1話 大空を舞う翼
「ひゃっほう! 可哀想だが、今日の俺の酒代になってもらうぜ!」
ゴーグルを装着して分厚い防寒具を着込み操縦桿を握る男の上で、青い空と広大な樹海がグルグルと回る。
男が乗っている飛行機械のコクピットは吹きさらし――風防も正面しかないため、轟々と激しい風が彼の頬を叩く。
男は冷たい風を頬に当てながら、足元のラダーを左に踏み込み、操縦桿を左に倒した。
「来たぜ! ドンピシャ!」
男が操る飛行機械の前には、黒く巨大な甲虫が翅を出して飛んでいる。
原始的な照準器に甲虫を捉え、かなり左の上側を狙って操縦桿の引き金を引く――虫の進行方向を予測した見越し射撃である。
次の瞬間、機体を揺さぶるような激しい衝撃とともに、下面に装備されたリボルバーカノンが火を噴いた。
そうそう当たるものではないのだが、男の放った砲弾は一発で命中した。
熟練の技である。
男は操縦席の横から、小型の擲弾発射器を取り出すと、信号弾を打ち上げた。
そこに集まってきた僚機に、小型の発火信号機で合図を送る。
チカチカと光の返答があり――これで彼の仕事は終了だ。
彼は街へと帰投する。
街の人口はおよそ1万。果てしなく続く樹海には、同規模の街があちこちに点在しており――。
樹海を切り開くだけの労働力を確保出来ず、切り開いたとしても、あっという間に元の樹海に戻ってしまう。
樹海に縛られた住民の脚と輸送手段はマニューバと輸送機と呼ばれる飛行機械に頼っていた。
------◇◇◇------
風がたなびく野っ原の駐機場に、輝く翼に2本の脚を突き出して、プロペラが回る飛行機械たちが並ぶ。
スマートな機体が多く、その姿には優美さすら漂う。
整地されていない滑走路を使う事が多いこの飛行機械は、スパッツのついた固定式の頑丈な脚を持ち、巨大なタイヤが装着される。
プロペラの回転速度が速まると、それに従い高まる低い排気音が辺りに轟く。
その様子を、白い半袖のシャツに茶色の半ズボンの少年が、黒い髪をなびかせて見ている。
上を見上げると、脚を伸ばして飛び回る色とりどりの人工の鳥達。
青い空には白い水蒸気の筋が幾重にも重なっている。
飛び回っているのはマニューバと呼ばれる飛行機械たちだ。
規則があるわけではないのに、お互いが阿吽の呼吸で天駆けている。
ここは、広大な樹海に囲まれた飛び地に作られた街。人が住み、手を入れて緑を駆除していかないとあっという間に森に埋もれてしまう。
「かっこいい! 空を自由に飛べたら気持ちいいだろうなぁ。俺も絶対にナイツになってみせる!」
この飛行機械――マニューバに乗るパイロットはナイツと呼ばれて、少年達の憧れの的だ。
「おい! シュラ! 帰るぞ」
少年を迎えにきた男が声をかけた。汚れたシャツにポケットが沢山ついた作業ズボン。
赤い髪の毛を角刈りのような頭にした、少年の父親だ。
「ねぇ、父ちゃん! マニューバっていくらぐらいするの?」
「そりゃ、中古でも目が飛び出るぐらい高いな……父ちゃんの稼ぎの200年分ぐらいだな」
父親は中古と言ったが、耐久年数ギリギリのボロボロならともかく、普通の機体なら中古でも大幅に値段が下がる事はない。
無論、機体費用だけではなく、メンテ費用や弾薬、修理代等の予算も必要となる。
経費はかかるが、機体を手に入れれば仕事はいくらでもあるので、維持費ぐらいは余裕で稼げる。
「お金以外で、ナイツになれないの?」
「そりゃ、どこかの雇われナイツになりゃ乗れるがな」
雇われといっても、飛行機械未経験でなんのコネも伝もなく、パイロットになれるはずもない。
「父ちゃん、軍隊の飛行大隊に入ってもだめ?」
「軍隊のナイツも、親がナイツの場合がほとんどだからなぁ……」
「軍人もいいよなぁ」
