その5 新御堂式視線察知講座
しかし翌日以降も、接触は難航を極めて告白の機会には恵まれない。
白野は、こちらから能動的に会いに行くと大抵「さっき出てった」「あれ、さっきまでそこにいたのに」という感じで不在の連続であり、エンカウントせず。
たまに出くわすかと思えば、妙な状況が多かった。
たとえば水曜日の朝。
「あっ」
と言って顔を合わせたのは俺のクラスで、だったのだが。
周囲の目が白野に集まっていた。
ルックスが非常に可愛いから、というだけではないだろう。
行動が注目を集めていた。
おお、窓際にある俺の机と椅子が――耀いている。
机は鏡のごとく。座面は大理石のごとく。あまりの耀きに教室の中に反射した光が降り注いでいた。
そう。白野が磨きあげた結果である。
「いやいやいやいやなにやってんの」
「仕上げのクリーナーの途中です」
「現在の作業工程を訊いたわけじゃないよ?!」
「でも先日浦木くんが『高校生になったけど身の回りのものがキレイになってないとあんま環境変わった気しないなー』と仰ってましたので……」
盗聴!?
「あ、いえ仰っていたのは移動教室で廊下を歩いているときです。さすがに盗聴とか、プライベートを侵食するのはナシです」
あ、そう……
いや待っていま読まれたよね心。俺口に出してなかったよね!?
「もうこれで仕上げも……はい、終わりました。どうぞごゆるりとおくつろぎください」
「こんだけ周囲の注目集めてて周囲と全然ちがう品使ってて落ち着くわけないんだけどって机がぁぁ! カバン置いたらボウリングみたいに滑ったけど!」
「仕上げ材が乾くまでもう二時間ほど、置いといてください」
「授業受けられないって! 遅れた分だれかに勉強教えてもらえっての!?」
「あ…………その、それは、私とお勉強をしたい、と……?」
「え……あー、え? それ、お願いでき……」
「無理です無理ぃっ!」
顔を真っ赤にして白野は逃走した。
残された俺には奇異の目線が突き刺さり、また一部の人間からは「学年一位にさえ勉強教えるの無理と言われた男」というひどいあだ名が付けられた。
+
次は接触と言っても俺と直接に対面しないものだった。
その日、四限の体育が終わった直後。
さて昼飯かー、と思いながら教室に戻ってきて着替えようと、制服に手を伸ばした俺。
そのとき。
シャツの隙間から、ごとんとなにか落ちる音がした。
……おそるおそる見てみると、そこにあったのは。
よく冷えたスポーツドリンクだった。
貼り付いたポストイットに丸っこいけど読みやすい字――先日下駄箱に入っていた手紙とまったく同じ筆跡だ――が躍っており、『走る姿に感激しました』と百キロマラソンを完走したひとにかけるような言葉が記されていた。
出来事としては、それだけである。
ただ、気になることがひとつ。
「……いや、なぜ男子の着替えた教室に『冷えた状態で』ドリンクを置いていける……!?」
着替えに使った教室には当然、スマホや財布といった貴重品を置いていくことになる。
よって最後に出た人間、大抵クラス委員とかだが、そいつが教室に鍵をかけていくのだ。
つまり、密室。
女子が侵入することは、ましてや冷えたドリンクの温度がぬるくならないうちに設置して退出するなんてことは、できないはずなのだ。
「……うわ! ぼ、ボンド……いまそこに白野かなたがいたけれど……」
昼飯を片手にやってきた新御堂が、教室の入り口あたりを指さして叫ぶ。
バっとそちらを向く俺だがそのときにはすでに白野の姿は掻き消えていた。
完全にホラーだった。
+
次の接触は木曜日、廊下だった。
数Ⅰの教科書を忘れてきてしまったので、隣のクラスの新御堂に借りようとしたのだが……奴は今日の授業に数Ⅰがないらしい。
「参ったな」
「お困りですか浦木くんっっ!」
例によって遠くからの声が、語尾に『っっ』を付けて飛んでくる。
廊下にいたほかの人々も彼女の声に驚いたらしく、視線が俺と白野の間を行ったり来たりしていた。お騒がせしております。気にしないでください。
「教科書をお忘れですね?」
「なんですでに知ってるのかは面倒だからもう訊かないけど、その通りだよ」
「やっぱり。じゃ、お貸ししましょう」
たたた、と近寄ってきたが俺から二歩半くらいの位置でピタっと止まる。
爪先立ちになり、足と腕がつりそうな姿勢でぎりぎりと背筋を軋ませ、手を伸ばした白野は教科書を渡してくれた。どうもこの二歩半が限界距離らしい。
「んぅっ……は、ふぅっ……と、届きましたか……!」
ちがった。どうもこの距離もアウトらしい。一言だけ漏れた喘ぎ声に周囲の男子がちょっと目をやってすぐに逸らした。見るなコラ見るな!
「うん受け取ったありがとう! もう姿勢戻して!」
「ぁぁ……足がつりそうになりました」
「お大事に。あと喉も。というか白野は今日、数Ⅰあったんだ」
「へ? いえ、どの教科書も基本的に学校に置いているだけですよ」
「意外。教科書すべて学校に置いてくなんてのは、いろいろテキトーでいい加減な男子くらいかと思ってた」
「そういうものですかね? 私の場合は、とくに自宅で使うわけでもないので置いていくんですが」
……秀才ゆえの行動だった。
必要ないからだったかー……。
+
お次は十分休憩に、ちょこっとソシャゲのイベントをやっていたときだった。
「ん?」
フレンド申請が飛んできていた。
わりと高レベルなプレイヤーで、サポートキャラに出しているのもまさにいま、俺が必要としているタイプのキャラだ。
結構な時間とお金がかかってそうなアカウントだな、と思いつつ申請を受諾し、俺はフレンド欄にやってきたそいつのコメント部分を見る。
「うぉわッ!」
変に引きつった声が出た。
だってしょうがないだろう?
