実習生の困惑
3月も半ばになって、騎士団内病院に看護師の実習生が来たの。
王立の看護学校生で、4月からは看護師として働くのよ。いろんな病院で実習を行って、実際に働く病院を決めるんですって。事前に職場の雰囲気や実際の業務に触れられるのは良いことよね。
騎士団内病院は病気よりも怪我の治療が主だから、希望の方向性と合うかどうかも確認できるわね。
子供の病気の治療に携わりたい、とかだったら別の病院の方が相応しいもの。
4月から働くのに今実習? と思ったら、その実習生、ケティ・ナッシュさんはもう就職先が決まっているのですって。
だけど、就職までの残りの期間、出来るだけさまざまな経験をしたいからって、騎士団内病院での実習を希望したんだそうよ。
熱心でとても良いと思うわ。
イスラ先生の知り合いらしいの。明るくて元気でフットワークが軽くて、「白衣の天使」にもってこいの人材だと思うわ。
騎士団内病院での実習は2週間だって聞いたから、短い間だけど、仲良く出来たら良いな、と思ったのだけれどね…。
ついさっきキレイに畳んでしまったタオルが、なんていうかこう、微妙にぐちゃぐちゃというか整然としてないというか残念な感じになっているのを発見して、ため息が出た。
こんな、地味な嫌がらせってあるかしら。
しかも、手間かかってるわよ、これ。
分かっているのよ。私が片付けた後、ケティがやったのよね。彼女が来てから度々あるの。
ちゃんとした証拠があるわけじゃないわ。でもね…。
タオルだけじゃ無いのよ。手が滑ったって、コップの水をかけられたり、愛用のマグカップを割られたり、お気に入りのコーヒー豆を捨てられたり…。
不注意でごめんなさいって言ってはいたけれど、わざとだと思うの。
よく分からないけれど、嫌われてしまったみたい。
なにか気に触ること、しちゃったのかしら…。
誰からも好かれる、なんて無理よね、分かってる。
誰からも嫌われない、も難しいわよね。
気が合わなかったり、因縁があったり、立場上の問題で仲良く出来ないことはあると思うの。
でも、こんなに嫌がらせをされるって相当だわ。相当嫌われているわよ。そんなに嫌われるほど、私って嫌なコかしら。
ああ、落ち込む。
ふぅ。
「どうした? ため息ついて」
シャワーを済ませたおじ様が、濡れた髪を拭きながらおっしゃったわ。
あは。見られちゃった。
「なんでも無いわ、おじ様」
「そうか…? それは?」
これ?
手の中で眺めていたものをおじ様に渡した。
「フィナンシェっていう焼き菓子よ。看護実習生のケティが作ってきてくれてみんなにくれたの。一緒に食べましょう?」
「ああ」
「じゃあ、コーヒーを淹れるわね。おじ様はフィナンシェをお皿に出して下さる?」
お皿を渡しながらお願いして、コーヒーを淹れる。お湯は沸いているからすぐに出来るわ。
あら?
「おじ様? どうかした?」
なんだか、難しいお顔をされているわね。
「……いや。これはまたにして、今夜はクルスが持ってきた菓子を食べよう。ほら」
「わあ、フルーツのシロップ漬けね。美味しそう」
クルスさんにご執心のマダムがいらっしゃってね。クルスさんはその方からよく頂き物をするそうなの。お菓子の類は食べ切れないからって、わりと頻繁に、ええっと、横流し? っていうんだったかしら、して下さるのよ。
フルーツのシロップ漬けって好きよ。甘くて、でもフルーツ自体の酸味もあってとっても美味しいの。おじ様が近々騎馬隊の討伐任務への派遣要請が出るってお話をして下さったわ。お役に立つチャンスね! 頑張るわ!!
「ところで、さっきの、ケティっていったか。その子は良く菓子を作ってくるのか?」
「ええ。そうよ、お菓子を作るのが得意なんですって。休憩のときみんなで何度かいただいたの。美味しいってみんなも喜んでいたわ。お料理ってしたことないけれど、出来るといいわよね?」
私もお料理を覚えて美味しいお食事が作れるようになったら、おじ様に喜んで貰えるかしら?
