ちょっとじゃない事件
1ヶ月が経った。
1ヶ月よ、1ヶ月。
あ〜あ。一年のうちの、十二分の一が終わってしまった。
寝たフリよりも、今起きたフリをする方が難しいのね。
あの舞踏会の後、寮に送ってくれたおじ様たちはいつもと変わらない様子で「おやすみ」を言ってくれたわ。
「俺たちを信用出来ないのか?」なんて詰め寄ったりしないところは流石おじ様よ。
度量の大きな大人の男性よ。
やっぱりおじ様は素敵。憧れは前からあったけれど、こんなに近くでお話したり、お仕事している姿を見たり、包容力のある様子を実感すると、心がどんどん引き寄せられてしまう。
秘密を抱えたまま会うのは怖いけれど、でも会いたいの。
おやすみなさいを言った直後に、もう顔を見たくなる。
こういうのを、せつない、って言うのかしら。
2月に入って早々、私とモカに討伐任務への派遣の要請があったの。
モカは防御魔法に優れていてね。討伐任務では重宝される力なのよ。
でも、私の起用理由はよく分からないのよね。書面上はモカと同じく「防御力強化のため」となっているけれど、私、役に立つのかしら。
防御魔法、使えない訳じゃないけれど…。
治癒魔法担当は別の方よ。
今回はマリア・ディオンさん。
治癒魔法が使える魔法士の中で最も優れた2人のうちの1人よ。もう1人はアレックス・ドーンさん。2人ともすごいのよ。どんな怪我もあっという間に治してしまうわ。
リサは任務で大きな怪我をしたことが無いから直接お世話になったことは無いけれど、怪我をしてもすぐに治してもらえるという安心感は大きいのよ。
魔物の討伐任務では、2人のうちのどちらか1人が必ず派遣されるわ。
討伐任務は怪我人が出る可能性が高いし、命に関わるような大きな怪我をしてしまった場合、すぐに治療ができた方がいいでしょう?
だから、必ずどちらかが、または両方が同行するの。
マリアはリサよりも少し年上かしら。
長いウエーブの金髪でね、色が白くて、ほわほわっとしたひとなの。美人、というよりは可愛らしい感じかしら。
モカと一緒に集合場所に行くと、もうマリアは来ていたわ。
「ルナちゃん、モカちゃん、今日はよろしくね」
にこ、とマリアが笑う。
うん。ほら、可愛い。
「今日はカーバンクルの討伐なんですって。大丈夫よ。小さな魔物だし、討伐任務に慣れるにはちょうどいいと思うわ」
そうか。討伐任務に慣れる為、なのね。
それなら私が一緒に派遣されるのも納得かしら。
カーバンクルはリスのような姿の魔物でね。リスよりも大きいけれど、それほど危険な魔物ではないわ。一般の方が襲われたら大怪我をしかねないけれど、鍛えられた騎士団員なら問題ない。だから子供の私たちが任務に慣れるのにちょうど良いってわけね。
今日の任務に参加する魔法士は私たち3人だけ。
任務を主導するのは第6師団よ。
第6師団。
ちょっと緊張するわ。だって、第6師団はリサが所属している団なのだもの。
子供の頃からの知り合いっていないから、あの舞踏会とは違って、見た目で気付かれる心配はないと思うのよね。
でも一応、念のために、髪をツインテールに結ってきたわ。出来るだけ印象が違った方がいいと思って、リサのときにはしたことの無い髪型にしてみたの。
もしも似てると言うひとがいても、まさか本人だとは思わないだろうし、疑われてもすっとぼけてみせるわ。
あの舞踏会でかなりビビらさせたお陰で、度胸がついたみたい。
心の準備、心の準備。大丈夫、大丈夫!
マリアは慣れた様子で団の人たちに挨拶をしながら私とモカを紹介してくれる。
本来ならありがたいと思うところなんだけどね。
ヒヤヒヤするわ。
あ。マーク・ウィリス団長よ。
「団長さん、こんにちは。うちのかわいこちゃんたちを連れて来ましたよ〜」
マリアったら。団長に対してもふわっとした感じなのね。
モカったら、そんな顔しないの。半目になってるわよ?
