禁術の書
すでにこの世にないひとをこの世に連れ戻す蘇りの魔法。
かつて神々が妻や恋人を黄泉の国から連れ戻そうとして失敗するお話がいくつもあるわ。
神々ですら、それは叶えることが出来ない願いなの。
だけど…。
「ウィリス団長。申し訳ないが、それをこちらに」
おじ様?
立ち上がったおじ様が私を指差しているわ。
「ん? ああ、ほら」
「………っ!」
わわっ!
ウィリス団長?!
そんな、猫の子を持ち上げるみたいに持ち上げないで!
ウィリス団長は私をひょいと持ち上げると、おじ様に渡したのよ。
「おじ様?」
おじ様は私を足の間に座らせて頭を撫でたわ。
「大丈夫だ。なにも心配はいらない」
おじ様……。
ずっと、言いようのない心細さを感じていたの。
魔法士長さまの質問に答えることが怖かった。
でもおじ様が「大丈夫」だって言ってくれる。こうして側にいてくれる。
そう。「大丈夫」。もう怖くないわ。
「すでに朽ちてしまった遺体を、墓の下から呼び起こすような魔法は禁術です、魔法士長さま」
答えると、魔法士長さまは驚いたように目を開かれたわ。
…今度はなんなの?
「まさか、禁術の書も読むことが出来るのですか?」
ぱちくり。瞬きしてしまう。
…それって、つまり。
「魔法士長さまは読むことが出来ない、ということですか?」
魔法士長さまは軽く息をついて呆れたような笑みを浮かべたわ。
「禁術の書を読むことが出来るひとを私は知りません。あれは悪用されない様、不可視の魔法がかけられているのです。あなたの魔力は不可視の魔法よりも強い、ということですね」
「………………」
そう、なんだ…?
え? それってことは、私、読めちゃまずいんじゃない?
悪用する、といえば。
思い出すのは私に魔法をかけた魔女の弟子よ。たしかに悪用されるとロクなことにならないわ。
「愛の証明」という魔法。あの後調べたら禁術の書に載っていたのよ。
禁術の書には使うべきではない危険な魔法が記載されているの。摂理に反すること、例えば、ひとを作ることや死者を蘇らせることとかも載っているわ。禁術の書に記載された魔法はどんなひとにも発動させることは出来ない、特別な魔法がかけられた書物なのよ。誰かが魔法を編み出して、ひとに危害を加えたり呪いをかけたりしたことが判明した場合、その魔法が再度使われることを防ぐために禁術の書に加えられるの。そうすると、その魔法は二度と使うことが出来なくなるのよ。
「愛の証明」もそのひとつ。ただし、私にかけられたものとは少し違うわ。
昔々、この国の王様や王子様には複数のお妃さまがいたの。だけど、ある王子様が自分を本当に愛してくれるひとだけをお妃さまにしたいと考えて、自分に魔法をかけたのよ。
王子様を愛していないひとが王子様に口づけをした場合、そのひとは醜い生き物に姿を変えるように…。
何人もの姫君が醜い生き物に姿を変えられてしまった。でも、たった1人、本当に王子様を愛しているひとが口づけをして、そのひとは醜い生き物に変わらなかった。王子様はそのひとをお妃さまにして、幸せに暮らしたの。そのときから、王様や王子様もお妃さまは1人にするようになったと言われているわ。ただ、この魔法には欠陥があった。それは、醜い生き物に姿を変えられたひとたちを、元の姿に戻す方法が用意されていなかった、ということ。
だから禁術の書に記載されて、使えないようにしているのよ。
それを、あの魔女の弟子は仕様を改変することで発動を可能にしたんだわ。
禁術の書に載っている魔法が、少し工夫を加えれば使えてしまうなんて危険極まりないわよ。
読めないように魔法を施すのは正解だわ。
魔女の弟子には効果が無いようだけれどね。
「ルナ? 聞いていますか?」
っは!
いけない。つい考えに耽ってしまって魔法士長さまの話を聞いていなかったわ。
あう。おじ様、お腹をつつかないで!
「ごめんなさい。なんでしょう?」
笑顔なのに睨まれているように感じるわ。とっても怖いわ、魔法士長さま。
「……すでに朽ちてしまった遺体を蘇らせることは出来ない、と言いましたね。それは、朽ちていない遺体なら蘇らせることが出来る、ということですか?」
あ、そこ。気がつきました?
