谷渡り
風は、素晴らしく強く吹いていたわ。
ひょおおおおお。びょよおおおおお。
って、まったく女性の泣き声には聞こえない音を立てて。
誰よ? 泣風の吹く谷なんて呼び名をつけたのは。
怪獣が叫んでるようにしか聞こえないわ。
「どうだ、ルナ? 出来そうか」
馬の上、前に座らせた私の頭を撫でながらおじ様が言った。
「ええ、おじ様。大丈夫よ」
頭だけで振り返って笑って見せると、おじ様は目元を綻ばせた。
目尻に出来るシワにどきどきしてしまう。
ずっと見つめていたいけれど、そのためにもやるべきことをやらないとね。
「でも、どうやって?」
クルスさんは少し訝しげね。ロンさんはプレゼントを開ける前の子供みたいに楽しそうな笑顔を浮かべているわ。
そうね、やり方はいろいろあると思うけど。
それよりもちょっと気になるの。
おじ様にクルスさんにロンさん。3人とも来ちゃって良かったのかしら?
昨日のお食事の後、私を寮に送って下さったおじ様は、そのときに今日も外出出来るよう申請を出されたわ。
ちゃんとした任務への派遣は許可が出るまで時間がかかるから、取り敢えずは本当に風を止めることが出来るのか、試してみることになったの。
最初はおじ様とロンさんの2人と来る予定だったのだけれど、来てみたらクルスさんもいらしてたのよ。
ロンさんとの待ち合わせ場所にクルスさんの姿を見つけて、おじ様は苦笑していたわ。
「隊舎のリーダー業務はどうした?」
「ライアスに任せました。彼ならもう1人で大丈夫ですよ」
おじ様は、仕方がないなって小さく呟いたわ。
「まあ、今日は構わないが、日は選んでくれよ」
「弁えています」
クルスさんの微笑みはとても優美だった。
クルスさんって本当に綺麗だわ。傾国…、は女性に対して使う言葉だったかしら。
でも、クルスさんがその気になれば国を傾けることだって出来そうよね…。
おじ様が「構わない」とおっしゃったのだからそうなのでしょうね。
ちょっと渋い表情のおじ様も素敵だったわ。
さて、と。
集中して両手の中に魔力を集める。少し操作すると、小さな空間で魔力がブロンズに輝きだした。
魔力を光の粒子に変えるのは、魔力の薄いひとにも見えるようにするためよ。
何をしているか分からないと怖いでしょう?
治癒魔法は特にね。
だから、魔法を使うときには出来るだけ可視化するようにしているの。
島までの細い道の両側の谷を、ヴェールを広げるように光で覆う。完全な蓋をしてしまうことも出来るけれど、出口を失った風がどうなるかを考えると、風の通り道を作ってしまった方が安全だと思うの。まるで布のように光のヴェールがはためいて、風の動きがよく見えるでしょう?
両側とも、道からは離れたところで風を空に逃せば。
ほら、ね?
「ははっ。すげーや」
ロンさんがそう言って手綱を引くと、
「ちょっと行ってみます」
と言って、馬のお尻を蹴ったわ。
「私も行って来ます」
クルスさんも追いかけるように馬を走らせる。
「通れることを確認したら戻れ!」
おじ様が大きな声で言ったけど、聞こえたかしら?
風が無い、とは言えこんなに細い道をあんなスピードで駆け抜けるなんてすごいわ、2人とも。
無事に向こう側まで行けたのかしら?
しばらくして戻って来た2人は言ったわ。
「通るのは問題ないっすね」
「ええ、道幅も十分です」
え? 道幅、十分なの?
それを聞いて、おじ様は頷いたわ。
「そうか。ありがとう、ルナ。もういいぞ」
良かった。おじ様満足そう。
魔法を解いたらまた風が唸り始めた。風に煽られそうになった私の体を、おじ様はしっかりと抱きとめてくれたわ。
「正式にルナを派遣するよう申請を出す。悪いが、そのときにもう一度頼む」
ええ、おじ様。任せて!
好きなひとの役に立てるって、嬉しいことね。
私は笑って大きく頷いたの。
申請が通ったのは三日後だったわ。
これでも、任務の緊急性を考慮されて、通常よりも相当早く決裁が下りたんだそうよ。クルスさんが言っていたわ。
その日、騎馬隊が行うヴィーヴルの捜索及び討伐任務に正式に派遣されたわ。
谷のこちら側で風を抑える役割を担うのよ。今回はおじ様の馬ではなく、シド・チェリーさんという隊員さんの馬に乗せてもらっているの。シドさんは黒髪のまだ若い隊員さんでね、私が魔法を使うのを興味深そうに見ているわ。
わぁ、見て見て。騎馬隊の皆さんが勢ぞろいよ。壮観ね!
