魔法の書
目が覚めると、騎士団内病院の病室だったわ。
「起きた?」
ベットの傍らにモカがいた。開いていた本を閉じて、私の顔を覗き込んでくる。
側にいてくれたの?
「ん。マリアが治してくれたのね」
どこもなんともない。痛いところもないし、目もちゃんと見えてるわ。
両手を広げたり、ひっくり返したりして見ていたら、モカが抱きついてきたの。
んん? どうしたの?
「…心配させないで」
小さいけれど、はっきりした声。
うん、ごめんね。
「だからって、子供を前線に出すなんて!」
今のは、ルイーズ先生の声?
となりの部屋から?
慌てて起き上がってモカ見ると、モカは肩をすくめたわ。
私はそおっととなりの部屋に続くドアに忍び寄った。
続き部屋があるってことは、この部屋特別室だわ。
なんでわざわざ特別室を使っているのかしら。
「モカとルナの役割はマリアの護衛だ。そう申請した。マリアが前に出る事態になれば、2人が追随することになることはわかり切っていたことだ」
ウィリス団長だわ。
「でも! そもそも、マリアが前線に出る必要はない任務だったじゃないですか!」
「そもそも、と言うのなら、こちらは最初から成人魔法士の派遣を申請していた。受理しなかったのはそちらだろう」
「…予め、予測されていた、ということか、ウィリス団長。聞くところによると、武器を準備していたそうだな」
おじ様?! おじ様もいらっしゃるの?
「予測って…。スコルが出ることを、ですか?」
「何が出るかまでは予測出来ん。ただ、カーバンクルが大量発生しているのなら、それを餌とする大型の魔物がいてもおかしくないと考えていた。作戦についてはそれを考慮するよう進言したが、あくまで「カーバンクルの討伐」任務として指示が出たのでな。武器は自衛のために準備したものだ。あなたが私の立場でも、同じように準備しただろう、ベル隊長」
「………………」
「だが、ただのカーバンクルの討伐であっても討伐任務である以上、規定に従ってマリアは派遣されてくる。貴重な治癒魔法士に万一のことはあってはならん。だからモカとルナの派遣を申請したのだ。「たかがカーバンクル」と考えるような連中は、子供魔法士の訓練に適していると判断するだろうと思ってな。何事も無く任務が済んだとしても、経験は邪魔にはなるまい」
「防御魔法に優れたモカは分かるが、なぜルナを?」
「騎馬隊への派遣任務の報告を見たからだ、ベル隊長。先月、敷地内で発見されたというのは彼女なのだろう? プロフィールは治癒魔法士となっているが、その力は未知数のようだし、柔軟な魔法の使い方をするところに期待した。何より、モカと仲が良いと聞いたのでな」
「モカちゃんが討伐任務で緊張しないように仲良しのルナちゃんも呼んだんですね〜。優しいんですね、ウィリス団長」
あら。マリアもいるんだわ。
「む?……いや、あー、っと。それにしても、ルナの魔法はとんでもないものだ。あんな大魔法は初めて見たよ」
「ふふふ。ルナちゃんはすごいですよね〜。魔力量も相当あるのではないですか? ルイーズ先生」
「…(ため息?)。そうですね。まだ、幼いですが、成人魔法士の2倍から3倍はあると思います」
…ええっ?!
そんなことはないと思うけど?
買い被りすぎじゃないかしら、ルイーズ先生。
「自分は魔力は全く無い質なので分からないのだが、それは生まれ持ったものなのか?」
「剣士の皆さんも、毎日筋力トレーニングや基礎体力づくりをした上で剣の訓練を行いますでしょう? 魔法士も同じです。日々、魔法を使う練習をして、素早く正確に短い発動時間で魔法が使えるように訓練します。筋力トレーニングで筋肉がつくように、訓練によって魔法の効果が上がります。基礎体力トレーニングで基本的な体力が上昇するように、使える魔力量が増加します。ルナの魔法はまるで熟練の魔法士のようです…」
…熟練の魔法士? 誰が? 私が?
そんなことないでしょ。魔法なんて、子供の頃に一年くらい教わっていただけよ?
「そこは、本人の話を聞いてみましょう」
んんん? 深みのある男性の声。この声ってまさか…?