「それは環境によるだろうな。ルナは料理を覚える必要のない家の生まれなんだろう。美味いコーヒーが淹れられるんだから十分だと思うぞ」
ぽんぽんと私の頭を撫でて、おじ様はコーヒーを飲むと微笑んだ。
コーヒーを淹れるのは騎士団に入ってから覚えたのよ。
家で飲んでいたような美味しいコーヒーを飲みたくて。
子供の頃、メイドが淹れてくれるのを見て、私もやりたいって言って困らせたことがあるわ。
そのときには軽くたしなめたお母様が、メイドを下がらせた後おっしゃった。
『メイドや執事の雇用を確保することは貴族の役目なのだから、彼らから仕事を奪うようなことはしてはいけませんよ』
って。
『でもお母様。出来ないのとやらないのは違いますよね?』
今思えば、私もこまっしゃくれたコドモだったわ…。
『出来なくて良いのですよ。出来るけれどやらせてあげるのではなく、出来ないからやってもらうのです。だからこそ、感謝の気持ちが生まれるのですよ。仕えてくれる者に感謝して、彼らが仕えて良かったと誇れるような貴婦人におなりなさい』
お母様は毅然とそうおっしゃった後、優しく微笑んだわ。
『あなたの、なんでも自分で出来るようになりたいという志は立派よ。けれど、他人の領分を侵すことはそのひとの存在を脅やかすことにもなってしまうの。お気をつけなさい』
…環境による、か。
おじ様の言葉は、以前お母様に注意されたことを思い出させた。
おじ様は伯爵家のお生まれだわ。ご自身も爵位をお待ちでいらっしゃる。元奥様のエレン様も伯爵家のご出身。きっと、お料理はなさらないわ。
お料理は料理人のお仕事で、彼らから仕事を奪うべきではない、とおじ様もお考えかしら。
ケティの手作りのお菓子でみんな喜んでいた。私もおじ様を喜ばせたいけれど、難しいものね…。
その日は朝から快晴で、洗濯物がよく乾いたの。
春の訪れを近くに感じられる穏やかな午後、いい気分で洗濯物を取り込んでいたら、彼女がやって来たわ。
ケティが。
「……………」
正直、洗濯物を全て台無しにされることも覚悟したわ。
でもまあ、洗濯物は別にね。また洗えばいいしね。いいのよ。大丈夫よ。どんとこい!
「こんにちは、ケティ」
長い金髪をおさげに結わえたケティは私の顔を覗き込むようにしてにっこり笑ったわ。
「こんにちは、ルナちゃん。いいお天気ね」
「そうね」
「ねえ、ルナちゃん。イスラ先生から薬草を摘んでくるよう頼まれたんだけど、森の道が不安なの。一緒に来てくれない?」
薬草? もう足りないのかしら。
「ええっと、そうしたら洗濯物を取り込んでから私が摘んでくるわ」
遅くなると洗濯物が冷たくなっちゃうし。
「あら、ルナちゃんに押し付けるわけにはいかないわ。洗濯物を取り込むのは後で私も手伝うから。ね、お願い」
「……わかったわ」
ううう。頑張って笑顔を作ってるけど、ほっぺたが引きつるわよ。
一体なにを企んでいるのかしら。
「イスラ先生は、どの薬草が欲しいのかしら?」
ケティはゆったりと歩きながらキョロキョロと周りを見回しているわ。
「シマダンギクとホクテンよ」
シマダンギクとホクテンか。
ホクテンは崖の近くに生えているのよね。慣れていないケティは危ないかもしれないわ。
それにしても…。もう少し早く歩いてくれないかしら。遅くなってしまうわ。
森は背の高い木が多く生えているけれど、今の季節は葉がそれほど茂ってないからお日様が届く。
でも日が落ちるのは早いわ。出来るだけ急いだ方がいい。
「手分けしましょう? 私はあっちでホクテンを集めるわ。ケティはこっちでシマダンギクを摘んで貰えるかしら?」
「ええ、分かったわ…」
ホクテンの赤い実を潰さないように持って来たカゴに集めていく。
あそこ、いい感じに実っているけど届きそうもないな。
んー。あ、こっちもいい感じ。
よしよし、結構集まったかな?
「ねえ、ルナちゃん? この前、お料理はしたことがないって言っていたでしょ? あれは本当…?」
「ええ。料理はまったく。コーヒーが淹れられるくらいよ。ケティはお料理が上手で素敵ね。みんな美味しいって喜んでいたわ。私、…ケティ?」
気がついたらケティがすぐ後ろにいたの。
シマダンギクは摘み終わったのかしら。
「ローザさんが言っていたわ。ルナちゃんは刺繍がとても上手だって。スタッフの皆さんに、刺繍を施した匂い袋を作ってあげたんですってね」
それは、いろいろとアドバイスを貰ったお礼よ? 私に作れるものっていったらそのくらいだもの。
「お料理は出来ないけどお裁縫は出来る。しかも綺麗に刺繍が入れられる…。私なんて、繕い物は散々やらされたけど刺繍なんてしたことないわ。みんなの言う通り、本当に上流家庭の子なのね」
…ケティ?
「いいお家に生まれて、それなのに魔法も使えるなんてズルイじゃない? 私たちが一生懸命学んで、必死に技術を身につけたって怪我を一瞬で治すことなんて出来ないのに、あなたは医学も看護も学ぶことなく治療が出来てしまうのでしょう?」
ケティの瞳に憎悪が見えた。暗い炎が舞い上がるのを感じて、思わず後ずさったの。そうしたら…。
「…っ!」
ずるっと足元が滑った。
慌てて振り返って、ぞっとしたわ。
思っていたよりも崖が近い…!
「あなたがいると、私たちは必要なくなってしまうの。だから、あなたは要らないわ」
「ケティ…」
ケティの手が私の肩を掴んで、そのまま強く突き飛ばした。
嘘でしょ?!
身体が浮いて、足元から地面が無くなったわ。
「……っ!!!」
声って驚きすぎると出ないのね。悲鳴なんてあげてる余裕無いわよ。
落ちるーーー。
そう思ったときには落ちていたわ。