「条件はもっとシビアです。魔法士長さま」
暗に「出来る」と答えたようなものかしら。魔法士長さまの目が鋭く光ったわ。
でも、条件は本当に厳しいのよ、魔法士長さま。
ひとは、肉体と魂が細い糸で繋がっているの。死んでしまうとその糸が切れて、魂は天に召され肉体は地に還る。
「ごく限られた条件のもとで、切れてしまったその糸を繋ぐことが出来る魔法があります」
「……その、条件とは?」
「ひとつは、肉体が生きていること、です」
例えば、馬から落ちて打ち所が悪く命を落としてしまう、そんな場合。
切れてしまった糸を繋ぐまでの間、止まってしまった心臓を魔法で、もしくは医療機器で動かして脳から指先の細胞まで全て生きたまま維持することが出来れば、ひとつ目の条件はクリアできる。
でも、例えば、今日のスコルのような、大きな魔物に踏み潰されて命を落としたとするでしょ。その場合、肉体を生きたまま維持することが、おそらく出来ないわ。そうなると、ひとつ目の条件をクリア出来なくて、魔法をかけても失敗する。
「ふたつ目は、離れてしまった魂の捕獲が出来ること」
魂は、天からの呼びかけに従って昇天する。魔法をかける者は天に向かう魂の中から該当する魂を見つけ出さなければいけないの。魂が、天にたどり着く前にね。どうやって探すのか、お師匠さまに尋ねたことがあるのよ。魂の通り道っていうものがあるんですって。そこで待ち伏せするのが一般的だそうよ。だけど、人混みの中で人探しをするようなものだから、面識のないひとの魂を探すことは難しいの。
とても素直に迅速に召されてしまうと、手遅れ、ってこともある。その通り道にすら行かずにふらふらしている魂もあるようだけれどね。
「最後は、糸が切れてしまった本人が、蘇りを望んでいること、です」
死にたくない、と思っているひとなら良い。だけど、自ら命を絶ったひと、死にたいと願っているひとを無理矢理連れ戻すことは出来ないわ。それに、そういうひとは昇天するのがとても早い。ふたつ目の条件をクリア出来ない可能性が高いの。
全ての条件を満たすことは難しいわ。
「つまり、ほぼ不可能だ、ということです、魔法士長さま。死んだひとを生き返らせることは、どんな場合であっても世界の摂理に反しますから」
魔法士長さまはゆっくりと頷くとおっしゃったわ。
「良く分かりました、ルナ。どうもありがとう。その魔法に関してはまた相談させてもらうかもしれません。みなさんにおかれましては、ルナが魔法の書を全て読めるということ、禁術の書を読めるということ、この2つについては他言なさらないようお願いいたします。彼女の力はとても稀有なものです。それは良からぬことを考える者にとって、利用価値が高いということでもあります」
利用価値…?
「特にベル隊長。ルナの安全について留意下さい」
「承知した」
なんだか、ずいぶん、大袈裟なことになったみたい?
その後、寮の部屋まで送ってくださったおじ様がおっしゃったわ。
「必要なものをまとめろ、ルナ。取り敢えずは今晩必要な物だけでもいい。必要ならまた明日取りにくればいいからな」
「え…?」
なに、おじ様。どういうこと?
「今夜からは、俺の部屋で寝泊まりしろ。いいな?」
えええぇっ!
ちょっと待って、おじ様。
おじ様のお部屋で寝泊まり??
それってとってもご迷惑なのではないの?
私、おじ様のお役に立って、おじ様にとって必要なひとになりたいと思っているのよ。なのに、そんな迷惑をかけていたらいくら役に立つことをしても相殺されてしまうわ。むしろマイナスよ。
必要なひと、どころかお荷物になっちゃうわ!
いくら私の魔力がちょっとばかり強いからって、すぐさま襲われたり狙われたりするわけじゃ無いでしょう?
だって、私の魔力のことなんてほとんどのひとが知らないんだもの。あ、第6師団のひとたちの前でグングニルを使ったんだったわ。でも、そんなに大したことじゃ無いわよね?
魔法の書が全ページ読めることや禁術の書が読めることは今日あの場にいたひとしか知らないのだし、みんながちゃんと内緒にして下さったら私に危険が及ぶことなんてないと思うの。
魔法士長さまに注意を促されたとはいえ、そこまでします…?
「大丈夫よ、おじ様。そんな迷惑はかけられないわ」
精一杯のお愛想スマイルだったのに、おじ様は首を縦には振ってくださらないの。
「…ルナ。お前が素性を隠すのは、その強い魔力のせいなんじゃないのか?」
「………………」
ああ。…そこに結びつけるのね、おじ様。
「…魔力を持っていることを隠したかったら魔法士になんかにならないわ、おじ様」
そこ、矛盾してるでしょ。気づいて?
「だが、お前は自分の力が突出していることに気がついていなかっただろう? 魔法士になれば、魔法を使う他の者の中に紛れられると考えたんじゃないのか」
まあ、おじ様。よく分からないけれど、辻褄が合ってしまっているような気がするわ。
だけど、おじ様のお部屋で寝泊まりする必要があるかしら。
「お前を狙う者から身を隠したいのだろう?」
「……………」
そうか。すでに狙われている前提なのね…。
私を狙う何者かから逃げるために騎士団の敷地に入り込んだ、と思ってらっしゃるの?
どうしよう。これって私、高い魔力ゆえに良くないひと達に狙われて逃げている貴族の娘っぽくなっちゃったじゃない?
素性を話せば、私を狙う何者かに居場所が知れてしまう。だから言えずにいるのだと、そう、思っているのね?
違う、といっても信じてもらえそうな気がしないわ。それが素性を隠している理由だと考えれば筋が通っちゃうのだもの。
本当のことが言えない以上、否定するのは難しい。
でも、そうなるとね。おじ様、存在しない悪者から私を守ろうとしていることになるのよ? なんか、まずい気がする。
「ルナ」
「はい?」
「支度しなさい」
「…はい」
元の姿に戻れたときの言い訳を考えておかなくちゃ…。