ちょっとした事件
やっぱり、甘かったわ。
10日に一度の面会日。
お迎えにやって来たのはおじ様ではなくクルスさんだったわ。しかもクルスさんは盛装だったの。
「わあ。クルスさん、王子様みたい」
本当よ! なんだかキラキラしているわ。
「ありがとうございます。さあ、あなたも、ドレスに着替えて下さい」
…なんて?
なんと、クルスさんは私用のドレスを持って来ていたのよ。淡いピンクのシフォンのドレス。部屋に戻って着替えると、クルスさんは髪を綺麗に結い上げてくれたわ。
クルスさん、器用なのね。
最後に少しヒールのある靴を履かせてくれたわ。ドレスに合わせたピンクのヒールを。
この格好って…。
「とてもよく似合っていますよ。さあ、行きましょう」
「行くって、舞踏会に?! ですか?」
「……ええ。そうですよ」
「………………」
クルスさんは微笑んだわ。いつもの優美な微笑みだけど、なんだか逆らえない凄みがあった。
だけど、なんで?
どうして急に舞踏会?
舞踏会って、当然だけど、小さな子供の来るところではないわ。
普通は、社交界にデビューしてから、よ。
どちらの主催のパーティーなのか分からないけど、私の場違い感ったらないわ。
貴族の子息のお誕生会とかだったらね、同じくらいの歳の子供を集めてパーティーもするかもしれないけれど。
これ、どう見ても普通の一般的な舞踏会じゃない。
「隊長。お待たせしました」
たくさんのひとが集まった会場内におじ様はいらしたわ。
黒とシルバーの華やかなパーティー用スーツがとてもよく似合っていて、少し離れたところから、すでに私の目はおじ様に釘付けよ。
「来たか。ルナ、可愛くしてもらったな」
可愛い? 本当?
えへ。照れてしまうわ。
「おじ様もとっても素敵」
「そうか?」
おじ様は私を抱き上げて目を細めたわ。
「そうしてると親子みたいっすね」
「ロンさん!」
も、いらしたのね。でも、親子みたいは余計よ?
「ロンさんも素敵だわ」
紺色のスーツは襟にレースの飾りが付いていて、ロンさんの雰囲気にとても合っているわ。
「それはどうも? レディもとても美しいですよ」
くす。
ロンさんと笑い合っていたら、おじ様が言ったわ。
「踊ろう、ルナ」
「…え?」
おじ様は人並みを縫ってダンススペースに向かったの。
踊る、って私と?
一体、急に、なんなの?
おじ様は抱いていた私を降ろすとすぐに手を取って踊り出したわ。
ちゃんと私に歩幅を合わせてくれるから踊れるけれど、出来ることなら大人の姿で踊りたかったわ、おじ様。
ダンスなんて久しぶり。騎士団に入団してからは舞踏会に出席する機会なんてほとんど無かったもの。
小さな少女が大人に混じってダンスを披露するのを微笑ましげにみんなが見ているわ。
みんな、が見て、いる……?
「おじ、様…」
曲が終わって足が止まる。
見上げると、実に微妙な笑みを浮かべたおじ様が私を見ていたわ。
「おいで」
おじ様は私を抱き上げた。
私が、表側、正面を見る方向に。
ゆったりと歩くおじ様にすれ違うひとが声をかける。
「やあ、レオン。今日は随分可愛いお嬢さんをエスコートしているね」
「こんばんは、プレザントリー卿。可愛いでしょう。特別なレディです」
おじ様…?
「ベル伯爵、こんばんは。舞踏会にいらっしゃっるなんて珍しいわね? あらあら、可愛らしいお嬢さんね」
「ええ、マダム。可愛いでしょう」
おじ様…。
「ベル隊長。先日の任務は素晴らしい成果でしたな! 今後の活躍も期待してますよ。おや、将来が楽しみな美人さんだね」
「ええ、先日の任務での一番の功労者ですよ」
「ほう、それはすごいね!」
おじ様…!
「あら、レオン。お久しぶりね。来月うちでもパーティーを開く予定なのよ。是非いらしてね。お嬢さんは、さっきレオンと踊っていた子ね? ダンスがとってもお上手なのね」
「…そうでしょう? ダンスが得意なんですよ」
おじ様!
身体がカタカタ震えだす。
プレザントリー公爵、メテオーラ子爵夫人、ファベル伯爵、アイス侯爵夫人…。
みな、とても社交的な、交友関係が広いことで有名な方たちだわ。そして、子供に関する事業をされている。子供服、子供教育、おもちゃ、絵本。リサも、お会いしたことがある。お父様に連れられて行った、なにかのパーティで、幼いときに。
私を、知っているひとがいないか、探しているのね、おじ様。
もちろんおじ様が探しているのは、今現在6歳である少女の身元を知っているひとよ。でも私はかつて幼い少女だった頃、本当に彼らに会っているのだもの!
お願い。誰も、誰も私に気付かないで!
「まあ、レオン。可哀想よ…!」
「エレン」
…エレン?
「泣かないで、大丈夫よ。あなたがあんまり可愛いから、見せびらかしたいだけなのよ。いけない人ね。こんなに可愛いレディを泣かせるなんて」
そのひとは、えんじ色のぴったりとしたドレスを着たとても綺麗なひとだったわ。
お名前に覚えがある。
おじ様の、奥様だったひと…。
「…ああ、そうだな」
おじ様は、私の顔を隠すように抱き直したわ。
視界の端に、よく知った背中を見た。お父様だったわ。あの背中はお父様だった。ああ、どうか。どうか、私を見ていませんように…!
