その4 どんな子なのか知りたいと思う
放課後。
新御堂は軽音部に入部届を出しに行くらしいので、俺はひとり家路に就く……前に、昇降口の逆へ足を向けた。
「一組だったな」
俺は六組なので、校舎を東にてくてく歩く。
もし白野がいたら、できれば少し立ち話。なんなら途中まで一緒に帰るとかできないかと思ってのことだった。
ところが一組にはすでに白野の姿はなく、残っていた女子のひとりに訊くと「もういないよ」とのこと。早い。
「白野さん待ってたの? 友達?」
「ん、まー友達というか知り合いかな……で、いないっていうのはもしかして白野、部活行ったとか入部見学しに行った、とか?」
俺が尋ねると、その女子はンーとうなって斜め上の方を見た。
「部活はやってない、と思うわー。ていうかクラスであんましゃべんないし、教室ではぼーっとしてること多くてキャラわかんないのよね。不思議系?」
「不思議系か」
「休み時間になると毎回シュンッて姿消すしね。……居心地悪いのかな、クラス」
ちょっと考え込んだ感じで言う。
たぶんそのシュンッていうの、気配を消して俺を観察しに来てるだけだと思う。
「しっかしすごいひとよねー、白野さん」
「ああ、全科目トップだもんな」
「それもあるけど。あの子運動もめちゃくちゃできるみたいで、体育終わったあとめっちゃ部活に勧誘されてた」
「え、そうなんだ」
「まあでもそれをクールに全部お断りしてたから部活やってないってわかったんだけどね」
「なるほど。なんか稽古事とかやってるのかな、部活以外」
「さーね。授業終わるとすぐ帰ってたから家でなんかあるのかしら。ま、そういう具合で学校での接点が少ないし、ちょっと近寄りがたい感あるのよね、あの子」
「たしかに。近づこうにも逃げられる感じする」
「……え、なになに。あんた、白野さん狙ってんの?」
「へっ? いいいやそういうわけではななないけど」
「えー? じゃあなんで来たのー?」
「んー、いやー、まー、そのー」
冗談半分という感じで問われても冗談半分とかで返せない不器用な奴が俺だった。そのままむにゃむにゃと言葉を濁し、「じゃ、ありがと!」とだけ言い残して即逃げる。
……後ろでフゥー! となにやら女子たちのテンション上がった声が聞こえたけどこれ明日白野に変な感じに伝わらないよね? 頼むから変な感じに伝わらないでくれ。頼む。
「……しっかしいつ、どこでなら会えるんだろ」
なんとか接触の機会を増やしたいものだ。
もうなんかこの二日間、気が付くと白野のこと、白野に近づくことを考えてる。生活の中心に白野が来ている感じだった。
……これが、惚れるというやつか?
「う、ううぅぅむ……し、心臓が」
なんか客観視した感じに述懐してみたが、あらためて意識すると心臓を鷲づかみにされたようなドキっという高鳴りを感じ、うめき声と共に座り込む。
うわー。
しんどい。
こんな感覚はじめてだ……落ち着け、落ち着け。
深呼吸を繰り返して無心になろうと意識したところだいぶ落ち着いて、ふらふらと昇降口にたどり着いた俺は外へ出て校門を抜ける。
そこですたすたと足音が近づいてきたので、振り向くと新御堂だった。
見慣れた面に少し、ほっとする。俺たちは並んで歩いた。
「お前入部届出しに行ったんじゃないの?」
「もうその用事は終わったからね。そもそも火曜日は練習日ではなく、今日は届の受理のために先輩がひとりいるだけだったので帰ることにしたよ」
「ふーん。考えてみたらお前ベース持ってなかったもんな」
アニメのキャラに影響されてはじめたらしい新御堂のベース練習は、もう三年くらいつづいてる。こいつ練習のときはだれかに聴いててほしいらしく、よくうちに来るのだ。
「ああ。というわけで今日はお前の家で練習してもいいかい」
「べつにいいよ。あ、妹が映画観てたらダメかも」
「今日は妹さん家にいるのかい?」
「さあどうかな、最近はわりとまじめに学校行ってるけど」
「行ってなくてもわりかし成績は優秀だものな、お前の妹さんは……そういえばボンド、昼にあの子が白野って名前で、試験の成績が学年内トップというところまでわかったと言っていたろう」
「うん、言ったな」
