2.初仕事が肝心③
ショウのいるキャンプ地に現れたのは、黒い体毛で覆われた獣族の魔物、魔獣熊グリズリーだった。比較的小柄なショウと比べれば体格差は三倍近くある。
(グリズリーか……この森に出るなんて珍しいな)
ショウは魔物が襲来していることに気付いているが、背を向け赤くなった鉄を打ち続けている。
グリズリーは鼻をヒクヒクとさせ、のそりのそりとキャンプに近づいてくる。火を起こしても、音を立てても逃げないのは、ショウを格下だと思っているからだろう。
グリズリーは「どちらを先に食べてしまおうか」と吟味するように、ショウと食料庫を交互に見ながら、逃がさないよう殺気を込めてのっそりと歩いている。
(フラグ回収がちょっと早すぎやしないか? 大丈夫だと言ったその日のうちにだぞ)
とため息をついて、炉の中にバトルアックスを戻し立ち上がる。
(皆の信用は落としたくないし、やるしかない、か)
腰に手をかけたその瞬間、グリズリーはその鋭い爪で虚を裂き、ショウに四本の鋭い斬撃を飛ばした。
(うおっ)
ショウは両腕を縦に構えガードし、斬撃を受け止めた。
腕には確かな衝撃が伝わるものの、襟付き作業着は傷ひとつついていない。魔術の素養のない獣が飛ばすなまくらな斬撃など、この作業着の防刃性の前では空気が掠ったも同然なのだ。
効果が薄いことを悟ったのか、グリズリーは質量を持って攻撃せんと、大地を抉り突進。
突進速度は人間が逃げる速度を優に超える。黒い双眸はショウの姿をしっかりと捉えており、逃げることも回避することも難しい。
グリズリーが覆いかぶさるように跳んだと同時に、ショウは叫んだ。
「メカバック!!!!」
―カチカチカチカチ
テントの中から丸い円盤のようなものがカチカチカチという機械音を伴って、グリズリーの頭部を右から殴りつけ、動きが揺らいだところをショウは右に飛んで回避。
熊を殴り付けた円盤の正体は、空中に浮遊する小盾だった。
これは、ショウの相棒である機械仕掛けの小盾、愛称「メカバック」
一見ただの簡素な作りの小盾に見えるが、中には複雑怪奇な魔力回路や歯車が組み込まれており、意思を持っているかのようにふるまう浮遊盾だ。
ショウ曰く、本当に意思を持っており、また、自身の戦闘能力の九割を占めると冗談交じりに言っている。
実際、その戦闘力はすさまじいものであった。
ショウの右手の動きに合わせて機械仕掛けの小盾が縦横無尽に動き回り、グリズリーの頭を執拗に殴り続ける。幾多にも響き渡る鈍い音、グリズリーの足元がだんだんとふらつき、ついにはドサリと倒れ、気絶した。
ショウは腰に手をかけて熊に跳び、刀身のない持ち手だけの剣を逆手に持ち、グリズリーの背中に剣をつき当てた。
ショウがエネルギーを込めると、力なき断末魔とともにグリズリーから力が抜け、黒い血が流れ、こと切れた。
背中から持ち手を抜くと、そこには半透明の白い刀身が生えていた。
これも魔装具の一つであり、エネルギーを込めると無属性のエネルギー刃が成型される。
ショウ自身が設計から手がけ、十手魔刀と呼んでいる。
一見普通の持ち手であるが、ガードの部分は片側しかなく、中央部分にダイヤルがついており、それを回すことで、様々な形にエネルギー刃が成型されるのだ。
ショウは大きくため息をつき、脱力して座り込んだ。
命のやりとりをする戦闘には慣れていない。
倒せる相手であっても緊張するし、何よりも怖かった。彼は技術者であって、戦士ではないのだ。
グリズリーが現れても鍛冶作業の手を止めなかったのは、一番集中できることをし続けることで、その緊張と恐怖を打ち消し冷静な思考を保つためであった。
(面倒事が、増えたな)
まだ仕事は始まったばかり。ゴルードの斧もまだ完成していないし、グリズリーの亡骸も処理しないといけない。
闇の魔力と血の匂いに連れられ、新たな魔物がやってきてしまうのだ。
