誇り
「こどもの喧嘩、ねえ」
そう言ったのはロンさんだったわ。
ロンさんはやっぱり面白いものを見るように私を見て、そして、口元に笑みを浮かべたまま、冷ややかな目をケティに向けた。
「本当にそれでいいの、ルナ?」
ロンさんは内ポケットから取り出したものをケティの前に置いたの。
それは、ケティがくれたフィナンシェ?
「君が、ルナにあげたお菓子だよ。食べてごらん」
「………っ」
もともと決して良いとは言えなかったケティの顔色が青を通り越して真っ白になったわ。
「君が作ったんでしょ? 食べられるよね。さあ、どうぞ」
ケティは俯いたまま首を横に振った。
「何を入れた?」
「…………カチカの種をすり潰して」
息を飲んだのはイスラ先生だったわ。
「それは、口に入ればひとが死ぬような猛毒だって分かってるんだよね?」
「…………」
なんてこと。
カチカ。完熟した実以外すべてが猛毒という植物じゃない。
それをあなたは『隊長さんと食べてね』と言って私に渡したんだわ。
毒、もしくはそれに類するものが入っていることは分かっていたの。でも、おじ様なら気づいてくれると思っていた。気づいて、ケティに対して疑念を持つだろうと思ったの。もし気づかずに食べようしたら、コーヒーをぶちまけるつもりでいたのよ。
万が一のときの為の保険だったのだけれど、思っていたよりもおじ様の動きは早かった、ということかしら。
「ルナは命がけでこどもの喧嘩をしてるのかい?」
笑えないわ、ロンさん。
本当にね。ずいぶんと嫌われたものよ。
せいぜいお腹を壊す程度のものだと思っていたのに、ひとを殺せる程の毒を入れるなんて。
ケティは本当に私を殺したかったの?
そうだとしても、おじ様にまで矛先を向けたのは間違いだったわ。
おじ様がロンさんに調べさせたのよ。だから森に入るところをロンさんが見ていたのね。
「そんなに、魔法を使う者が憎い?」
ケティが俯いていた顔を上げて、私を見たわ。
「…実習に来てすぐ、大きな怪我をしたひとが運び込まれて来たわ。脇腹と太ももに深い切り傷があって、出血も多かった。あんなにひどい怪我をしたひとを見たのは初めてで、足がすくんで動けなかったわ。でも、あなたは」
瞳にみるみる涙が溢れていく。
「あなたは、まったく動じることなく魔法で怪我を治した。私は、傷口を直視することすら出来なかったのに! みんなが言うわ。ルナちゃんは小さいのにすごいって。でもそれは魔法が使えるからでしょ。魔法が使えるから、みんなには出来ないことが出来る。それだけじゃない!!」
それだけ。そうね…。
私は傷口を直視する必要がないし、その怪我を治すためにどのくらいの魔力が必要かもなんとなく分かってしまう。
だからその魔力を治癒魔法に変えるだけよ。
「魔法士が、みな、なんの苦労もなく思いのまま自由自在に魔法を操っていると思ってるなら間違ってるよ。魔法士でもその力を自在に操るには大変な訓練と努力が必要だ。みんなはルナのその努力の成果をすごい、と言っているのさ。君は思い違いをしている」
ロンさん…。
思わず微笑みかけたら、ロンさんも微笑んでくれたわ。優しい、本当のお兄さんみたいな、暖かい瞳で。
対照的にケティの瞳は憎々しげに暗く光っていた。
「私たちがどんなに頑張って医学を学んでも、心を尽くして看護をしても、結局魔法を使うひとには敵わない。だってあなたは、本当に一瞬で怪我を治してしまうんだもの。医学なんて知らなくても、看護なんて出来なくても、そんなこと関係なしに魔法で治せるんだもの! どんなに努力しても勉強しても私たちには絶対に出来ないのに! それをあなたはやってしまうわ。だったら、私たちの努力って何? あなた1人で事足りるなら、わたしたちはいらないじゃない。病室で、何人ものひとに言われたわ。ルナちゃんが来てくれたらすぐに治るのに、って。どうせ私には治してあげられないわよ。だからって酷いわ! あなた本当は働く必要なんてないんでしょ? お金持ちのお家でメイドにかしずかれながら刺繍でも刺していたらいいじゃない。私の居場所を取らないで!!」
ケティの叫びは医療従事者、それもイスラ先生のように医学に精通しているひとほど、強く思うことではないかしら。
本当はきっと誰よりも、痛みや苦しみを一瞬で取り除いてあげたいと願っているはず。
「あなたなんかいなくなれば良いと思ったわ。森でシマダンギクとホクテンを摘みたいといえばあなたは崖の近くに実るホクテンを摘むと言い出すと思った。崖の下にあなたが消えたとき、これでもう惨めな思いはしなくて済むと思ったの。だけどすぐに怖くなったわ。そんなことができる自分が怖かった。そんなことをしてしまった自分がもっともっと惨めだったわ。治癒魔法士なんて最初からいなければ良かったのに」
言いたいことは理解するわ。
だけど、目の前に大怪我をしているひとがいて、私にはそれを治す魔法が使えるのだから、私は魔法を使って怪我を癒すことを躊躇わないわ。
