情報収集
「キス? 口付けってこと?」
翌日の午前中。
騎士団内の施設の一つ、本部棟の一室で、私と同じ子供魔法士のモカ・サイラスはあんまり興味無さそうに小首を傾げたわ。
子供って思考が柔軟でしょ? だから試しに聞いてみたの。
頭の固い大人には無い、柔らかな発想があるんじゃないかと思って。
モカは少し考えてから、
「口付けされたいと思ったことないから、分からないわ」
と言ったわ。
そっか。そっかぁー。
そうね。私も年齢ヒトケタのときにはそんなこと考えてなかったわ。
ひどく落胆しているように見えたのね、きっと。哀れむような目をしたモカが言ったの。
「ルイーズ先生に聞いてみたら?」
子供の魔法士には勉強の時間があるの。
この国の歴史や地理、文化、伝統、他国との関係、マナーなど、将来必要な教養を身につけるためよ。
本来なら家庭教師をつけたり、学校に通って学ぶのよね。だけど、騎士団に入ったら、それは出来ないから。
騎士団員として必要な一般常識や知識を教えてくれるの。
10歳以上のクラスと10歳未満のクラスに分かれて授業を受けるのよ。
ルイーズ先生は、私たち10歳未満のクラスを担当されている先生よ。愛嬌のある若い先生で、グラマラスな体型と大きな丸いメガネが特徴ね。
生徒は私とモカのほかに、カイト・シェイラとトール・スタージェスの2人。どちらも男の子よ。
あ、先生がいらしたわ。
「おはようございます、みなさん。今日は、昨日お勉強した歴史の復習からですよ〜」
授業の邪魔をしてはいけないわね。質問は最後にした方が良さそうだわ。
テキストを開いて先生の授業に集中する。
すでに学んだことばかりのはずなのに、不思議ね、ときどき「初めて聞いた」と思うことがあるのよ。
授業が終わって、質問はありませんかと先生が微笑む。
あるわ、先生。この時間を待ちわびていたの!
「先生!」
「はい、ルナさん。質問はなあに?」
「愛のある心からのキスをしてもらうにはどうしたらいいですか?」
「…っ、キキキキ、キス?」
あら?
ルイーズ先生ったらお顔が真っ赤よ?
「キ、キスなんて、まだダメよ、まだ早いわ。私だって全然タイミングが掴めないのよ、もう3年もお付き合いしてるのに…、はっ! コホン。きちんと、保護者の方の了解を得てお付き合いしましょうね。みだらな行為はいけませんよ? では、また明日」
「え、先生?」
行っちゃった。
先生ったら、早口でおっしゃるからちゃんと聞き取れなかったわ。
断片的に理解できたのは、ルイーズ先生が3年もお付き合いしている方とまだキスをしてないようだ、ってこと。
ルイーズ先生、私には1年しかないんです。
タイミングとやらを作り出す方法を教えてください。
未練がましく先生が去った方を見ていたら、モカがちらりと私を見て、
「残念だったわね」
と言ったわ。
ねえ、前から思ってたけど、モカって年齢の割にクールよね…。
「あんまりルイーズ先生を揶揄うなよ、ルナ」
カイトに呆れた顔をされてしまったわ。
「揶揄ったわけじゃないわ! 切実に答えを求めているのよ」
「ふーん、そんなにキスされたいんだ?」
トールが不思議そうに首を傾げてそう言うの。
「そうなの。私にはどうしても必要なの…」
「ふーん? そんなことより、飯食いに行こうぜ!」
そんなこと、と言われてしまったわ。
私にとってはちっとも「そんなこと」じゃないのだけれどね。
でも、お昼ご飯は大事だわ。食事は生きるための活力だもの。
ああ。急激に猛烈にお腹が空いてきちゃった。
「そうね!」
元気に立ち上がって、みんなと一緒に食堂に向かった。
お腹が空いていると、明るい思考は出来ないものね!