課せられた新たな仕事にまたため息をつくと、ショウは火の魔装カードの枚数を確かめ、腰を叩いて起き上がり、スコップを持った。
※※※※※
レイ達が帰ってきたのは日が沈んでからだった。
レイは相当疲れ切っており、ショウが用意した食事を平らげるとすぐに自分の一人用テントへと戻り、すやすやと眠り始めた。
シルクとガーネットは夜を安全に過ごすための結界の準備を始め、ショウは今日レイ達の使った武器の数々のメンテナンスを始めた。
静かな夜には、これまで雑音とされていた音が音楽となって響く。
砥石と金属が擦れる音や黒板をチョークでカリカリと叩く音、紙をペンでなぞる音が夜の森に響き渡り、夜の森を奏でる。
松明の灯りの中、虫や獣と一緒に夜を奏でる演奏者の一員になるのも風情がある。
「ショウ、直してくれた斧だが、素晴らしい出来だ。もしかして買いなおしたのか?」
ゴルードが冗談交じりに言うと、ショウも小恥ずかしそうににやりと笑って
「いやいやいや」
と言った。確かに、ゴルードが手に持つ斧は新品と見間違えるほど綺麗になっている。
「冗談だ。なにか俺に手伝えることはあるか?」
「研ぎ終わった武器に薄く油を塗って、元の場所に戻しておいてほしい」
「わかった」
「切れ味がよくなっているから、慎重にな」
ゴルードは武器にサビ対策の油を塗り、ショウは防具の方へと手を進めた。
同性かつ一番年上なのか、ゴルードはよく話しかけてくれる。ショウはそれをありがたく思っていた。
ガーネットは明らかに敵意をむき出しているし、シルクには静かで見えない壁を感じる。レイも話しかけてくれるのだが、どこか頼りない。
「今日はゴルードさんが一人で前衛を張っていたのか」
レイの防具を診ていたショウが言うと、的を射られたのか、ゴルードは笑った。
「お前には、何でもお見通しだな」
「状態を見ればわかるさ」
ゴルードの武具、防具は朝見たときより消耗していたのに比べ、レイの防具は傷一つついていない。よっぽど介護されて鍛えられたのだろう。
「技術者の経験とカン、というやつか」
ゴルードが聞いた。
「そう、だな。けれど、それだけじゃない」
とショウは黒板と書いていた紙を見せた。
「これは…数字か」
「そう。黒板は計算用、紙は記録と式。武具、防具の損傷率を記録して、どのくらいまでなら修理で間に合うのか、どのくらいの日数で買い替えなくちゃいけないのかを計算しているんだ」
「難しい話だ……黒板を見てもさっぱりわからない。ショウは凄いな」
「そうでもないさ。この世界、計算ができなくても生きていける。けれど、なんにもなかった俺に、こうやって経験とカンを授けてくれたからな。数字は偉大さ。どうだ? レイの様子は?」
「まだまだ、だな。俺たちが魔物を弱らせて、レイに戦わせる事を繰り返している」
魔物と戦えるようになるには実践が一番なのだ。少し手間がかかるが、レイを成長させる一番の近道でもある。
「倒せた、のか?」
「いいや、まだだ。一匹も倒せちゃいないさ」
ゴルードが言うには、レイは弱い魔物一匹すらまともに倒せない程戦士としては未熟で、ガーネットが弱らせても今度は「弱る魔物を討伐するなんて」と躊躇する迷い―優しさ―を持っていた。
闇の魔力に犯された魔物は本能的に人を憎んでいる。
言葉も通じず、敵意をむき出しにしている相手にレイは戸惑い、剣を振れないでいる。戦闘技術の面でも、心意気の面でも彼は戦いに身を投じてはいけない人間なのだ。
「ならなぜ、そのレイが戦いなんかに…」
ゴルードはその問いには答えず黙り込み、聞こえなかったように作業を進めている。
ショウは何か気持ちの悪い沈黙に呑まれ、問い直す気になれず、その不快感を振り払おうと自分の作業に集中し始めた。
Tips 機械仕掛けの小盾①
メカニカルバックラーと読む。自律型魔法盾。愛称メカバック
かつて大切な人から譲り受けたものであり、ショウの戦闘を支えている。
彼曰く、自身の戦闘能力の9割をメカバックが賄っているらしい。