「止めとけ、一般人のナイツなんて最前線に送り込まれて、使い捨て扱いだ。それに事故死も多い」
「でも最新のマニューバに乗れるんでしょ? 燃料も弾薬も使い放題だし」
「そりゃ、そうだが……」
「帝都じゃプロペラがないマニューバもあるんでしょ!」
「噴進機だな。スピードは速いが燃費は悪いって話だぞ」
子どもが上空を白い軌跡を残して飛ぶ、マニューバーを見ている。
「父ちゃん、炉ってのは、もう作れないの?」
「まぁ無理だな。帝国の技術者どもが、100年以上頑張ってるが、さっぱりだという話だし」
話をしている親子の目の前に、獲物を捕らえた輸送機が戻ってきた。
「父ちゃん! 輸送機が戻ってきた! デカい虫を吊り下げてる!」
ゆっくりと降下してきたのは――T字型の黒く横に長い円筒形をした大きな飛行機械。ワイヤーで固定された黒く巨大な甲虫を運搬中だ。
虫の胴体には大きな穴が空き、緑色の体液が流れ出ている。
「こりゃ、大物だな。一発で仕留めたのか? いい腕だ。しばらくしたら新鮮な肉が出まわるかもしれん。それまでちょっと待つか」
「うん!」
「よし、しばらくしたら市場へ行ってみるか!」
「うん」
親子が手をつないで家への帰り道を歩いていると、子供がつぶやいた。
「ねぇ、父ちゃん――」
「なんだ?」
「ナイツに、なっちゃダメ?」
「ダメって事はないぞ。俺も小さい頃は憧れたもんだが……まったくそのチャンスはなかったけどな」
「うん……」
「だが、そのチャンスが巡ってきたら、飛び乗れ! 父ちゃんは放っておいてもいいからな」
「いいの?」
「勿論、ナイツは父ちゃんの夢でもあるからな……ははは!」
夕暮れの中――父親が子供抱き上げて、子供に話しかけた。
「シュラ――お前が大きくなったら、父ちゃんが秘密にしている事を話してやる」
「え? なになにぃ?」
「大きくなったらな」
「ええ? 今じゃだめなの?」
「そうだな、大きくなるまで良い子にしてたらな」
「……わかった」
「ははは」
------◇◇◇------
――少年が15歳になった時、父親が死んだ――流行病である。
少年が父親と一緒に過ごした白い壁の2階建ての家。屋根は木の板でその上に白いセラミック板が貼られている。
その中で1人佇む少年。天井には彼が木で作ったマニューバの模型が吊り下げられている。
大きな都市なら、治癒魔法という奇跡を使える稀人がいるのだが、彼が住んでいるような小さな街にはいなかった。
この世界には魔法がある。だが、なまじ魔法がある故、医学の発達を妨げているのだ。
治療らしき治療も出来ないまま、少年は唯一の肉親を亡くした。
幸い、父親が残してくれた蓄えがある。少年は、これを切り崩しながら何か生活の糧を見つけなくてはならない。
父親の死に悲しむ暇もなく、彼が人生の先行きに悩んでいると――突如、高熱に襲われた。
(俺も流行病に罹ったのだろうか? 父さんと一緒に、俺の人生もここで終わるのか……)
そんな言葉を頭に浮かべながら、少年は3日3晩、高熱にうなされた。
――寝込んでから、4日目の朝。
熱はなんとか引き、朦朧とする意識の中で少年は自分が助かった事を実感する。
「は、腹が減った……」
水分はなんとか自力で摂っていたが、食べものは全く口に入れていなかったのだ。
少年がベッドの上で軋む身体を起こすと――ハッとした。
何か、訳の解らない記憶で頭の中が一杯になっている事に気がついたのだ。
見たこともないような建物、見たことがないような都市、文字そして知識。
まったく見たことも習ったこともないのに理解が出来る。父親から簡単な足し算引き算しか習っていなかった彼であったが、頭の中が未知の知識で溢れている。
(俺って、熱で頭がおかしくなったんだろうか?)