「さっき軽音部の方で話をしていたらね、入部希望だという子が来て白野かなたのことを訊いたらいろいろ話してくれたよ」
「マジか。白野のクラスメイト?」
さっきの感じだといまのクラスの人間とはあまり話していないようだし、そういうのはなさそうに思えたのだが。
俺がなぜクラスメイトと口にしたのか当然わかっていない新御堂は、首をかしげつつ言った。
「いや? 中学が同じだったのだそうだよ。佐倉なのだとさ」
「……うわー。佐倉だったのかぁ」
この禾斗目高校からそう距離は遠くないが、しかし心情的には遥か彼方だ。
なにせ中高一貫の女子校。花が咲き、蝶が舞う――なんてのはまあ言い過ぎなんだろうが、『淑やかに人徳を積む』というのが校訓の学校。
それが佐倉だ。
「学力的にもあそこの方がランク高いだろうに、わざわざエスカレーター式の高校蹴ってこっちに来たってこと?」
「それがねぇ。もっと大変なことをしでかしてるみたいでね」
「大変ってなんだ」
「試験の成績がうちの校内トップだったけれど、じつは全国模試でもトップ五位に入っていた超のつく才媛らしい」
「ぅえっ?! 全国五位以内なのにうちみたいな高校来たの!?」
「お前自分が上位校滑ってここに入ったからってそう微妙な言い方をするのでないよ」
「いや俺は滑ったっていうか……まあ滑ったようなもんか」
ちょーっと受けた学校の設問にミスがあって、それを解けなくて時間をロスしたせいで他の設問を解けなかったというかね。
うん、まあ言い訳かこれも。
「それにしてもすごいな、そんな成績優秀者だったとは」
「おまけに運動もできて各部活から引く手あまただったそうだ。文武両道。できないことは、できないことを数えること。才媛オブ才媛。万能の天才とも呼ばれたそうだよ」
「どうしてそんな人間が禾斗目に……」
「さあねぇ。佐倉では友人が少ないタイプだったようで、詳しいところはよくわからないのだと言っていたよ」
「ふーん。そこはいまと同じなのか」
「なんの話だい」
「いやさっき白野のクラス行ってちょっとそこの女子と話したんだけどさ。クラスメイトとはあんまりしゃべらなくてぼーっとしてる、とか聞いた」
「ミステリアス系?」
「不思議系かな」
「お前不思議系が好みだったのだね」
「……不思議系が、っていうか。白野が……だよ」
またも心臓が変な高鳴り方をしたので胸を押さえた。新御堂はため息をつく。
「本当に惚れているね……お前、自分では気づいていないのだろうから教えておいてあげるけれど、昼に教室に戻ってきたときいままで見たことがないくらいご機嫌だったよ」
「……マジで?」
「マジで。ゾッコンだねお前」
ついていけない、という顔でポケットに手を入れたまま肩をすくめる新御堂は、俺の方をじろっと見下ろした。羞恥で顔を背けると奴は見計らったように言った。
「でも昼に話したときのことを聞いた限りでは、白野かなたは少し話し込んだだけで赤くなって活動限界が訪れてしまうような子なのだろう? 光の国から来た戦士のごとく」
赤くなったの顔だからな? 胸のタイマーじゃないからな。
そんなツッコミを浮かべている俺を凝視して、奴はうーんと首をかしげた。
「そんな子と距離を詰めるの、難しいのではないかい」
「まあそりゃあな。けど、少しでも近くにいたいんだよ。仲良くなりたいんだよ。だからわずかな時間でも、接する機会を拾っていきたい」
「はぁ……互いに好き合っている――まあ少なくとも表面的にはそういう関係のはずなのに、じつに面倒くさいね」
「面倒くさいのはたしかに、って思う。でも、仕方ないだろ」
腕組みして新御堂から顔を背け、俺はぼそっと言った。
「す、好きになっちゃったんだから、さ」
「きしょいなぁ……」
「しみじみ言うのやめてくんない?! 普通に刺さるから!」
「いや言うよ。というか二人だけの帰り道でちょっと恥じらった感じに僕へ向けて言うのはやめておくれよ。周りにそこだけ抜き出して聞かれていたら間違いなく誤解されるシチュだったよいまの」
「おお……言われてみれば」
危ねぇ。だれかに聞かれちゃいなかったかと、俺は周囲を見回して警戒する。
すると新御堂が横から「心配しなくともとくに視線は感じなかったからだれもいないよ」と周囲に目も向けず言う。こいつの視野角シマウマ並か?
