魔女の弟子のイタズラ
無理難題とはこのことね。
鏡に映る自分の姿を呆然と見つめて思ったわ。
リサ・アンソン、人生最大のピンチよ。
今日は何でもない普通の日だったわ。
何でもない普通の日、だったのよ。
少なくとも、任務のパトロールに出るまでは。
今日はね、所属する騎士団の規約通りに早朝の訓練に参加して、任務であるパトロールに出たの。
騎士団、というのは本来は別の意味であるらしいのだけど、アンデクスというこの国では王様直属の、魔物や犯罪から国を守る正義の味方とも言える組織よ。
私はそこで剣士をしているの。
これでもね、私は一応侯爵家のお嬢様なのだけど、事情があって騎士団に就職したのよ。
事情がある、なんて大袈裟かしら。それほど深刻な事情ではないわ。ただ、6人姉妹の6番目だったというだけ。
いかに侯爵家といえど、6人の娘たちに嫁ぎ先を見つけるのは大変なの。ああ、総領姫である一番上のマル姉様はお婿さんをもらったのだから、嫁ぎ先が必要なのは5人だわね。
侯爵家の令嬢に相応しい、より良いお相手、となると選択肢はそう多くないわ。しかも私とすぐ上のシュナ姉様は2つしか違わないから、なんというか、候補の男性を取り合うような格好になってしまってね。
結局、あれこれ考えて、就職することを決心したの。
そもそも私は結婚に積極的ではなかったわ。
恋愛とか結婚とか、友人たちは楽しそうにロマンスを語るけど、私はあまりピンとこなくて。だからお嫁に行かずにすむ方法を考えたの。
なにより、シュナ姉様と争いたくはなかったし。
いつまでも実家に居座ったら肩身の狭い思いをすることは明白よ。出来るだけ早く自分の食い扶持は自分で稼げる様にならないといけないわ。
そうでなければ追い出されてしまうもの。私の意思とは関係なく結婚させられてしまうということよ。
可能な範囲で出来るだけお給料の良いところ…。
そうして選んだのが騎士団だったのよ。
騎士団なんて血生臭い危険なお仕事だと反対されたわ。主にお母様にね。でも、お父様が、本当は男の子が欲しかったお父様は、後押ししてくれたのよ。
お父様はね、私が小さいときから剣技を教えてくれたの。
乗馬や体術も。本来は男の子が教わるようなことをたくさん教えてくれたわ。お母様は嫌がったらしいけど、私は嫌ではなかったし、おかげで騎士団に入団することも出来た。
それに騎士団にはおじ様がいたから…。
レオン・ベルおじ様はお母様の妹の旦那さんの弟さん。
とっても素敵な方なのよ!
若い頃ももちろんだけれど、中年にさしかかった今はもっと素敵!
整った精悍なお顔に渋さが加わって、鍛えられた腕や胸がかすかに色っぽくて。
なんて言うんだったかしら。この前ぴったりの表現を見たわ。そう、「苦み走ったいい男」。これよ!
たまにお会い出来ると心が弾んだわ。
騎士団に入ったら、お目にかかる機会が増えるんじゃないかって思ったりもした。
そんなに甘くはなかったけれど。
そうね。私が結婚に対して積極的になれないのは、幼心に刻まれたおじ様への憧れのせいかもしれないわ。
だって、どんなに条件のいい方も、おじ様と比べると見劣りするように感じるんだもの。
そんな経緯で騎士団に入ったのは18歳のとき。
今年私は26歳になる。始めの頃はなんとか私を結婚させようとしていたお母様も、最近はやっと諦めたみたい。
季節は冬。
小春日和って言うのかしら。日中は冬らしくない暖かさだったわ。今日のパトロールは同僚のサミー・イーストンと一緒だったの。すっきりとした顔立ちの、優秀なひとよ。一般的に見てイケメンだと思うわ。
そのサミーがふと足を止めたの。そこには小さな女の子が今にも泣き出しそうな顔で道端に佇んでいたわ。
「迷子かしら」
声をかけると少女は大きな瞳に涙をいっぱい溜めていた。
「どうしたの?」
「髪が…」
髪?
「これは…」
少女の後ろに回って様子を確認したサミーは困惑しているわ。
元は綺麗に編まれていたと思われる髪はひどく絡まって、ぐちゃぐちゃ、と言ってもいいような状態だったの。
「可哀想に。痛い?」
少し、と答えた少女を道路脇のベンチに座らせて直してあげることにしたわ。
これはもう、一度解いて最初から編みなおした方がいいわね。
「どうしたらこんな風になるんだろう?」
サミーは首を傾げていたけど、私には分かっていた。
少女の髪にはイタズラな魔女の弟子がくっついて、今も現在進行形で髪に結ばれたリボンを引っ張っていたから。
ちょっと見には風でリボンが揺れているように見えるわね。私はリボンをつまんで外しながら指先でちょんと突いて魔女の弟子を風に飛ばした。
魔女の弟子は妖精と呼ばれることもあって、魔力が高い者なら普通に見えるのよ。でも、そうでないひとには認知することが出来ないの。サミーは魔法が使えないから魔女の弟子も見えないんだわ。もちろん、そういうものがいるということは知っているだろうけれどね。
私は魔法を使えることを内緒にしているから、今ここに魔女の弟子がいたことも言えないわね。
「どうしてかしらね?」
って不思議そうな顔をしながら、手櫛で整えて少女の髪を編んでいく。
「さあ、出来たわ。もう大丈夫よ」
少女は可愛い笑顔を見せて、元気に走って行ったわ。
手を振ってそれを見送っていたから、不満そうな顔をした魔女の弟子の行方を、見逃してしまったの。
その晩。
騎士寮の自分の部屋でとっくに眠りについていた時間。
突然、全身が痛んで目が覚めた。
「っあ、く」
風邪をひいたのかしら。
熱があるのかもしれないわ。関節という関節が軋むように痛い。
「い…、たい。う」
どうしよう。本当に痛い。起き上がれないわ。
うずくまってみても痛みは変わらない。むしろどんどん痛みは強くなってギシギシと骨が鳴る音すら聞こえる気がする。
冷や汗が全身から吹き出すのが分かる。耐えられなくてシーツを握りしめた。
鼓動の音が大きく聞こえる。どくどくと、こめかみの血管が脈打つ。呼吸をするのすら辛い。
痛くて痛くて痛くて、気が遠くなった。
気を失ったんだと思うわ。
気がついたときには痛みは治まっていた。
「? …なんだったのかしら?」
呟いて、違和感を感じたわ。
今の、私の声?