たとえ、魔法を使えないことで傷つく医療従事者がいたとしても。
あなたが私を恨む気持ちは分かる。でもね、やっぱりおじ様にまで毒入りのお菓子を食べさせようとしたことは許せないわ。
「私にしか出来ないこと、に価値があると思う?」
問いかけると、ケティは睨みつけるように私を見たわ。
希少価値って考え方あるでしょう。レアだってことが価値になる。
魔法を使えるひとはとても少ないから、魔法が使えるってだけで、すごいって思ってくれるひとがいたりするのは事実よ。
でもね、魔法って横にも縦にも広がらないのよ。
「魔法は、その使い方を伝授する、ということが出来ないわ。魔法を使える者同士でも、治癒魔法を使えないひとに使い方を教えて使えるひとを増やすということが出来ないの」
同じ魔法を使えるひと同士なら、上手に使えるひとからそうでないひとにコツを教えることは出来るけれど、いくら勉強しても訓練しても使えない魔法が使えるようになることはないわ。全ては魔法の書が読めるかどうかにかかっている。
訓練によって魔力量が増えれば読めるページが増える、ということはあるみたいだけれどね。
お師匠様も、「魔法の書が読めれば出来る」としか言わなかったわ。お師匠様が教えてくれるのはそれぞれの魔法を使う際の注意点。それと、魔法とは何か、という原点のようなもの。
「でも、あなたたちの技術や知識は違うわ。伝え教え、広めることができる。治療が出来なかった人が出来るようになる。研究を続ければ知識は深まるし技術は発展するわ。今は出来ない治療も、将来はきっと出来るようになる」
医学の進歩を喜ばない魔法士はいないわ。
私たちは決して、治療の現場を奪い合いたいわけではないのだもの。
「私たちは目の前にいるひとしか治してあげられない。でも、あなたたちの技術や知識は遠くのひとを救えるわ。きちんと記録を残せば、未来のひとだって助けることが出来る。その場限りの魔法より、よっぽど価値があるわ」
深い傷も、範囲の広い傷も、瞬く間に治してしまう魔法は確かにすごいわよ。喜ばれるわ。でも、治療を求めているひとは各地にいるのに、私たちが治すことができるのは、すぐ近くにいるほんの少しのひとだけ。マリアやアレックスがどれほど歯がゆい思いをしているか、知らないでしょう?
「魔法を使えるひとの数は少ないわ。その中で治癒魔法が使えるひとはごく僅かよ。私たち魔法士が治療出来る人数と、あなたたち技術者が治療出来る人数、どちらが多いと思う?」
1人当たりの治療可能な人数は私たちの方が多いでしょうけれど、全体の人数は比べるべくもないわ。
そしてその差はどんどん広がっていくでしょう。
「だから、魔法を憎む必要なんてないわ。だって、あなたたちの技術や知識の方が魔法よりもはるかにすごくて価値があるんだもの」
ねえ、ケティ? あなたが将来を棒に振ってまで私を殺す必要があったかしら?
ケティの瞳に深い後悔と絶望の色が見えたわ。
技術や知識が魔法よりもはるかに価値がある、という私の言葉をそのまま受け入れたかどうかは分からないけれど、少なくとも、今ままでケティ自身が思っていたよりも、自分の技術や知識は価値のあるものだったのだと、そう思うことは出来たのではないかしら。
同時に、その力を発揮する機会が失われたことにも気づいたでしょうけれど。
ひとを殺めようとするひとを雇いたがる医療機関は無いと思うわ。
「ルナ、俺は、きちんと罪は償わせるべきだと思うよ。彼女がやったことは結果は未遂だけれど、やろうとしたことは殺人だ。しかも彼女は、『隊長さんと食べてね』と言って毒入りの菓子をルナに渡している。隊長をも殺そうとしたことを、俺は見過ごすことは出来ない」
ロンさん、誰に聞いたの? ああ、イスラ先生…?
イスラ先生は今にも泣いてしまいそうな表情でケティを見ていたわ。やけに、疲れた様子に見える。
ロンさんの言葉に、クルスさんも険しい視線をケティに向けたわ。
罪を償わせる、か。
償いの先にあるのは赦しだわ。
やっぱり、優しいのね、ロンさん。
過ちが絶対に許されない、なんてことは無いと思っているわ。
大なり小なり、誰だって間違えることはある。間違えたら過ちを正して然るべき謝罪をして許される、そうあるべきだと思うわ。
だけど許したくなかった。罪を償って、はいおしまいってされるのは嫌だった。
…でも、そうね。それは私のわがままだわ。
そっとおじ様を見上げたら、静かに首を横に振られたわ。
そう。
おじ様にまで毒を盛ったことが明らかになってしまったのですものね。国の法に従って裁かれなければいけない。
おじ様の判断もそうなのね。
そうよね。当然だわ。
私はケティを見つめた。ケティも私を見ていた。
その瞳からは何の感情も読み取れなかったけれど、忘れないで欲しいと思ったわ。
あなたの罪を。医療を志したことを。あなたの努力はひとを救えたのだということを。