ともあれ、白野だ。俺は話題を戻す。
「とにかくさ。俺、なんとかしてあの子に近づきたいんだ」
「近づくとは」
「告白……しようかと思う」
「気が早いね。そもそも、付き合うのは無理だと言われたんだろう?」
呆れた顔で新御堂は言う。
目にはわずかばかり案じる気持ちが混じっていて、こいつなりに心配してくれてるんだろうなとわかった。
でもだれかにどうこう言われてすぐあきらめられるような気持ちでは、なかった。
変な高鳴り方をしたあとから心臓はずっと熱を持っていて、それは治まる気配がない。
俺の意思が顔に出ていたのか、目を合わせた新御堂は足を止めた。
「断られるのではないのかい。触れ合うのとか、至近距離にいるのが無理だから、と向こうは付き合えないって言ったわけだろう」
「そうだな。でも、だったらさ。……その点さえ気をつければ、いいんじゃないかな」
俺の言葉に新御堂は片眉を上げた。
「……おさわりはおろか並んで歩くのもアウトということだよ? 理解しているかい?」
「それ言ったら遠距離恋愛も状況は同じじゃん」
「いやまあそうだけれど、前提条件がちがうだろう。触れるチャンスが少ないのとゼロなのとはちがうよ。遠距離恋愛の関係だったら、ひさびさに再会したら絶対ベタベタするね。もう蛇の交尾みたいになるね。蛇の交尾って半日は絡まったままらしいからね」
「知らんわ。なにが言いたいんだ」
「お前はそんな、蛇にはなれないということだよ」
いいのかい? と視線で問うてくる。
……なんか真面目な顔して言ってるからシリアスな場面っぽいけど。
「お前結局言いたいことって『性欲抑えられんの?』ってことだろ」
「正解。正直無理だろうと思っている」
「抑えられるわ! 大きなお世話だこの野郎!」
「節介焼きの自覚はあるよ。でもそういうの抜きで『付き合う』って、一体なにをする関係だい? いまのお前の状況だと、恋人らしいことなんてひとつもできないように僕は思うけれど」
真面目な顔を崩さず、新御堂は言った。
下ネタに振り切ってきたので冗談めかしているのかと思ったが、目は笑っていない。
本気で訊いているらしい。そして俺を心配している。
……さすがにこっちも茶化して答えることはできないので、よく考えた。
たしかに、まあ。
下な話ではあるにせよ、そういうことだって付き合う中で大事な要素だとは思うし。実際、理性で耐えなくちゃならない場面の連続になる予感はしている。
でも。
それでも、だ。
「それでも俺は、好きだ、と言いたい。会ってからまだ日も経ってないけど、あの子に、きみを大事に思っている奴がここにいるって、知ってほしい」
「たとえ恋人らしいことがなにひとつできなくてもかい?」
「恋人同士だったら、なにをしたって『恋人らしいこと』になるんじゃないの?」
俺の返事に、新御堂は打ちのめされたような顔をした。
胸を押さえてよろめき、後ずさりしていって道の端にあった電柱に頭をもたせかけるとゲホゲハゲヘと汚いうめき声をあげた。
「砂糖と胃液の混ざりものを吐きそうだ……! よくもまあそんな上級者の言葉を吐けたものだよ、お前はもう免許皆伝だ」
「お前なんの師匠だよ」
俺のツッコミを受け流し、口許をぬぐいながらふらふらと歩みを再開した新御堂はハァ、とひどく沈んだため息をついた。
「ま……ともあれ、茨の道だろう。なにかあったら言うといい。手くらいは、貸してやるから」
「ありがと」
「触れることもできない相手にいろいろ悶えるのでは辛かろうしね。そうだ、僕のコレクションの煩悩映像作品群も、今日は持っていってあげよう」
「いやそれは結構です」
「遠慮しなくともいい」
「お前の持ってる奴はなんかジャンルに偏りあるし……」
「そんなことはないよ。お前の好きなスポーツ少女系のもさいきん揃えたしね」
「へえ。運動して汗かいて、髪が顔に貼り付いてるシーンある?」
「自覚がない奴ほど性癖の闇が深いのはなんなのだろうね……」
「んなことないって。俺はノーマルだ」
「濡れた黒髪とロリ巨乳好きというのはノーマルかい」
「言い方ぁ!」
「まあ一般的に巨乳がセックスアピール強いというのは認めるよ、一般的にはだけど」
いいこと言ったかと思えば堂々とこんなことを口にするので、俺は深くため息をついた。