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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

ヒカリ

作者: 深空 一縷

処刑日:フルの二巡年・嶺夏(デイプリーカ)の三日目

罪人:アーノルド

罪科:一家四名(赤子一名を含む)を刃物で殺害。



処刑日:フルの五巡年・角秋(トゥロ)の二十二日目

罪人:

罪科:







 その日、処刑場は普段と一線を画す大勢の観衆に満載となっていた。人気を博している剣闘が行われるならばまだしも、すでに処刑が民草の憂さを晴らす時代は星霜を幾つ超えるか知れない。それ故に、この怒れる大衆を前にして、処刑人バルドは戸惑いを隠せなかった。


「あんた、一体何をしでかしたんだ?」


 横目に見遣ったのは黒髪の乙女。両の腕を後ろ手に縛られて膝を屈しながらも、彼女はバルドを見返した。処刑人が咎人にこうも気安く話しかけることが意外だったのだろうか。少し驚いた風に瞼を震わせる。彼女の眼窩に嵌め込まれた紫紺の水晶は、夕暮れを飛ぶ鴉の、翼を縁取る陽炎を思わせる光。


 けれども、少女は物言わず再び視線を地に伏せてしまった。バルドもまた、返事など期待していない。斬首前の罪人など、半狂乱か黙して語らぬか、二つに一つ。まともな応答など待ち望むべくもない。それを知ってなおバルドに口を開かせたのは、円形の客席に群れる人間たちだった。


 --殺せ!

 --『災厄の子』を

 --『(わざわい)孤児(みなしご)』だ!

 --死んで償え!

 --殺せ!

 --殺せ!


 人々が思い思いに口走るその呪詛が、互いに交じり合ってその細部を削り合い、巨大な悪意の一塊となって押し寄せる。傍らで聞いているだけだというのに、背骨に凍てつく言の葉が食い込んでぎしぎしと音を立て、極北海の零度の寒流が臓腑で渦を巻いている。


「これだから、嫌なんだよ」


 バルドはうんざりといった様子で悪態を吐いた。


 前任の処刑人が齢を重ねてその職を辞したとき、憂慮の種となったのがその後釜であった。処刑人たる膂力の持ち主は五万と在ったが、しかし誰しもが眉根を寄せる職能である。そこで、バルドにお鉢が回ってきたという次第。一際秀でた体格のためか。山育ちの中で醸造された粗野な言葉遣いのためか。はたまた騎士団一党の内でただ一人の下民の出自ということに(よすが)があるのか。


 否、戦場の(いさお)としての『獣人』の渾名、幾度も敵を屠ったその剣に、処刑人の職とクレイモアとを重ねたに過ぎないのだ。『獣人』には似合いであろう。その思惑が透けていた。そこには、幾重の返り血を浴びて敵味方の骸の只中に立った彼の心情を慮るこころの気配はなかった。血糊に汚れたバルドの外見に隠された、核たる部分への洞察に欠いた差配であったが、彼は(うけが)った。基より拒否の選択など用意されていない一方通行の通達ではあったが。


 ーー殺せ!

 --このバケモノを一撃で!

 --殺せ!

 --そいつは『禍の孤児』だ!


 その呪詛から逃れるためにバルドは意識を曇天に浮かせる。そうして、かつて一度だけ、「なぜ?」と尋ねたときの記憶を取り戻す。


「なぜ、オレが今日ぶっ殺した野郎は死刑になったんだ」


 当時、法廷の最高責任者であった老人は、にこりともせずに応えた。


「善良な人々を殺したのさ。それも大勢な」


 それからはもう、バルドは死刑囚たちの咎について詮索することはしなくなった。目も耳も塞いだ。大剣を握る手と腕がありさえすれば事足りる。ただ黙々と仕事をこなす人形(ひとがた)となって。


 だというのに、この合唱は塞いだ耳殻を揺らすのだ。


 処刑。その言葉の持つ重さを知らない空白の言の葉。舌と耳とが直通し、こころを巡らぬままに叫ばれる声に意味があるだろうか。これだけ多勢の斉唱となってようやく大義名分めいた何かを得て叫ばれる言葉たちの、その虚無に戸惑った空は分厚くなることで身を守ろうとしているのだろうか。もう間もなくすれば、耐えきれずに落ちてくるに違いなかった。


 ーー殺せ!


 その言葉の拠り所は隣人の「殺せ!」という呪い。その隣人はその隣の。そういった具合にこの円形の処刑場を周回し、失われた根拠は取り戻されることも、顧みられることもない。


 『獣人』。その名を、背を預ける朋輩への信頼の証として呼ばわった仲間はすべてが戦場の土に還った。いつしか、敵が畏怖と憤懣を交えて叫び、味方が殺戮人形の代名詞として口の端から零すだけとなったとき、バルドは自身の渾名の空虚に眩暈を覚えた。


 ぽつり。


 やはり降ってきた。合唱は止まらなかったが、篠突く雨がそれを和らげる。そうして初めて、バルドは傍らの少女が呟く声が聞こえた。小さな、小さな声だった。


「わたしの名前はーー」


 --バケモノめ!

 --『禍の孤児』!

 --カイブツ!

 --そいつは『災厄の子』だ!


「ヒカリ」


 --『災厄の子』!

 --バケモノ!


「わたしの名前は、ヒカリ」


 誰も彼女のことなど見ていないのだ。バルドは身体をぶるりと震わせる。冷たい雨のせいだろうか。


「わたしの、名前は、ヒカリ」


 --バケモノめ!

 誰かがそう叫ぶから、彼女はバケモノになった。


 --このカイブツ!

 誰かがそう謗るから、彼女はカイブツになった。


 --死んでしまえ!

 彼女がここに居るのは、皆がそう願ったから。ただそれだけ。


 ヒカリ。光。その名前が持つ祈りは、願いは何だろうか。誰が、どんな表情(かお)で、その名を呼んだだろうか。ささやかなそのこころの灯台が、どうか消えませんように。そう祈ったのではないのか。


 彼女の名前を、誰も知らない。『獣人』の名の意味を、もはや万人が忘れたように。


「わたしは、ただの、ヒカリ」


 雨が煙るその中を、処刑を知らせる銅鑼が鳴った。
















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