少年が自らを訝しむのも無理もない。こんな事を人に言っても信じてもらえないだろう。
なんとか食い物を探そうかと、じたばたしていると、玄関の扉が開いた。
「おい! シュラ! 生きてるかー!」
玄関の扉を開けて、茶色の髪を逆立てた少年が勢いよく入ってきた。
黒いズボンを履き、白いシャツに茶色のベストを着ていて、腰には短剣を携えている。
「……おはよ……キラ――相変わらず元気がいいな……」
「おい! シュラ! どうした?! しばらく顔を見せないと思ったら」
彼――キラは商人の息子で、シュラの幼馴染。小さい頃から、つるんで森で遊んでたりしていた悪友だ。
「丸3日――熱を出して何も食べてない……」
「おい、マジかよ!」
「おっはよー!」
褐色で元気そうな女の子が続いて玄関から入ってきた。短い紺のスカートに、丈と袖の短い紺色のジャケットを着ている。
長く黒い髪を三つ編みにして、可愛いへそが見えているのだが、気にしていない様子。
「おはよ……マキ……」
「ええっ!? シュラ、どうしたの?!」
マキが慌てて、シュラに抱きついた。彼女の温かい体温と共に、甘い匂いが彼の鼻腔をくすぐり、思わず緊張してしまう。
(ちょっとマキは遠慮して欲しい――)
病み上がりでヘロヘロな状態でも、悲しいかな男の子の身体は反応してしまう。
やりたい盛りの十代――湧き上がるパトスを抑える事は不可能だ。
シュラは、慌てて彼女を引き剥がした。
「ちょっと、マキ――腹が減っているだけだから」
「こいつ熱を出して、丸3日何も食ってないらしいぜ」
「ええ~っ!? それじゃ何か作ってあげるよ!」
彼女はシュラから離れると、家の台所を漁り始めた。
「マキ――消化の良い物にしてね……」
「マキがさぁ――シュラの親父さんが亡くなって落ち込んでいるから、そっとしておいてあげよう――なんて言うからさ」
「だって、そう思ったんだもん!」
(確かに、俺も1人で考える時間が欲しかったが、あんな高熱を突然出すとは思わなかったし……。誰の物かも解らない知識とか……言っても信じてもらえないだろうな)
「マキ、冷蔵庫の物は傷んでるかもしれない……」
「解った、見てみる!」
彼女が角の丸い白い冷蔵庫を開ける。電力は炉で作った蒸気で発電機を回している。
家にある炉は超小型の物だが、家庭で使う分には十分。シュラの父親が祖父から譲り受けたものらしい。
譲り受けた祖父も曾祖父から受け継いだという。かれこれ数百年間使われているが、まだまだ使える。
「卵は大丈夫みたいだから、ポタージュを作ったげる!」
彼女の話では、果物も大丈夫のようだ。
「ああ、ありがとう……」
彼女が冷蔵庫から取り出したのは、虫の卵。横に長い瓜のような形と大きさをしている。
だが鳥の卵のように、固い殻には包まれていない。弾力のある分厚い膜に覆われているのだ。
森で沢山採れるので、この地方の貴重なタンパク源になっており、しかも味も良い。
料理を作ってくれるマキにシュラが感謝をしていると――彼女はポタージュを作りながら、何故か果物の皮を剥き始めた。
(嫌な予感しかしない)
シュラは頭を抱えた。とても気立てもよく親切な彼女。料理もこなすのだが――俗にいうアレンジャーなのだ。
普通に作れば美味いのに、突然変な材料を使って料理をカオスと化してしまう。
(あっ……)
虫の卵を見ていたシュラの頭に、何かのビジョンが浮かぶ。
「キラ、ちょっと良いかな?」
「なんだ? マキの料理を一緒に食べようって話なら、断固拒否するぞ?」
マキのアレンジャーぶりは、彼も承知しているのだ。
「いや、そうじゃない。卵を使った、新しい調味料を思いついたかもしれない」
「調味料? そいつは美味いのか?」
「完成すれば、どんな料理にも合う画期的な調味料になる予感がする」
「へぇ~それじゃ、そいつを売ろうって話か?」
「さすが、キラ。話が早い」
「何年、悪友をやっていると思ってるんだよ!」
ゲラゲラと笑うキラが、シュラの背中をバンバンと叩く。
(ちょっと、病み上がりなんだから、優しくしてくれ……)
「出来たよ~!」
キラとシュラが話していると――マキが皿と木のスプーンが載ったお盆を持ってきた。
深皿に入った白いポタージュの中には、よく煮えた色とりどりの果実が浮かんでいる。