よーし、たくさん食べるぞ。
それから、いろんなひとに聞いてみたけど、なかなか「これ!」と思う答えは見つからなかったの。
食堂のおじさんは、
「そりゃあ、難しい問題だなぁ。がははははは!」
なんて楽しそうに笑って、私の頭をぽふぽふと撫でたわ。
出入りのパン職人のお姉さんは、
「素敵な恋をすれば、きっとしてもらえるわよ」
なんて、私のほっぺたを指先でちょんとつついて、チョコレートクリームのたっぷり入ったパンをオマケしてくれたの。
美味しかったわ。
思い切って、庭師のおじいさんにも聞いてみたの。
ちょっと厳格そうな、立派なお髭をたくわえた方でね、こんなことを聞いたら怒られちゃうかしら、と思ったんだけど、
「たくさん勉強をして、たくさんの人と交流を持って、強い心育て、立派なレディにおなりなさい。人を見る目をきちんと磨けば、相応しい人を見つけられますよ」
そう言って、ブルーデイジーを一輪、下さったわ。
うっかり惚れてしまいそうな、とても素敵なおじいさんだった。
「あ〜あ」
ため息が出ちゃう。
聞き込みを始めて3日経つけど、具体的にどうしたらいいのか分からないままなんだもの。
授業の間の休憩時間。
机に突っ伏していたら、カイトが言ったの。
「順番を守らないから見失うんじゃないのか?」
って。
「どういうこと?」
「俺だって、好きなコとは手を繋ぎたいと思うし」
うん?
カイトもそういうこと思うのね?
ふふふ。にやにやしちゃう。あら、すごく嫌そうな顔をされてしまったわ。
「つまり、心からの愛がこもったキスをして欲しいんなら、心から愛してくれるだれかを探すか、ルナ自身が心から愛されるようになるか、を考えるべきじゃないかってこと。心から愛しているひとにはキスしたくなると思うし、それはきっと心からの愛がこもったキスになるんじゃないか?」
「……………!」
目からウロコよ。だって、本当に、その通りじゃない?
確かに、心から愛したひとにするキスは、心からの愛がたっぷり込められているに違いないわ!
でも、待って。
それはきっとその通りだと思うのだけど、別の問題があるのではない?
「心から愛してくれるひと…」
それって、どうやって見つけたらいいの?
むむむ、と考え込んだところに、トールが言ったわ。
「ルナは、好きな人いないの? 心からのキスをして欲しいって思う人。その人に「心から愛されるように」なればいいんじゃない?」
…そうね。そうよね? 理屈はそうよ。
そう、なのだけれども。そんなに簡単な話ではないわよね。
「…好きな、ひと」
もちろん、いるわ! おじ様よ!!
騎馬隊隊長の、レオンおじ様以外にいないわ!!!
だけど、おじ様に愛される? 6歳の私が…?
「…………………」
…どう考えても無理よね?
記憶違いでなければ、おじ様は今年43歳のはず。6歳のルナはもちろん、26歳のリサだっておじ様にとっては幼すぎるわ。恋愛対象になんてなろうはずもない。
おじ様は離婚されて独り身でいらっしゃるけれど、あんなに素敵なんだもの。恋人の1人や2人、いてもおかしくないわ。私なんて「眼中にない」ってやつじゃないかしら。
そりゃあ、わたしだってね、おじ様が私を元の姿に戻してくれたらいいな、って思ってたわよ。
だって口付けだもの。するなら絶対におじ様がいい。
大好きなひととしたいわ。
だけどそれって、「大きくなったら王様になりたい」とか、「鳥のように自由に空を飛びたい」とかっていうような、まだまだ社会を知らない無邪気な子供が夢を語るみたいに、実現する可能性がゼロに近い願いだったんだわ。
なぜなら、キスをしてもらうにはまず愛してもらわなければいけないのだから。
どうしよう。
絶対に絶対におじ様でなければ嫌! なんて言っている場合ではないのではない?
だって、おじ様が私を愛してくれなかったらどうするの?
元の姿に戻ることを諦めるの?
私がおじ様への恋を諦める方が現実的だわ。
そうなの。そうなのよ。頭では分かっているの。
だけど心が納得しない。納得しないけれど、元に戻れなかったときのことを考えると怖いの。
ならば、可能性のありそうな別のひとを探すべき?
「好きなひとから愛される女性、になれたらいいのに…」
はふぅ、とため息をついたら、
「それが出来れば苦労はないわよね」
いつものクールな声音でモカが言ったわ。
でもその声は少しだけ、慰めるような響きがあったの。