「大人しかいないような場所で連れ回して、怖がっても無理ないわ」
「……ああ」
「まったく。仕方のない人ね。デリカシーの無さはお互い様だから私は文句言えないけど、その子にはちゃんと謝りなさい?」
「分かったよ」
ぽん、ぽん、と震える私を慰めるようにおじ様の手が優しく背中を叩く。
「お嬢さん、さっきのダンスとても上手だったわ。今度はそんなオジサンとではなく、私と遊びましょう?」
「…………」
「なによ?」
「そう、思うか?」
「なにが?」
「ダンスさ」
「え? ああ、ええ。本当にとても上手だったわ!」
「そうか」
おじ様はそのまま…、私を抱き抱えたまま、舞踏会会場を出た。
車寄せには馬車が待機していたわ。クルスさんとロンさんが待っていて、乗り込むとすぐに馬車は走り出したの。
「ルナ、俺たちが何をしていたか、気がついているだろう?」
…ええ。分かっているわ、おじ様。
「舞踏会に行くのか、とクルスに聞いたな? カクテルドレスとハイヒール、アップにした髪。この組み合わせで判断したんだろう?」
…そうね。「舞踏会」と言ったのは私だわ。
「お前は言葉遣いもしっかりしているし、マナーも身についている。勉強会の教師もお前の理解度は高いと評価した。教育を受けていないとは思えない。実際、ダンスも問題なく踊れている。むしろ、上手過ぎるくらいだ」
…ため息しかでないわ、おじ様。まさかおじ様たちが、まだ私の素性を調べていたなんてね。
そう言えば、シドさんにもいろいろ聞かれたんだったわ。
「ルナ。話さないか? お前が誰なのか」
…おじ様。それは出来ないわ。今話したら、おじ様もきっと後悔するわよ。
「なあ、ルナ? 困ってることがあるなら相談に乗る。必ずお前を助けてやる。ひとりで泣くことはないんだ」
…おじ様はため息をついた。私が黙ったままだから。
「ルナ、ひとつだけ教えてくれ。俺たちが心配してるのは、お前が他国の姫君で誘拐されてきたんじゃないか、ってことだ」
…???
思わず、おじ様を見つめちゃったわよ。
他国の姫君? 無いわ!
ぶんぶんと首を横に振ると、おじ様は私の目を覗き込むように見た。
やだ。近いわ、おじ様。
「本当か? お前は、この国の、アンデクスの生まれなのか?」
こくんと頷くと、おじ様は深く息をついたわ。
「そうか、分かった。ルナ、お前は賢い。時間をかけていいから、俺たちのことをよく見極めろ。信頼できると思ったら話せ。いつでも聞くから。今日は、怖い思いをさせて悪かったな」
そう言ってゆっくり頭を撫でてくれたわ。まるで、眠れって言うみたいに。
私はおじ様の胸にもたれて、そっと目を閉じた。
「寝ちゃいました?」
「ああ」
ロンさんの声におじ様が答える。
寝てはいなかったけど、おじ様たちの会話が気になって寝たふりをしたわ。
「本当ですかねー?」
「他国の姫では無い、ということがですか? ですが、もしもそうだとしたら、違うと嘘をつく理由が無いのでは?」
「誘拐ならそうっすよね。自分の国に帰してくれって言えばいいんですから」
「誘拐じゃ無いとしたらなんです?」
「…お家騒動、とか?」
「…家督争いで身に危険が及びそうな姫を他国に逃がす、ですか? やめて下さい。ありそうで怖いです」
ありませんよ。ロンさんもクルスさんも、想像力が豊かすぎるわ。
「何に、怯えているんだかな」
おじ様の声が静かに響く。
「隊長?」
「正体が知れることを酷く怖がっている。何故だ?」
「…バレたら殺される、とか?」
「どんな状況だ、それは」
「さあ?」
「…お前な」
ロンさんったら。おじ様が呆れてるわ。
「どこか、貴族のご令嬢なのは間違いないっすよね」
「そうですね。ダンスの腕前は見事でした。通いのダンス教師をあたりますか?」
貴族のご令嬢は正解よ、ロンさん。ダンス教師は執事だから、そこから私にたどり着くのは無理ね。
「いや。他国の人間では無い、という点に関しては嘘を言っているようには思えない。素性を隠すのには事情があるようだし、他国との争いの種で無いのなら少し様子を見る。それにもし…」
「もし?」
「もしも、バレたら殺される、ような事情だった場合、暴き立てるのはまずいかも知れん」
殺される、のとは違うけれど、ありがたいわ、おじ様。
「分かりました」
「了解っす………」
「なんだ?」
「いえ、隊長は、心当たり無いんすか?」
「ああ?」
「隊長にすごく懐いてる、っていうか、大好きですよね、隊長のこと。実は知り合いだったりして」
ロンさん、鋭い!
「………………無いな」
「ですよねー」
「……(はあ)」
……(はあ)
「ひとりで抱え込んで、可哀想にな」
おじ様のつぶやきが胸に沁みたわ。