ウィリス団長は私たちを見て頷いたわ。
「マリア、それにモカとルナだね? 今日はよろしく頼む」
団長はちょっとイカツイ見た目で怖そうに見えるけれど、決して怖い人ではないわ。
厳しいけれど思慮深くて、理不尽なことは仰らないひとよ。
「カーバンクルの討伐ですよね? ふふ。きっとすることないですね、私。今日のお仕事はお散歩だなぁ、って楽しみにしてたんです」
あら。マリアったら本当に楽しそうね。
「そうなるといいが。今日の現場はカーバンクルが異常繁殖している草原だ。カーバンクルは鋭い牙を持っているからな。大群で襲ってくるとタチが悪い。モカとルナにちゃんと守ってもらいなさい。もちろん、うちの者も付けるがね」
「ふふ。はーい。いきましょう、モカちゃん、ルナちゃん」
マリアは楽観的だわね。カーバンクルの大群って、結構怖いと思うけど。
でもそうか。私とモカの仕事はマリアを守ることなのね。指示書には具体的なことは書かれてなかったけれどそんなものなのかしら。
あ、いえ。騎馬隊の任務に参加したときはちゃんと具体的に書かれていたわ。
…書く人の裁量に任されているのかしら。そういう仕事、したことが無いからよく分からないわね。
そういえば、マリアもアレックスも治癒能力特化と聞いたことがあるわ。魔物に対抗できるような魔法は使えないということなのかしら。
…マリアを守るのは、モカひとりいれば十分な気がするのよ。
私も草原へのお散歩だと思って楽しんじゃおうかしら。
お散歩と言っても、移動は徒歩ではなく荷馬車に乗せられて、なのだけれどね。
第6師団のひとたちは馬で移動よ。騎馬隊のように騎馬で戦闘はしないけれど、移動は馬を使うわ。
驚いたのは、荷馬車の中に積まれた武器の数々。カーバンクルの討伐とは思えないほど大型の武器がたくさん準備されていたの。なぜなのかしら?
前の作戦で使った物を仕舞い忘れたのかしらね。
「わぁあ、すごい…」
草原にはそこら中にカーバンクルがいたわ。
草原の葉っぱはほぼ枯れているの。2月だものね。
姿を隠しきれないカーバンクルがそこら中でぴょこぴょこ跳ね回っているわ。
これは、大変ね。魔物相手だからというのではなく、駆除するには数が多すぎる。
モカが早速魔法を使って、私たちの乗った荷馬車にドーム状の防御壁を作ったわ。
その中から団のみんなが各々カーバンクルを退治していくのを見守るの。
カーバンクルは私たちの荷馬車にも突撃してくるけれど、モカの防御壁に阻まれて、べたっと壁に腹ばいになったままずるずる滑り落ちていく。そこを側で護衛してくれている騎士さんが退治してくれるの。
馬が齧られないよう、馬の待機場所に防御壁を作るのは私が担当したわ。
モカよりも発動に時間がかかっちゃうわね。でも、ほら、出来たわ。
「あ、あのひと、齧られてるわ」
モカが指差したのは向かって左手の奥。
あ、本当だ。ずいぶんたくさんのカーバンクルに集られているわ。
「あらあらあら。お仕事、あったわねー」
他のひとに手伝ってもらいながら、そのひとがカーバンクルから逃れて来たときは、小さいけれど深い傷がたくさん出来ていて、とても可哀想な有様だったわ。
ああ…。かなり齧られたわね。顔とか首とか手首とか、血だらけになっちゃってる。
「もう大丈夫よ。痛いの痛いの飛んでいけ〜」
でも、マリアの魔法であっという間にキレイに治ったわ。
そのひとはお茶を飲んで少しだけ休憩すると、マリアにお礼を言ってまた駆け出して行った。
声に出しては言えないけれど、頑張って、サミー。
「見て、あそこ。巣穴を見つけたみたい」
モカが示した方向に視線を向けたとき、なにかを見た気がして、慌てて視線を戻した。
なんだろう。今、カーバンクルとは違う毛色が見えた気がした。もっと大きな、ふさふさの、あれは、灰色の尻尾?