「ルナ、そこにいるのでしょう? 入っていらっしゃい。モカも」
あらら。聞き耳立てているのバレちゃった。
どうしよう。
モカを見ると、行くしかないわよって目でドアを示すのよ。
かちりとのぶを回して静かに押すとそこにいたみんながこちらを見ていたわ。
ローテーブルの向こう側にウィリス団長、こちら側におじ様、ルイーズ先生、マリア。そして、お誕生日席的な位置にいらしたのは…。
お声と同じ深く優しい瞳の魔法士長さまよ。
聖職者のように慈悲深い微笑みを絶やさない、けれどとっても怖い方よ。
出来れば、直接お話したくはなかったわ…。
「こちらに来て座りなさい」
ええ、まあ。座れと言われるならば座りますけれども。
空いてるスペースの都合で、ウィリス団長の隣に座ったわ。モカは私の隣。その向こうに魔法士長さまよ。
「君のおかげで助かったよ、ルナ。気分はどうかな?」
ウィリス団長が声をかけてくれたわ。
「大丈夫です。なんともありません。マリアが治してくれたんでしょう? どうもありがとう」
マリアはにこにこ微笑んだわ。
「あらぁ。ルナちゃん、ちゃんと自分で自浄魔法かけていたじゃない。私は解毒を手伝っただけよ〜」
「ルナ、話を聞いていたでしょう。あなたが使う魔法のことです。あなたは事情があるようですから、答えられることだけで結構です。答えてください」
魔法士長さまの言葉に、少し緊張する。
「あなたに魔法を教えたのはだれですか?」
あー…。
師が分かれば、自ずと弟子も分かってしまうだろう。その質問には答えられないわ。
「魔法士長さま。それはお答え出来ません」
ザ・にっこり。
ここは笑顔で押し通すわよ。
「では、質問を変えましょう。あなたが使った大魔法、霊槍グングニル。だれにでも使える魔法ではありません。あなたはどのようにしてこの魔法を習得したのでしょうか」
……………どのようにして? どういう意味?
「だって、魔法士長さま。魔法の書に載っているのですから誰にだってチャレンジ出来ますわ」
最初から上手くは出来なくても、練習すれば出来るようになる人はいるでしょう。
…え? なに? 静かに微笑むの、怖いわ魔法士長さま!
いやだ、モカ。なんでため息ついてるの??
「魔法の書で読んだ、とそういうことですか?」
…ええ、そうよ? ほかに、方法無いわよね?
頷くと、魔法士長さまはこうおっしゃったわ。
「魔法の書は、その者が使える魔法の項しか読むことが出来ないのですよ」
「え……?」
なに? どういうこと?
魔法の書は魔法の教本よ。さまざまな魔法の使い方が書かれているわ。グングニルもちゃんと載っているわよ?
説明を求めてモカを見ると、
「私は防御魔法のページしか読めないわ。他のページは真っ白よ」
って言ったの。意味が分からないわ。
「私もよ〜。治癒魔法の一番基本のページと解毒のページしか読めないわ。他のページは白紙にしか見えないの。ルナちゃんが使っていた自浄魔法、私は使えないわ〜」
マリアまでそんなこと言って。
嘘よね? ふたりとも私を揶揄っているのよね?
だって、だって、魔法の書に白紙のページなんて無かったもの!
「本当、に……?」
呆然としていたら、魔法士長さまがおっしゃったわ。
「ルナ。その様子だと、あなたは全てのページが読めるのですね?」
魔法士長さまは相変わらず穏やかに微笑んでいらっしゃるわ。
もう、なんだかよく分からないわよ。全部のページが読めたら何かまずいことがあるのかしら…。
「魔法の書で白紙のページは見たことがありません」
魔法士長さまは頷いたわ。
「ルナ、あなたは魔女ですか?」
魔女。それは魔法のエキスパートであることを認めるこの国の国家資格。
自ら取得するものではないわ。国から押し付けられるものよ。
そして同時に特権階級でもある。
魔法を使えるひとは少ないけれど、その中にはごく稀にとても強い魔力を持ち、魔法に対する探求心が旺盛なひとがいる。
強い魔力と高い知識を持つ魔法の使用者はその力故に国を脅かしかねない存在なの。だから、特別な待遇を受ける見返りとして、国に対して不利益を与えないことを約束させられる。魔女の認定は王様に仕える大魔女が密かに行い、どこの誰が魔女になったかは公表されない。そうして、大抵の魔女は身を隠してしまうわ。
たとえ王様でも、魔女に命令することは難しい。
そういう、特別なもの。
「いいえ。違います。ですが、私の師は魔女です」
「そうですか。その告白はとても賢明です。では、これ以上あなた自身のことを詮索するのは止しましょう。ですが、魔法のことは教えてください」
魔法士長さまの瞳はなんでも見通してしまいそうな透き通った淡いブルー。目が逸らせないわ。
「あなたは、死者を蘇らせることが出来ますか?」