『いまのイベントだとコレが必要かと思ってご用意しました 白野』
なんて文面が並んでたんだからさぁ……! いや、ご好意はうれしいんだけど。
+
「接触はずいぶん難航しているようだね」
金曜日。
目まぐるしく過ぎた一週間も、残る五、六限の授業を受ければ終了だ。
昼休憩に弁当を持ってやってきた新御堂にひらひらと手を振って応じた俺は、机に突っ伏したまま動けなかった。
「なんというか……予想だにしない方法での接触ばかりで……疲れた……!」
「……あのだね。これあんまり言わない方がいいかと思っていたのだけれど。白野かなた、アレ行動はまるっきりス」「いやストーカーじゃないから」「食い気味に言わないでおくれよ必死さがガチすぎて引く」
なんとも言えない顔で、新御堂は俺の前に腰を下ろした。
弁当の包みを解きながら、奴はふむとひと息ついて外を見やる。
俺もとりあえず自分の弁当を置くスペースくらいは確保しようと、やっとこ上体を持ち上げた。今日の弁当は昨夜の残りのホイコーローと、プチトマトのサラダだ。
「それにしても、なんだい。結局こちらから能動的に捜索したときには、一度も見つからなかったということかい?」
「まあ、うん。そうなるな。常に向こうの接触待ちになってる」
「やれやれ。お前は気配を読めない奴だからそうなるのも致し方ないねぇ」
「なんでお前ちょっと上からもの言ってんの?」
というか気配読めるのが普通みたいに言うな。
弁当箱からくるくると器用にフォークで巻き取ったたらこパスタを顔の高さに掲げてすすりつつ、新御堂はしばらく黙る。
それからおもむろに左手を口許にやり、
いつの間にか掌に載っていたプチトマトを放り込んだ。
「あ、それ俺の!」
「右手のフォークに注目しすぎだよボンド。気配を読む、気配を絶つというのは要するにこうした意識していない場所の取り合いと探り合いなのさ」
もぐもぐと噛んで呑み込み、ふふんと笑う。
「しかしこの数日、ほとんど進展はないようだね」
「予期せぬタイミングでぱっと現れた白野にあたふたしてるうちに去っていくのが、お約束になってきてるよ」
「ふむ。ゲームのお助けキャラみたいな人物だね」
「本当にな。でもこのままじゃ日常会話ばっかりで、二人きりになんかなれやしない」
「難儀しているね。そんなお前に、せっかくだからひとつ教えてあげよう」
新御堂はフォークを置くと、右手で俺の頭頂部をわしっとつかんだ。なんだなんだ。
「教室をぐるっと見回してごらん」
「はぁ?」
「いいから」
「わかったよ」
ぐるりと見回す。窓際のこの席からだと、全体を見渡せる。
まばらにひとが散った教室内では、変なことしている俺に向けられる奇異の目線があった。
というか、机ピカピカの件といい廊下で大声で話しかけられる件といい、白野とセットでかなり目立っている俺なのでこの頃は奇異の目線がデフォルトになってきているのだ。つらい。
「見たぞ。で、なんだ」
「いいかい。気配を消した相手の視線をたどるには」
またも俺の頭をつかむと、今度はゆっくりと首を回す。
途中で新御堂はぴたっと手の動きを止めた。
その角度だと、俺からは教室の前方の出入口が見える。
視線のライン上にはひとがいない。向こうまで見通せた。
「こうした『障害物が無く自分を見ることができるライン』を瞬時に探すことだね」
「おおー。なるほど」
感心しながらも、内心俺は「これってこいつが盗み見するときのことを思い出して応用してるだけなんじゃ」という疑念が沸いて拭い去ることはできなかった。
得意げな新御堂はさらにつづける。
「あとは気を抜いた瞬間を自覚することだね」
「気を抜いた瞬間?」
「人間、自分の領域に来たと思うと安心して気を抜く。押し入り強盗とか変質者関連の事件は、自宅前に来て鍵を開けようとしている瞬間に襲われるパターンが結構多いという」
たしかに想像してみると鍵開けてる瞬間って無防備だしそのまま室内に押し込まれたら外の目もなくてヤバそうだな、と思ったけど、なんでそういう知識があるんだろうこいつ。
「つまりそういうことだね。自分のパーソナルスペースが確保できたと思った瞬間、気を抜いた瞬間。そこをボンド自身が自覚していれば、おそらくは白野かなたの接近に備えることができるよ。向こうはそこを、狙っているはずなのだから」
「そっか。よくわかったし参考になった」
「そうかい」
「あとお前が心底こわい奴だなって再認識した」
「なぜだい……」
不服そうに口をとがらせる新御堂だが、俺の中でのこいつは『セキュリティ関係の仕事をしている元泥棒』みたいな認識になった。合掌。
「まあ、ともあれ。これで僕の極意は伝授したからね。うまく接触できることを祈っているよ」
「早速帰りに試してみる」
新御堂ゼミでの学びを反芻しながら、俺は帰り道に思いを馳せた。