先頭に立つおじ様は本当に立派で素敵。
馬上で指揮をとる姿は惚れ惚れするような勇壮さよ。
あ。出発するわ。
事前に細かい指示は済んでいたのでしょうね。風が抑えられるとすぐに乱れることのない洗練された動きでどんどん島に渡っていくの。
後ろの方の人たちは、武器を運んでいるからすこしゆっくりね。
どうぞ、気をつけて。
「疲れてない、ルナちゃん?」
シドさんがチョコレートを差し出してくれたわ。
ありがとう。いただきます。
「大丈夫ですよ」
「でも、今も魔法を使い続けているんでしょ? それって、疲れないの?」
…もぐもぐ。
んー? 魔法を使うことで疲れる、か。
「感じたことないですね。あ、でも、たくさんの魔力を必要とするような大きな魔法を使ったことが無いからかもしれません。あと、集中しなくちゃいけないようなときは、集中することに疲れたりはします」
「…たくさんの魔力を使っていない? これで…?」
そうよ。かなり省エネよ。
魔力をたくさん使う魔法を長時間維持するのは大変だと思うわ。そうね、もしそうしなければいけなかったら、きっと疲れちゃうんじゃないかしら。
だから、そういう魔法は使わないわ。
よっぽど切羽詰まった状況にならない限りはね。
「すごいね。僕の知り合いにも魔法士がいるけど、もう少し苦労しているよ。魔法士になって、団で訓練を受けるようになってからは大分コントロール出来るようになってきたって言ってたけどね。ルナちゃんは訓練を受けたわけでもないのに、すごく魔法を使うのが上手なんだね。魔法の使い方を誰に習ったの?」
「…………」
…うん?
あら。これって、尋問?
おじ様の差し金かしら。
じ、っと見つめると、シドさんはにこ、と笑った。
「ルナちゃん?」
若そうに見えるけれど、もしかすると童顔なだけで見た目程若くはないのかもしれないわね。
作戦に参加せず私のお守りをさせられるくらいだから新人さんかと思っていたわ。全く、油断できないわね。
「習ってないわ」
「本当? それはますますすごいな!」
うそよ。何にも習わずに魔法が自在に使えたらそりゃあすごいわよ。
魔法が使えると気づいたお父さまが、魔女を家庭教師に雇って下さったの。私が魔法を使えることはお父さまとその魔女しか知らないのよ。
「シドさんは、騎馬隊に入ってから長いんですか?」
「…そうでも、ないよ?」
「でも、馬を操るのがとてもお上手だわ。この子もすごくシドさんに懐いてる」
「ルナちゃんも馬に慣れてるよね。1人でも乗れそうなくらい」
「動物は何でも好きなの。わりと、好かれるのよ」
にっこりにこにこ。
私とシドさんの尋問合戦は続いたわ。
結果として、島にヴィーヴルは三頭いて、うち二頭は番いだったのだそうよ。
ヴィーヴルは三頭とも無事に討伐されて、卵が三つ回収されたわ。回収された卵がどうなるのかは知らない。
気になったけど、教えてもらえなかったわ。
任務が成功して、おじ様はとても気を良くされていたわ。
街に被害が出る前にヴィーヴルを討伐できたのですものね。
私も嬉しいわ、おじ様!
島から戻ったおじ様は、私をとても褒めて下さったの。
「あのとき、ルナが風を止められると言ってくれたおかげでヴィーヴルの討伐が可能になった。俺たちでは、思いつきもしなかったからな。助かったよ」
あんまり褒めて下さるから嬉しくなって抱きついたの。ここぞとばかりにね。子供の姿だからこそ出来ることよ? おじ様は笑って抱き上げて下さったの。
おじ様の役に立てるなら、出来ることを惜しんだりしないわ。
こんなに喜んで貰えるんだもの。これからももっと役に立ちたい。もっと喜んでほしい。
ねえ?
どうしたら愛してもらえるのかはまだ分からないけれど、役に立てることは分かったわよね。
役に立てるのなら、おじ様にとって、「必要なひと」になれるかもしれないのではなくて?
そう、他のひとには出来ないことが出来る、掛け替えのない存在に。
必要なひと。掛け替えのないひと。
それって、「愛するひと」の存在と似ていない?
愛するひとも、そのひとにとって、必要で掛け替えのないものよね?
おじ様の役に立つよう頑張ったら、愛してもらえる存在に近づけるのではないかしら?