉連発して、一方的すぎない?私の話聞いてる?」
「一方的なのは分かってる。時間がないんだ。「私」が終わりを迎えるために必要なことだから。」
そう言うと、「私」はにやりと口角を上げながら青い林檎を自らの胸に入れた。
「訳が分からない…。」
「そのうち分かるさ。」
これは「夢」だ。
落下は今も続いている。
「おっと時間だ。では、「私」はここで失礼するよ。さようなら、「私」。さようなら。」
とても幸せそうに笑いながら言った。
それは「私」自身に向けた言葉なのか、それとも私に向けた言葉なのか。どちらも私なので分からない。
すると、スマートフォンの画面が真っ暗になるよにパッと「私」が消えた。
後に残ったのは、青い林檎。
「魂の、心臓。」
残された青い林檎に触れようと手を伸ばした瞬間、ドスンという音が響いた。
「…あ。着地した。」
同時に落下も止まり、座っていた白い四角も無くなって両足で立っていた。
「そうだ、林檎…あーあ。潰れちゃってるよ。」
先程、触れようとした青い林檎は、足元で無惨な姿になっていた。
そして、大きく歪む黒。
「夢が終わるのか。」
私は伸ばした手を青い林檎ではなく胸に当て、目を閉じた。
再び目を開けると、そこは見慣れた景色だった。まだ暗いので夜が明ける前だろう。繁華街のネオンがきらびやかに輝いている。
高層ビルの屋上にある落下防止柵の向こうに座っていた私は、空を見上げた。雲一つ無い綺麗な星空の下を、飛行機がゴウと音を出して飛ぶ。
ふと、私の足元がすごく賑わっているのに気づいた。
少し屈んでそこを見ると、赤いライトが沢山輝いている。
賑わいの中心には私がいて、それを取り囲むように老若男女が集まっている。
「なんだ。死んだら魂も消えるんじゃなかったのか。」
胸の中心で、「私」の林檎が鼓動を打つ。