「俺はパス……」
キラは、早速に逃げてしまった。
シュラも一瞬ためらったのだが、空腹と良い匂いにつられて、ポタージュをスプーンで掬い――口に運ぶ。
「美味いよ……」
「本当! よかった!」
煮えた果実は気になるのだが、卵のコッテリとした味わいと、果実の甘みと酸味がマッチしている。
今日の料理は運良く外れではない。
(けど、せっかく彼女が好意で作ってくれたのに、こんな事を考えるのはいけないよなぁ……)
しかし、美味い――五臓六腑に染みわたる。
(病み上がりだから、少しだけでいいか。後で、もう少し食べよう)
暗くなり、キラとマキは家に帰った。
シュラは薄緑色の明かりの下、ベッドに横たわり光を見つめる。
(蛍草の在庫もないな。身体の調子が戻ったら、森に採りにいかないと)
部屋の明かりになっているのは、植物の花である。刺激を与えると光りだす。
(これからどうしよう……先ずは、父さんの遺品の整理と――さっき思いついた調味料の試作だな。父さんが残してくれた蓄えがあるうちに、何とかしないと……)
シュラはベッドに寝転びながら、思案を巡らせていた。
――シュラがベッドの上で、将来について考えている頃。
街の中にある一軒家で、白い壁でガラスに窓が入っている2階建て建物。
屋根に白いセラミック板を貼られているのも、シュラの家と同じ。
ここら辺で建築されている平均的な住宅だ。
その家の中――黒いズボンに、白いシャツ、刺繍の入った黒いベストを着た男が縄で縛られて木の床に座らされている。
黒い髪の毛を真ん中から分け、黒い口ひげが目立つ。このひょろりとした男はマキの父親だ。
「俺は認めねぇぞ! あんな無職のガキ!」
「お黙り!」
娘のマキが、無職のシュラと一緒になりたいということを聞いて、反対したのだが――あまりにもうるさいので妻に縛られて、転がされているわけだ。
その横に仁王立ちしているのが、マキの母親。背が高くガタイの良い身体に、紺色のロングワンピースを着て、大きなエプロンをしている。
娘に似た赤い髪をまとめて、頭巾のような帽子の中へ入れている。
「母ちゃんも反対?」
「確かにねぇ――惚れた腫れたなんてのは、一時の熱病みたいなもんで、やっぱり金! 金がなきゃやってられない! ――とは私も言ったけどねぇ」
「うん……私は、シュラと一緒にいられるなら、お金なんていらないよ?」
「――けどねぇ、生活が掛かってくると、そんなことは言ってられなくなるんだよ?」
「そんなの私が働いて、シュラを食べさせてあげればいいし!」
「ははは、それも手だよ。男の兵站を抑えれば、男は何もできなくなるからねぇ……」
母親が父親のほうを見ると、彼は横を向いてしまった。
「いくら夢を追っているといっても、いずれは現実と向き合わないとダメになるわけだし。本当のクズならどうしようもないけど、あの子は真面目だから、いい旦那になるかもね」
「私も、そう思うんだ!」
「反対! 反対! 反対~! シュプレヒコール! 我々はそのような反社会的行為に断固反対することを宣言する!」
父親が、床にあぐらを組んだまま、叫び始めた。
「黙りな! このコミュニスト! あんたが夢に語ってた革命はどうしたんだい?」
「う……まだ、革命の志半ばだ……」
「こんな奴が、あの子を笑っているんだから……そうだ! 私もあの子と住めばいいんじゃないか?」
「母ちゃん! それ、良い考えかも――と思ったけど、家事で怒られそう……」
「ちょっと待ったぁ! 母ちゃん! 俺を捨てるのかよぉ!」
父親が縛られたまま立ち上がると、妻に泣きつき始めた。
「うるさいねぇ! 娘の幸も願ってやれないコミュニストに、一緒にいる価値があるのかい?」
「それとこれとは、話が違うじゃねぇか!?」
「一緒だよ! 一緒!」
すったもんだの挙句、父親は折れた。妻が本気で出て行こうとしたからだ。
妻に縋りつきながら、マキの父親が泣いている。
「全く鬱陶しい! やれもしないことを口に出すような男と一緒になると、こうなるんだよ?」
「でも……シュラは本当にやりそうな気がするんだよ」
「あの子は、なんというか、ひたむきだからねぇ……でも、苦労するよ?」
「大丈夫! シュラと一緒なら、平気だもん!」
マキの両親は呆れているが、彼女の決意は固い――本気だ。