なんだか、いつもより高い声だった気がする。
「あー、あー?」
やっぱり。
へんじゃない?
なんでこんな子供みたいな声?
そう思って、息を飲んだ。
「っ! 手が…」
小さい。
子供みたいじゃないわ。これは子供の手よ!
異変は手だけじゃ無かった。
「胸が…!」
ぶかぶかな寝間着の首元から中が見えたの。
…胸が、なかったわ。
いえね、もともと豊満と言うわけではなかったわ。訓練のときにも邪魔にならない、ささやかなものよ。
だけど、こんな。
そもそも、寝間着がこんなにぶかぶかなことがおかしいわ。これでは、まるで。まるで…。
そうだ、鏡!
そんなに広い部屋じゃないもの。ベッドの上からもドレッサーの鏡が見えるわ。ベッドの上を、鏡の正面になるよう移動して。
「そんなバカな…!」
そこに映っていたのは6歳くらいの幼い少女だったわ。
ええ、もちろん、私よ。
6歳のときの私だわ。
長い栗色の髪、大きな瞳、赤く紅潮した頬。
そうよ、私、小さい頃は美少女だったのよね。自分で期待したほどの美人には成長しなかったけれど。
懐かしいわ、この顔。
ああ、だめよ、リサ。
懐かしんでる場合じゃないわ。一体どうしてこんなことになったのかしら。
ため息をつきかけたとき、それは聞こえたわ。
『やったね、大成功♫』
『あ〜! ダメじゃない!! 先生に叱られるわよ!』
『だって、あいつムカつくし』
『でもダメよ!』
この声は。
きょろきょろ見回して、そして見つけたわ!
ベッドの上、2匹の魔女の弟子が言い争っている。
「あんたたち!」
『きゃあっ!』
『見つかった!』
逃げようしても無駄よ!
えい!
魔法で鳥かごを作り出して、背中の小さな羽をパタパタと動かす魔女の弟子たちを魔法の鳥かごに閉じ込める。
『捕まった!』
『どうしよう、食べられちゃう!』
食べないわよ。
あら? よく見たら、片方は昼間の女の子にイタズラしてたコね。
「あなたたちが私をこんな姿にしたの?」
鳥かごをのぞいて問いかけると、
『そうだぞ!』
と青い服の魔女の弟子が偉そうにふんぞり返って言い、
『違うわ!』
と黄色の服の魔女の弟子が困り顔で言った。
つまり昼間女の子にイタズラしていた方が犯人なのね?
「どっちでもいいけど。早く元に戻してちょうだい」
こんな姿を誰かに見られたら大騒ぎになるわ。
どうして顔を見合わせてるの?
彼らは私に向き直ると、声を揃えて言ったの。
『それは出来ないぞ』
『それは出来ないわ』
「え…?」
出来ないって、どういうこと?
『これは“愛の証明”っていう魔法なんだ』
『誰も知らない秘密の魔法なの』
『真実の愛がなくちゃ解けないぞ』
『真実の愛があれば解けるわ』
『おまえを心から愛する者が』
『あなたに口付けをすれば』
『元の姿に戻れるぞ』
『元の姿に戻れるわ』
背中を嫌な汗がつたい落ちたわ。
私を心から愛する者からの口付け、ですって?!
「この姿で…?」
6歳の幼女に心からの愛の口付け…?
なんだか犯罪の匂いがするわよ。無理よ、絶対に無理!
『期限は1年』
え? 期限があるの?
『それを過ぎたら二度と魔法は解けないわ』
ぞくっ。
嫌だ。嘘よね、嘘だと言って!
『あなたの正体が明るみになったときも』
『魔法は解けなくなるぞ』
『魔法にかけられたことを誰にも知られずに』
『魔法を解くことができなければ』
『ずーっとずっと、その姿のまま』
『歳を取っても子供の姿のまま』
「そんな…!」
あんまりの衝撃に、魔法の鳥かごが崩れてしまった。
『あ! 逃げられるぞ!!』
『待って! 置いていかないで!!』
パタパタと小さな羽を羽ばたかせ、逃げようとしていた黄色の服の魔女の弟子が、くるりと私を振り返って目の前に飛んできたの。
『ごめんなさい、あの子が勝手なことをして。魔法がちゃんと解けるよう、祈っているわ。頑張って』
バタバタと騒がしく彼らが去って、部屋に静寂が戻ってきたわ。何にも考えられなくて、ただ、鏡に映る自分の姿を信じられない思いで見つめ続けた。