「………っ!」
やばいわ! 絶対にやばい!!
「ルナ?」
「スコルよ!!」
ありったけの声で叫ぶと、すぐ近くにいた騎士さんが反応した。
「どこだ?」
「あの岩陰の向こう、尻尾が見えるわ!」
その騎士さんはすぐに確認するとウィリス団長に合図を送ったわ。
「団長、出ました! スコルです!!」
それを聞いて、ウィリス団長がすぐさま指示を出したの。
「皆、武器を持て!! 目標、スコルに変更。併せて作戦を予定通り変更する。かかれ!」
予定通り、ですって?
みんなが荷馬車に積まれていたハルバードやトマホークを持って慎重にスコルに向かって行く。
もしかして予想していたの? スコルが現れることを。
スコルは大きな大きな狼の魔物よ。獰猛で、凶暴。
その爪は鋭くて、一撃で人の命を奪ってしまうわ。
岩陰にいたのは子供のスコルだった。5頭よ。
子供といってもスコルの子は大きいわ。馬と変わらないくらいの大きさがある。
1頭ずつ引き離して順番に討伐していく作戦のようね。
固唾を飲んで見つめていると、3頭目を攻撃中に反撃されて1人が倒されたわ。
「っ! すみません、移動します!」
「ええ、急いで」
騎士さんが荷馬車を移動させる。怪我人の元にマリアを運ぶためよ。
モカがきゅ、と唇を噛んで防御壁を強化した。
そのとき、ひときわ大きな大きな影が背後で動いたわ。
山が、動いたのかと思った。
そのくらい大きな影が。
「あれは!」
「っひ!!」
「ちくしょう!」
マリアとモカと騎士さんが振り返って声を上げた。
そうよ。いないはずはないわ。子供の近くに母親が。
すでに半分以上の子供の命が失われて、母スコルの目は怒りに赤く燃えていた。
「モカ、マリアをお願い」
「ルナ?!」
大きく目を見開くモカに、笑って見せる。
「それから、少しだけ時間を稼いで。よろしく」
「え?」
「行ってください。アレは私が」
騎士さんはほんのわずか逡巡して頷いた。
「…、わかった」
私は、荷馬車から飛び降りた。
「ルナ!」
「ルナちゃん!」
唸る母スコルが大きな前足を振り上げる。
私の全身よりも3倍はありそうな足の裏が迫ってくる。
いやん! あんなものに叩かれたらひとたまりもないわ。
すぐにモカの防御魔法が私にかかるのを感じた。
ありがとう、モカ!
「大地よ、彼のものは土より離反し歯向かうもの。その体を大地に縛り付け従わせ給え」
私を踏みつぶそうとする大きな足が、モカの防御壁に弾かれる。その一撃で防御壁は壊れたけれど、十分よ!
地面から魔法の鎖が飛び出して、母スコルに絡みつく。四肢にがっしり巻きついて、動きを封じた。
負けない。
どんなに身体が大きかろうと、魔物なんかに負けない!
私だって騎士団員よ。
「舐めないでよね!」
私が一番得意なのは攻撃魔法なんだから!!
「光を束ねし空の力よ。真昼の月、夜中の太陽、全宙の星、全ての力を解放し彼のものを貫け。出でよ、グングニル!」
暴れる母スコルが巻きつく鎖を引き千切る、その瞬間。
地面から出現した太くて大きな光の槍が母スコルの体を貫いた。
ぎゃあおおおおおん…!
大地が揺れるような叫び声をあげて、母スコルがもんどり打って倒れていく。
やった!
喜んだのも束の間、だったわ。
頭上で、だらしなく開いた大きな口からどろりとした血の塊が落ちてくるのを見て血の気が引いた。
しまった。
スコルの血って、毒があるんだったわ。